夢判断
父の消息は1年過ぎても何の音沙汰もなく、母(オモニ)はなれない行商を始め、時には市場でなく、汽車に乗って田舎まで出かけた。
夕方に着く汽車は予定 通り到着したためしがなかったが、妹と私は、いつも、母(オモニ)を駅まで出迎え、夕食の時間が過ぎても待ち続けた。
南労働党(ナムノダン)共産ゲリラの 警戒のため、夜9時になると、通行(トンヘン)禁止(クムジ)になるので妹を先に返し、1人で母(オモニ)を待った。
10時過ぎに、やっと、着いた汽車から重い荷物を担いだ母(オモニ)が降りてきたが、家には帰れず、
駅前広場の囲いの中で2人、寒さのあまり、私は母(オモニ)のチマ(もすそ)を被って震えながら、涙の一夜を明かした。
父は生きているのか、死んでしまったのか、私たちは気が気でなく、食べていくことができないのか、母(オモニ)が食事をぬいていた。
私たち兄弟も学校の弁当さえ遠慮せざるを得ない状況で、李朝末期、済州島牧民官(モックサ)のお姫育ちの祖母(ハルモニ)が昔ながらの酒作りをはじめだした。
悪いことは重なるもので、泥棒にまで入られて散々だった、ある日の朝、母(オモニ)の激しい泣き声が聞こえ、
母(オモニ)が夢で、父が死んだ棺桶を押入れに入れているのを見たと。祖母(ハルモニ)が取り乱した母(オモニ)を、
「昔から、そのような夢は悪いのではなく、良い知らせがあるかもしれないよ」と、慰めていた。
私も、何か、悲しくなって朝食ものどに通らず、早々と学校へ出かけていった。いつも、母(オモニ)の手伝いをしていたが、
この日ばかりは気になって、日が暮れまで道草をし、家にそっと帰った。
奥の部屋から、最近、聞いたこともない母(オモニ)の明るい笑い声が聞こえてきた。
玄関に、ぴかぴかの新しいハイカラな靴が一足あった!でも、父とは違うようだった。
「只今」と、か弱い声しか出なかったが、母(オモニ)の嬉しい声が、
「龍鐘(ヨンジョンア)!このおじさんがお父さん(アボニム)からお金を預かってきたよ!早くきてご挨拶しなさい」
一日で、天国と地獄を見たような気がしてならなかったが、夢といえども不思議なものと、しみじみ感じた。
祖母(ハルモニ)は平然とふるまっていた。
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