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パイパー森の音のある暮らし《2006年12月》
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2006/12/8
(金) 老壮にも通じる「間合い」の妙 |
いつかも書きましたが、本日12月8日は世界史的には日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争がぼっ発した日。
…ですが、そんな時にはまだ生まれていなかったパイパー森的には、1980年のこの日にジョン・レノンが射殺されたという事実の方が重い意味を持ちます。あれから早いもので26年が経過しました。 ちなみに同じ年の私の誕生日である9月25日には、レッド・ツェッペリンのドラマージョン・ボーナムが大酒を飲み続けた後、自分の吐瀉物で窒息死しているのが発見されました。そして、彼の死を受けて世紀のロック・バンドであったレッド・ツェッペリンは解散したのです。 ロック史的には1980年というのは大きな転換点の年だったのです。 さて、ここに書いたように、私の様なロック中年をターゲットにした 実は、“AERA in Rock”は、最初の号のヒットに気を良くしたのか、半年後の昨年9月に既に“AERA in Rock 2”という続編がリリースされているので、今回のものは正しくは続々編ってところ。 後者は、あの日経系列の日経BP社が“日経エンタテイメント”の増刊号として季刊で定期発行している雑誌です。実は、創刊号がリリースされたのが、2004年10月ということですから、多分この手の雑誌の嚆矢だった訳ですね。 さて、この手の雑誌の中身ってのは読み手も作り手も特段目新しいことを期待している訳ではないのですが、そのような中で一つ、とても新鮮な解釈に出会いました。それは、“AERA ROCK HARD!”の記事「10大ギタリスト解体新書」の中に出て来た、デヴィッド・ギルモア(もちろんピンク・フロイドの…)に関する記事です。 ロック界では俗に、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジを3大ギタリストと呼ぶのはごく一般的です。それに、それ以上の別格の存在としてジミ・ヘンドリックスを加えた4人については、ロック界に残した意義の大きさから、数多のロック・ギタリストの中でも飛び抜けた存在として扱うことについては遍く異論のない所でしょう。 10人の最初はやはりジミ・ヘン。そして、いつもの順序で3大ギタリストが続いた後は、いきなりちょっと意外なカルロス・サンタナ。でも、解説を読んで思わず納得しました。そして、パイパー森がブリティッシュ・トラッド趣味に全面突入する前、小遣いを工面してほんの僅かの枚数だけ厳選して購入したロックアルバムの中の一枚である“アブラクサス”の中の“Black Magic Woman”を繰り返し聴き込んでいた中学生の頃を懐かしく思い出しました。 続いて、順当にギター・キッズの永遠のヒーロー、リッチー・ブラックモア。しかし、お次はキース・リチャーズと来ると。う〜ん、こりゃ渋い。でも、その後に何とポール・コゾフが出て来るとなると、今回の10人のセレクトの基準が決定的に明らかになってきます。 この“AERA ROCK HARD!”の冒頭特集は「初来日物語」なのですが、その中でも書かれているとおり、本場イギリスの本格ハードロックバンドとしては本邦初のコンサートはポール・コゾフがギタリストだった“フリー”のそれでした。 さて、リストの最後を飾るのはスライド・ギターの名手であり、考えてみれば10人の中で唯一の白人系アメリカ人であるデュアン・オールマンですが、その前の9人目がデヴィッド・ギルモアです。 ピンク・フロイドについては、実はリアルタイムで聴いたのは、1970年の“Atom Heart Mother”(日本語タイトル「原子心母」)までなのですが、当時はいわゆるプログレッシブ・ロックの一派として括られることが多かったこのバンドのサウンドは、当時から、バカテク名手達で構成されたエマーソン・レイク&パーマーやキング・クリムゾン、そして、イエスといったその他のプログレバンドとは一風異なった雰囲気があったように思えます。 ■ギターのかっこよさ概念を変えた老荘に通じる《間合い》の達人■ そして、この10人を選んで解説した辣腕プロディーサー&ギタリストは「自分は40才を過ぎて彼の良さに目覚めた。かっこいいリフを弾くだけがロックじゃないんだということを教えてくれたギタリストだ。」と締めくくっています。 実は今年10月にピンク・フロイドの“PULSE”というDVD がリリースされました。110回のコンサートで述べ300万人を動員したという伝説的な1994年のワールド・ツアーの際の映像を収めたものです。当然ですが、そこには80年代半ばにバンドを去ったロジャー・ウォーターズの姿はありません。 “The Wall” コンサートについては言うまでもありませんが、ロジャー・ウォーターズ抜きのピンク・フロイドに於いても、演奏される楽曲の多く、そして、真に聴きごたえある楽曲というのは、コンサートの目玉として全曲演奏される“The Dark Side of the Moon”を筆頭にその殆どはロジャー・ウォーターズが中心になって作った曲です。 しかし、この2つの DVD を観比べて実感したことは、たとえそれがロジャー・ウォーターズのコンセプトによる楽曲だったとしても、それを演奏して《ピンク・フロイドの音楽》と成し得るためにはデヴィッド・ギルモアの《間合い》で空気感を描くギター・サウンドは欠かす事が出来ないということです。 多分、長年に渡る仲たがいを経て、ロジャー・ウォーターズはその事をいやと言う程実感させられたのでしょう。2005年7月に開催された世界規模のチャリティーコンサート“ライブ8”に於いて、ピンク・フロイドが実に28年ぶりにオリジナル・メンバーでパフォーマンスを披露した際、ロジャーは終始上機嫌で嬉しそうな笑顔でした。 さて、今回私が言いたかったのは、ピンク・フロイドがロジャー・ウォーターズのバンドか?、それともデヴィッド・ギルモアのバンドか?、という論争に私なりに結論を出した、というような下世話な話題ではありません。 先月の日記と正に同じ事を言いたかったのです。 |
| 先月の日記や昨日の日記で、私は《間合い》の妙を感じさせる音楽に強く惹かれる、と書きましたが、実はこのことは何も《音楽》に限ったことではありません。遍く《音》全般について当てはまることです。
その事にハタと思い当たったのは、つい先日、イギリスのコッツウォルド地方の「世界一美しい村」をテーマとしたテレビ番組を見ていて、村人たちが教会の鐘を鳴らす様を何気なく見ていた時でした。 それに対して、日本の鐘の音というのは実に対照的ではないでしょうか。 このことに気が付いて思いを巡らせてみると、ピーブロックってのは要所要所で「ゴワ〜〜〜ン〜」っていうような余韻を残した音の溜め方をするによって、情感を込めた表現ができるようになる面があるな〜、と思い至りました。 そして、このように、《間》こそが表現の要となるピーブロックという音楽は、一般的なの西洋音楽の域を超越した実に摩訶不思議な音楽だと改めて実感します。 逆に言うと、ピーブロックを嗜むことが出来る感性を持った西洋人というのは、東洋的な禅や老荘思想に共感を持つ事ができる少数の人に限られるというような気がします。 |
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