「我が半生」(5) 前愛知県韓国人経友会事務局長 金龍鐘(5)

想い
 

「アイゴ!」 夜明け前、女の泣き叫ぶ声が近くから聞こえてきたのは、たしかに母(オモニ)の声だった。
弟の病気に感染しないよう、私は向かいの路地の奥で住んでいる、おばの家で毎日寝泊まりしていた。 
ついに、きたかと思ったが、目の先の家にも、通行(トンヘン)禁止(クムジ)のため直ぐには帰れなかった。
それにしても、母(オモニ)の激しい慟哭が無性に悲しく、嘆く声が気になり、小学校6年生で父(アボジ)にも合えず、
独り母(オモニ)の下で淋しく逝く弟の姿を思うと、たまらない気持だった。 
弟は春先まで、まだ、元気だったが、人民軍占領時、米軍の空襲などで山に避難し、体を無理したようだった。
いずれは、同じ運命だったかも知れないが、日本で暮らしていたなら、死なずにすんだのは間違いなかった。

私達家族は、弟がまだ、元気だと見ていた時、家でかかえていた弟の主治医が、母(オモニ)と私に話したい事があると言ってきた。
「これ以上、命を保証できません!!!」 と宣告された。
母(オモニ)は納得せず、今までと、同じように治療してくれることを頼むのであったが、世相が変わり、家計にも陰りが見えてきて、
主治医の生活費すら、厳しい状況になっていた。

弟には気付かれないようにしていたが、甘えて、主治医をてこずらせていた弟が察したのか、 
「先生!私の命だけは助けてください!これから、何でも言うことを聞きます。注射もうちます。どんな薬でも先生の指示通り飲みます」と、必死で涙ながら哀願した。
激しい戦乱で主治医が求める、医薬品が 日本から届かなくなった。今までは勉強嫌いだった弟が、私に率先して、しきりに、学校で習う勉強の教えを乞うてきて、
私は内心嬉しかったが、「もう少し、早く気がつけば、命まで助かったのに」と、残念でならなかった。

貨幣価値も変わり、貸したお金も戻らない状況で、母(オモニ)は家財道具まで売り出した。
「姉さん、あきらめなさい。生きている人が大事ですよ。こんな事は言い辛いですが、これ以上、死に金はやめた方が皆のためですよ」と、
叔父が母(オモニ)にきっぱりと告げた。でも、(オモニ)は薬代を工面するため、食器皿までお金に換えようとし、
私は黙って見るしかなく、とうとう、主治医も去って行った。
母は教会の牧師に頼んで、死が近づいた弟に洗礼を授けるのを、私は立ちあったが・・・通行(トンヘン)禁止(クムジ)時間解除が出るや、私は家にまっしぐらに帰った。

やはりそうだった。「龍鐘(ヨンジョンア)!お前の母(オモニ)は大きい罪を犯していまった。許してほしい!昨夜、余りにも5分おきに寝返りを迫るので、
私も寝られず、世鐘(セジョンイ)に叱ってしまったの!それから、しばらく、何も言わないので、触ってみたら息をひきとっていたのよ!
  母(オモニ)の悲しみは絶望のどん底に突き落とされたように、私たちに罪を詫びるのであった。  
あらん限りの心を尽くし、愛を注いだ母(オモニ)なのに、たまりかねた一言が、弟との人生最後の言葉となってしまうとは!
母(オモニ)の心を弟も知らないはずはないけれど、最後まで、甘えるだけ甘え、母(オモニ)の辛さを感じ、黙って逝ったろうか。
 
父(アボジ)に合わす面目がないという母(オモニ) に、側で祖母(ハルモニ)がやさしく労わっていた。
数日過ぎて、金より貴重なペニシリン、マイシン等の医薬品をアルミ板で厳重に半田付けしたケースが日本にいる父(アボジ)からやっと、届いた。
私は父(アボジ)の気持も知らず、そのケースを家の 中の畑に悔しさのあまり放り投げてしまった。
父(アボニム)はもう既に、弟が死んだ事を夢枕で知っていたようだった。
  「世鐘(セジョンア)!どうして、お前がここにいるのだ!!」と、父(アボニム)は夢で叫んだ。起きてみたら、その時、側に弟が座っていた。声をかけたら幻だったと。
死に際、弟が父(アボジ)に合いたくて海を渡ってきたとは、どうして、信じられようか。どんなに弟の魂が父(アボニム)に逢いたかったことだろうか!!