『在日徒然抄』 (14) 鄭 煥麒 名誉顧問
   
ざいにちつれづれしょう
在日徒然抄
河出書房新社
初版発行
2002年 10月10日

イスラム

イスラム教は7世紀初頭、アラビア半島でマホメットが唯一神アラーから啓示を受けて創始した宗教。

「アラー」はイスラム教における全知全能の唯一神。天地万物の創造主である。
人格神であるが、戒律によりその図像化は厳しく禁止されている。「アラー」はアラビア語で「神」の意味であり、
神の名前を表す固有名詞ではない。信者は西アジア、アフリカ、東南アジアなどに広く分布している。

イスラムとは「唯一の神に絶対帰依すること」を指し「教」をつけなくてもそれ自体が宗教を意味する。
イスラムの信者はムスリム(絶対帰依する者)と呼ばれる。

マホメットはメッカの富裕な商家に生れた。601年、40歳のときにアラーの啓示を受けて4年半後にメッカで伝道を始める。
厳格な一神教を唱え偶像を厳しく否定したため特権階級から迫害を受け、622年メッカからメジナの町に逃れた。
メジナでイスラム教団発展の基礎を確立したマホメットは630年メッカを征服し、以来、勢力を拡大してアラビア半島を統一した。

コーラン


啓示はマホメットの死(632年)まで降り続けた。のちにこれをまとめたものが聖典「コーラン」で114章から成っている。
内容はイスラムの信仰に関することだけでなく、ムスリムの日常生活の模範をも示している。
「コーラン」の定本を編集した615年、聖典「コーラン」は最終的に成立した。
ムスリムは「コーラン」の教えのもとに5つの基本的な宗教実践をする義務を負う。

  1、アラーのほかに神なし、マホメットは神の使徒なり、という根本的信仰を告白する。
  2、1日5回メッカの方向に向かって礼拝すること。
  3、イスラム歴(大陰暦)の第9月の一ヶ月間、日の出から日没まで断食すること。
  4、喜捨をすること。
  5、メッカへの巡礼。
その他、豚肉を食べたりアルコールを飲んではいけないとか、女性は家族以外に肌を見せてはいけないなどの戒律がある。
ただ国によって厳しさはさまざまである。

誰でもイスラムのムスリムになれるため、ムスリムは中東だけでなく世界に広がっている。
ちなみに、1998年の国連の資料によると、世界人口、59億7800万人うち
 キリスト教   19億7400万人
 イスラム教  11億5500万人
 ヒンドウ教   8億人
 仏教       3億5600万人
 ユダヤ教      1400万人
 その他    16億7900万人である。

ラマダン
(断食月)

コーランには「ラマダンの月こそは、人類の導きと正邪の識別としてコーランが啓示された月である」とある。
つまりラマダンは預言者マホメットにコーランが下された神聖は月だということになる。

さらにコーランは「信徒よ断食も守らねばならぬ規律であるぞ。よく守れば、本当に神を畏れかしこむ気持ちが出てこよう」と
あり、「神への畏敬」を表す行為としてこの期間に断食を求めている。

神への畏れは神への感謝につながるのだ。
イスラム歴は月のみ落ち欠けに基づく太陽暦を用いている。

断食の義務を負うのはムスリムの健全な成人の男女で、職場の兵士や旅行者、高齢者、妊婦、授乳中の女性らは
除外されている。ラマダンの1ヶ月間は人々は夜明けから日没まで食と水分を断つ。
タバコもいけない。つばを飲み込むことも許されない。 
断食は集団の連帯感を実感する機会でもある。富める者も貧しい者も同じようにひもじい思いをする。
お金持ちも貧しい人々の苦しみを知り、慈悲の心を呼び覚ます。ふだんはあまり熱心なムスリムと見えない人も
がぜん宗教心に目覚め、断食をし、礼拝をし貧しい者への施しをする。

商店街やモスク(イスラム教の寺院)の脇には富者が貧しい者のために断食明けの食事を提供する「神の食卓」が設けられる。

レストラン、喫茶店は外国人向けの一部を除き、多くは日中休むが夜になると店を開ける。モスクの周辺には出店ができ
深夜まで賑わう。夜が明けるとまた断食がはじまるので夜中に食事を重ねる人が多く、ラマダン中の肉や小麦粉、砂糖の
消費量は平常の月の何倍にもなる。肉を口にするのはラマダンの間だけという貧しい人々もいる。

夜は毎日がお祭りのようだ。商店は午後8時頃から再び開店し待ちは夜中まで賑わう。人々は夜遅くまで
「親類や友人の家を訪ねあっている。テレビは朝5時まで特別娯楽ドラマを放映するなどラマダンには
寝不足の人が多く日中の仕事は滞りがちになるようだ。

日没を境にくっきりと苦楽が分かれるラマダンの1日は畏(おそれ)と感謝に符合しているかのようだ。

メッカ詣で


ムスリムなら一生に一度は果たしたい夢がある。全イスラム教徒の巡礼の地「メッカ」詣でだ。
世界中のムスリムがサウジアラビアのメッカをめざし集まる。その数は500万人にものぼる。

メッカのハーラムモスクにあるカーバ神殿はイスラム教の最も聖なるところ。神殿は石造りの高さ15メートルほどの
直方体の建物で神殿の東隅に聖なる黒石が安置されている。

イスラム歴でとくに神聖視される第12の月にメッカ巡礼の義務を果たしたムスリムには「ハッジ」の称号が与えられ
各地のイスラム共同体で尊敬される。

巡礼は一種の修行である。白衣に着替え髭をそり、爪を切り、香をつけるなど周到な準備が肝心である。
定められた期間内に一連の行をこなすのだがルールにきちんと従わないと巡礼が認められないこともある。

メッカ詣でする者は経済的にゆとりのある者が多い。世界各地から集まるので政治や経済、社会情勢について
情報や意見を交換するには絶好の機会で、メッカ巡礼は政治集会の場でもある。

ただ、聖地メッカに異教徒が立ち入るのは「禁止」されている。湾岸戦争を機にアメリカ軍という異教徒の武装勢力が
聖地を守護するサウジアラビアに駐留を続けていることはサウジアラビアには大きな苦悩だ。

今タリバンが実効支配するイスラム原理主義の国アフガニスタンに世界の目が注がれている。
内戦と旱魃(かんばつ)に喘ぎ多くの難民を生み出すアフガン。一方国際テロに深く関わり世界の敵となったアフガンは
米英軍の報復空爆を受けた。追い詰められたタリバン政権は最後の拠点カンダハルを放棄し崩壊した。

アフガンは国土再興の新局面に入ったが、暫定行政機構の中心勢力、北部同盟内の深まる亀裂。
米英ロをはじめ周辺国の思惑もあってアフガン情勢は極めて流動的で混迷脱出にはほど遠い。
しかし各国は全力でアフガン内外の多くの難民が一日も早く懐かしい故郷に帰り平和な生活を取り戻すように
協力しなければならない。

そして彼らの一生の「夢」であるメッカ巡礼が実現できることを心底から祈らずにはおられない。(文化と文明より)