1964年の剣・立山・黒部下の廊下(S39年)

 大学3年の夏(1964年8月)、同期4人で、雷鳥沢→剣→立山→一の越→黒四→下の廊下→欅平のルートを歩いた。もう遥か昔の話なのでアルバム写真しかない。それも引っ越し荷物が増えるので捨ててしまった。15年ほど前、まだネガが残っていた時に写真屋に頼んでCD化してもらった写真が数枚あるので、それを見ながら記憶をたどって、2017年に書いた山行記録である。

前日
 学校は夏休みに入っているので実家に帰っているヤツや工場実習で滋賀県にいっているヤツもいる。そのため各自の出発場所がバラバラなので、前日は富山の同期生の家に泊めてもらうことにした。それぞれ違う時間に到着したが、一晩ぐっすり寝て英気を養った。

第1日目(晴れ)
 富山地鉄、ケーブルカー、一番バスで室堂へ。空はよく晴れている。みくりが池の脇を通り、雷鳥沢を登って剣御前小屋へ。剣が「来られるものならここまで来てみろ」と言わんばかりに立ちはだかっている。4日分の食料とテントを背負っているので荷の重さはかなりのものだ。この頃はレトルト食品はカレー程度だったので、みな缶詰だ。缶詰は水分も入っているので重い。でも昨日ぐっすり寝たので疲れはない。

 剣沢小屋まで下り、そこの幕営場にテントを張る。剣が真正面に見える。水は沢水が流れていたのか、剣沢小屋で買ったのか覚えていない。とにかく飯盒炊さんしてカレーか何かを作って食べた。

第2日目(晴れ・時々曇り)
 今日は前剣を越えて剣を往復する日だ。幸い天気も上々。大急ぎで朝飯を済ませ、弁当を作って出発。前剣までは何でもなかったが、蟹の横這いはかなり緊張した(写真02)。高度感があるからだろう。技術的には丹沢の沢登と大差ない。

写真02 カニの横這いを通過する(人間が立っている方向が垂直)

 それから先も、同程度の岩場の連続。足元に食い込んでいる平蔵谷の急斜面に吸い込まれそうだ。蟹の横這いを振り返ると見事なナイフリッジになっている(写真04)。

    写真04 剣岳からカニの横這いを振り返る

何とか無事頂上に着いた。頂上から源次郎尾根を見下ろす。素晴らしいナイフリッジの連続だ(写真05)。

写真05(剣の頂上から見下ろした源次郎尾根)

 下りは、登り優先で待ち合わせたせいもあるが、慎重に時間をかけて下った。それでもまだ日が髙い時刻にテントに戻った。這松で遊んでから夕食を作り、早めに寝た。

第3日目(晴れ)
 テントを撤収して、別山乗越まで急登。富士ノ折立を越え、大汝山で大休止(写真06)。雄山(立山)を越え、一の越に下る。雄山の頂上には神主も登って来ていた。

             写真06 大汝山で記念撮影

 ここからが今日のメインコースだ。一の越2705mから黒四ダム湖1430mまで一気に1300m下る。岩がゴロゴロしている歩きにくい山道を、いやになるほど下る。いかげん膝が笑いだした頃ようやく湖岸に着いた。

 湖岸をたどって黒四ダムに到着。堰堤から見下ろすとさすがに髙い。夏ミカンの皮のように反り返った堰堤はオーバーハングしていた(写真07)。ダムの下に飯場が2棟ほど見えた。今日はテントを設営せず、あの飯場に泊めてもらうことにした。

写真07(黒四ダムを左岸から見る)

ダムの下まで下る道が左岸に見当たらないので、ダムの堰堤を渡って黒部川の右岸に移った。谷底まで下る道を探したら、右岸の岩壁に入ってゆく砂利道(トラック用)があったのでそれを下った。さすがに堰堤の高さ分(180m)下るだけあって、らせん状のトラック道がどこまで下っても終わらない。途中で一回明かり区間に出たので、2廻りのループトンネルであることが分かった。

 飯場について「泊めて下さい」と頼んだら、すぐOKがでた。すでに工事の大半は終わっているらしく、飯場はひっそりとしていた。ここから見ると黒四ダムの高さはすごい。覆いかぶさるように聳えている。剣の比ではない。ダム堰堤にはまだ工事用の足場が、何段も取り付けられていた。

第4日目(晴れ)
 今日はできれば欅平まで、それが無理でも阿曾原までは歩こうと、朝早く出発した。内蔵助谷出会いまでは平凡な山道だが、それを過ぎると両岸の山肌が切り立ってきた。前方に黒部別山谷の出合が見えてきた(写真08)。

写真08 黒部別山谷(正面)の出合。本流の黒部はここで直角に右に曲がる

 黒部別山谷の出会いはまだ雪渓に覆われていた。この雪渓ををどうやって越えようかと案じながら近づいてみたら、もう8月なので雪渓の下は大きく溶け、トンネル状になっている(写真09)。トンネルの下をくぐって黒部川との出会いまで下ると、左側の岩壁にロープが下がっている。荷が重いのでまず空身で2人登り、ザックを引き上げてから、残り2人が登った。

写真09(黒部別山谷の出合には大きな雪渓があり、その中が溶けて、トンネル状になっている)

 これから先は岩壁の中段につけられた踏み跡程度の道で、徹底して黒部川の左岸を行く。途中に何カ所か長い梯子の上り下りがあった。まもなく白竜峡を通過(写真10)。両岸は白っぽい岩で、かなり上部まで絶壁である。道は川面から20~30mぐらいのところにつけられている。川幅が狭くなっているので、川は大きく波打ちながらゴウゴウと流れている。

写真10(白竜峡:道は右側岩壁の中段についている)

 道がだんだんと髙くなり、川筋までの高低差も相当なものになった。垂直な壁を削って作った幅1mほどの道を慎重に進む。当時の大型ザック(キスリング)は横に広いので、岩壁に当たりやすい。その都度、谷側によろめいてヒヤッとする(写真12)。

      写真12 黒部「下の廊下」の桟道

 昼頃十字峡についた(写真14)。ここで大休止。ここは中央を右から左に流れる黒部川本流に、正面から流れ込んでくる棒小屋沢と手前から流れ込んでいる剣沢が、ちょうど十文字になっているので十字峡という名前がついている。

写真14 十字峡(左右の流れ=黒部本流、奥=棒小屋沢、手前=剣沢)

 いよいよ下の廊下もクライマックスに達する。垂直な岩壁に刻み込まれた桟道がどこまでもどこまでも続いている(写真16)。黒部本流までの高度差は200mぐらいあるのではないか。黒部川をはさんだ対岸の岩壁に穴が開き、電線が出てくるところがある。これは地下化された黒部第四発電所からの送電線だろう。その付近でS字峡が見下ろせる(写真18)。さすがに黒部の谷は深い。

            写真16 どこまでも続く桟道

     写真18 S字峡(谷の深さ200m)

 S字峡をすぎると直にジグザグの下りとなり、吊り橋で黒部川の右岸にわたる。川沿いの道をたどり尾根の角を曲がったら仙人ダムが見えた。その後ろに黒四ダムまで続いているという関西電力のトロッコの鉄橋も見えた。

 そこでしばらく休んでいたらちょうどトロッコが下ってきたので、頼み込んで乗せてもらった。最初は「高熱隧道」という温泉が噴き出しているトンネルを通過する。車内も蒸し暑くなり、窓ガラスが曇り、大粒の水滴がついている。そうとう大量の高熱蒸気が噴き出しているのであろう。あとは真っ暗なトンネル内を、ゴトン・ゴトンという音を響かせながら、ひたすら走る。

 欅平が近くなったところで、「君たちはここで降りて、水平な坑道を抜けると山道にでるから、その山道を下って欅平の駅まで行くように」と言われた。トロッコの乗務員も規則上部外者を乗せることはできないからだろう。最大限の感謝の意を表して下車した。

 欅平では宇奈月行の出発時刻まで間があったので周辺を散策した。ここも周囲は急峻な山に囲まれていた。川を渡った祖母谷側の岩壁の下でコーヒーを作って飲んだが、もう砂糖もクリームも無くなっていたのでブラックで飲んだ。見上げた空の青さが今でも目に焼き付いている。

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