『在日徒然抄』 (2) 鄭 煥麒 名誉顧問 |
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ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年
10月10日
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梅と高麗鶯
新しい年を迎えると寒中にもかかわらず、なぜか心の暖かさを感じるのは私だけだろうか。
私たちの子供の頃は、家々の軒先に屋根から垂れてきた水分が氷柱となって長く垂れ下がっていたものである。
その情景に「冬」という実感を肌で感じとり、暖かな春が待ちどうしかった。
ところが昨今は地球の温暖化で、「厳しい冬の寒さ」などというものは市街地では遠い昔のこととなり、
喧噪な師走が過ぎ、年が変わるとそこはすでに春という感じである。
鋭く切った竹と松の正月飾りも、正月三が日が過ぎると、なんとなくかすんできて、
春の到来を告げる「梅」の蕾の膨らむのが待ち遠しくなる。
暦の上では梅の蕾は1月の後半のようだが、私にとって梅は新年とともにやってくる。
梅は日本の平安時代(900年頃)中国の原産地から 朝鮮半島を経て渡来したようだが、
かっては朝鮮半島でも非常に愛されていたそうである。
梅についてはいろいろな話が多い。その一つ二つを紹介する。
梅の花は葉にさきがけ、芳香を放ちながら2月頃に咲 く。梅の実は酸が強く、妊婦が好んで食べるで結婚の象徴とされ、
木から落ちた実を女から男に投げるのは、求婚の呼びかけとされていた。中国や朝鮮半島では、
恋愛や婚姻の際に梅の実を投げ合う風習があったようだ。
現代の欧米の園芸界では、サクラやツバキは愛好されているが、梅は欧米人には理解されなかったようで、
愛好者はほとんどいないと言われている。
陽気なサクラやツバキと違い、繊細な気風をもつ梅はやはり中国、韓国、日本のような北東アジアの人たちでなければ、
なかなか理解できないであろう。
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梅といえばすぐ出てくるのが、「鶯(ウグイス)」である。
私の執務室は来客がドアを開けるとセンサーがついた可愛い鶯が上下に体を動かし、
「ホーホケキョ」と歓迎の挨拶をするので、客はその美声の鶯のありかを探し微笑む。
「梅と鶯」は古くから中国、韓国や日本の風流な画人が襖、屏風、掛け軸に競って描いた。
また詩歌に限りなく詠われているが、こ れらに出てくる鶯は朝鮮半島から渡来した高麗鶯(別名:カラウグイス)だとのことである。
高麗鶯は鮮やかな黄金色で鳴き声もきれ で大きい。今私たちが耳にしたり、また見ているのはほとんどがこの高麗鶯だという。
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わが家の庭に10年程前に移植した樹齢6、70年ぐらいの幹の太い風格のある古梅が四方に格好よく枝を張っている。
正月が過ぎ、梅の蕾がほころびる頃、毎年決まってどこからともなく2、3羽の鶯が飛来し古梅野枝にとまり、
春を告げるかのように「ホーホケキョ」と美しい声で鳴く。
私はその声を聞きながら、人の心を浮き立たせる温かい春の日差しを待つ。
一年中で最も待ち遠しく感じる梅の花、そして姿形も美しくそのうえきれいな音色でさえずる鶯、
いづれも朝鮮半島からの渡来だと知って、何か言い知れない嬉しさと21世紀の
韓国、日本、中国との深い絆を見せつけられたような気がした。
アジア人特有の繊細な気持ちは、
やはりアジア人同士のほうが理解が早い。政治の世界でも同じであろう。(季節の風物詩から)
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