#11/2007/7/8
Steeleye Span“Ten Man Mop or Mr Reservoir Butler Rides Again”(Pegasus PEG 9 /1971)

 アシュレイ・ハッチングスの在籍したスティーライ・スパンの初期3部作が、この稀代のエレクトリック・トラッド・バンドの残した不滅のマスターピースであることは言うまでもありません。

 チャイルド・バラッド、ブロードサイド・バラッド、ナンセンス・ソング、ジャコバイト・ソング、アイリッシュ由来のソングやダンスという多種多様な素材を、男性シンギング、女性シンギング、無伴奏コーラス、インストゥルメンタルプレイ、といった多彩な味付けでバラエティー豊かに表現するという贅沢な構成はこれら3枚のアルバムに共通した性格です。
 しかし、ドラムスが入った 1st アルバム“Hark ! The Village Wait”から、ドラムス抜きサウンドに深化した mark 2 がリリースした 2nd アルバム“Please To See the King”、そして、極め付けの 3rd アルバム“Ten Man Mop or Mr Reservoir Butler Rides Again”まで、一作毎に確実に前作よりも一層ピュアなエレクトリック・トラッドの世界へと深化していく様は、見事としか言い様がありません。

 特に3部作最後の作品であるこの“Ten Man Mop 〜”は、まるで激しい修行を経て解脱した坊さんの悟りの境地、とでも言いましょうか、凡人には到底到達できないような高みにある存在。あれこれ言わず、ただただ頭を垂れて一心に聴くべし、といった雰囲気に溢れています。

 “ブラック・ホーク”のいつものレコード・ジャケット掲示場所に、このアルバムを置くときの松平さんは、次の(音が出た)瞬間に店内に満たされる《歓迎》vs《嫌悪》のリアクションを毎回楽しむかのような、まるでいたずらっ子のような面持ちをしていたのが忘れられません。

 そして、店内でもひときわ異彩を放っていたこのアルバム・ジャケットを眺めると、この表裏の写真や、あの“No Roses”の裏ジャケット写真に触発されて、神田にあったブリティッシュ・カウンシルの図書館からビクトリア時代の写真集を借り出しては、古き良きイングランドの風物に想いを馳せていた青春の日々を思い出します。(ここに関連記事⇒


 さて、当時からトラッド・ファンの間では幾つかの「スティーライ・スパンの謎」ってのがありまして、その一つがこのやたら長ったらしい 3rd アルバムのタイトル“Ten Man Mop or Mr Reservoir Butler Rides Again”だったってのは言わずもがなでしょう。
 …で、結局のところ、このタイトルの謎は解けたのでしたっけ? どうだったか忘れてしまいました。どなたか、回答を知って(憶えて)いる人がいたら教えて下さい。

 さて、もう一つは、1970年にこのグループがデビューした時からの謎、つまりは、そもそもこの謎めいたグループ名の由来です。
 確か、私が購入した日本盤の 1st アルバムのライナーノートにも「スティーライ・スパンとは“鋼鉄の目のスパン”だろうか。古い伝説の主人公の名まえを想像させる。」ってな的外れなことが書いてあり、結局のところ全く意味不明でした。
 そして、初期3部作の後も彼らのアルバムは続々とリリースされましたが、グループ名に関する謎は相変わらず解明されないままでした。

 そんな私たちがやっとその名の由来を知ったのは、1978年に出版された“The Complete Steeleye Span”というブックレットを入手した時でした。

 当時のスティーライ・スパンは mark3 として数枚のアルバムをリリースした後に一旦活動を休止した後、1977年に mark 2 以来数年ぶりにマーティン・カーシーが、なんとあのジョン・カークパトリックを伴って再加入し、mark 4 として活動を開始したばかりの頃でした。
 (余談ですが、1978年3月のトラッド愛好会・第8回定例会では、会員の一人が、直前に英国で録音してきたスティーライ・スパン mark 4 のライブ音源を、皆でかたずを飲んで聴いたものでした。)

 ティム・ハート自身によって編集された A4版80ページ程のこのブックレットは、デビューから mark 4 までのスティーライ・スパンの歩みを、多くの写真とともに紹介したものでしたが、その一番最初のページにこの奇妙な名前の由来が書いてあったのです。

 このブックレットは現在でも(オークションなどでの)入手はなかなか難しいと思われますが、幸いなことに、何でもインターネットの今日、“Steeleye Span's Archive Pages”というサイトに於いて、デジタル化されたこのブックレットの内容がほぼ全部アップされていて、だれでも簡単に閲覧が可能です。特に文章については“The Complete Steeleye Span”のページで、オリジナルの文章を全て読む事が出来ます。

 さて、グループ名の由来について書いてあるこのチャプター1の詳しい内容はご自身で読んで頂くとして、つまりは、スティーライ・スパンというグループ名は、19世紀の初めにリンカンシャー北部の“Horkstow Grange”と呼ばれる農場で御者として働いていた John 'Steeleye' Span という人物に由来するということなのです。
 ただし、そこにも書いてあるとおり、ある日、Brigg という場所での定期市で、John Bowlin' という人物と派手な喧嘩をやらかした Mr. John Span
に何故‘Steeleye’という呼称が付けられるようになったか? については、実は定かではないと言う事です。まあ、想像するに「目をしたたかに殴られたけど、ビクともしなかった?」ってなところなんでしょうが…。
 そういえば、Ashley 'Tyger' Hutchings の由来は何なんでしたっけ? いつか、どこかで読んだ様な気もしますが…。

 さて、オリジナル本ではチャプター1の冒頭に掲載されていた“Horkstow Grenge”の楽譜と歌詞については、どうやら先ほどのサイトの中には収録されていないようです。せっかくですから、ここにオリジナル本の楽譜と歌詞の部分含めたページをスキャンした画像(“Horkstow Grenge”)を載せておきますので、どうぞ参照して(歌える人は歌って)みて下さい。

 なお、ここで触れられている Percy Grenger という人が1906年にシリンダー・レコードに採集した音源は、ビル・リーダーによる LEADER SOUND LTD 名義のレーベルから“Unto Brigg Fair”(LEADER 4050 / 1972)というタイトルでリリースされています。そして、この中でちょうど101年前に Grorge Gouldthorpe というお爺さんが歌った“Horkstow Grenge”の歌唱を聴く事が出来るのです。
 といっても、この爺さん歌はだみ声があまりひどくて、何度も聴き直さなくては“〜 Steeleye Span 〜”という箇所がとてもそのようには聴こえませんがね〜。
 まあ、イングリッシュ・トラッドを語るに当たっては欠かすことの出来ないこの貴重なアルバムについては、いつか必ず紹介しますので、乞うご期待。


 さて、最後に当時としてはさらにお宝だったもの…。
 それは、最強のスティーライ・スパン mark 2 時代の2枚のアルバムのソングブックです。
 我が家には、フェアポート・コンベンションの
“Liege & Lief”〜“Anger Delight”時代のソングブックもありますが、その表紙はごくつまらないデザインで、とてもコレクターズ・アイテムとはなりそうには無いものなのですが、それに対して、このスティーライのソングブックは2枚のアルバムとほぼ同時期の1972年にアルバムとコラボレートする形でリリースされたもので、表紙デザインは言うまでも無く“Ten Man Mop 〜”そのものです。
 さらに、中とじの写真ページには、
“Ten Man Mop 〜”のジャケット見開きに綴じ込まれているそれぞれのメンバーのあの写真や、“Please To See The King”の裏ジャケットに使われているメンバーの集合写真が大きく載っているだけでなく、あの当時としては正に感涙モノの彼らのステージ写真まで掲載されているのです。今ではネット上で簡単に見られるような写真かもしれませんが、70年代にこれらの写真を初めて目にした時の感激は、決して忘れる事ができません。何と言ったって、マーティン・カーシーがエレキギター(フェンダー・テレキャスター)を抱えている写真なんて、当時としては前代未聞だったのですから…。

※ジャケットの見開きの写真からは、ソングブックの大きな写真にリンクしています。


#12/2007/7/16
Tim Hart and Maddy Prior“Summer Soltice”(B&C Records CAS 1035/1971)

 フェアポート・コンベンションとプロディーサーである Joe Boyd(& Witchseason Productions Ltd.)のコンビは、彼らの名作の数々を生み出した名パートナーシップとして知られていますが、同様なパートナーシップがスティーライ・スパン(の構成メンバー)と、Sandy Roberton(& September Productions Ltd.)の組み合わせと言えるのではないでしょうか。

 そして、サンディー・ロバートン&セプテンバー・プロダクションの場合はサウンド面だけでなく、フォトグラファーの Keith Morris との共同作業によりジャケット・デザイン面に於いても多くの傑作を残しています。
 中でも、1971年の一年間に彼らがリリースした3枚のアルバム・ジャケットはパイパー森のブリティッシュ・トラッド・コレクションに於ける、ジャケット・デザイン上の3大マスターピースです。

 その一つは、#11スティーライ・スパンの“Ten Man Mop 〜”。2つ目は後日このコーナーで取り上げる Shirley Collinns & Albion Country Band“No Roses”。そして、3つ目がこの“Summer Soltice”です。

 これら3枚のジャケット・デザインはどれも「2つ折仕上げで、中ジャケットにメンバーの写真を配置する」という共通した構成の上で、非常に濃厚に《英国=ブリティッシュ》を感じさせるデザインとなっていますが、そのアプローチの仕方はそれぞれに微妙に異なります。

 “Ten Man Mop 〜”では表裏にビクトリア時代の民衆を写した古いポートレイト、“No Roses”では、表面はキース・モリスの撮影による古いお屋敷の壁面に彫られたライオンのレリーフの写真+裏面はセシル・シャープが撮影したローカルシンガーのポートレイト、という違いはありますが、どちらもえんじ色やグレーといった落ち着いた色調のベースにモノトーン(風)の写真がレイアウトされて《英国=ブリティシュ》を感じさせます。

 一方、この“Summer Soltice”では、一転して明るいクリーム色のベースに鮮やかな色彩を使って四季を表現したイラストがあしらわれていますが、このイラストは前2者のアルバムの写真と同様に強烈に《英国=イングリッシュ》を感じさせるものです。

 その一方で、興味深いことに中ジャケットのメンバーの写真は全く逆の対照となっています。
 つまり、
“No Roses”がイングランドの緑豊かな自然景観を写したカラー写真でアシュレイ&シャーリーを描けば、この“Summer Soltice”では、夕焼けに浮かぶティム&マディーのシルエットを渋いモノトーンで表現しているのです。

 とにもかくにも、このアルバムは他の2者やその他の傑作アルバムとは異なり、私が純粋にアルバム・デザインだけでもその存在価値を認める唯一のトラッド・アルバムです。


 といっても、内容が無いと言っている訳ではありません。それどころか、松平さん自身が“トラッドの受け入れられ方”の項で書いているところによると、松平さんが監修したフォノグラムのレコード・シリーズのリリース予定のリストの中には、“No Roses”などとともにこのアルバムも入っていたということです。
 確かに、松平さんも大のお気に入りで
“ブラック・ホーク”でもびたびプレイしていました。ダークな色調のジャケットが多い他のトラッド・アルバムと違って、このアルバムがのいつもの場所に掲示されると、心なしか店内がパッと明るくなったものでした。


 さて、ティム・ハート&マディー・プライヤーがこのアルバムをリリースしたのは、スティーライが“Please To See The King”をリリースした1971年3月と、“Ten Man Mop 〜”をリリースした12月の間と推定されます。彼らとサンディー・ロバートンとのコラボレーションは、スティーライの 1st アルバムが最初ですから、もし、録音自体はもっと前だったとしても、それがスティーライ結成以前に遡ることは無いでしょう。

 つまり、このアルバムで彼らが表現しているのは、スティーライ・スパン mark 2、あるいは mark1 も含めた初期3部作の時代にスティーライとは別に、彼ら2人が独自に表現したかったスタイルと言えるのではないでしょうか。そう考えながら、スティーライの初期3部作と比較しながら聴いてみると、なかなか興味深いものがあります。
 mark 2 時代のスティーライのアルバムでは、マディ・プライヤーの歌声が余り聴けないと不満に思っている方には、当時の彼女の(まだ初々しい)歌声が存分に聴けるこのアルバムは特にお勧めです。

A-1. False Knight on The Road
 ほぼ同時期に録音したと思われるマーティン・カーシーがリードを取る
“Please To See The King”のバージョンと聴き比べてみれば、その違いが鮮明になることでしょう。
A-2. Bring Us in Good Ale
A-3. Of And The Birds
A-4. I Live Where I Love
A-5. The Ploughman And The Cockney
A-6. Westron Wynde
 
このアルバムの中で最も短い曲ですが、最も印象的な曲です。
B-1. Sorry The Day I Was Married
B-2. Dancing at Whitsun
B-3. Fly Up My Cock
B-4. Cannily Cannily
B-5. Adam Catched Eve
B-6. Three Drunken Maiden
B-7. Serving Girls Holiday


#13/2007/8/1
Shirley Collins and The Albion Country Band “No Roses”(Pegasus PEG 7/1971)

 このアルバムが“ブラック・ホーク”のあの空間に登場した時の《衝撃》ともいうべきそのインパクトの大きさについては、なんとも表現のしようがありません。まさにディープ・インパクト。

 いつものように道路側の奥、縦長の窓際の席に座ってトラッドのサイクル(英ー1)が来るのをじっと待っていた私は1曲目の“Claudy Banks”が流れた瞬間、「一体何が起こったんだ? これは何だ? エレクトリック・トラッドだけど、今まで聴いた事が無いぞ。」と聴き耳を立てました。

 大地を掘り起こさんばかり重厚なベースノートはどうやらフェアポート、スティーライで聴き慣れたアシュレイ・ハッチングスらしい…。そして、左チャンネルからからむねちっこくからむギターのカッティングノートは紛れも無くリチャード・トンプソンのもの。右チャンネルでリズムを刻むのは朋友サイモン・ニコル? …とすると、これはフェアポートか? だとしたらヴォーカルの女性は一体誰だ? すると、突然、フェアポートやスティーライでは到底聴き慣れないサックスとバスーンの(もちろん正確な楽器名は後日クレジットを見て知ったこと)間奏が流れる。

 耳からは流れて来るこの印象的な音楽を真剣にインプットしつつ、いつもの場所に掲げられたレコードジャケットを遠くから見遣りました。今まで見慣れないジャケットです。そして、遠目には小さな文字で書かれているバンド名らしきものも、アルバムタイトルも定かではありません。ただ、いかにもイングランドらしい古びた造りのお屋敷の壁を飾る、ライオンのレリーフを写したジャケット写真がやたら印象的です。

 一転して2曲目“The Little Gypsy Girl”では、爽やかなアコーディオンの音色に乗せて軽やかな歌声が流れます。そして、な、なんと、今度は間奏にハマー・ダルシマー&スティックの音色が…。あ〜、あ〜、一体このバンドは一体何者?

 3曲目“Banks Of The Bann”はさらに趣向が変わって、ドラム抜きでピアノとエレクトリック・ベースに乗せてしずしずとした歌声が…。バックではアコースティック・ギターがコードを、アコーディオンがメロディーをなぞります。

 いよいよ我慢しきれなくなった私は席を立ち、レコードジャケットを手に取りに行きました。既に私がトラッド好きな客であることにうすうす気が付き始めていた松平さんは例によって表情は全く不変ですが、その無表情な顔の下から「どうだい? スゴイだろう?」とでも言うような、無言の(でも強烈な)メッセージを発していました。
 先ほどのライオンのレリーフの写真の左側、一番上に
“Shirley Collins and The Albion Country Band” というクレジット。その下にずらずらとバンドメンバーの名前が書かれていますがその数なんと25人(もちろん、その時に数えた訳ではありません)。想像したとおりのお馴染みの名前もあるが、知らない名前も多い。一番下に書かれている“No Roses”というのがアルバムタイトルらしい。

 裏ジャケットを見ると、古老を撮影した古めかしいモノクロの写真(by Cecil Sharp)が表面のライオンのレリーフと同じサイズであしらわれ、右側に曲名とその由来が書いてある。
 レーベルはスティーライの
“Ten Man Mop 〜”と同じくペガサスで、プロディースはあのセプテンバー・プロダクションのサンディー・ロバートンと、そして、アシュレイ・ハッチングス自身か…。

 そのようなことを慌ただしく読み取っている内に流れて来た次の曲(A-4“Murder Of Maria Marten”)は、な、なんなんだ〜!
 遠くからフェードインしてくるフィドルにリチャード・トンプソンのギターがギュワンギュワンとからむ強烈なイントロ。このドラムはどう聴いてもデイブ・マタックスに違いない。最初のパッセージが終わった後、一旦バックバンドの音が消えた中で、なんとハーディガーディの音色に乗せて1フレーズが歌われる。そして、再びバンドサウンドが再登場。今度はギターの音色がますますぶ厚い。(ティム・レンウィックまで入った)トリプルギターか? おっ、コーラスハーモニーを付けてるのはクレジットにあったニック・ジョーンズの声? とすると、この泥臭いフィドルもニック・ジョーンズ自身ってこと? 最後は、ドローンノートの印象的なハーディガーディの伴奏に乗せて最終節が歌われた後、馬車(死刑囚を乗せた/
これも後日知った事)の轍が砂利を踏む音が目の前を左から右に通り過ぎる音で終わる。

 とりあえずA面を聴きジャケットの表裏を見たところで当時の私が理解できたことは、このアルバムはシャーリー・コリンズという女性シンガー(多分、私が彼女の名前を知ったのもこの時が最初だったと思います。)をフューチャーして、あのアシュレイ・ハッチングスが多彩な仲間たちを集めてプロディースした、新しいエレクトリック・トラッド・アルバムだ、ということでした。アルビオン・カントリー・バンドというバンド名が、アシュレイの下に参集したそれらの多彩なミュージッシャンを総称した名称であろうということも大方推測できました。

 レコード室の前というのは、同時にお店への出入り口でもあるので、その場で二つ折りのジャケットを開いて見開きに書かれたそれぞれの曲のクレジットを見ることはちょっと無理があります。ですから、こまかいクレジットを実際に目にしたのは、後日、自分自身でこのアルバムを入手してからだったと思います。そこには、先ほどの25人が様々な形で演奏に関わっている姿が見えてきました。

 B-1“Van Dieman's Land”では、Nothumbrian Small Pipes がバックに流れますが、これも私がこの楽器の音色を実際に聴いた最初の経験だったと思います。
 しかし、それよりもなによりも当時の私を悩ませたのは、
High Level Ranters のメンバーとして北イングランドを拠点に活躍するコリン・ロスが、南イングランドを拠点とするアシュレイが主催するこのアルバムに、何故参加しているのか? という謎でした。
 
“No Roses”の翌年の1972年にリリースされたアルバムの中で、コリン・ロスの不思議な動向がもう一つありました。それは、スコットランドの女性シンガー、レイ・フィッシャーのアルバム“Bonny Birdy”(Trailer LER 2038/1972)にも登場しているということです。
 生粋のスコットランド人であるはずのレイのこのアルバムには何故か北イングランド人のコリン・ロスがやはり Northumbrian Small Pipes で参加しているか? そして、さらに不可解だったことに、このアルバムにはアシュレイを始めとするスティーライ Mark 2 のメンバーが揃って参加していることとでした。
 実はこの2つの謎は、1977年のイギリス旅行の際、ニューキャッスルにコリン・ロスさんを訪ねた時に両方とも一緒に氷解しましたが、その顛末については、次に取り上げる
“Bonny Birdy”で紹介します。

 B-2“Just As The Tide Was A 'Flowing”では、とうとうマディー・プライヤーまで登場してコーラスを付けています。なんと贅沢な…。

 B-3“The White Hare”では、渋い渋いラル&マイク・ウォータースンがコーラスをリードしてモリスダンスでダンサーの足に付ける鈴でリズムを取って始まります。3節を歌い終わったところで、大地を揺るがす様なアシュレイのベースノートに乗って、ニック・ジョーンズのフィドルにトンプソンのギターが唸る。
 この曲でのシャーリーはコーラスの一員に徹しているので、まあこの曲は1972年のラル&マイク・ウォータースンの名作エレクトリックアルバム“Bright Phoebus”に入っていても違和感ないようなナンバーです。

 B-4“Hal-An-Tow”は、メロディオンの伴奏と、間奏には Jew's Harp(いわゆる口琴)と再びハマー・ダルシマーが登場するのったりとした雰囲気のイングランド風コーラス曲。

 B-5“Poor Murdered Woman”は、トンプソンとニコルのエレクトリック・ギターが左右から包み込むように盛り上げる、アシュレイの土を掘り起こすかのようなベースとマタックスのいつもごとく几帳面なドラムによって、これ以上無い程上質なエレクトリック・トラッドナンバーとして仕上げられているこの曲で、この比類なき傑作アルバムは締めくくられます。

 よく言われる「無人島に持って行くアルバムを1枚だけ選ぶ」というような仮定に従って、'70年代ブリティッシュ・トラッドに限って選ぶとしたら、私の1枚はやはり出会ってから35年が経過するこのアルバムをおいては他にはあり得ないってことになるでしょう。


 このアルバムの見開き一杯に広がる風景は、当時アシュレイとシャーリーが生活の拠点としていた、南イングランドの Etchingham 村の付近の風景であることは、疑うまでもありませんでした。
 そして、この村の名前は、後日の彼らのアコースティック・バンド
Etichingham Steam Band の名前の由来になっているのはご存知のとおり。

 私はこの見開き写真を最初に見た瞬間に「う〜ん、これぞまさにイングランド! いつかきっとこんな風景を自分の目でしかと確かめてみたい!」と、強く思いました。

 松平さんが1993年にリリースされた国内盤のライナーノーツ「1971年、見開きオリジナル・ジャケットの内側の写真を見て、『この音楽は只ならない』と緊張したのを覚えている。英国の風土を象徴するような、なだらかな草原と濃い緑の木々。そこを寄り添って歩く、シャーリー・コリンズとアシュレイ・ハッチングス。両人が結婚していたことはやや後で知ったが、この写真は意味深長なインパクトをもっていた。」と書いていたことは、実は松平さんの没後、浜野智さんたちのご尽力で松平さんの残した膨大な文章がデジタル化されるまで知りませんでした。生前の松平さんとこの写真の話をしたことは無かったのですが、あの当時、同じ見開き写真を見て、松平さんも私と全く同じような強烈なインパクトを受けていたことを知って、妙に嬉しくなりました。

 私は1977年にイギリスを訪ねた際に、なんとかしてこの村を訪ねようと思いました。今のようにグーグル・アースなんて便利なものがある訳ではないあの時代、ロンドンの本屋で買ったロードマップをめくって Etchingham の村を探します。目指す Etchingham の村は古戦場として有名なドーバー海峡に面した Hastings に向かう A-21 ロードからほんの少し外れた場所にあるようです。早速、ロンドンでレンタカーを借りると、一路南へ向かいました。

 そして、念願かなって、 Etihingham 村に到着。正にあの見開きの写真そのままの風景が目前に広がっていました。私はその風景をしかと目に焼付け、そして、彼らと同じ空気を胸一杯に吸い込みました。なんとも幸せな気分でした。
 小さな村ですから、村の誰かに尋ねれば彼らの家を見つける事も決して難しい事ではなかったと思いますが、それではまるでストーカー。ごく近くに辿り着きつつ、あえてそんなデリカシーに欠ける行為をせずに帰って来るのが《粋》というものでしょう。

 後日、アルビオン・ダンス・バンドのコンサート会場で、念願かなってシャーリーと言葉を交わした際に、過日、Etchingham の村を訪ねた事を伝えた言葉に、彼女が満面の笑みで応えてくれたのがなによりのご褒美でした。

 アルビオンのライブ会場まで遠路はるばる会いに来てくれた上、わざわざ自分の住んでいる村まで訪ねてくれたのが余程嬉しかったのか、その後、彼女はロンドンでの私の滞在B&B宛に、当時は公式にはリリースされていなかったフェアポート・コンベンションの“Heyday(1968〜1969)”とタイトルされたカセットテープを送ってくれました。

 そして、同封されていた自筆の手紙に書いてあった彼女たちの住まいはなんと“Red Rose”という素敵な名前でした。
 アルビオン・ダンス・バンドのコンサートの中盤、彼女は万雷の拍手で迎えられながら登場すると、最初にボブ・コッパーの持ち歌
“Bonnie Bunch of Roses”を無伴奏で朗々と唱い上げました。
 イングランドの国花である《Rose》は、彼女にとって特別の意味を持つ花なのでしょう。私にとっては(そして、多分、松平さんにとっても)彼女こそまさに《バラ》の花ですが…。


#14/2007/8/1
Ray Fisher “The Bonny Birdy”(Trailer LER 2038/1972)

(from“OAK-British Trad Reviw”No.1/Aug.28th.1977)


 有名なフィシャー・ファミリーの一人、Ray Fisher の1972年製作になる、現在まで唯一のソロ・アルバムです。
 この生粋ののスコッツである彼女のアルバムに集まる豪華なミュージシャンの顔ぶれは、長い間筆者の頭を悩ましていました。
 というのも、クレジットを見て分かる様に、そのミュージッシャン達は
Bobby Campbell を除いて全員がイングリッシュであり、しかも同じイングリッシュでも、Steeley Mark 2 の4人という南方系の人々と、Colin Ross, Alister Anderson の2人の High Level Ranters たち、そして、ノーサンバランドの有名な Mandlin や Cittern の製作者である Stefan Sobell とその夫人 Liz、という北方系の人々が同じアルバムに集まっているのです。
 一体、この不思議な組み合わせは何故なのか? 
 唯一の手掛かりは
Colin Ross Ashley Hutchings のプロディースした Shirley Collins“No Roses”で Northumbria Small Pipe を演奏していたということ位ですが、それとてスコッツである Ray Fisher のアルバムに、このように大勢のイングリッシュが集まったという事の謎を解くものではありません。

 しかし、長年筆者を悩まして来たこの謎も、この春イギリス旅行した際、ノーサンバランドに Colin Ross さんを訪ねた時、全てが明らかになりました。何と、Colin Ross と Ray Fisher は夫婦だったのです。
 スコットランド北西の島、スカイ島の出身であるという生粋のスコッツの
Ray Colin Ross と結婚するとともに、ボーダーを越えて彼の生まれ育ったノーサンバランドに移り住み、現在はそこに、中学生に成長した長男を筆頭に3人の子供たちと一緒に幸福な家庭を築いているのです。

 Ray の夫の、Colin Ross さんは非常に視野の広い人物で、自身は High Level Ranters の一員として、また、Northumbrian Small Bagpipe の卓越した演奏者と同時に製作者としても、North -East の音楽を専門としていますが(また、彼は Northumbrian Small Pipers Society の Chairman でもあり、また、Newcastle にある Bagpipe Musiam の館長もしています。)、その様な立場を離れれば、広くブリテン島全体のトラディショナル・ミュージックを愛好し、沢山のフォーク・シンガーたちと広い交流があるそうです。
 
Ashley Hutchings の一連のプロジェクトに対して、非常に高く評価していて、何か手伝いたいと考えていたとのことで、その一つの表れが“No Roses”Albion Country Band への参加だという事です。
 その様な事から、このアルバムの顔ぶれは
Ray Colin の関係、そして、2人の広い交友関係から理解できる訳で、筆者の長年の疑問もすっかり解けたのです。


 さて、多くのイングリッシュが参加して出来たこのアルバムですが、その内容は紛れも無くスコットランドそのもので、彼女の兄の Archie Fisher やつい先頃、夫の Artie Trezise と共にデュエットでデビューして妹の Cilla Fisher のアルバムと同じく、スコットランド民謡の味わいを十分に堪能できるもので、さすがフィシャー・ファミリーのアルバムならではといえるものです。
 取り上げられたバラッドやソングも、また、Ray のシンギングも生粋のスコッツならではというものです。
 特に
“Mill o'Tifty's Annie”(“Andrew Lammie”とか“Trumpeter of Fivie”というタイトルでも知られています。)や、彼女のフェイバリット・バラッドでもある“The Great Silkie of Sul Skerry”、そして、タイトル・チューンの“Bonny Birdy”(“Matty
Groves”と同じテーマを持つバラッド。)などは、スコティッシュ・バラッドの真髄とも言うべきもので、彼女のシンギングに相応しく、バラッド・シンガーとしての
Ray Fisher の素晴らしさを余すことなく伝えています。
 中でも、
“Bonny Birdy”をハイランド・ダンス・チューンである“Devil in the Kitchin”という Strathspey(ストラスペイ)のメロディーに乗せて歌ってしまうのは圧巻で、彼女が生粋のスコッツであることを強く感じさせるものです。

 もう一つ、彼女が生粋のスコッツであるということを感じさせるのは、そのスコットランド方言の歌詩と発音です。普通の英語とはかり違うので、なかなか理解しにくいかもしれませんが(日本でも地方の方言はなかなか分かりにくいのと同じで、イギリス人-イングリッシュ-にとっても、スコッツ・シンガーの歌はなかなか聴き取れないそうです。)やはり、バラッドはその詩が分かってこそ本当の良さが分かるので、そこまで鑑賞して欲しいと思います。

 そこで、バラッド・シリーズ No.1 として、東野さんに“Mill o'Tift's Annie”を取り上げてもらったので、どうぞご鑑賞を。また、このバラッドは、Dick Gaughan の入っている“Boys of the Lough(ボーイズ・オブ・ザ・ロック)”の1stアルバム(Trailer LER 2086)に“Andrew Lammie”のタイトルで収められているので、Ray Fisher に対するスコッツ・シンガーの雄、Dick Gaughan の歌いっぷりも同時に聴き比べると興味深いと思います。なお、“The Great Silky of Sul Skerry”は、東野さんの書いたバラッド集“BALLAD”に収められているので、お持ちの方はそれを参照して下さい。


※タイトルクレジットの下に書いた通り、この文章は30年前にブリティッシュ・トラッド愛好会の機関誌“OAK-British Trad Reviw”No.1(1977/8/28発行)に書いた手書きの文章を、明らかな誤植等の修正を除きそのままデジタル化したものです。書かれているのは30年前当時の内容であることをご了解下さい。


#15/2007/11/1
Sandy Denny “The North Star Grassman and The Ravens”(Island AML(i)-1011/1972/国内盤)

 私がブラック・ホークに通い始めた時期は #02 で書いたとおり1971年初頭の頃ですから、その時、既にサンディ・デニーはフェアポート・コンベンションを脱退していていました。その後、彼女は夫君トレバー・ルーカス等と結成したフォザリンゲイを経て、1st ソロアルバムとしてリリースしたのが、このアルバムです。

 私の手元に有るのは国内盤なので、リリース・デイトは1972年となっていますが、本国でリリースされたのは、1971年9月ということ。つまり、ヤマハ渋谷店経由で輸入盤をす早く入手していた“ブラック・ホーク”のターンテーブルにこのアルバムが乗るようになったは、本国でのリリースから程ない1971年秋〜初冬の頃だと思われます。

 想像してみて下さい。
 外は枯れ葉の舞う秋が深まった頃。レコードブースのガラス仕切りにセピア色のこのジャケットが掲げられ、そして、いきなり哀愁を帯びた
A-1“Late Nobember”が、そして、またある時は B-1“Next Time Around”が、あの煤けたブラック・ホークの店内に流れ出す瞬間を…。

 多感な17才が思いっきり背伸びしてコーヒーを片手にタバコをくゆらせながら、なんともセンチメンタルでアンニョイ漂う時間を過ごしていたものです。
 あの時代に、“ブラック・ホーク”という雰囲気のあるお店で、このような音楽を繰り返し聴くことが出来た自分は、本当に良い青春時代の思い出を作ることが出来たと、感慨深いものがあります。 

 既に #08 でも書いたとおり、これこそブラック・ホークの雰囲気に絶妙にマッチするアルバム・ジャケットの筆頭格の一枚。そして、このアルバムの場合、もしかしてあのレコードブースのガラス仕切りが二つ折のジャケットを左右一杯に広げて掲げることが出来たとしたら、間違いなく唯一無二の存在として他には比類すべきものは無かったでしょう。
 当時のトラッド関連のアルバムの中で、このアルバム程、LPレコードならではのジャケット・デザインの自由度を活かして印象深い作品となっているものはありません。

A-1. Late November (Sandy Denny)
 
→アルバムのA面1曲目にこのような《陰》のある曲を持って来る、というセンスがたまらなく好きです。
A-2. Blackwaterside (Trad.)
 
→このアルバムで唯一のトラッド。当時既に、アン・ブリッグスの歌唱で完璧なイメージが出来あがっていた有名なこの曲ですが、それとは全く異なった意味で一つの世界を作り上げた名演です。
 このアルバムは、全編に渡ってトンプソンのギターが光っているのは、今さら言うまでもないことですが、特に
A-1 、この曲、そして、次の A-3 などで聴ける彼の伴奏&間奏の印象的なフレーズは、30数年の時を経た今でも私の耳にしっかり残っています。
A-3. The Sea Captain (Sandy Denny)
A-4. Down in the Flood (Bob Dylan)
 
→当時も今も、私はこのような曲は本当に苦手です。天敵曲その1。
A-5. John the Gun (Sandy Denny)
 
→同時代のリチャード・トンプソンの“Old Changing Way”“Poor Ditching Boy”などと並ぶ、「コンテンポラリー・トラッド」の大傑作。間奏で聴けるバリー・ドランスフィールドのイングリッシュ的に泥臭い(湿気のあるという意味)フィドル・ソロは、No Roses“Murder Of Maria Marten”のラスト・パートのニック・ジョーンズのフィドル・ソロとともに、今でも耳に残る印象的な演奏です。

B-1. Next Time Around (Sandy Denny)
 
→イントロのマイナー調のピアノの音色が流れた途端に、私の心は“ブラック・ホーク”の店内から一瞬で陰鬱な冬の空のイングランドに瞬間移動していました。
B-2. The Optimist (Sandy Denny)
B-3. Let's Jump the Broomstick (Charles Robins)
 
→天敵曲その2。
B-4. Wretched Wilbur (Sandy Denny)
 
“ブラック・ホーク”の椅子で身を堅くしてなんとか我慢していると、直ぐにこのような私好みの素晴らしい曲で救ってくれるから助かりました。
B-5. The North Star Grassman and the Ravens (Sandy Denny)
 
→タイトル曲に恥じない名曲中の名曲。それにしてもタイトル曲なのに、何故かこんなところにあるのか当時から不思議でした。
B-6. Crazy Lady Blues (Sandy Denny)


#16/2007/11/1
Sandy Denny “Live at The BBC”(Universal-Island Records/2007)

 レッド・ツェッペリンやペンタングルの例を出すまでもなく、BBC が60〜70年代に当時の様々なミュージシャンの演奏をスタジオや劇場でライブ録音した蔵出し音源は、そられのミュージシャンの古くからのファンたちにとっては、まさに垂涎の的のコレクターズ・アイテムとして珍重されます。

 今回取り上げるのは、2007年10月中旬にリリースされた、サンディー・デニーのそのようなレア音源集。といっても、その構成は CD3枚+DVD1枚のボックスセットとなっていて、DVDにはなんと《動く》サンディー・デニーが写った映像が収められているという、正真正銘のレアな音源&映像集なのです。

 私は知らなかったのですが、実はこのようなサンディー・デニーの BBC ライブ音源集としてはちょうど10年前の1997年に“THE BBC SESSIONS 1971-73”というCD アルバムがリリースされそうです。ところが、このアルバムは発売直後に遺族の反対等の諸事情により回収されてしまうという残念な結果になってしまったということです。今回のものはその時の編集者によるリベンジ・リイシューといった風情で、以前よりもさらに一段と内容充実させて再登場したようです。


 実は、私がサンディー・デニーの音楽をまともに聴いていたのは #15 で取り上げた“The North Star Grassman and Tne Ravens”から、せいぜい第2作の“Sandy”辺りまでで、第3作の“Like An Old Fashioned Waltz”になると、そのメルヘンチックなデザインのジャケットと甘ったるいストリングス仕立ての曲調に辟易して、殆ど聴かずにお蔵入りさせてしまいました。そしてその後、音楽志向がさらにディープになるに従い、ほぼ30年以上、サンディー・デニーの音楽そのものを全く聴いたことがありませんでした。
 それは、今年5月にふと思い立ってターンテーブルを引っ張り出し、古い LPレコードを聴ける環境を整えてこの My Roots Music のコーナーを立ち上げた後も同様でした。特段、サンディー・デニーを聴く気にならなかった、というのが正直なところです。

 ところが、先日、ブリティッシュ・トラッド愛好会の設立に至る経緯について書かせて頂いた「ブラック・ホーク伝説」の出版を真近に控えた10月下旬、私がこのコーナーを立ち上げるきっかけとなったかの“discunion 新宿ルーツ&トラディショナル館”のブログで、このボックス・セットがリリースされた旨を知り、「うん、これは『ブラック・ホーク伝説』に目を通す時にバックで流す音楽としては最適じゃないだろうか。」と思い立ち、急いで買いに行った次第でした。


 私は、昔から私が趣味とするような音楽に於いては《ストリングス・アレンジ》ってのがどうも好きになれません。せっかくの素晴らしいメロディーが要らずもがなのストリングスによって台無しになってしまうことがあるからです。ストリングスが入っているために「あっ、こりゃダメだ。好かん。」と思っていた曲が、実はストリングスを外した生の原曲は大変良かった、なんてことがあります。自分は耳がそれ程良く無いので、ストリングスが入っていると原曲の良さを聴き分けられないんですね。

 私の中でそのような意味で最も大きな再発見例は、ビートルズの“The Long And Winding Road”です。“Let It Be ... Naked”で聴くことが出来る、フィル・スペクターによる過剰な《ストリングス・アレンジ》を取り去った生の原曲は、ポール・マッカートニーならではの素晴らしい曲でした。私がビートルズの曲の中で最も嫌いだった曲が一転してごく好ましい曲になったのです。《→音のある暮らし2003年12月

 サンディー・デニーもソロ・アルバムでは結構《ストリングス・アレンジ》を加えた曲があって、当時から私としてはその辺がイマイチ乗り切れない部分でした。
 それでも、1st の
“Next Time Around”“Wretched Wilbur”、2nd の“The Lady”などまでは、原曲の良さがスポイルされ尽くす程でないので、なんとか聴いていましたが、さすが 3rd アルバムになると着いて行くのが辛くなっていました。A-1“Solo”はともかくタイトル曲の A-2“Like An OId Fashioned Waltz”に至ってはもう「天敵! バ〜ツ! 死ぬ〜ッ!」って感じ。多分、3rd アルバムはその時点で完全に封印したんだと思います。そんな訳でこのアルバムについてはその他の曲の印象は今では殆ど残っていません。

 つまり、私にとってのサンディー・デニーは、トンプソンやスォブリック、あるいはせいぜいジェリー・ドナヒューまでのバックアップで(もちろんストリングス抜きで)のパフォーマンスが最も望ましいと思っていたのです。
 そういう意味から言うと、この BBC ライブの音源が、その殆どがバンドでのパフォーマンスではなくて、サンディー自身のピアノとギターの弾き語りだということを知った時には、正直言って少々「?」っていう気持ちでした。


 ところが、それはとんでもない思い違いでした。
 サンディーの弾き語りはなんと素晴らしいことでしょう。過度な装飾どころか、殆ど曲がピアノ一台、ギター一本という最低限の伴奏で歌われることによって、彼女の手になるオリジナル曲の素晴らしさが100%ダイレクトに伝わってくるのです。この人は元々声量のある人ではないと思い込んでいましたが、それも大いに間違った思い込みでした。弾き語りで歌う彼女の張りのある声の力強さには完全に圧倒されました。

 “Late November”“The Sea Captain”“John The Gun ”“It'll Be A Long Time”“It Suits Me Well”というように、トンプソンのギターや他のソリストたちの卓越したバッキングが印象的だった曲でも、実は彼女の弾き語りの方がさらにインパクトが強い。また、オリジナルではリズムを強調したアレンジが施されていた“Bushes And Briars”“Sweet Roasmary”のような曲もギター1本の伴奏で歌われる方が明らかにジ〜ンと来る。どの曲もこのような形で歌われることによって、彼女の意味深い歌詩が直接的に心に響いてくるのです。Disc1-9 “It Suits Me Well”の名唱は涙無しには聴けません。

「あのようなバッキングは要らなかったのか?」と、ちょっと複雑な気持ちがしてきます。

 さらに嬉しい再発見は、あの要らずもがなの《ストリングス》でスポイルされつくしていた曲々が、見事に原石の輝きを放っていることです。
 私が悶絶死しかけた
“Like An OId Fashioned Waltz”も印象は天地のように全くひっくり返りました。これなら逆に安楽死できる。そして、ストリングスが入っていもまあ我慢できる範囲だった“The Lady”“The Music Weaver”は、本来の輝きを益々強く放つようになり、比類するものが無い程にしっとりとした印象的な曲として、心に響きます。

 ところで、こういうレア音源に欲張りは禁物ですが、可能だったらフォザリンゲイのアルバムで私が唯一忘れられない曲“Winter Winds”もこんな形で聴きたかったと思いました。

 そして、私にとってこのボックスセットの中でのベストテイクは Disc1-13 の“Solo”です。このパフォーマンスで聴ける彼女の歌声、そして、迫力ある音色のピアノ演奏は、それだけでもこのボックスセットを購入した意味が有るというものです。
 Disc1 には、もうワンテイク、ラストにバンドバージョンの“Solo”も収録されているのですが、多分、その音源しか入ってなかったとしたら、これだって十二分に感涙モノなんですが、弾き語りバージョンを聴いた後では、残念ながら途端に陰が薄くなってしまいます。

 私がこの“Solo”に特別に惹かれるのは、この時、彼女が正に《ソロ》で浪々と唱い上げるこの詩の内容と、ブリティッシュ・トラッドと私との関わり方にどこか共通するものがあるからなのかもしれません。私のこの20年間のトラッド人生ってのは、正に一人ぼっちですから…。

I've just gone - Solo, Do you play - Solo, Ain't life a Solo,


 1972〜3年当時の日本には、サンディー・デニーのこのような弾き語りスタイルのソロパフォーマンスの音源そのものどころか、彼女がそのようなスタイルでソロ活動をしていたという情報すら伝えられていませんでした。ですから、私はサンディー・デニーの実像を今回この音源を聴いて初めて認識しました。実に35年ぶりに再認識です。

 そして、サンディーのこの素晴らしい BBC Live の音源を聴いて強く想うことは「松平さんにぜひともこの音源を聴かせたかった。」ということです。そして、松平さんは何て言うだろう?
 きっと、私のように大げさに感情を表すのではなくて、あくまでもいつもの松平さんの通りで、クールに
「う〜ん、このサンディー・デニーは良いですね。やはり、シンプル・イズ・ザ・ベストですね。」ってな感じで、ニヤリと笑うんでしょうか?