『在日徒然抄』 (3) 鄭 煥麒 名誉顧問
   
ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年 10月10日
パルチャ【運命】

私たちは先祖があり、両親があって初めてこの世に存在する。
人の一生は、この世に生れ落ちると同時に、その運命があらかじめ決定され、人の力ではどうすることもできない。
それを「パルチャ(運命)」という。

私は、占いによる吉・凶の運勢を一概に否定するものでないが、これによって喜んだり、落胆することは愚かなことだと思う。
なぜなら占いによってその人間の将来が決定されるようなことがあれば、誰も努力しないだろう。

成功した人は、古今東西を問わず努力に「運」が加担し、現在が築かれたとするのが私の運命論である。

それに対する因果論とは、先祖の善行や悪行の報いが現世に及ばす影響のことで、仏経でいう「因果応報」である。
それと「積善の家に余慶あり」とする道徳的な考え方もある。因果応報は親の不名誉な事件が、
わが子や家族の社会生活に悪影響を与えている。

これはまぎれもない事実である。

このような因果説より大切なのは「運」という「他力本願」に頼らず、不運、苦難に対し、運に恵まれるよう
努力に努力を重ねると「運」に恵まれ、道は自ずから開かれる。

私たちはこの社会で、一人で生活することはできない。

家族や子孫が大手を振って、この社会で活動できるように、現世に徳を積み、その徳を積み残すことが、
「子孫はあの立派な人の息子、孫である」ということで評価され、社会生活にプラスになる筈だ。

親の不名誉は、子供や家庭に影響し、親族まで及ぶ。

世間では「とんびが鷹を生んだ」と親と似ても似つかない才覚のある子が生まれる例は山ほどあるが、
親の非を、子や孫に結びつけることは、あまり好ましくない。

しかし本人の性格がわからない場合、「親を見て嫁をとれ」の諺の如く、その親を基準にして判断することもある。