生みの親韓国、育ての親日本(3)   株式会社高電社 会長 高基秀

早稲田へ進学

日本では「立身出世」というのは、必ずしも学問的な成功を意味しませんが、
韓国では、まず学問、勉強をしなければ人間になれない、という暗黙の社会的雰囲気があります。

アルバイトに多くの時間を取られる生活でしたから受験勉強は楽ではありませんでした。
ここでお話の趣を変え勉強の苦労話を一つ申し上げます。もっとも大変だったのは漢字でした。

私の場合は韓国からの編入学でしたから、漢字そのものは知っていましたが、日本語式の読み方が全然わかりませんでした。
音読みや訓読みが頭の中をぐるぐる回ります。韓国語と違って皆さんご承知の通り日本の漢字は訓読みがあります。
これが外国人が日本語を習い始めの初心者には大変負担になることばです。

その上韓国人には日本語の濁音と長音短音の区別がなかなか難しいものです。
例えば「かんこく」のときは国は濁りませんが「ちゅうごく」の時は国はにごります。
故に君どこから来た?とお巡りさんに聞かれて「かんごくからきた」という返事にお巡りさんがびっくりしたという笑い話もあるくらいです。

大統領は濁るが大使は濁らない、地獄は濁るが地球は濁らない。こんな例は無数にあります。
長音短音の例ですが大阪や京都や神戸みな韓国語では「おさか」、「きょと」、「こべ」と表記されます。
日本語は発音が易しいと思われます。それは基本母音が五つだけということもありましょう。
しかし決して発音が易しいということではないことを段々分かってきます。
「ざじずぜぞ」は韓国人には苦手の発音です。この事は言葉そのものにも言えます。

最初は「さよなら」、「こんにちは」、「おはよう」、「すみません」と世界どこの国の人でも簡単に言えますが、
語彙の豊富さと表現の多様性と曖昧性で結構難しいことが 長年住めば住むほどよく分かってきます。

私は相手の国のことを正しく理解するのにはその国の言葉を理解することが大事なことの一つと常々思っています。
韓国でよく聞く言葉「アイゴージュッケッタ」を韓国の言葉を知らない人がどれだけその話し相手を理解しているか。
「アイゴージュッケッタ」にはその時々の状況に応じた生活の臭いを感じさせてくれる典型的な言葉の一つです。
ちなみに「アイゴージュッケッタ」の直訳は「アー死にそうだ」です。
疲れた時、困った時、忙しい時、またお腹が空いた時や食べ過ぎの時も口にする言葉です。

日本語の場合私は日本本来の言葉である大和言葉が好きです。
卑近な例で言えばお酒を飲む所をバーとかスナックとか言うよりは居酒屋、飲み屋、一杯やと言う方が私は好きです。
日本を正しく理解することは日本の文化により多く接することですが、その中でも純粋な日本の言葉に接する時、妙を得ているなーとも感じる場合が多いです。

気が強い、気が知れない、気がない、気が合う、気が利く、気を付ける、山の気を十分吸った、気が抜けたビール、酒の気が抜けた、人の気、気は心だ等は、
外国語には訳しにくい微妙なニュアンスを持った語彙ですが、日本の生活感情を適確に表す言葉ではないかと思います。
そこに生活の臭いや香りを感じるからです。大事なことは相手の国の言葉を知ることは相手をより深く正しく知ることにつながると思います。

話しを戻し、まして難しい日本語を覚えるため仕方がないので、
教科書にかたっぱしからふりがなをふり、暇さえあれば漢字を読む練習をしていました。 
漢字が読めるようになったからといって、大学に入れてくれるわけではありません。日本の学生と同等に試験を受けて入学できなければなりません。

幸いなことに当時私学は受験科目が少なくて済みました。
それなり勉強した末、英語と世界史を選び早稲田大学に入学することができたわけです。

学科は、言葉に興味がありましたので、独文科を選びました。大学に入っても、いばらの道は続きます。
まず、早稲田大学は東京ですから、これまで慣れ親しんできた大阪を離れて、身よりのない東京で暮らさなければなりません。
今当時を振り返れば相当無茶なことをしたなあと思います。学費や下宿代を納めるのも大変です。
実際、大学在学中のかなりの時間をアルバイトに費やさざるを得ませんでした。

アルバイトといっても、私は日本語もよく喋れないハンディがありますから、家庭教師などは到底望むことはできませんでした。
私の苦しい状況を知った親切な学友の紹介で電気工事会社でアルバイトをしながら、大学に通いました。
その時のアルバイト先の社長の言葉を今も忘れられないのががあります。その言葉は「君は日頃疲れているせいか表情がくらい」。

私は電気工事(照明工事)で世の中を明るくをするものだという喜びと使命感で毎日を頑張っているんだ。
自分は中学しか行っていない、君は最高学府に行っているではないか。

君は若い。もっと明るい表情で希望と夢を持って毎日を送れ」と、声を荒げながら叱り励ましてくれました。 
この「自分は中学しか行っていない、君は最高学府に行っているではないか」との言葉は
当時の私をいかに元気付け自信を与えてくれたことか、今でもその社長さんには感謝の念で一杯です。