1965年の屋久島・宮之浦岳

 1965年3月、大学3年の春休みに行われた工場見学旅行の後、一人で屋久島に行った。屋久島の写真が数枚、CD化して残っていたので、2017年に自分のHPを作るのに合わせて、当時を思い出しながら作成した紀行文である。

 工場見学は、東京から新幹線で名古屋に行き、①春日井の王子製紙、②大阪の松下電器、③倉敷の倉敷レーヨン、④広島の東洋工業、⑤八幡の八幡製鉄所、⑥長崎の三菱重工を見学した。

 山の装備はチッキで事前に長崎駅に駅留めで送っておいた。三菱の見学が終わり、見学旅行団の解散式が済んでから長崎駅に荷物を引き取りに行った。トイレで学生服から山の服に着替えてから、学生服をまたチッキで自宅宛送った。いよいよ屋久島へ向けて出発。鹿児島までは夜行列車で行った。

図01(屋久島内の地図、移動手段は下の通り)

 安房→小杉谷:トロッコ、 小杉谷~宮之浦岳:徒歩、 小杉谷→安房:徒歩、 安房~湯泊:バス

第1日目(曇り)
 鹿児島に着いたら春の雪で桜島が雪化粧していた。屋久島への船は夜出発なので、時間つぶしで、鹿児島市内(城山、磯庭園、桜島など)を廻った。

第2日目(曇り)
 夜の連絡船で屋久島の安房に向かった。船は混んでいなかったので手足を伸ばして寝られた。船内放送がありデッキに出たら、艀(はしけ)に乗り移って上陸するようだ(写真02)。安房にはまだ桟橋がないのだろう。舷側の階段から艀に乗り移る時、艀が意外と上下に動いているので緊張した。地元の人にとってはこのくらい当たり前のようだ。

写真02 安房港へは艀(はしけ)に乗り移って上陸

 上陸して屋久杉搬出用のトロッコ乗り場に行ったら、ちょうど屋久島電工のトロッコが出発するところで、頼み込んだら乗せてくれた。グッドタイミングに巡り合えた。絶大なる感謝の意を表して乗車。これに乗れなければ、トロッコの軌道を距離16km、標高差600mを歩かねばならないところだ。

 小杉谷に着いて小学校の分教場に「今晩泊めてくれ」と頼みに行った。先生が出てきて簡単にOKとなった。ローソクは使用禁止、火の元には十分注意するよう言われた。寝る場所は板敷の教室の床である。水と薪は外に出れば嫌というほどある。校庭で飯盒炊さんして、おかずは缶詰だけ。明日は宮之浦岳を日帰りで往復するので、アタックザックに必要なものを詰め込んで早めに寝た。

第3日目(曇り)
 朝飯を手早く済まし、アタックサックを背負って5時ごろ出発。トロッコの軌道を上流側にたどる。軌道脇に屋久杉の大きな切り株があった(写真06)。あまり太くなりすぎると中が空洞になって使い物にならないらしい。適切な時期を狙って切るのも技術の内なのだろう。

      写真06 太くなりすぎた屋久杉の切り株(中が空洞)

 その先でトロッコ軌道もなくなり、沢沿いの悪い登山道となった。苔の生えた大きな岩が転がっているぬかるんだ道で歩きにくい。屋久島は1か月に35日雨が降ると言われているくらいなので、どこまで行ってもぬかるみが続く。いいかげん嫌になる。

 急坂を登り切ったら湿原が現れた。ここが花之江河だろう(写真08)。くたびれた小屋もあった。ここで一休みして、こんどは尾根道を登る。花之江河ですでに1650mあるので、宮之浦岳(1936m)までの尾根道は緩いアップダウンの連続である。黒味岳・投石岳・安房岳などを巻きながら進む。やはり尾根道の方が乾いていて歩きやすい。前方に雲がかかった宮之浦岳が見えてきた(写真10)

         写真08 花之江河(湿原:1650m)

           写真10 宮之浦岳(1936m)

 尾根道には平行四辺形状に割れた小さな花崗岩のかけらが多数散らばっている。若干くたびれたような花崗岩で、白い肌に錆びが乗っているような色をしている。これを記念に一片持って帰ってきたのだが、今(2017年)では、どこにしまったのか分からない。

 12時ごろやっと宮之浦岳頂上にたどり着いた。もうフラフラ。誰もいない頂上で自動シャッターで記念写真を撮った。眺望は雲にまかれてダメ。時々雲の切れ間から周囲の緑濃い山々が見えるが、どこの何山だか分からない。

 帰りもまた同じ道を下る。登りの長い道のりを考えるとうんざりする。大きな岩が乱雑に積み重なった道なので駈けることもできない。だいぶ膝が痛くなったころ、やっと小杉谷についた。疲れ果てて飯を作るのも億劫だった。

第4日目(晴れ時々曇り)
 朝6時半にトロッコが出るというので行ってみたが、朝の便は利用者が多く空席なし(写真11)。もともとこのトロッコ便は小杉谷住民用のものなのでしかたがない。歩いて下ることになった。トロッコの軌道を歩いていたら後方から警笛の音がする。振り返ると大きな屋久杉を積んだトロッコが下ってくる。線路わきにスペースがある所まで急いで、退避する。トロッコ1台に大きな屋久杉を1本積んで、営林署の職員が馬乗りになり、ロープで手ブレーキを操りながら下って行った(写真12)

            写真11 朝の便は満員だった

 写真12 屋久杉を積んで下るトロッコ

 続いてもう一台、更にもう一台と8台ぐらい続いてきた。杉の搬出はまとめて流しているようだ。トロッコの勾配は、16kmで600mだから平均勾配は36‰である。この勾配を手ブレーキだけで下るのだから大したものだ。

 11時ごろ安房に着いたら、小学6年生ぐらいのガキ大将が、「おじさん、ラーメン食わしてくれたら船で安房川を案内するよ」と言ってきた。「よーし、OK」と話がまとまり、底の平たい川船で安房川が瀬になるところまで案内してくれた。水が恐ろしく透き通り、大きな魚もたくさんいた。

写真13(安房川を船で案内してくれたガキ大将)

 1時間ほどの案内が終わり、ラーメン屋でラーメンを食べ、別れようとしたら、「家にサトウキビがあるから食べていけ」とのこと。彼の家でサトウキビを一本食べ、2~3本のサトウキビをザックに刺して分かれた。

 屋久島にもう一泊して湯泊の海中温泉に浸かるため、バスで湯泊まで行った。湯泊に行く途中、バスの右窓から恐ろしく急峻な岩山が見えたので、手前にあるガジュマルの気根と一緒に写真に収めた(写真14)。この岩山はモッチョム岳と言って標高は940mある。屋久島南方では有名な山らしい。

写真14 ガジュマルの気根とモッチョム岳

 湯泊について、村の人にこの辺に宿はないかと聞いたら、「学生さんなら公民館がいいでしょう」と公民館を教えてくれたので、今夜も自炊することになってしまった。海岸の湯に行ってみたら、小学3~4年ぐらいの女の子が入っていたので遠慮して引き返したら、女の子から「ここは誰でも入れるんだよ」と笑われてしまった。自然の岩間に温泉が湧きだした、いい湯だった。

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