第14回 「シャーペン」


シャーペン ○月●日 天気 雨のち晴

 まず最初に前回の補足。私が言いたかったのは「デッサンがうまいかどうかより、作品(イラスト)の中での存在感を作り出す力(デッサン力)の有無の方が重要だ」という話であって、けして「『ある絵描きさんが私の批判に怒った』事を非難する」、とかいう話ではありません。その点に関してはむしろ私の方が悪かったのかも知れない。いずれにせよ個人攻撃を目的として書いたわけではないので、その点はご理解下さい。

 このコラムを書き始めた頃はあまり絵に対しての考えというのは私自身固まっておらず、ただ漠然と「絵描きの実状を紹介してみたら面白いんじゃなかろうか」「その実状を知って『なんだ、絵描きなんてこんなもんなんだ』とみんなが絵を描き始めてくれないだろうか」と思って始めたものだった。それから3年余り。絵というものがだんだんと私にとって重要なものになり、絵柄も考え方もずいぶん変化した。
 私はもともと美術が得意だったわけではない。小学校の水彩画なんてそりゃあもう目も当てられない程ひどい出来のものしか描けなかった。だから、イラストを描き始めたときも何をどうしていいのかわからず、ただ手探りで絵の練習をしていた。何もかもが自己流で、今から思えばつまらない事で悩んでいた事もあった。でも、一方でそれがむしょうに楽しかったことを今でもはっきり覚えている。
 そう、描く事自体が好きだったから私は絵描きになれた(プロ、という意味ではない)。『好きこそものの上手なれ』とはよく言ったもので、好きでもない事を練習して、上達する人は普通いない。ひとりよがりな絵を描いていてもしようがないけれど、まずは自分が楽しいこと。そこからが絵描きの始まりなんだと思う。

 私は私なりの、絵を描くための方法論を持っている。それを『楽描き』で言ってきた……わけでは、ない。……実は、本格的な方法論(私は密かに『奥義』と呼んでいる)は何一つ書いていないのである。
 いや別に、せこい根性があって言わないでいるわけではない。言わなかった理由はふたつ。一つは、あくまでもそれは「私の」奥義であって、必ずしもみんな個々人に適用できるとは限らないから。もう一つは、ただ単に伝える事は出来てもそれは「あなたの」奥義には決してならないと思うから。私は何度も壁にぶちあたって遠回りしたりよけいな苦悩を味わったりしてきたけど、その中で知識ではなく「実感」として、自分一人の力で奥義を獲得してきた。それは間違いなく「私の」奥義、誰かから教えてもらったのでもない、自分の見つけだしたもの。……そういうものを、「あなた」にも自力で獲得して欲しい。
 その道標となる(かも知れない)ものがこの『楽描き』なのである。

 ……とは言っても、まずは描く事から始めてもらわない事にはどうにもならない。
 なんかここ数回、やたらコムズカシイ事を描いてしまった。そのせいか否か、アンケートで一番多い感想が「イラストレイターって大変ですね」なのである。
 確かに大変かもしれないのだが、裏返して言えば「それだけ大変な思いをしてまでやる程、楽しい」事でもある。悩んだり、工夫したり、厳しい批評を受けたりする事はあっても、そこから大きなモノが得られる実感は常にそこにある。そしてそれは、誰もが手を伸ばせば必ず掴めるはずの、とても「楽しい」事なのである。紙と鉛筆、必要な物はそれだけだ。あとは少しの努力。仲間もいればもう、怖いものは何もない。
 誰もが最初から凄いイラストを描けるわけじゃない。だから取り敢えずは落描きを。……でももう少し積極的な姿勢、描く事を「楽しむ」姿勢を強調したい。だからこその「楽」描きなのだ。
 私の得たモノを、「あなた」にも感じて欲しいと思う。だから私は言う、「『楽』描きのススメ」を。

(終)

第13回



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