呑川と水害
「呑川の会」会員から寄せられた呑川についてのレポートです。
(1997年4月記述)
このページは「呑川とは」の第三パートです。 
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 戦後になって、以前は田圃や畑や沼地だったところに住宅や工場がたくさん建ち始めた。そのため降った雨は田圃や沼地に溜まったり地面にしみ込み地下水となったりしないで、一度に川へ流れ出すようになった。道路の舗装が進んだこともこの原因となった。

 その後下水道が普及して通常時の家庭や工場の排水は川へ流れ込まなくなったが、大雨時の雨水は捌き切れず、一気に下水吐から川へ流れ込む。


 なお生活水準が向上し水洗トイレや家庭風呂などで水道水の使用量がふえ、最近では都市河川の流域に降る雨量に匹敵する水量が多摩川や利根川などのダムから水道水として都市河川の流域へ流れ込んでいるのだそうだ。

 過去の呑川の水害としては、昭和24年8月のキティ台風、昭和33年9月の狩野川台風、昭和34年9月の伊勢湾台風、昭和40年8月の台風17号によるものが大きかったと思うが、特に昭和33年の狩野川台風による水害がひどく、呑川流域に多くの床上浸水を出した。


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 過去の呑川の水害としては、昭和24年8月のキティ台風、昭和33年9月の狩野川台風、昭和34年9月の伊勢湾台風、昭和40年8月の台風17号によるものが大きかったと思うが、特に昭和33年の狩野川台風による水害がひどく、呑川流域に多くの床上浸水を出した。
 戦前にある程度蛇行部分を直線化したり、川幅を拡張したりする河川改修はなされてはいたが、流域の開発スピードに追いつかなかったと思われる。
 石川橋・池上橋間、夫婦橋・河口間は水路が一直線になっているが、戦前改修されたものと思われる。

 昭和33年9月の狩野川台風による水害が特にひどかったので、その後東京都は時間雨量50ミリまでは対抗できるようにと、川幅を広げたり川底を掘り下げたりして川の断面積を大きくする河川工事が進められた。
 川の流域には既に住宅や工場が密集していたので、護岸は最初は木柵、次いで鋼矢板、最終的には堅固なコンクリートの垂直護岸が作られた。
 中流域ではその後更に川底の中央部を凹型に掘り下げて、川の断面積を大きくしている。

 橋も橋脚のないものに架け替えられた。狩野川台風時、西蒲田一帯の浸水がひどかったのは、呑川にかかるJR鉄橋の橋脚に上流から流れてきた畳が引っ掛って水の流れを塞き止めたのが原因だと聞いている。

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 また中原街道の地下に多摩川へ通ずる放水路が作られ、増水した水の一部はそちらを通って流れるようになった。
なお、神田川では川沿いに建物が密集して川幅を拡張できないので、川に並行して走る道路の下に分水路(高田馬場・江戸川橋・水道橋・お茶の水の4分水路)が作られ、増水した水を捌いている。

 川の断面積が格段に大きくなったことと放水路も完成したことが大きな理由と思われるが、最近では呑川による水害の話はあまり聞かなくなった。

 しかし自然現象のことであるから、時間雨量が50ミリ以上になることも充分ありうる。行政に対しては更に高い目標の水害対策を期待すると共に、流域住民としても万一の水害に対する心構えをすることも必要だと考える。

 今後の水害対策としては、川の流量をただ大きくすることだけを考えるのではなく水の本来持つ自然の循環サイクルとよく調和させた、いわゆる総合治水の見地から進めるべきであろう。
 呑川をはじめ一般に最近の都市河川は、通常時は水がほとんど流れないのに、一度大雨が降ると短時間のうちに大量の水が川へ流れ込む傾向がある。そこで以前の川のように大雨が降ってもすぐ大量の水が川へ流れ込まないようにする方策はないものか。

 そのため先ず考えられることは、川の上流域ではもっと保水や遊水に心掛け、以前のように降った雨は極力地面にしみ込ませたり溜めたりすることである。
 そのような方策として、屋根に降った雨水を雨樋を通じて一旦地下に埋めた浸透ますを通してから下水道へ流すようにしたり、小まめに透水性舗装にしたりする工夫がなされている。


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 また公園や運動場のような広いスペースのところへ、増水した川の水を一旦溜め込み、水が引いてからもとの川へ流すような工夫をしたところもみられる。
 善福寺川沿いの和田堀公園や石神井川沿いの武蔵関公園などにこのような例がある。一番目を見張る例は妙正寺川沿いの中野哲学堂前にある多目的調節池である。高層住宅の一階部分は柱だけで、増水した川の水は越流堤を越えて一旦ここへ流れ込むようになっている。

 また環7の地下に巨大な地下トンネルを作り、神田川の増水した水を立坑を通じて一旦ここへ溜め込み、水が引いてからポンプで汲み上げもとの川へ放水する工夫もされている。将来計画はこの地下河川を東京湾まで延長するのだそうだ。


 以前下水道が無かった頃は、庭に穴を掘り生活排水はそこへ流し込み地中へ浸透させた家が多かった。また大雨が降ると雨水は沼地や溝などに溜まったものだった。
 総合治水と言われているが、私には以前の方法が見直されているように思える。従来山林や農地だったところを大規模に開発する者に対しては、何らかの保水や遊水を義務づける行政措置も必要だと思う。

 両国国技館では屋根に降った雨水を地下タンクに貯水し、水洗トイレなどの雑用水として使用している。水道水の節約、下水への負担軽減、防火用水とかなり理想に近い姿と思われる。


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 一方流域住民としても常に水害に対する心構えを持つことも大切だと思う。浸水を川の立場からみれば、もとは川の領分とも言える低い土地に、あとから人が住みついたと言えなくもない。

 呑川でも以前はよく浸水したので家を建て替えるとき床を少し高くしたり、大会社のアパートや寮が建つとき土盛りしたりする例がよくみられた。もっとも土盛りは遊水の見地からはまずいので、鶴見川中流域などでは規制対象になっているとのことである。

 最近地下室に浸水して配電盤がだめになった例をよく聞くが、地下鉄の入り口のように地下室への入り口を少し高くするか、そのような大切なものは水が漬くような場所には置かないことだ。

 神田川や目黒川などでは未だ浸水が多いので、川の要所要所に水位計を設置して自動的にサイレンで注意報や警報を出して流域住民に知らせるようになっている。

 なお流域へ新たに転入する人へは、過去の浸水実績を事前に知らせて、川に対する心構えを持ってもらった方がよいとも思う。
 上流域の人は大雨時には風呂の水を流さないような一寸した心使いもしてほしい。


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