生みの親韓国育の親日本(4)  株式会社高電社 会長 高基秀
大学は卒業したけれど……
さて、4年生になって、進路を決めなければなりません。
事情が許せば、大学院に進学し、好きな言語の研究を思い切りやってみたいという気持ちはありました。
しかし、私にはそのような選択肢は許されませんでした。そこで就職を目指し韓国へ戻りました。1960年、昭和35年のことです。

当時の韓国は最も貧しい国の一つでした。
1人当たりの国民生産いわゆるGNPが100ドルの時です。
今のエチオピアの水準です。就職どころではありませんでした。
色々悩んだ末、も一度日本に戻り人生の再出発だと心に決めたのが今日に至った出発点です。 
日本に戻ったといっても韓国の学生ということで、希望する会社への就職はできませんでした。

仕方なしに、これまでずっとアルバイトを続けてきた電気工事の経験を生かし、大阪の会社に、今度は正社員として働くことになりました。
何年間もアルバイトをしてきたので、仕事の内容はよく心得ています。
立場が変わっただけで、仕事の内容は同じですから。仕事の要領もわかってきたので、一人立ちしたいという強い希望が出てきました。