生みの親韓国、育ての親日本(5)  株式会社高電社 会長 高基秀
コンピュータビジネスへ事業展開
事業が安定するにつれ、私の頭の中には、2つの考えがわき起こってきました。

一つは、今の状態に安住することなく、会社をさらに発展させ、大きくしていかなければならないという使命感。
特に当時、電気工事の施工先で目にするよう になったマイコン制御の電子機器は、ビッグビジネスを予感させる商材でした。
遠からずしてコンピュータが爆発的に普及する日が来るに違いない、わたしはそう思っていました。

もう一つは、日本でそれなりに基盤を築くことができた今、自分の得意分野で、生みの親である韓国に何か恩返しができないかということでした。
そう思っていた矢先、日本経済新聞に掲載されたパソコン−当時はマイコンといっていましたが−コンピュータの解説記事を読みました。
これだ、ここでやるしかない。そう思って私は、電気工事会社の社員2名とともに、高電社を設立し、コンピュータビジネスをはじめました。

さて、いざ会社を設立したものの、まだ日本語もハングルもコンピューター上で印刷はおろか、表示もできない時代でした。
そこで、私たちは当時のコンピュータPC-80011で日本語を印刷できるように、日本語のフォントを一から作り始めました。
日本語の文字がディスプレイに表示できるように、そしてそ れを印刷できるように、文字をひとつひとつ作り始めたのです。

今から思えば気の遠くなるような作業ではありますが、創業時の熱意というものはものすごいものです。
高電社の創業は1979年ですが、その翌年には、世界ではじめての日本語ワープロソフト「マイレター」を世に出しました。
今でこそ、MS-Wordだの一太郎だの言いますが、はじめて日本語ワープロソフト を世に出したのは、高電社が世界で最初だったのです。
「マイレター」は高電社のヒット商品第一号になりました。

作家の藤本義一さんにご登場願い、TVのコマーシャルを打ったのもこのころです。