パイパー森の音のある暮らし《2007年5月》
2007/5/1
(火)

タリスカー

 今から30年前の1977年、スコットランド旅行に旅立とうとしていた私は、東京パイピング・ソサエティーの山根さんから3つの用事を頼まれました。

 一つは、ニューカッスル郊外在住のノーサンブリアン・スモール・パイパー&メイカーであるコリン・ロスさんに、コルグのクロマチック・チューナーを届ける事。何年か前に山根さんがロスさんを訪ねた際にプレゼントしたものをロスさんが大変気に入られて、ぜひもう一台欲しがっていたそうで、たまたまタイミング良く私が渡英することになったため、運び役を仰せつかった訳です。当時このチューナーを現地で入手しようとしたらとんでもなく高価だったのです。

 そして、もう一つは、エディンバラのタータンショップで山根さんご自身用のデイ・ジャケット(サイズ指定)を入手してくること。

 これらの2つの用事は無事に果たす事ができたのですが、実は3つ目の「森さん、ぜひ『タリスカー』というスカイ島のウィスキーを買って来て下さい。これが、美味いんだよね。」という用件だけは、結局果たす事が出来ませんでした。


 そして、それ以来、私の頭の中には「タリスカー」という名前がきっちりと刻み込まれていました。その当時もそれ以降もアルコールにはからきし弱い私は、当然ながらウィスキーについても全く疎いので、ずっと後になって知ったのですが、「タリスカー(Talisker) 」はスカイ島で唯一の醸造所で生産されるシングル・モルト・ウィスキーの銘柄です。
 スペイ川沿岸を中心にハイランド各地には(島嶼部も含めて)ウィスキーの醸造所が沢山あり、それぞれ個性的なシングル・モルト・ウィスキーを生産している訳ですが、ピーブロックの聖地であるスカイ島には、何故かたった一ヶ所しか醸造所が無いのです。

 そんな「タリスカー」を私が実際に味わったのは、それからなんと27年後の事でした。それは、2004年の夏に大阪パイピング・クラブの T.M. さんが来京して下さった際です。
 最寄りの貸しスタジオと多摩川のいつもの場所で入手したばかりの Dunfion のパイプの音色をお聴かせした後、自由ヶ丘のアイリッシュ・パブで夕食、その後、仕上げに寄ったのが、そのアイリッシュ・パブから程近い場所にあるその筋では有名なシングルモルト・バー“Speyside Way”でした。
 お酒にはとんと疎い私でも、シングルモルトの有名な銘柄の幾つか位は知っていますが、この際オーダーするのは「タリスカー」をおいて他にありましょうか? なんといったって、日本を代表するピーブロック愛好家3人の内2人(自意識過剰?)が会して、存分にピーブロックを堪能した後なんですから。

 いや〜、それにしても、その時の「タリスカー」の美味かったこと。27年前に山根先生がおっしゃったことの意味が初めて理解できた瞬間、そして、パイパー森がスコッチ・シングルモルトの美味しさに目覚めた瞬間でした。


 27年前と違うのは、今やネットショッピングで我が家のリビングに居ながらにしてどんなシングルモルトでも容易く手に入るということ。“Speyside Way”での印象的な目覚めからは大分経過しましたが、山根さんに買って来る様に依頼されてからちょうど30年目の今年2月、私はネットショップで「タリスカー」を購入しました。なんと一番安い10年ものなら 2,980円というお手頃価格でした。

 相変わらずアルコールにはそんなに強くないので、飲むのはごくたまですし、量もブランデーグラスの底の方にほんの10ミリ程度。
 でも、ほんのそれだけでも、グラスを揺らすだけでスカイ島のピートの香りに満ちた豊潤なモルトに鼻腔をくすぐられ、心はあっという間にスカイ島へ瞬間移動。
 そして、アルコール燃費の抜群に良いパイパー森は、たった10ミリの「タリスカー」をその豊潤な香りを堪能しながら、たっぷり時間を掛けて飲み干す頃にはすっかりほろ酔い気分になり、常に座右に置いてある Dunfion “Dirk Handle Style Chanter”を手に取り、本体のブラックウッドをオイルを含ませたクロスで拭き上げては Dirk Handle の彫り込みを愛で、そして、ケルティックな組紐模様が彫り込まれたシルバーを銀磨き用クロスで磨き上げては、遥かなるハイランドに心を馳せるのです。

2007/5/3
(木)

ワックスド・ヘンプづくり

 パイパー森が山根さんに出会った頃のパイピングライフ話題からもう一つ。

 バグパイプをメンテナンスする上で最も欠かせないモノと言えば、なんといってもヘンプ(hemp/亜麻糸)でしょう。各ジョイント部分の巻き直しの際には大量に使いますし、木部やヘンプ自体の吸湿程度に応じて微妙に調整してジョイント部分をスムーズに動かせるように保つため、あるいはリードの音程調整の際など、日常的にも毎回のようにお世話になるモノです。

 さて、そのヘンプは一巻きせいぜい数ポンドですし、今では、パソコンに向かって数クリックするだけで数日後には自宅のポストに投げ込まれるってな具合に、いとも簡単に入手できてしまうので余り有り難みは感じられませんが、以前はこのような値段の安いモノ程、購入するのが面倒臭く思えたものです。
 なぜなら、海外から何かを購入する手間と経費は購入しようとするモノの単価に関わらず同じなので、そのモノの単価が安い程その手間と経費が大きな負担に感じられる訳です。
 例えばヘンプ一巻きを購入しようとしたら、送料と送金手数料(郵便為替が最も安かったですが、それでも確か1000円はしたと思います)などの経費を入れると、購入に掛かる費用は単価の2〜3倍になってしまうことでしょう。
 さらに、その前には単価と経費の合計金額を問い合わせる手紙をタイプしてエアメールで送らなくてはなりません。そして、返事が来るまでに1〜2週間。指示された経費を郵便局に出向いて送金し、荷が届くまでにさらに1〜2週間。たった一巻きのヘンプを入手するのに最低でもほぼ一ヶ月掛かりの大仕事になってしまうのです。


 最近では、普通のイエロー・ヘンプワックスされたイエロー・ヘンプ、25g巻きや50g巻きってな具合に、オンライン・カタログには様々なヘンプが載っています。さらに、ここ10年程前からはブラック・ワックスド・ヘンプも当然の様に取り扱われています。
 しかし、当時はヘンプといえばワックスされていないイエロー・ヘンプだけでした。ですからジョイントなどではヘンプを巻いた後にヤマハのコルクグリスを丹念に塗り混んで防水性を高める必要がありました。山根さんが使われていたのも当初はそんなヘンプだけでしたが、山根さんはある時、ロール全体がしっとりとロウ引きされたヘンプを持って来られました。
 「どうされた(どうやって作った)のですか?」と問うと、いつものニコニコした笑顔で「ロウで煮るんですよ。」と事もなげにおっしゃられました。そして「森さんも、一つ、どうぞ。」と真新しくロウ引きされたヘンプを一巻き譲って下さいました。私は宝物でももらったかのようにひどく嬉しくなって、家に帰って早速あちこちのジョイントを巻き直ししたのを覚えています。ワックスド・ヘンプの効果は絶大で、以降はコルクグリスの出番は大幅に減りました。

 その後、ほどなくして CoP のカタログにも、ワックスド・ヘンプ(waxed hemp)がリストアップされる様になりました。そしてある時、とあるオンライン・カタログに、ビーズ・ワックスド・ヘンプ(beeswaxed hemp)というのがあるのに気が付きました。蜜ロウを使ったワックスド・ヘンプです。どうやらこれの方がさらに良さげです。
 早速取り寄せてみたところ、山根さんから頂戴した普通のワックスド・ヘンプとは違って、美味しそうな蜂蜜の甘〜い香りがしてなんともナイスです。…で、それ以降、私が取り寄せて使うのはビーズ・ワックスド・ヘンプ、オンリーとなりました。

 蜜ロウの美味しそうな香りにすっかり味をしめてしまった私は、ある時 CoP のオンライン・カタログに beeswax の固まりがあるのに気が付き、あれやこれや注文した際についでにこれも頼んでみました。手元に届いたのは、小振りのチョコバー程の固まり。匂いを嗅ぐと例の美味しそうな蜂蜜の香りがします。

 さて、その蜜ロウの固まりが、私のツールボックスに入ってからもう10年程経つでしょうか。一方、同じツールボックスの中には、ワックスド・ヘンプが一般的になってからすっかり出番の無くなったワックスされていないヘンプが一巻き、手つかずのまま放置されていました。
 …で、五月の爽やかな風に誘われて、GWの連休中のお楽しみパイプ・メンテナンス作業として、20数年前に山根さんがやっていたワックスド・ヘンプづくりにトライすることにしました。
 具体的な作業手順は山根さんに聞いていないし、今時こんなことをやる人もいないのか、例の Andrew さんのサイトにも手ほどきされてないので、山根さんの「ロウで煮るんですよ。」の一言から、私なりに想像して次の様な手順でやってみました。


 まず、小振りの雪平鍋を用意します。キッチンばさみで小さく掻き砕いた蜜ロウを適当な量だけ鍋に入れ、ガスコンロに掛け弱火で温めます。琥珀色した蜜ロウの破片は程なく解けて透明な液体になり、風薫る五月のキッチンには蜂蜜の甘〜い香りが充満します。鍋をガスコンロから下ろし、朝食の時に使うロウソク式のティーウォーマーの上に移します。優しく温め続けながら、鍋を傾けて鍋の片隅に液化して透明になった蜜ロウの池を作ります。そこにヘンプをロールごと浸すと、解けた蜜ロウは乾き切ったヘンプにまたたく間に染み込みます。時々ロールを回してまんべんなく蜜ロウが染み渡る様に施し、ロール全体にたっぷりと蜜ロウが染み渡ったところで、いと香(かぐわ)しき手作りビーズ・ワックスド・ヘンブの完成です。チャンチャン! 大成功でした。


 私自身は決して嫌いではないのですが、家人にとっては言うまでもなく堪え難いと思われるあの独特の匂いのするシーズニング作業は、ドアを閉め切ったバスルームの中で換気扇を回しながら行なうのが常です。そして、その度、まるでイングランドの迫害から逃れて山野をさまようハイランダーにも似た悲哀を感じる所です。
 それに対して、世の中の大多数が好ましいと思うであろう蜂蜜の香りをキッチンの中に充満させながら行なうワックスド・ヘンプ作りは、パイパー森のパイプ・メンテナンス作業の中では珍しく家人の前でも堂々と行なえる行為だということが大いに気に入りました。

 今回のロールは25gのロールでしたが、それに使った蜜ロウは固まりの1/3程度でした。ということは、あと50gロール一本分程の蜜ロウが残った訳ですが、ツールボックスにはもうワックスしていないヘンプがありません。次に何か注文するときに、新しいヘンプも取り寄せて、またいつかこの香(かぐわ)しい作業をすることにしましょう。

 …といっても、実はもう既に当面使いきれない程の量のワックスド・ヘンプがあるのですが…。仕方が無いので、ドローンのジョイントを全部巻き直しましょうかね〜。

2007/5/5
(土)

SNP が勝利!

 今年1月のこのコーナーで書いた、さる5月3日に実施されたスコットランド地方議会の選挙結果です。次のとおりだそうです。行方が楽しみですね。

【アバディーン/英国 5日 AFP】
 英国放送協会(BBC)が伝えるところによると、3日投票の英地方選挙・スコットランド議会選挙で、スコットランド民族党(Scottish National Party、SNP)がトニー・ブレア(Tony Blair)首相率いる与党・労働党(Labour party)を抑えて勝利した。

 全129議席のうち、SNPが47、労働党が46、保守党(Conservative Party)が17、自由民主党(Liberal Democrats)が16議席を獲得し、残り3議席を他の政党が分け合った。ただし、獲得議席数の公式発表は、新投票システムの不具合や処理の遅れのためすぐに出されなかった。

 この結果、50年におよぶ労働党によるスコットランドに対する締め付けは終わると見られている。SNPはスコットランドの独立に向けた国民投票を公約として掲げている。

 小選挙区・比例代表並立制のため連立政権となる見込みで、医療や教育などの分野では権限が限られる。このため、おそらく仲介役となる自由民主党との権力分配交渉に今後数日間が費やされる。

2007/5/26
(土)

LP レコード
の思い出

 先日、最近アコースティック・ギターに凝っている息子が「バート・ヤンシュのレコードが聴きたい。」と言い出したのですが、仕舞い込んだ LP レコードを出して来るのも面倒臭いし、第一もうレコード・プレイヤーをアンプから外して久しいので、「え〜い、この際中古 CD でも買っちまった方が手早いゼイ!」と判断。きっとここならバート・ヤンシュの CD 位何枚か有るだろう、と息子と一緒に“ディスク・ユニオン新宿ルーツ&トラディショナル館”に出向きました。実はこの前に、ディスク・ユニオンと名の付く店に入ったのはもうかれこれ20年以上昔のことですから、「ルーツ&トラディショナル」館なんてのも初めてでした。

 …で、お店に入ってびっくりしたのは、な、なんと、私の家にゴロゴロしているような1970年代のブリティッシュ・トラッドの LPレコードが信じられないような高値で取り引きされていること。
 松平さんとも親しかったというお店のチーフの方に伺うと、その多くは、当時欲しくても買えなかったあるいは何かのタイミングで買いそびれたようなファン、といったような人たちが、お金に糸目を付けずに当時のイギリス・オリジナル盤を求めるのだとか…。
 う〜ん、どうやらヴィンテッジ・ギターなどと同じで、レア物が投機的な値段に高騰しているようですね。
 ヴィンテッジ・ギターの場合なら「59年のレスポールは音色が違う」というようなことは確かにあるでしょうし、稀少価値が高くなる根拠に成り得ると思います。しかし、LP レコードの場合はどうでしょう? 確かにアナログの音を求める人が居るのは知っていますが、かといってスクラッチ・ノイズは避けられないし、扱いはメンドクサイし、何故なんでしょう? 唯一、優れたジャケット・デザインの作品の価値については十分に理解できますが…。とにかく、私は LP レコードというモノはすっかり価値が無くなってしまったのかと思っていました。

 しかし、稀少 LP レコードの高騰の是非はともかく、私が妙に嬉しかったのは、そもそも70年代のブリティッシュ・トラッドを聴くような人種自体が絶滅してしまった、もっと言えば70年代のブリティッシュ・トラッドなんてものが存在した痕跡すら無くなってしまったのではないか?と勝手に思い込んでいたところが、実際は全くそういう状況ではなかったということを知ったことでした。

 考えてみれば、確かに自分自身にとっては、70年代のブリティッシュ・トラッドはあくまでも《あの時》聴いていた音楽であり、現在はもっともっとディープなピーブロックに専念していてそれらの音楽を聴く機会は殆ど無くなってしまっているから、勝手にそのように思い込んでしまったのでしょう。

 あれから30年以上も経過したけど、そんな人種がしっかりと生き延びているんだ!


 …で、世の中がそのような状況であるということを知ったところで、様々な想いが私の頭の中を巡り始めました。

 今年1月のこのコーナーでも書いたように、イギリス史的に言うと2007年はスコットランドがイングランドに併合された1707年から数えてちょうど300年周年の年ですが、一方で自分史的に言うと、今年は私があの松平稚秋さんらとともに“ブリティッシュ・トラッド愛好会”を立ち上げた1977年から数えてちょうど30周年を迎える年です。
 そしてまた今年は、私がこのまま何事も無く生き延びれば、松平さんが亡くなった年齢(53才)になんとか到達することができそうな年でもあります。

 つまり、今年2007年はパイパー森にとって、様々な意味で節目の年だと思えるのです。

 一方、現在の私の音楽生活はまるでピーブロック一辺倒になってしまっていますが、このような私を形作ったルーツ・ミュージックとも言えるのは、何と言っても1970年代に繰り返し聴いていた様々なブリティッシュ・トラディショナル・ミュージックです。
 そこで、あの当時愛聴していた様々な LPレコードをネタに、1970年台初頭から1977年の“ブリティッシュ・トラッド愛好会”設立の前後まで、パイパー森が平均して週に3日毎回3時間余りを過ごしていた“BLACK HAWK”の様子にも折々触れながら、あの頃の思い出に耽ってみるのも一考かと思い立ちました。同時にそれは、松平さんに対する何らかの供養にもなるような気がしたのです。

 即断・即決・速攻が信条である私は、早速、納戸の奥に仕舞い込んであった LPレコードのコレクションをレコード・プレイヤーと共に出して来るとともに、新しく1枚1枚の LP レコードについて想いを巡らせる“パイパー森・My Roots Music”のコーナーを作りました。
 今年8月28日の“ブリティッシュ・トラッド愛好会”設立30周年記念日、9月25日の私の53才の誕生日、10月15日の松平さんの8回目の命日、というそれぞれの節目の日までにどれだけのアルバムについて記せるか分かりませんが、しばらくは気の向くままに当時の LPレコードに関する思い出話を書き綴ってみたいと思います。

2007/5/27
(日)

HAWKER HOUSE

 とにかく気の早いパイパー森は、新しい“パイパー森・My Roots Music”コーナーに専用の掲示板を用意してしまいました。掲示板トップページにはイメージ画像の代わりに“BLACK HAWK”のロゴを入れ、タイトルを“HAWKER HOUSE”(鷹匠が集う家)としました。

 実は、この“HAWKER HOUSE”というお店は一時本当に実在したのですが、今となってはその事実を知っている人は殆ど居ないのではないでしょうか。
 といっても、パイパー森自身もこのお店が実際にいつからいつまでオープンしていたかについて定かに憶えている訳ではありません。ただ、私が“BLACK HAWK”に通い始めて何年かしたある時にオープンした(そして、程なく閉店した?)事だけは確かです。

 このお店は“BLACK HAWK”のオーナーであったMさんが、お酒を嗜むカウンター・バーとして「アフター“BLACK HAWK”を大人の雰囲気でゆったり過ごしてはどうですか?」というようなコンセプトでオープンしたように思えます。
 私は当時の“BLACK HAWK”の客の中では極端に若年だったのであまり典型例とは言えませんが、でも、他のお客さんも大体似た様なもので、一杯のコーヒーで何時間も過ごす様な人ばかりでしたから、「“BLACK HAWK”を出てから、“HAWKER HOUSE”でちょいと一杯。」という風に考える人は殆ど居なかったと思われます。
 しかし、唯一そのような行動を取りそうな人が、“BLACK HAWK”のレコード・ブースの主、松平稚秋さんでした。そして、実際にそうされているようだと、もっぱらの噂でした。

 私自身はたった一度だけしかこのお店に行ったことないので、正確な場所は憶えていませんが、概ね現在のマークシティーの方面だったと思います。
 その時、私は(元々アルコールには強くないし、第一まだ未成年の頃だと思うので)お酒ではなくてコーヒーを飲みましたが、カウンターの中にはMさんとMさんのお姉さんが居て、お姉さんの方が、もう一人のお客のオーダーに応えてフレンチ・トーストを作って出していた様子を何故かひどく鮮明に憶えています。妙なことをしっかりと憶えているものです。人間の記憶って不思議ですね〜。

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