『在日徒然抄』 (13) 鄭 煥麒 名誉顧問
   
ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年 10月10日
女性は強し

姪の美恵子が私に話す。主婦が3人寄ればそれぞれが自分の夫の話題で尽きることがないと言う。

主婦たちは「私がいなければ、主人の今日はないのよ」「主人は亭主関白で威張ってばかりいる」
「うちの主人は私がいなければ何もできない、子供みたいな存在だ」「男は家庭でわがままを美徳としている」と
大いに発情・悲鳴し、とことんジョークで誹謗・非難するとともに、自分たちの存在感をアピールし、自画自賛しているのだ。

姪は「叔父さんは叔母さんと半世紀をともに暮らした。良妻の誉れ高い叔母さんをどう思っているの」と痛いところを尋ねる。
「婚前、家内は実家の親から夫に何事も無条件に従うのが女性の美徳と教えられ嫁いで来たので、
これまで私の無理難題のわがままを限りなく受け入れてくれた。私は感謝の一言に尽きる、最敬礼だ」と答えた。

新聞の世論調査によると、「配偶者が亡くなってから生き甲斐をなくし健康を損なったことはありませんか」という問いに、
男子の38パーセントが「ある」と答えたのに対し、女性で「ある」と答えたのは僅か1%だったという。

また、別の質問で「配偶者の死亡後も生き生きとした生活を送っていますか」という問いには、
男性は僅か2パーセントの人が送っていると答え、女性はなんと62パーセントの人が、夫が亡くなってからも
生き生きとした生活を送っていると回答している。

さて、昨今、男女の枠組みの時代とともに、どんどん変化していることに気がつく。
このような状況が続くと今世紀の早い時期に、女は女らしく家庭を守る良妻賢母とか、男は外に出て働くという、
今までの常識を考え直す必要がある。とくに「男らしさ、女らしさ」という言葉は辞書から消えるかもしれない。 
考えるに、「男が主導で女がそれに仕える」という枠組みをいつの時代に誰が作ったのかわからないが、
遠い昔は母系家族で女が主導であったことを本で読んだことがある。

韓国では李王朝時代に「女は男に仕える者」と男尊女卑の確たる仕組みがあり、それが今日まで連綿と続き、
家庭では妻は夫に従い、仕えることが何よりの美徳と考えられた。この男尊女卑の仕組みは
「儒教の精神」にのっとった教えであるが、昨今の民主社会の韓国では、
年とともに男女同権が定着していると言っても過言ではない。

ところがこの儒教の発祥の地である中国では、「女権が拡大」し、夫が勤め先から帰ると、夕飯の支度などするようだ。
女性の社会進出の影響であろう。そういえば、女性医師でもあり、結婚している向井さんは宇宙飛行士として活躍している。

どうも女性のほうが自然に適合し辛抱強く、そして活動的なのかもしれない。前途のアンケートの数字のごとく、
世の男性は配偶者の死後、女性のように平素から家事など自活力をつけて、生き甲斐のある人生を求めるべきだ。

21世紀になった今日、男として必ずしも喜べないことだが、急速な勢いで女の社会進出が進み、
男女の枠組みが一変するのを止めることはできない。むしろそれが男女の本来の姿かもしれない。(社会・世相を読む)