水はきれいとは思わなかったが、それでも淀むようなこともなく流れていたし、川底に溜まるのはヘドロではなく土砂だったので、ときどきスコップで浚ったりしていた。双流橋は木の橋で、増水すると橋脚に水草がたくさんからみついた。
昔、堤方橋の少し下流から双流橋の少し下流まで川の真中に中土手があり、流れが2本になっていたので双流橋という名前が付いたものと思われる。
夫婦橋から下流にはノリ養殖用の小舟がたくさん係留されており、まわりの空地にはノリをよしずに貼って天日干しにしている風景があちこちにみられた。
もっともロマンチックなことばかりではなく、大雨が降ると呑川へ注ぎ込むドブ川の水が道路に溢れ出して歩行に困ることがよくあった。また沼地や溝が多いこともあり蚊が多く、かやは絶対必需品であった。
戦後になって、以前は田圃や畑や沼地だったところに住宅や工場がたくさん建ち始めた。そのため降った雨は田圃や沼地に溜まったり地面にしみ込み地下水となったりしないで、一度に川へ流れ出すようになった。道路の舗装が進んだこともこの原因となった。
その後下水道が普及して通常時の家庭や工場の排水は川へ流れ込まなくなったが、大雨時の雨水は捌き切れず、一気に下水吐から川へ流れ込む。
なお生活水準が向上し水洗トイレや家庭風呂などで水道水の使用量がふえ、最近では都市河川の流域に降る雨量に匹敵する水量が多摩川や利根川などのダムから水道水として都市河川の流域へ流れ込んでいるのだそうだ。