『在日徒然抄』 (5) 鄭 煥麒 名誉顧問
   
ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年 10月10日
ハレとケの考現学

ハレやケは民族の文化の特質を、歴史的に多文化と比較して研究する民族学でいう生活区分法で、
ハレは「晴れ」、ケは「褻」と書く

辞書に晴れがましいこと。ケとは、日常、平生、ふだんを意味する」とある。
ハレの衣は晴れ着であり、ケの衣はふだん着である。

かって貧しかった時代の日本では、ハレとケの区別がきちんとしていた。
お正月、結婚式、お祭りなどハレの時や場所では、晴れ着に威儀を正し特別な料理をいただいた。
またお葬式には喪服をまとい、精進料理を食べた。

そこには、非日常的な生活体系があった。
人はふだんの生活のなかに、ハレを取り込むことで日常からの開放を味わったのである。
ハレの日には必ずお酒が出る。ふだんは飲めないだけに、この時ばかりはペロンペロンになるまでの飲んだものだ。

しかし、世の中が豊かになるにつれて、ハレとケのけ じめがぼやけてきた。ハレがなくなったのではない。懐具合がよくなったので、人は毎日でもお酒を飲むようになった。 かくて、人はいつもハレを求め、ハレにあこがれた。
ハレの欲望は、人々の心のなかでどんどん大きく膨らんでいった。人はケの生活だけでは満足できず、
ハレがないとやっていけないのである。

昔はハレの日は一年を通して何回かしかなかった。今や毎日ハレがないと物寂しいのだ。

昔ながらのハレの行事はすたれているが、都会では形を変えて現れている。町中にはどちらを向いても
「ハレ中毒症候群」がうろつき、イベントに人が集まり、盛り場は人々で溢れている。都会は毎日がハレみたいなものだ。
田舎町だったら、大人たちが眉をひそめる超派手な刺激に満ちたファッション でも、都会になら溶け込み、
恥ずかしさもなく気楽に着られる。