パイパー森の音のある暮らし《2006年9月》
2006/9/2
(日)

真夏の夜の夢?

 スケートボーダーであり、かつバイオリン&ハイランド・パイプ練習中である若いお二人のヘルプのために、駒沢公園に出向きました。


 駒沢公園には小学生の頃から40年余り、様々な形で足を運んでいます。もちろん、その頻度には波があって、特に頻繁に通ったのは自分自身が小学生の頃、そして、自分の息子が乳幼児の頃とその息子が自転車で一緒に出かける様になった頃でしょうか。でも、これまで一度も駒沢公園を徘徊したことはなく、今回が初めての経験でした。


 夜の8時を回った公園では、昼間は一番目立つ家族連れやカップルたちは殆ど見当たらず(もっとも夜のカップルは見当たらないところに居るのでしょうが…)、ナイター照明が煌々と輝くグランドでサッカーをやっている一団を除くと、なんといってもいつも元気なランナーたちが最大の人口です。
 また、中には昼間と同じく木陰でサックスなどの練習をしている人も居ましたが、何故か、遠くから我々とは別にハイランド・パイプの音色が聴こえていました。


 さて、主たる目的のパイプの手ほどきの様子はご当人たちに報告して頂くとして、何よりも今回は、パイパー森自身が夜の公園での演奏を心から楽しむことが出来たのが最大の収穫でした。

 いくら広い公園だからといって、フェンスの外はすぐに閑静な住宅街ですし、昼の日差しを避けてひたすら精進する寡黙なランナーたちの数は決して少なくはないだろう、ということは実際に足を運ぶ前から想像して余りありました。

 ですから、最初にお二人が夜の駒沢公園で(バイオリンはともかく)ハイランド・パイプの練習をしようとしている、と知った時には「隣近所や他の利用者に迷惑にならないんだろうか?」というのが正直な思いでした。
 …なので、事前に、その旨メールで尋ねたところ「今のところ、一度もクレーム等を受けたことはないので、大丈夫だと思います。駒沢公園は、警察の方もよく見回りに回っておられますが、私達のように目的が明確な人(楽器やスケートボードをしている人)にはあまり声をかけないです。彼らはむしろ、何もしていないような、怪しい人に注目しているみたいです。」ということでしたが、やはり、行くまでは?が消えませんでした。

 ところが、40年間見なれた鬱蒼とした木々に溢れた駒沢公園も、とっぷりと暮れた夜のとばりの中では昼間とは全く異なった風情が漂い、また、折から通過中の前線の影響で低い雲がたれ込め、直前には雨がパラつく様なまるでスコットランドのような怪しい天候も幸い(?)して、なんとも神秘的でスピリチャルな雰囲気に満ちていていました。

 …で、手ほどきが一段落したところで自分のパイプを手にした途端、次の瞬間には、もう他人の迷惑なんか気にするよりも先に、自分自身がピーブロックの演奏にすっかり陶酔しきっていました。


 今から10年程前に“精霊・英霊・鎮魂歌ーケルト・ヨイク・ピブロック”と題して、横浜の保土ヶ谷にある「英連邦墓地」(外人墓地とは違う)のイギリス風に作られている墓守りさんのお宅で、シンガーである友人と一緒に、ピーブロックとヨイク(ラップランド人の喉歌)を披露する夕べを催した事があります。
 12月だったこともあり、シンガーの友人はマキストーブが燃える室内で歌ったのですが、ハイランド・パイプの私は当然ですがベランダの外の鬱蒼として木々に囲まれた庭で演奏しました(聴衆はリビングの開け放した窓ごしに鑑賞する)。その時は、まだシンセティックなリードが発明される前であり、師走の寒い夜中に野外で演奏したパイパー森は、凍える指で暴走するリードとの果てしなき戦いに終始し、とてもとても演奏を楽しむどころではありませんでした。

 それから10数年、飛躍的に進歩したハードウェアを手に、かつ、夏の夜ということもあり、今回は完璧なまでに演奏に没頭することができました。

 演奏中、何人ものランナーたちが脇を走り過ぎて行ったはずですが、正直なところ、それらの方々を気遣うような《分別のある考え》は全く沸き起こりませんでした。自分が陶酔できるとなると、なんとも身勝手な人間なのでしょうか。…と、反省すらしたくない程、気持ちエガッタ…!


 パイパー森は以前からハイランド・パイプの音色が映える様々な音環境を求めてあちこちで演奏してきました。

 今回は図らずも「都市の中の大規模な公園で日没後に演奏する」というシチュエーションが、意外な程に素敵な《音環境》であることに気付かされました。この場合は、多分に太陽の光(が無い)という《光環境》も影響していると思われます。

 木々の精霊に囲まれて演奏するのは以前から大変好むところですが、まさか、蓼科の森の中では、日没後は正に「漆黒の闇」になってしまうので、とても演奏するどころではありません。
 その点、都市の中の公園というのは、防犯上もあり、ある程度の照明は必ず着いていますから、日の暮れた後に演奏するということが実際に可能だという点では、思わぬ穴場ということになりそうです。

 大きな公園の木々に精霊に囲まれた《音環境》の下、さらに気分が集中し神秘的でスピリチャルな雰囲気が高まる日没後という《光環境》の中でピーブロックを演奏するという行為にハマってしまいそうです。

※ちなみに、この夜演奏したのはThe Desperate Battle of the BirdsThe Vauntingの2曲でした。

 実は、私の現在の職場の近くには自然地形を活かした大規模な公園があり、陽気が良い時は時たま弁当を持って昼食を食べに行くことがあります。
 その中に小規模な「ステージ&すり鉢状の観客席」が整備されたスポットがあり、「ゆっくりと左右に歩きながらピーブロックを演奏するのに最適だな〜」と、かねがね乱入する機会を伺っていたのですが、こうなったら、いつかきっと、仕事が終わった後の夕暮れの時間帯に乱入することを本気で企て始めました。(→ 9/4の夜に実行しました。)

2006/9/19
(火)

Lament for the Harp Tree

 私が特に好きなパイパーである Murray Henderson が9月初旬に開催された Inverness Northern Meeting でのコンペティションに於いて、数有るピーブロックの中でも最長の演奏時間を誇る演奏時間25分超の“Lament for the Harp Tree”を演奏して優勝したそうです。

 この曲については、Bill LivingstoneA Piobaireachd Dairyに収録されている音源で初めてその実際の演奏を耳にしましたが、その時は、さすがのパイパー森にとってもこの曲は少々長過ぎるように思え、また曲自体が抑揚に乏しくひどく凡調に聴こえて、正直なところ?っていう感じでした。
 しかし、今回はなんといっても Murray Henderson の演奏とあって、心構えが違ったのか、何かスッとハマってしまいました。
 その後、続けて Livingsotne の演奏も聞き直してみたのですが、今度は何故かそんなに凡調に感じられず、 Henderson の演奏と同様に引き込まれてしまいました。

 いつも感じるのですが、ある曲に開眼するタイミングというのは、必ずしも初回からいきなりとは限りません。今回のように自分自身の心構えやその時の体調、あるいは前後に聴いた曲などによっても、そしてまた当然ですがその演奏自体から発せられるオーラのようなものによっても、ある時ある瞬間に、突然スイッチが入るようです。
 Murray Henderson の演奏を初めて聴いたときが、私にとって、このピーブロック最長の名曲に対するスイッチが入った瞬間のようでした。ピーブロックの神様が「パイパー森ももうそろそろいいんじゃない?」といって、スイッチオンしてくれたような気がします。


 さて、この曲の背景についてですが、 Angus Mackay の楽譜集の Historical Notes には次の様に書かれています。

 This piobaireachd, so unlike all others, is evidently from its style, of very high antiquity.
 We have not been able to procure any satisfactory account of Cumhadh Craobh nan teud , which is usually translated,“Lament for the Harp Tree,” i.e. the tree of strings.
 It strikes us that this is a bardic expression for the instrument itself, as we should say “the Bag of Pipes.”
 There appears, however, some superstitious opinions connected with it. In the North it is called Bean Sith ,* either from being “the fairy tune,” or so named from a noted hill in Sutherland, distinguished as the fairy mountain.
 The notion that it is a lamentation for the destruction of a tree on which the bards were wont to hang their harps, is too like the practice of the Jews, who, as related in Scripture, when in captivity, hung“their harps on willow trees,”to permit its being received as the just explanation of so singular an appellation.

* Literally, the woman of peace, “the good folk.” Bean , a woman. Bein , a hill.


 もし、手元に楽譜があれば演奏を聴きながら目を通して頂ければ分かるとおり、一見して《感動的な程に長くかつ単調な曲》です。それ故、この曲はごく原始的なピーブロックであると推測されるという説明も、十分に頷けるのではないでしょうか。
 ちなみ、この2人が演奏しているのは Killberry の楽譜ではなく、Var.2 に Campbell Canntaireachd からの楽譜が書かれている Piobaireachd Society Book 12 のものです。 


 Murray Henderson の演奏を聴いてこの曲がやみつきになってから、通勤途上、昼休み、就寝時など、暇があれば2人の演奏をエンドレスで聴き続けています。
 そんなことを続けていてふと思ったのですが、これはもう《音楽》というよりは殆ど念仏の《読経》の世界ですね。
 ウルラールからバリエイションへとほんの僅かずつしか変化しないメロディーを延々と聴いていると、気が付くとス〜ッと自分の魂があっちに行ってしまいます。…つまり、眠ってしまうんです。
 先日など、Murray Henderson の演奏を流しつつ、楽譜を見ながら届いたばかりの technopipes で一緒になぞっていたら、自分の演奏を聴きながらそのまま、ス〜ッと逝ってしまいました。

 パイパー森としては、この25分を越すピーブロックを「いい《音楽》ですよ。ぜひ聴いてみて下さい。」と、だれ彼ともなく薦めるつもりはありません。半分冗談ですが「お坊さんたちの《読経》を聴くのが好きな人は試してみませんか?」とお薦めしてみたいとは思いますが…。


 3年前のピーブロック・プチ・ライブの際に聴きに来てくれた、現在はあるお寺の住職をやっている高校時代のクラスメートが、私のピーブロックの演奏を聴いて「元気が出る音楽だな〜」と表現したことの意味が、なんとなくよく分かるような曲の典型例といえるのかもしれません。


※ 関連記事 ⇒ 今月の“Piping Times”《1977年10月号》

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