パイパー森の音のある暮らし《2005年7月》
2005/7/3
(日)

神様、ジェフ・ベック

 ジェフ・ベック(Jeff Beck)のライブに行ってきました。
 ジェフ・ベックは1973年の伝説的なベック・ボガード・アピス(BBA)での初来日以来、その都度違ったメンバーを引き連れて何年かおきに来日しています。今回は2000年以来およそ5年ぶり9度目のジャパン・ツアー。

 セルフインタビューにも書いたとおり、ペンタングルとの出会いをきっかけに 、ロック少年だったパイパー森はブリティッシュ・トラッドの深い森の中に迷い込んでしまいました。そのため、1970年代初頭の本場のロックバンドの来日ラッシュからは早々にドロップアウトしてしまったので、1973年の BBA のライブには行っていません。さらに正直に言うと、これまでジェフ・ベックの音楽を真剣に聴き込んだこともありませんでした。
 そんな私が今回のライブに足を運ぶ事になったきっかけは、1999年に行われたジェフ・ベックの7度目のジャパンツアーの映像をたまたまテレビで観てしまったことです。その年は、エリック・クラプトンも来日公演を行ったので、2大ギタリストのライブがそれぞれ○HK衛星放送で放映されたのです。

 2人とも1940代半ば生まれですから、その当時共に50代半ばのはず、「演奏もそれなりなんだろうな〜」と決めつけて、ノスタルジアは感じつつもそれ程強い思い入れを持って放映に見入った訳ではありませんでした。
 確かに、日頃の活動が報道される機会が段違いに多いエリック・クラプトンの方は、それらの情報から想像したとおり、風貌といい演奏といいまさに枯れに枯れて完璧にレイドバックした、どちらかというとグラミー賞が似合う様な音楽を淡々と演奏。ホ○エモン言葉でいうところの「想定の範囲内」でした。つまり、さほど強烈なロック魂は感じらなかったということ。


 ところがどうでしょう、ジェフ・ベックは全く違いました。
 まず、そのスリムなボティスタイルもあの独特のヘアースタイルも、極端に言えばロッド・スチュアートやロン・ウッドと一緒にやっていた第1期ジェフ・ベック・グループ当時と殆ど変わっていない!
 
ファッション(というより「着ているモノ」といった方が当たっている?)も、スリムなジーンズに短ブーツ、そして、途中で脱いだよれよれのジャケットの下は定番の袖無しのTシャツといったラフな格好。

 それにもまして何よりも驚いたのは、その時の演奏でした。それは紛れも無くギンギンのインストゥルメンタル・ロック。ジェフの他にMIDIギター、ベース、ドラムというタイトな4人編成のバンドの繰り出すヘビーなサウンドは、「枯れた」とか「レイドバックした」とか「丸くなった」とかいう言葉とは正反対に「ロック魂」溢れた熱い演奏なのです。
 …と、同時に30数年のキャリアに裏打ちされた高度なテクニックを駆使したその演奏は、成熟しかつ緻密に構成されていて、荒削りとか粗野という言葉も全く当てはまりません。
 また、ヴォーカルは一切無しの徹頭徹尾インストゥルメンタル・オンリーながら、ジェフのギターが終始《歌っている》ので、ヴォーカルレスに関する飢餓感を感じる事も無く、それどころか、ハードな曲の合間で聴かせるギター・バラードなどは、トラッドで言うところの「スロー・エアー」と言った雰囲気で、中途半端なヴォーカルなどを必要としない「真の歌心」を感じさせる素晴らしい演奏でした。
 実際、その内の1曲“Declan”という曲は、あのドナル・ラニーの作になる曲で、オリジナルではイリアン・パイプのソロで演奏されているとのことです。
 ライブ全体としても、全編インストゥルメンタルということから連想するジャズやフュージョン系の音楽とは違って、ロックならではの人間味溢れるパフォーマンスが印象的でした。


 とにもかくにも、この映像の衝撃は、当時45才だったパイパー森の人生観にとてつもなく大きな影響を与えました。大げさではなくて、その後の中年〜壮年としての生き様を変える契機になりました。

 つまり、「そうか、たとえ50才を越したからっていって、当たり前のように老け込むことはないんだ。ジェフ・ベックのように、いつまでもロックンロールしているっていうのは、なんてカッコイイんだろう〜!」と…。

 この場合の「老け込む」という言葉には「歳相応に…」「大人びる」「落ち着く」「枯れる」「渋い」「地味に」といった抽象的な概念、そして、具体的には「リラックスジーンズを履く」「スラックスは必ずツータック」「スニーカーは履かない」等々といった様な意味を含んでいます。

 そこで、ジェフを見習ってロック中年として自分に正直に生きる事にした私が最初にやったことは、ワードローブに有ったモロにオヤジ臭いストーン・ウォッシュ仕上げでダブダブのリラックス・ジーンズを捨て、その替わりにウォッシュ・アウトしていないクラシカルなインディゴブルーのストレート・ジーンズを購入する事でした。そして、細身のジーンズに足を通しジッパーで股間をギシギシギシと締め上げ、ジーンズが腰回りにピタッとフィットする感触を久しぶりに味わい、「やっぱり、ジーンズはこうでなくっちゃ。」と一人悦に入りました。
 もちろん、このようなイイ格好をするためには、ジェフ・ベックと同様にいつまでもスリムな体型をしていなくてはなりません。その晩から、しばらく遠ざかっていたブ○ワーカーでのマッスルトレーニングを再開、ちょっと油断すると直ぐに弛んでくる、中年ならではのお腹の引き締めを怠らないことを心に誓ったのは言うまでもありません。
 なんせ、ロックンローラーは格好良さが第一ですから。


 さて、そんな風にパイパー森が中年としての生き様を変えてから数年が経過、自身が50才をとうとう越えてしまった今年、当のジェフ・ベックが5年ぶりにジャパン・ツアーを行うと言うニュースが入ってきました。
 思えば、ロック生誕50周年と言われるこの節目の年に、私の人生観を変えた張本人、そして、還暦を越して今なお現役バリバリのロックの神様を拝みに行かずして許されましょうか?
 …で、夫婦&息子の3人で《お参り》することにしました。

 しかし、人生の手本とする神様を拝みに行くというのに、当の神様の音楽をロクに聴いた事が無いというのではこりゃヤバイと思い、近くのレンタルビデオ店で神様のCDを借りまくってきました。
 ヤードバーズやその前のトライデンツ時代の貴重な音源を納めた3枚組アンソロジー“BECKOLOGY”から2003年リリースの最新作までCD15枚分、12時間を超すジェフ・ベックの音楽をライブまでの1ヶ月間に一気に聴き込んでから当日に望みました。

 余談ですが、 借りてきた中に '73 BBA 来日時に大阪フェスティバル・ホールで録音された“Beck, Bogert & Appice Live”(2枚組)もあったのですが、これはスゴイ!
 
レッド・ツェッペリンのブートの世界では、'71初来日時のやはり大阪フェスティバル・ホールでの音源が有名ですが(私は持っていません)、BBAのこれは公式アルバムなので、録音状態も良く当時の彼等のとんでもないライブの状況がそのまま伝わってきます。まるで、1969年の“クリーム解散コンサート at ロイヤル・アルバート・ホール”を彷佛とさせる、超絶ロック・トリオの取っ組み合いバトルとでも言うような壮絶な演奏。


 さて、ライブ当日、ここ数年のジェフ・ベックの東京でのライブ会場として定着している5000人収容の「東京国際フォーラム/Aホール」に詰めかけたのは、凄まじい数の私ら夫婦と同世代の「元ロック少年&ロック少女、今ロック中年&壮年」たち。その雰囲気は一言で言うと正に「同窓会」のノリでした。
 日頃は分別盛りの大人を演じてなくてはいけない立場にいるけれど、その実、胸の中には熱〜いロック魂を燃やし続けている中年&壮年たちが、同じ想いを胸に抱いた昔の仲間たちと、久しぶりに顔を合わせた安堵感でホッとしているという風情。どの顔にも微笑みが見られます。

 肝心のライブはどうだったかって? コメントするまでも無いでしょう。
 インターネット販売のチケットは何故か座席指定が出来ず、入場券が郵送されてきて初めて判明した座席は2階9列目でしたが、2階席は座席がすり鉢状の急勾配になっているお陰で、ちょっと遠目ながらもステージの様子は遮るものなくバッチリ観る事ができます。
 何よりも劣悪な音環境で有名な武道館とは違って、最新の設計&設備の東京国際フォーラムの音環境は素晴らしく、ロック・ミュージックならではの地響きするほどの大音量にも関わらず、ジェフのギターはもちろん、全ての楽器の音が驚く程クリアーに聴き取れて、久しぶりに本物の素晴らしいロックミュージックを心底楽しめました。

 特に、今回のライブでは、テレビで観た1999年のライブの時よりも、スローなギター・バラードが数多く演奏されて、スロー・エアー好みのパイパー森としては大変満足でした。
 会場を埋め尽くすパイパー森よりずっと真面目なジェフ・ベック・フリークの皆さんも、各々がお馴染みのこれらの曲のイントロが流れるだけで盛大に盛り上がり、ジェフの音楽に対する真摯な愛情に溢れた、和やかでとても良い雰囲気でした。
 でも、そのような曲でジェフが聴かせてくれた、東京フォーラムの高い天井の隅々まで響き渡る、鋭くかつ澄み切ったギター・サウンドに、ハイランド・パイプのチャンターの音色を重ねあわせてイメージしていたのは、さすがにピーブロックはロックだと信じている私だけでしょうが…。


 最後に、非常に印象的だったのは、2度目のアンコールの際、1曲目が終わったところで、キーボードを除いた他のメンバーがステージから去り、ジェフがキーボードの静かな伴奏だけを従えて、心に染み入るような深い情感を込めて、スタンダード・ナンバー“Over the Rainbow”を聴かせてくれたことです。このライブの締めくくりとしてジェフが選んだ余りにもカッコ良すぎる演奏でした。

 そして、この演奏はパイパー森に、あの、Boys of the Lough が1984年の初来日公演の際、アンコールでリールを怒濤の様に演奏した最後の最後を、スロー・エアー“For Ireland, I'd Not Tell Her Name”で締めくくった印象的なライブの夜を思い起こさせました。
 私は思わず連れの二人に「これで終わったら余りにもカッコ良すぎるよね。だけど、多分、みんなは満足しないだろうけど…。」と耳打ちしました。

 案の定、心に染み入るギター・バラードを弾き終えて静かにステージを去ったジェフは、聴衆の盛大な拍手に押されるように再びバンドメンバーと一緒にステージに登場、バンド全員でパワフルなロックナンバーを1曲演奏してライブはお開きになりました。


 還暦を超えた今も、30数年前と全く変わらぬロック魂に溢れたジェフ・ベック様のお姿を生で拝見させて頂いたパイパー森は、これからの自分のロック中年〜壮年としての生き方について改めて自信を深めた次第です。

2005/7/12
(火)

朝のまったりタイム

 パイパー森は、この春に職場が変わり、自家用車通勤から電車通勤に変わりました。当然、iPod のアウトプットは車のオーディオに繋げるのではなくて、イヤーフォンにして電車の中で好きな音楽を聴きながら通勤しています。

 メニューとしては、今や639テイク、98時間分!にも膨れ上がって、なおかつ刻々と増え続けるパイパー森のピーブロック・コレクションをランダムに流すことが最も多いのですが、その他にもいくつかのお気に入りプレイリストを作っておいて気分によって使い分けたり、その日の気分で即席プレイリストを作ったりします。

 お気に入りプレイリストでは、最近入手したピーブロックの音源だけをピックアップしたものや、フィル・カニンガムのスロー・エアーだけ22曲を集めた1時間40分余りのものなど、また、ちょっと変わったところでは、レッド・ツェッペリンの超有名ブート“Listen to this Eddie”の中の“No Quarter”1曲だけってのもあります。これは、この1曲だけで31分あるので、それだけで聴きごたえたっぷりなバージョンなのです。そして、つい最近加わったのがジェフ・ベックの15枚のCD160曲程の中からギター・バラードだけ16曲、約1時間分を抜き出したものです。


 さて、家を出てから職場の最寄りの駅に着くまでの時間は僅か40分程なので、音楽を聴く時間としてこれでは少々物足りなく感じられます。長いプレイリストになると、とても全部は聴き通せません。
 一方、職場の最寄り駅があるのは郊外のごく新しい街なので、駅前には車が全く排除されている広大な駅前広場があって、その広場に面してデパートやらオシャレなお店が立ち並んでいる中にスターバックスや、タリーズといった美味しいコーヒーを飲ませてくれる店があります。そして、当然のようにお店の外にはパラソル付きに野外テーブル席も用意されています。

 パイパー森は気が小さいので職場にはかなり余裕をもって到着するようなタイムスケジュールで通勤していますが、最近は駅に着いても職場には直行せずに駅前のタリーズ・コーヒーに寄り道して、コーヒーを片手に野外テーブル席でまったりとした時間を過ごす快感を覚えてしまいました。
 私とは反対にその駅から首都圏へ通勤する人々が足早に通り過ぎるのを眺めながら、まだまだ聴き足りなりその朝の音楽を聴きつつ、この春初めて誂えた真新しいシニアグラス(へへ…、つまりは老眼鏡)をおもむろに掛けて目を通すのは、最近COPから届いた“Little Book of Piping Quotations”という本。この本、ページ数は260ページ程あるのですが、なんせその名のとおり縦横ジャスト10×10cmという超コンパクトな本なので、膝の上で広げて目を通すにはいたって具合がよろしい。

 早い電車に乗れて長く時間が取れる時にはこの「まったりタイム」は30分近くにもなり、「さ〜、バリバリ仕事するぞ〜!」という気分が高まります。
 …っていうのは全くウソで、15分程度ならまだしも30分もまったりしてしまうと心身ともに完璧にリラックスしてしまい「私は誰? ここは何処?」状態になり、職場に向かう事がまるで異次元世界に向かう様なブルーな気分になってしまいます。

 ところで、古今の様々な人々のパイピングに関する名言&迷言を引用したこの本を読む時に適したバックグラウンド・ミュージックというのは実はピーブロックではありません。自分が演奏する音楽であるピーブロックを流しているとついつい聴き込んでしまうので、字面を追いかける際にはあまり適当ではないのです。
 …で、パイパー森はこのような時になんとギンギンのロックを掛けていたりするんですね。まあ、最近は決まってジェフ・ベックの音楽ですが…。


 朝の「まったりタイム」に、目ではパイピングに関する名言&迷言を追いかけながら、頭の中ではギンギンのロックが流れているなんて、いかにもピブロッカー・パイパー森らしい過ごし方だと思いませんか?

2005/7/15
(金)

さらならる高みに…

 いつもの山荘に来ています。
 着いた当日早速、例によって例の場所でパイプを吹きましょう、といそいそと My Dunfion Pipes を抱えて出掛けて行くと…

が〜ん!

 …な、なんと、大きなトラックやらブルドーザーやらコンクリートミキサー車など、沢山の工事車両が入っている。
 広場のど真ん中にはほぼ9割方完成した新たな木造建築が鎮座していて工事関係者があちこちで忙しそうに作業中。
 さらに、広場から奥の林の中に続く小道が拡幅され、大型トラックが乗り入れられる様に分厚い鉄板が延々と敷き詰められているところを見ると、この先でもさらに工事中?

 現場に立てられた看板から察するとどうやら野外教育施設らしい。現場監督らしい人に尋ねてみたけれど要領を得ないので、山荘に戻り看板の表示にあった「蓼科・八ヶ岳国際自然学校」をインターネットで検索してみると、このHPがヒット。

 う〜ん、どうやらこの自然学校の拠点として整備しているらしい。工事の様子からすると、麓のリゾート・マンションが放棄してから15年近く放置されていたログハウスのコテッジ群もリフォームして使うつもりらしい。一番大きなログ・コテッジに付属している例のウッドデッキも何やら改修作業に取りかかっている様子。

 …ってな訳で、パイパー森がここ数年、専用の演奏ステージとして勝手に出入りしていた場所はあっけなく、使えなくなってしまったのです。


 仕方が無いので、切り替えの早いパイパー森は国道をさらに上ったある場所を新しい演奏拠点とすることにしました。

 ここは、道沿いに車を止める所が殆ど無いこの国道沿いとしては珍しく十分な駐車スペースがある場所です。
 トレッキングルートの拠点になっているらしく、駐車スペースからは林の奥に向かって小径がつづいていますが、この小径を50m程分け入った林の中に、上手い具合に木立がちょっと開けたスペースがあるのです。
 そこは国道からは少し下る感じになるので、車の視線からは完全に遮られています。周囲は360度見渡す限りカラマツなどの林ですが、木々の間隔はそれほど密ではないので閉塞感はなく、樹間や天空に抜けるチャンターの音色を堪能することが出来るので、ハイランド・パイプを演奏するには格好の場所と言えます。

 ただし、この場所の最大の難点はそこが標高1900mに位置している!ということです。(国道沿いに建てられている標高を示す標識が、ちょうど駐車スペースの入り口に建っているのでそれと分かるのです)
 これまでよりもさらに空気の薄い場所でのピーブロックの演奏。身体が慣れるまでには少々時間が掛かりそうですね。


 古(いにしえ)のケルト民族がたどったのと同様に、少数民族たるパイパーが僻地へ僻地へと追いやられるのは世の常なり。
 しかし、ハイランダー (Highlander) たる者、たとえどんな迫害に会おうとも、決して挫けることなく、その名に恥じぬよう高地で生き延び、ハイランド文化の粋であるピーブロックの伝統をただただ守るのであ〜る。

2005/7/22
(金)

ピーブロック・ソサエティー100周年

 山荘で日々、今回は読み物がてんこ盛りの中、とりあえず取り掛かったのは、ピブロック・ソサエティーの年報でした。
 最初に手にした2003年版は、この年がピブロック・ソサエティー設立100周年に当たるからか、選りすぐりで非常に中身の濃い講演内容なので非常に楽しめました。5つのセッションのタイトルについてはここ(リストの下の方)を参照して下さい。

 最初は、Kilberry Book of Ceol Mor の編集者である、Archbald Campbell of Kilberry に関する講演。
 Archbald Campbell の人となりが、Kilberry 家の家系図から始まって、1881年の国勢調査までを引用しながら、克明に解説されています。このレポートからは、この人個人のことだけでなく、当時のイギリスに於ける地方地主層の暮らしぶりについてもありありと目に浮かんでくるようになりました。

 そして、続いてあの Roderick Cannon が膨大な時間を費やして研究・分析した General Thomason の編纂した楽譜集“Ceol Mor”に関する講演。
 300曲近いピーブロックを収めたこの“Ceol Mor”は、1900年に初版が出版され、それが契機となって丁度100年前の1903年にピブロック・ソサエティーが設立され、また、この楽譜集が現在のソサエティー・ブックのベースとなったことから、ソサエティーにとっては大変意義ある楽譜集なのです。
 どうやら、Cannon のこの研究は初めからソサエティー100周年を記念した事業と位置づけられていたようで、ソサエティーのサイトの独立したページにそのままアップされています。興味のある方はどうぞ…。


 さて、この2つの大作レポ−トを読み終えた後、手にしたのは現在の最新の2004年版。ところが、この年もまた先ほどのソサエティーのサイトでセッションのタイトルを見て頂けるとおり、なかなか興味深い講演が盛りだくさんでした。

 中でも特に掛け値なしに目から鱗状態だったのは、セッション3の“The Bells of Perth”に関する講演でした。このピーブロックは Perth の St. John the Baptist 教会の「Bells=鐘」を聞いたパイパーが、その鐘の音からインスパイアーされて作曲したと言われています。作者は Patrick Og MacCrimmon の直弟子であった John MacIntyre とされています。

 ここで言うところの「Bells=鐘」というのは、単なる単音の鐘ではなくて、Carillon (カリヨン)の事。カリヨンというものがどんなものかは、このサイトこのサイトを読んで頂きたいと思います。
 つまりは、大きさ=音程の異なる鐘を使って音階を作り、音楽を奏でる装置です。伝統的な教会のカリヨンの場合は、演奏者は鐘を収めた棟の中の演奏室に設えられた鍵盤のようなもので各々の鐘から音を叩き出します。
 私はたまたま半年程前にNHKのBS番組でロシアのとあるカリヨン奏者の事を取り上げた番組を見ていたので、直ぐにそれと理解出来ました。

 そして、今回の講演は、なんとまさに当のSt. John the Baptist 教会の Carillon 奏者(Carillonneur という)による講演なのです。
 そして、その中身がまた面白い。カリヨンの鐘バグパイプの相違点(少ない)、類似点(結構多い)の説明から始まって、カリヨンでピーブロックを演奏する(!)上での具体的なアレンジと演奏の工夫(ドローンの表現など)まで、詳細な楽譜付きで解説されているのです。
 また、この年報には収録しきれていませんが、当日は膨大なスライドで世界各地のカリヨンや、教会などのただの鐘などについても紹介されています。


 う〜ん、なんとも盛りだくさんな2003年版、2004年版の2冊のピブロック・ソサエティーの年報で、「パイプのかおり」をネタが少なくとも3回分できました。ただ、後は文章にするのみ。あ〜、これが大変なのだ。

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