第2回 「消しゴム」


○月●日 天気 快晴

 池袋である。
 別にアニ○イトに行く為に来たのではない。画材を買いに来たのだ。
 私がよく行くのは西武デパート内にある「世界堂」という画材屋。スクリーントーンを使ったことのある人ならよくわかるだろうけど、あれはかなりの消耗品なのである。それに、トーンは高い。たかだかB4サイズのフィルムシート一枚が3、400円から高い物では900円くらいする。必要経費で落とせるプロならともかく、一介のアマチュアにすぎない私には、これはモロに財布に響く。
 だからトーンの安い店は、われわれにとって非常に貴重な存在だ。世界堂の場合、(具体的に比較したことはないが)ほかの店のおよそ一割から二割安い。たかが一割、されど一割。十枚買う毎に一枚、トーンがついてくるような物だ。これのおかげで私は安心して衝動買いが出来るのである…
「うむむ、190番台をもうちょい買いためたいんだけどなあ…おっ、このグラデ(グラデーション)使い道多そうだな…このパターンはどうかな?使えないかな…でもなんか欲しい気もする。しまった、砂目も要るんだった! するってえとこれでひぃふぅ…くっそお、また金がなくなる…」
 こういう時に便利なのがまた世界堂のいいところ。現金で商品を買ったとき、500円分買う毎に100円分の引換券(!)をくれるのだ。ふとっぱらである。この券さえあれば、トーンの二、三枚などものの数ではない。
 おや?あそこの女子高生もトーンを買ってくな…ひぃ、ふぅ、みぃ…げっっ、二十枚以上買っていきやんの! おのれ、高校生の分際で生意気な!
 妙な対抗意識で必要以上のトーンをばさっとつかむ。さっき数えたとき、わりとたくさん引換券があったから、これくらいは大丈夫だろう。
 ……だがレジ係のおねーさんは言った。
「お客様、この券は有効期限をすぎておりますが……」
「………」
 全部パーになっていたことを、すっかり忘れていた……


○月●日 曇り 風強し

 今日も締切直前、私はイラストと格闘する。
 幸い今回は腰を上げたのが早かったせいか、何とか間に合いそうだ。ため息をつきながら最後の一ラインを書き込む。……おや? インクが切れたかな?
 乾いたペン先をひとふきして、インク瓶に軽くつける。慌てていたのか、ペン先がほんのちょっと、瓶の端に引っかかっ……
 かちゃん! でろでろでろでろ。
「うっぎゃあああああああああっっっっっっっ!!!!」

 なんて、お約束な失敗談はない。(いまのところは。)

 私の机の上はとっ散らかっている。
 イラストを書く場合、本当は、充分なスペースが必要である。いちいち消しゴムやホワイトを探そうとして(大体、道具を探さなきゃならない事自体おかしい)、ちょっと本をどかしたら机の端から紙束がばさばさ落ちる、なんて状況でまともな絵が描けるはずがない。(じゃあ俺って……)
 こんな状況で、よくインク瓶をひっくり返さなかったものだと、我ながら感心してしまう。(すなっつーの)
 他の人の話を聞くと結構これがあるらしい。去年の秋だったか、まなさんの家(実家である。勿論)に何人かで集まる機会があって行ったときの事。どういうわけか、KAZさんが一人シェラのイラストを描いている。
「どーしたんですか?」
「インク瓶ひっくり返した……」
 ああ、今思い出しても涙が止まらない。ほとんど完成寸前のイラストが哀れ墨汁の中に消えたとは……
(余談だがこの後、私はKAZさんと肩を並べてシェラのイラストを描くことになる。私は単に、締切を破っただけである。同情の余地無し……)
 いみじくもしのら先生がこうおっしゃっている。
「インク瓶というものは、『何でこんな時にっっ』、と思う時に限って倒れるのだ」

 もっとも、こーいうことならある……
 W月さん(仮名)と打ち合わせしていたときの事。彼から渡されたシェラのメカ関連の資料について、あれこれ話していた。ふと私は自分のコーヒーに手を延ばした。
 つるっ……

 ああ、今となってはなつかしい思い出である。
(何が懐かしいかは聞かないように)

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