台北襲撃記
93年9月、私は友人達と台北まで行って参りました。初の海外という事もあり、未だに印象深い想い出です。
その時に書いた旅行体験記を、若干の修正・書き足しをして掲載します。(初出・
ポスタル☆テイル23号、他)
注意!:ここにあるのは単なる旅行記であり、
台北の風俗情報は何にも無いので、その辺のキーワードで検索して来た人はあしからず。
あまり紹介になってない登場人物紹介
シモーヌ:こんな名前だが
正体は男。通称「わがままシモーヌ」。蓬莱学園90年度生徒会副会長。
とっと:同人
メイルゲーム誌、
「あぽすとろふぃ」「MGバーティ」編集長。その後八百屋の主人となったものの、最近の消息は連絡を取っておらず不明。
先生:
しのら先生のことである。この時の写真が
「電子の森のミコちゃん!」でこっそり使われている。
K須:クールで強烈なギャグとミリタリーネタで敵を粉砕し続ける男。元グランドマスター。
時代の寵児。
M崎:総統閣下。
9月23日
上野の西郷さん前に集合。総勢六名。シモーヌ、とっと、先生の三氏と私は秋葉原ですでに待ち合わせており、ここでK須・M崎両氏と待ち合わせる予定であった。
駅構内にてM崎さんに会う。ちょっと遅れてK須さん到着。なぜかネットワールド最新号を持っている。
K須「台湾イベントがジョイントになってるよ」
この一言にかなりびびる私。実は今回の旅行に先立って、
遊演体と
ホビーデータの情報誌に「海外
プライベやります」という投稿記事を出しておいたのだ(実行犯>俺)。遊演体の「クリエイター」にはちょこっと載ってただけだったのだが、なんとホビーデータの「ネットワールド」ではジョイントイベント
扱いになっていてるのだ。北海道から順に南下していって、最後に
「海外プライベin台北」とある。大体、連絡先等が一切書いてない。……かなりアヤしい。
私「間違っても他の奴は来れないよね」
実は実行に当たって、絶対に他の奴が来たりしないように出発ぎりぎりに載るようにしたのだ。しかも、K須・M崎両氏に「いつ出せば、間違って8月号に載せられたりしないか」というレクチュアを受けて、である。さすがに我々のやる事はたちが悪い(^_^;)。
K須「大丈夫。これ今日発送だから」(おいおい)
陰謀に抜かりはない。一同胸をなで下ろす。
京成上野からスカイライナーで成田まで。途中先生と私が出入国管理カードと旅行保険のカードを忘れてきたことが発覚するが、とりあえずは大丈夫。
「パスポートさえあれば大抵何とかなりますよ」
……しかし飛行機の遅れはいかんともしがたい。成田でチケットを受け取ると、受付のおねえちゃんが言いにくそうに一言。
受付嬢「……ノースウエスト11便は整備不良のため2時間遅れます」
後で聞いた話だが、このときNWのパイロットは地上管制官に向かって「俺なら飛べるから離陸許可を出せ」という豪快な要求をしたらしい。
飛行機に乗り込んだときはもう8時を回っている。窓際の席にはK須さんが座る。外が見えると喜んだのも束の間、座席は何と主翼の真上。視界の70%が真っ暗である。
K須「何にもみえん」
飛行機に乗ってはいるものの、気分はほとんどジェットコースターか田舎道を走るタクシーである。三時間ゆられっぱなし。スチュワーデスのねえちゃんは英語で話しかけてくるし。さっきから日本語で話しとろーが。
感慨も何もないうちに、飛行機は台北空港におり立つ。
空港で現地の案内人にあってホテルへ。バスの中で両替を行う。
「二万円」「四万」「四万」などとみんなが交換するさなか、先生が一言「十万」。
……あああ、資本主義なんて嫌いだっっ。
東方大飯店などという大層な名前のわりに、しょぼい内装のホテルについた時にはもうすでに真夜中。荷物をおろし、夜の町へ出陣!!……と思ったらツアコン係のシモーヌさんがどうも怪しい。
シモーヌ「あっちかな?あ、いやこっちです」「あれ?こっちのはずなんだけど……」
うろうろしている我々を野良犬が怪訝そうにみている(台湾は犬がやたらといる)。くそ、あっちの方がよっぽど足どりがしっかりしているぞ。
結局この夜は夜店に行くのは断念。セブンイレブンに寄ってジュースと饅頭と現地の少女マンガ誌(^_^;)を買いこんで退却。途中、買ったジュースが
MJであることに気づく。犠牲者はK須さんと先生。私とM崎さんは地道にコーラを選んだため難を逃れる。
台湾の夜を愛でて詠める歌
ゴミ バイク セブンイレブン 屋台 犬 (詠み人M崎氏)
9月24日
団体行動の日である。バスで市内観光、故宮博物館見学。出発の都合から、やや早めに起床。8時半にホテル1Fのレストランへ。
券と引き換えに出てきたのは冷えきった粥。しかもまずい。ゆで卵は塩を固めて作ったのかと思わせるほど辛いし。朝っぱらからけつまずいた気分になる。
9時に集合、出発。総統府や中正紀念堂に寄ったり龍山寺を見に行ったりする。
途中、現地ガイドによって怪しげなビルに連れ込まれる。「ミナサンに珍しイ太極拳のショウヲオ見せするネ」と案内人が言うので演武をやってくれるのかと期待してみれば、これが何と、中国ならぬ台湾雑技団。「鉄の棒を喉仏で押して曲げる男」「さとうきびにキャラメルの釘を打ち込む男」「栓抜きを指に引っかけて(栓抜きを)折る男」「400度の鎖にさわって火傷する男、でも皮膚薬のおかげで水ぶくれもおきない」。どこが太極拳なんだ。
さらに延々と漢方薬の説明をまくしたて、挙げ句の果てには「一本3000元ネ、小サイ方、2000元ネ」と漢方薬を山と抱えたおばちゃん軍団がやってくる。(ちなみに当時のレートは1元=約4.3円である)
「3000元!?高い高い」とK須さん。しかしおばちゃんは食い下がる。
おばちゃん「高くないネ。コレ健康のタめ」
K須「んなもん死んだ方がましだ」
所詮インチキ商法、我々にかなうはずもない。とっとと店を抜け出す。何考えてんだ案内人。こんなとこに連れてくんなよ。
大体この案内人もどこかうさん臭い。何かと言うと「時間が余ったから」と言って土産物屋に連れて行く。DFS(政府公認の免税店)はそれでも良心的だったが他の店の店員ときたらうっとおしいことこの上ない。値札を見ているそばから「お客サン、安くするヨ」とくる。買う気はないのにやたらと怪しい日本語で喋りかけてくるのだ。
「高いからいい。お金もないから」
「お客サン、お金どれダケ持ってるノ?」
何でンなことお前に答えなきゃいかんのだ。よけいなお世話だ。
……私はこの時、案内人も基本的には敵なのだと確信した。
昼の飲茶(やむちゃ。これは結構うまかった。ちょっと油っぽかったけど)をすました後、国民革命忠烈祠(ここには抗日戦などで戦死した33万人の将兵が奉られている)の衛兵の交代式をみる。台に乗る時とか、いちいち軍靴をバーン!と鳴らして、これがまたかっこいーんだ。K須さんは目を輝かせて写真を撮りまくっていた。
そしていよいよメインの故宮博物院である。ここには中国の故宮から持ち出された芸術品が展示されているのだが、ただでさえ広いところに加えて見学時間が1時間しかないので、現代美術関係は一切切り捨て、古代中国の美術品を集中的に鑑賞する。
最初の方はごくシンプルな青銅器が並び、同人PBM企画の参考にならないか……などと考えていたのだが、青磁器の時代に移った途端に腰を抜かした。
「なっっっ、なんじゃあこの狂った色彩はっっっっ!!!!」
黄色だのピンクだの、目が痛くなりそうな色をふんだんに使った花模様の磁器がところせましと並ぶ。普通ならこんな狂った色づかい、と罵るところだかどういう訳か綺麗に思えてしまうところが不思議である。
そのほか象牙の透かし彫りや、梅の種にびっしり刻まれた花模様の彫刻など、人知を越えた手作業のすさまじさに狂喜乱舞した。
集合時間近くになったので入り口の脇で待っていると、禿頭のおっさんが声をかけてくる。
「日本人?ホテルどこ?何か買った?」
そのうち「俺はタクシーの運転手で、良い店を知ってるから連れてってやる」という話をし始める。この手の運ちゃんについていったらどうなるか、誰にでもわかる。君子危うきに近寄らず。適当にあしらってバスに乗り込む。
「あれが噂の『くもすけタクシー』か……」
みなさんも観光地やホテルの前で止まっているようなタクシーには気をつけましょう。道中を流してるタクシーが一番安全。
気がつくとシモーヌさんととっとさんがでかい紙袋を下げていた。中には厚い本が三冊ずつ。
「どしたのこれ?」「買った」
日本語版の故宮博物院所蔵美術品解説書である。3冊で合わせておよそ2500元。良い買い物かも知れないがちと重くない?
「夏馬さん、100元で日本まで持ってかない?」
ととっとさんが持ちかける。
「のった」
以後私は、うかつな誘いに乗った自分を大いに呪うことになる。
夕飯はモンゴリアン・バーベキューの食べ放題。牛・豚・羊・鹿の肉を自分の好みで色んな野菜で盛り付け、調味料で味付けしてから焼く係の人に渡して焼いてもらう、というもの。
まだ夕方なのでしっかり食べておかないと九時前に腹をすかせることになる。ばっちり食べて台湾ビールを飲んで、ようやくホテルへ帰還。
だが勿論、これで終わりにするわけはない。夜の街に繰り出すのである。
とりあえず本屋による。コミックのコーナーはどこかな、と思っていると長髪、にきび、下ぶくれ顔の眼鏡男が階段を降りていくのが見える。
「あれの後について行けば解るんじゃないか?」
と、半ば冗談のつもりでついて行ったら本当にコミックのコーナーに出た。ヲタクにいちゃんは何処も同じ、ということか。やれやれ。
で、コミックだがこれがとんでもない事に台湾の作家が描いた単行本が一冊もない。何があるのかと言えば日本の作家のコピーばかり。「三隻眼」「JoJo冒険野郎」「猫目」「七福球」などなど。作家の名前もそのまんまである。
これはひょっとして、と期待して探したが「ミコちゃん」の海賊版はさすがに無かった。いや、それよりも以外だったのが(当時爆発的ブームだった)「セーラー¥ーン」が存在していなかった事だ。あれは台湾ではウケが悪いのだろうか? あるいは、この頃から厳しくなった台湾の風俗規制にひっかかったのか?
……念の為言っとくけど、俺が欲しかったんじゃないからね。頼まれたんだから。
シモーヌさんの先導で、今度は屋台街へ行く事になる。……と思ったらいきなり途中のビルの中へ。
「ちょっとやって行きましょう」
……どうして、シモーヌさんと旅行するとパチンコに行く羽目になるんだろう。不思議だ。
まあいいや、日本より貸し玉料金は安いし、釘の設定も甘いという話だから。
……ほとんど期待せずに始めたのだが、何と私は生まれて初めて同じ台の前に三十分以上座る事が出来た。何にも知らない私でも出るのである。無欲の勝利。しかし欲を出し始めると途端に出なくなる。やはり私はギャンブルの類は駄目なんだ……あれ、K須さん。どうしたの?
「俺、十箱分出しちゃったらしいから当分出れないわ。悪い」
なんだそれは!!??始めていくらも経っていないのに。
「いや、40元ほど突っ込んだらいきなり0が三つそろっちゃってさ。俺パチンコの事よく知らないから、なんだ777じゃないのかーこんなんじゃちょっとしか出てこないなー、とか思ってたら後ろの台湾人どもがわあわあ騒ぎだしやがるんだよ。で、シモーヌに聞いたら『それ十箱出ますよ』って……」
はあはあはあ。なんともうらやましい話である。
結局時間を潰しすぎて遅くなり、屋台を諦めて「青葉」という台湾料理の店で夜食をとってホテルへ帰った。さすがに歩きつかれて帰りはタクシーをひろう。雨が降ってきたということもあるのだが……
ホテルに帰ってからは酒盛り。行きがけに成田の免税店でシモーヌさんと先生が買ってきたオールド・パーとメーカーズ・マキシムを水割りでかっくらう。暇なので先生が最初の土産物屋で買った三國志トランプを持ち出してポーカーを始める。このトランプは予想外に出来のいい代物で、二組のトランプのカード一枚いちまいに三国志の登場人物の絵が描かれているのだ。
とはいえ、我々はギャンブルに燃える(ただの)酔っぱらいである。初めのうちは「お、孫権が来た」「こっちにゃ曹操がいるぜ」などと言っていたがベットの額が上がるにつれて目の色がだんだんマジになる。何しろ使ってるコインは10元硬貨そのものである。金が懸かっている以上マジにならざるをえない。
ここでハマったのがとっとさんである。何しろろくなカードがこない。はったりをかましてレイズをしても必ず一人はのってくる。それでもって立て続けにはったりをかますものだから、自分の首を絞めるばかりである。
ポーカーはエンドレスで続き、二日目の夜(=三日目の朝)は更けていくのであった。
9月25日
この日は自由行動の日。従ってわざわざ早起きする必要はない。ぐーぐーと惰眠をむさぼり、目を覚ましたのは(朝の)9時半である。
全員身支度を整え、1Fロビーに集合したのは10時。とりあえずホテルの近くの大衆食堂にて遅い朝食をとる。
「新東方」というチェーンの食品量販店(?)にてみやげ物を物色。十五夜の頃だったので月餅が随分と高い。一個が50元から80元ぐらいする。他にもビーフジャーキーやらお菓子やらが……あ、蓮の実(お菓子)がある。……なにぃっっっ、昨日行った「ウーロン茶専門店」のよりも安い!!しかも向こうは200元、こっちは60元で量に目立った差がない……あ、その上ウーロン茶まで……
いい勉強をした、と自分に言い聞かせながらそれでも悔しくてこっちの蓮の実も買う。
一端ホテルへ戻って荷物を置いてから、もう一度出かける。今度は本屋である。私が強硬に主張したのだ。「セーラー¥ーンの海賊版を探すぞ!!」と……(^_^;)
結果は惨敗。そもそもコミックを置いている店はほとんどなく、あってもやっぱりセーラー○ーンはない(注・当時絶大な人気を誇っていた)。結局購入を断念。ごめんよ>頼んだ方。
もうすぐ12時になるというので、台湾プライベの集合場所である福華大飯店(ハワードプラザホテル)に移動する。結構距離があるので、3人ずつ二台にに分乗して行く事になるのだが、どういう訳か通りを走ってくるタクシーはみな「乗車中」である。ようやくそれぞれがタクシーを捕まえられた時にはすでに11時45分。この時点で遅刻は必至。しかも途中の道路は大混雑中、我々がホテルに着いた時は12時20分を回っていた。「遅刻厳禁!置いて行きます」などと言っておきながら、主催者側が参加者に置いて行かれてしまったという珍事。おかげで一般参加者が随分減って(!?)しまったのがかえすがえすも残念であった。
福華大飯店のロビーでひと休み。勿論机の上には「クリエイター」と「ネットワールド」の封筒を置いている。あんまり人がこないし、恥ずかしいので早々にしまいこむ(^_^;)。今度は歩いて光華商場まで。
この光華商場というところは要するに秋葉原と神田を一緒にしたようなところで、地上・地下二層のビルの地上部分が電脳街、地下が古本・コミック・ビデオソフト売り場となっている。さほど大きくはないが、台北一の電脳街だけあって集まる人の数がすさまじい。ほとんど寿司詰め状態である。更に我々は6人で行動するのだから、よけい動きが取りづらい。
「じゃあ一時間後、入り口で待ち合わせってことで」
とは言ったものの、結局6人一緒に動き回る。待ち合わせなどあまり意味がない。
ここに来て一番喜んだのは先生であろう。何しろOverDrive Processor(注・i486DX2-66MHzのこと)を買うために台湾旅行に参加したと言っても過言ではない(はずだ)。…などという私も、スキャナを買うためにここに来たのだから人の事は言えない。
ところが困った事にここにはOverDrive Processorは無い。値段交渉して折り合いがついたと思ったら在庫切れだった、なんて事もあった。先生の欲求不満は高まる一方である。それを解消するためか、144モデムをぽーんと買っていった。それでも金があるのだからうらやましい。貧乏学生(当時)には目の毒である。
だが私もスキャナのためにいままで金遣いを抑えてきたのだ。きょろきょろ見回していると一枚の張り紙が目に入った。『グレイスキャナ 3500元 特価』。
店員に話しかけて聞いてみる。
「どう・ゆう・すぴいく・じゃぱにーず?」
英語で聞くなよ、といわないように。私は中国語はさっぱりである。
「ノー」
店員がすまなそうに言う。でも英語はちょっと出来る、というのでお互い片言の英語でコミュニケーションを取る。
「いっつ・ぐれい・おんりぃ?」「イエス」
「いず・ぜあ・からーすきゃな?」「イエス。ヘイ!」
指をぱちん、と鳴らして(私は吹き出しそうになった)、店の奥のあんちゃんに何か言う店員。持ってきたのは表面にでっかく「Windows対応」と(英語で)書かれたパッケージ。裏側の説明も英語で書いてあるのである程度はわかる。ふんふん4096色まで……エディタとドライバもついてるな……ま、こんなもんか。
「はうまっち?」
「9700NT$」(NT$=台湾元のこと)
それでは買えん。安くしてくれ。……とは私が言ったのではなく、なぜかシモーヌさんが私の代わりに電卓叩いて交渉してくれている。私はいったい何をやっているのだ。
「夏馬さん、8500なら売れるって」
「買います」
こうして私はカラースキャナを手中に納める事と相成った。
(注・で、このスキャナをずっと使っていたのだが、99年頃にお亡くなりになった。長年の酷使に堪えてくれてありがとう。合掌)
みんなが店内を見ている間、一言断って地下に行く。古本街で今度こそセーラー○ーンを……と思った訳だが、人通りが多すぎてとてもゆっくり本棚を見ている暇がない。仕方がないので出ようと思ったら、入り口脇のビデオ屋に日本製アニメのソフトがずらりと並んでいるのを目撃する。「機動警察」「天空城」「三獣士」等々。
そして手前の棚の中に「万能文化猫娘」と「女神事務所」があるのを見つけた途端、私の頭は真っ白になった。……
気がつくと私はもう一つ袋を抱えてビルの入り口に突っ立っていた。財布の中には、もはや小銭しか残っていなかった……
ついでに台湾版のIBM互換機用ソフトを買い込む。何故か春麗が出ている格闘物(?)や戦略物、シューティング、etc。みんな怪しげなゲームのように見える。実写取り込みのアダルト物もいくつか見つけたが、みんな税関で引っかかったときのことを恐れて買って行かない。
今にして思えば一個ぐらい冒険してみても良かったかも知れない。私?私は金がほとんど無かったから買えなかった(ホテルに金を少し残してきたのが失敗のもと)。うーむ、残念……
モデムやソフトがあってもOverDrive Processorは無い。今度はビルの外に出て、回りにある電脳屋に入る。一軒、二軒、三軒……としらみ潰しにいって、ようやくショウウインドウにOverDrive Processorのパッケージを置いている店を見つけた。店員と交渉、今度は何とか入手出来たようだ。先生の目尻が一層下がる。
「あああ、ここはシアワセの街や……」
ついでにマウスも購入してすっかりご満悦の様子。
大量の荷物を抱えてホテルへ一端凱旋。既に時間は3時を回っている。ふと気がつくと我々はまだ昼飯を食べていなかった。そろそろなにか食べたいなあ、という話をしているとシモーヌさんが「海鮮料理を食べたいですね」と一言。
うん、それもいいな、と思ったが……実は先生は海鮮ものが食べられない方だという問題があるのだ。いろいろと話し合った結果、先生だけほかの店に行くか、もしくはもう一軒餃子かなにかを食べに行く、ということで折り合いがついた。
そうと決まればさっさと移動するに限る。事実上昼飯抜きなので多少早くてもいいから飯を食いたい。例によって例の如く、三人ずつに分かれてタクシーに乗り込む。
ところで台北の交通事情だが、これがもうシャレにならないほどすさまじい所である。
まず道路。舗装がまともになっているところはほとんど無く、サスペンションの悪い車に乗ると車酔いしそうなほど振動がひどい。またふつうの道路でもガンガンスピードを出すので、おちおち横断歩道も渡れない。横断歩道を歩行者が渡っていても車は平気で突っ込んでくるのだ。さらに日本では考えられない幅寄せ・車線変更etc。
どうも台湾人の交通ルールは「俺(だけ)が正義だ」の一言しかないらしく、どの車を見ても自分の主張を全面に押し出した走りをする。にもかかわらずみんな冷静な顔して車を運転しているのだから不気味である。
クラクションと廃ガスと中古車・バイクの街、それが台北なのである。
乗り合わせたタクシーの運ちゃんが実は文盲だったというアクシデント(?)もあったが、とりあえず集合場所の龍山寺までは来ることができた。K須さんが希望していたミリタリーグッズの店を覗いた後、15分ほど歩いた所に、シモーヌさんが「おいしい店だそうです」と言っていた海鮮料理屋「台南担仔麺」があった。日本のテレビでも結構紹介されてるから、知ってる人も多いと思う。
ここは入る前にオーダーすることになっている。我々が頼んだのは伊勢海老を二尾、イカのチーズ巻き、蛤のバター焼き、青菜の炒めもの、海老の空揚げ、などなど。もちろん先生は食べられないので別に麺や(唯一食べられる)マグロの刺身などを注文する。
で、店に入ると……何故か無茶句茶豪華な内装。入り口が寂れたアーケード街なのに、いきなり高級ホテルにでも入ったような雰囲気である。一同絶句。しかもどちらかと言えば品のない、成り金的な飾りたて方である。わざわざテーブルに置いてある説明書きには「テーブルクロスはイギリスのどこそこというメーカー、皿はウェッジウッド、ドイツの銀食器にグラスは……」云々、と書いてある。うーむ……
更に閉口したのは、料理を一皿片づける度にウェイトレスがおしぼりを持ってきて、ろくに使ってもいない取り皿を新しい皿と取り替えること。頼むからゆっくり食わせてくれー!!
……でもまあ、たしかに味はそこそこいいところであった。若干薄味だったけど、それは許せる範囲のものだったし、みんなの意見もおおむね良好だった。そう、勘定書きを見るまでは……
「……5170元だとおっっ!!??」
先生はほとんど食べられなかったので、実質5人で5000元ということになる。まあ確かに日本で食べたらもっと取られるだろうし、それに比べたらまだ安いかもしれないが……たったあれだけの量で2万円も取るか!?
……全員無言で1000元札を取りだした……
「……決して味は悪くはなかったんだが」
「あの値段はちょっと……」
「日本人だからってぼってんじゃねえの?」
結局ホテルへ帰る途中で再び大衆食堂の餃子屋「北平一條龍餃子館」に寄っていく。さっきの店とは対照的に、内装も食器もやや薄汚れていて、ウェイトレスがテーブルの横に張り付いてる何てことはなかったが、味は問題無く最高であった。日本語も英語も通じないような店だったが、今まで行った店よりもうまかったような気がする。多分こういう「綺麗じゃない」「言葉が通じない」店には日本人旅行客はあまり来ないんだろうなー、などと考えながら水餃子をぱくつく。
しかもこういう店は安い。6人全員がお腹いっぱいになるまで食べて、総額1000元を切ったのである。
次に来るときは日本語が通じない店を選ぼう、と馬鹿なことを考える。
さて、台湾ジョイントイベントだが、この時点まですっかり忘れ去られていた。(^_^;)
で、料理屋であわてて開会式を開く。
「えーみなさんよくこんな所まで来る事が出来ましたね(^_^;)。時間がありませんのでさっさといきましょう。まずクレギオンジョイントイベント」
「えーマスターの○○です。クレギオンと言うのは……あ、時間がないようですのでその話しはまた次回」
「続きまして夜桜イベント」
「どうもマスターやってます●●です。夜桜はどうなるか全然わかりません。終わり」
「はい、お次はポスタル・テイル第4.5回オフィシャルイベント」
「えっと、『行け行け』のマスターSです。ぽすたるの今後は……」
「はい次……」
閉会式まで実質10分かからずに終わり。これでとりあえず「実行」はした訳である。よしよし。
ホテルに戻ってからは再び酒盛り。再びポーカーをやろうとK須・M崎・シモーヌ・とっとの四氏が誘うが、先生は「わしゃ日本に帰ったら仕事があるんや。もう寝る」と言って早々にベットへ引きこもり、私もあっという間に小銭を切らしてしまった為参加を断念。
「フロントで両替してもらってくれば?」
「んー、でも、小銭はなるべく無くしておきたいですから……」
てな訳で私も一足お先に眠る事になった。おやすみなさーい……
9月26日
いよいよ日本に帰る。名残は惜しいが金もない、また来る時までさらば台湾。でも東方大飯店には二度と行かねーぞ(~_~メ)。
(余談・二度目に行く前に、潰れてしまったそうな。哀れ)
10時の便に乗らなければならないので、この日はちょっと早起きである。シモーヌさんのモーニングコールでたたき起こされ、急いで着替えと荷造りのチェック。身づくろいもそこそこに、ホテルのロビーへ。
この日旅行社がチャーターしたバスは日本の高速バスで使うような感じのでかいやつ。運転手に荷物を車体下の貨物室に「放り込んで」もらい、チップを奪い取られる。
「あああ、せめて50元金貨は持って帰りたかった……」(←注・出来たばかりの金貨なので、綺麗なのである)
この日はほーんとになんにも無い日である。……はずだったのだが、「飛行機ノ時間まデまだ余裕アルから」という案内人の言葉によりまたもや土産物屋へ。しかも場所が空港への途中の道にあるという海外旅行者が余分な金を落としていく絶好の場所にあるため、全体的に足もとを見た値段設定になっている。ちょっとひと休みしようと思って買ったコーラが1本50元。市内のコンビニで18元、ホテルの冷蔵庫でも30元しか取らないというのに何という値段じゃ。きっとあそこにはインフレ魔族が棲みついておるに違いない。
椅子に腰掛けながら今回の旅行の反省や年末の忘年会の予定、次の海外旅行の話などをしているうちに、シモーヌさんが何気なく声をかけた。
「夏馬さん、今回の旅行満足しました?」
「満足しましたよぉ。スキャナは買えたし、うまい物は食えたし、面白い所は見れたし、土産も買え……あ」
「……どうしたの?」
「……親父に頼まれた洋酒、買って行くの忘れていた……」
実は家を出る時、父に金を預かっていたのだった。すっかり忘れていたが。
買う機会はまだある。空港の免税店に行けば普通の店よりは安く買える。
問題は金だ。小物をぽろぽろと買っているうちに、そして意外にかかった食費のためにもうほとんど金が残っていない。日本に帰ればバイトの給料が振り込まれているからと安心して使ってしまったのだ。もはや処置無し、である。
と、そこへシモーヌさんの助け船が。
「しょうがないなあ……日本に帰ったらすぐに返せます?」
「ええまあ、6万近くは入ってるはずですから」
「じゃあ、それまでの間ってことで」
「あ……ありがとうございますっっっ!!!!」
瞬間、シモーヌさんが天使に見える。調子のいい奴だ>俺。
出国審査も手荷物調査も問題なく通過して、飛行機に搭乗。荷物がバケージに入るか否かという難関も乗り越え、ついに離陸。さらば台湾、また金がたまったら来るからな。でもノースウエストはもう使わないぞ。(機内食はまずいし、サービスもいまいち……一番でかいのはビールとワインが悲しいほど変な味だったこと)
そのとき、後ろに座る先生の席から何やら機械音が。
「……先生、なに撮ってるんですか?」
「んー?空港」パシャパシャ。
確か台北空港は軍事施設もあるから撮影禁止って言われてなかったっけ?
……ま、いいか。今更誰か来るわけでもなし。
今回は昼間のフライトだった上、窓が翼から離れたところだったので景色がよく見える。うっすらと見える雲越しに、島や大陸の海岸線(だったのだろうか、あれは?)が見えたりすると感動ものである。実はこのとき初めて私は「海外旅行したんだなあ」という実感が湧いてきたのだったりする。そういやM崎さんも似たようなこと言ってたっけ。
三時間もするとそろそろ成田である。着陸する滑走路の方向の都合か、一端千葉上空を通り抜けてからUターンする。
無事、着陸。
入国審査、税関も呆れるくらいすんなりと終わってしまう。
審査官「はい、お疲れさまー。20万円以上の大きな買い物はしましたか?」
私「いいえ」
審査官「はい、お疲れさまでしたー。次の方どうぞー」
……この調子。私など、怪しいコピービデオソフトを何本も持っていたから見つかるんじゃないかと思っていたが、ノーチェック同然で通ってしまった。ほとんど形式だけという感じである。何なんだいったい。これじゃ心配してた私が馬鹿みたいではないか。
でかい荷物を抱えていたこともあり、何人かで秋葉原に行こうという話も出たため、荷物を宅急便で出そうとする。しかしシモーヌさんが料金を聞いてきたら「高いよ。三千円くらい取られるって」と言われて断念。
結局、重い重い荷物を抱えたまま帰宅することになった……
こうして私の初めての海外旅行は終わった。
今考えてみると、何かやり残してきたような気がしてくる。別に今回の旅行に不満があるのではなくて、本当ならもっといろいろ楽しめることがあったような気がするのだ。それが何なのか、はっきりとはわからないのだが……
まあ、いつかまた台湾に行くことがあるかも知れないし、その時にもっと色々なことを試してみることにしようと思う。
これにて一件落着。