生みの親韓国、育ての親日本(8)  株式会社高電社 会長 高基秀
インターネットがビジネスの転機に

ご存じのように、インターネットの普及に伴い、全世界の情報に簡単にアクセスできるようになりました。
そうなると、今度はその情報を自国の言葉で読みたい、という欲望が出てきます。

この時期各社からインターネット対応の英語−日本語の翻訳プログラムが発売されましたが、
いずれも翻訳率が低く、とうていユーザーの要求を満たすようなものではありませんでした。

その中で、高電社が1997年に発売した韓国語−日本語翻訳プログラム「i・ソウル/KJ」は、各方面から大きな注目を浴びました。
「これは使える」と、少しずつユーザーが増えていきました。
韓国ではすでにその前年から、ウィンドウズ対応の日韓翻訳プログラムの販売を開始し、やはり高い評価を得ていました。

「コンピュータに人間の言葉が翻訳できるわけがない」と馬鹿にしていた翻訳専門業の人々が、
翻訳の補助に高電社の翻訳プログラムを使い始めたのはこの頃からです。
ホームページの翻訳はもちろんのこと、韓国との電子メールのやりとりにも、
高電社の日−韓、韓−日翻訳プログラムが活躍するようになりました。