『在日徒然抄』 (12) 鄭 煥麒 名誉顧問
   
ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年 10月10日
聞かぬは一生の恥

最近、後輩が私に「トップでバリバリやっていた時は本当に恐かったが、この頃は『そうか、そうか』と耳を傾けてくれる。
それがまた何か観察されているようで、正直恐い」という。

言われてみれば、エッセイを書きはじめてからは「人みなわが師」という言葉どおり、人の話は些細なことでも
真剣に聞くようになった。会食の時のマナーや人々の立ち居振る舞い、事物を冷静に見たり、
わからないことは素直に人に聞くようになった。だから「何か観察されているのでは・・・・・」と見られるのだろう。

知人の教授が「鄭さんは何でも聞くから頭が下がる、私は専門以外のことはあまり知らない。
が鄭さんのように素直に聞けない」と言う。

私は「教育者は学者が売り物で、自尊心があまり強いため、わからなくても聞けないのだ」と嫌味を呈したものだ。
私自身は時々度忘れして、小学生でもわかるようなことを平気で人に聞くことがある。
相手は呆れ顔で私の顔をまじまじと見るが、私はいっこうに気にしない。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と思っている。わからないことは、わからないと言っても、
私の人格が損なわれるとは思わない。むしろ率直というか正直さに好感ををもたれるかもしれない。

私は永年、毎日のように人と会い、会議や雑用に追われがちであった。一日の仕事が終わると、
気の置けない連中とワイワイ、ガヤガヤやりながら杯を交わすのが、一日のうちの一番楽しいひとときである。
それが私のストレス解消の特効薬でもあるのだ。このような時を過ごすなかで、時間の合間を縫ってなんとかものを書き、
一日が終わるのである。

日頃、静かなところで書きものをしたら、さぞかしよいものができるだろうと思い、辺鄙な温泉宿へ行ってみた。ところが、
いざ机に向かうと物事に集中できず、ものを書く気持ちにならなかった。私は、静かなところよりむしろ、
騒がしいところで集中力を発揮することができるように思う。日常、仕事に追われていたのが、
いつの間にか習性となったのだろうか・・・・・。

私は年を重ねたからといって、悠々自適を楽しむ心境にはない。また、とくに趣味も持ち合わせていない。
終着点のない、明るく楽しい自分なりの目標に向かって常に緊張感をもって、残された人生を送りたいものだ。(人生について)