ラサ滞在記

 2006 年 8 月に、チベット鉄道に乗ってラサに入り、チベット一番の祭り”ショトン祭”を見るためラサに滞在した時の記録である。この時期は、観光客も多くホテル代も高かったが、”ショトン祭”は、 それだけの価値があった。

第一日目(晴れ)

 7:00 ごろポタラ宮前からナムツォ湖行のバスツ アーが出ると聞いていたので、ホテルを 6:30 に出て、前の道路でタクシーを拾い、ポタラ宮前まで行ったが、ツアーバスらしきものは見当たらなかった。
 しかたないので、乗っているタクシーの運転手(中国人)に、「ナムツォ湖を日帰りしたらいくらか」と聞いてみたら、「一千八百元」と聞こえた。 ずいぶん高いなと思い、数字で「1800?」と書き出 して示したら、「一天八百元」と書いて寄こした。 一日で 800 元(12000 円)なら高くないと、そのまま、そのタクシーを貸切にしてナムツォ湖に向かった。そうなるとまだ朝飯を食べていない。どこかで朝飯を食べようと、運転手に「朝飯は食べたか」と聞いたら食べたというので、「どこかで朝飯を食べよう」と言いづらくなり、朝飯抜きのままナムツォ湖に向かった。

 中国はすべて北京時間を使っているので、ここラ サでは朝の 5:00 頃に相当する。まだ薄明かりの道を西に向かう。ラサの市街地を出るころ、道端を五体投地でポタラ宮方向に進んでいる数人のチベット族に出会った。車が行き過ぎてから振り返ってみたら、地元のチベット族が何か喜捨していた。どこから五体投地を続けてきたのか知らないがその信仰心に驚いた。

 8:40 ごろ、ニエンチンタングラ山 7162mがよ く見えるという展望所についた。空は真っ青に晴れ渡っているが、残念ながらニエンチンタングラ山の上半分は雲に隠れていた。その先で、延々と続く人民解放軍の軍用トラックの車列とすれ違った。全部で 60 台も連なっていた。これが行き違いのできない道路だったら、民間車は軍用トラックが行き過ぎるまで待たされるところだった。このあとチベットにいる間に何度となく軍用トラックの車列と遭遇したが、延々と待たされたことが何度もあった。中国では軍用車優先で、写真も撮ってはならないとさ れている。

 ダムションの手前で高架のチベット鉄道の下をくぐりナムツォ湖に向かう。ゆるい登りを登ってゆくと、ナムツォ湖風景地区入口の料金所があった。 入域料は 80 元。ここからは美しい山並みをめぐる 道路となる。山肌には一本の木も生えていない(写 真 01)。

写真 01ナムツォ湖への道(8月だというのに山頂には新雪も見える)

 道の両側では、チベット族が羊やヤクを放牧している。湖との境の峠(5190m)に着くと、青い湖面 のナムツォ湖が見えた。風光明媚なところだ。写真を撮るためにタクシーから出たら、チベット族の土産物売りや子供に囲まれ、「○○を買え、金をくれ」と追い回されることになった。ほうほうの体でタクシーに逃げ帰り、急いで発車してもらった。チベットの第一印象は、おそろしく悪いものになってしま った。

 10:30 頃、ようやくナムツォ湖の岬についた。 大きな駐車場にたくさんのバスや乗用車が停まっている。その周りを、屋台の土産物屋が取り囲んでいる。風景地区なので常設の建物は許可していないのだろう。タクシー運転手に、「一人で見に行くから車にいていいよ」と言ったら、「荷物を持ってゆくのか」と聞く。「持ってゆく」と答えたら、当方のザックを持ってついてきた。これはサービス精神旺盛ととらえるべきか、ただ乗りでドロンされては困るのでザックを人質にして、ついてきたととらえるべきか。

 ここの岬は溶蝕石灰岩地形が見られるところとして地質学の論文に出ていたところだ。岩は赤褐色だが、形状を見ると石灰岩が水で溶けてできた地形であることがわかる。比高 20m~70m ぐらいの崖が続き、その側面にたくさんの洞窟(鍾乳洞)が見える。これに入るのが目的なので片っ端から洞口に寄ってゆく。運転手が「湖はこっちだ」と叫びながら反対方向を指差しているが、構わず崖の下に向かう。

     写真 02(洞窟の入口には必ず寺院がある)

 どの洞窟も入口にタルチョ(経文を書いた旗)がかかり、寺院の石垣が築かれていて、中に入るのがはばかられる(写真 02)。チベット語がで きれば僧侶に理由を話して中に入れてもらうこともできたかもしれないが、さすがにチベット語は話せない。各洞窟の入口を回っただけで終わってしま った。

 しかたがないので、あとは通常の観光ポイントを見て回った。ナムツォ湖はチベットで一番高いところにある塩湖で琵琶湖の4倍の大きさがある巨大な湖だ。水の透明度は抜群で、真上から湖底の小石を撮った写真では水があるのが分からないくらいだった。湖岸にはチベット語の文字を刻んだ平らな石がたくさん奉納されていた。 一旦、駐車場近くに戻ってから、岬の山に登ってみることにした。

 運転手が「そんなに急ぐと病気になる」と大声を出しているが、かまわずマイペースで登る。運転手との間は広がるばかりだ。頂上で写真を撮っていたら、ハーハーいいながら運転手が追いついてきた。標高 4830m あるのだからしかたないだろう。山の上からナムツォ湖を見渡すとその大きさがわかる(写真 03)。真っ青な水の向こうに、昨日チベット鉄道で越えてきたタングラ山群も見えるのだが、どれがタングラ山 6621m だか分からない。

   写真 03(山の上から見ると湖の大きさが分かる)

 車でダムションに戻る途中、警察のねずみ捕りに引っかかり、反則切符を切られていた。運転手に「罰金はいくらだ」と聞いてみたら 200 元とのこと。可愛そうなので、今日のタクシー代 800 元と反則金 200 元の計 1000 元をあげたら喜んでいた。そのとき持っている札束を出して 1000 元を数えたので、 運転手が、「お金はいくら持っているか、どういうしまい方をしているか、仕事は何をしているか、収入はいくらか」など、金にまつわる質問を延々とし てきた。これは 1000 元あげたのが拙かったかなと心配になったが、彼としては親切心で言っているようだった。「お札は胴巻きに入れて、人前では絶対に札束を見せないように」とのこと。

  ダムションで昼食。特に上等な食堂ではなく、ごく普通の道路沿いの食堂だった。入口に赤ん坊を背負ったチベット族の子供が立って、お金を恵んでくれと手を出していた。食堂ではどういうわけか、テーブルが並んだ大部屋ではなく、独立した小さな部屋に入れられた。メニューを見てもわからないので運転手に任せたら、結構うまいものを頼んでくれた。

  運転手に、入口の方を指差して、「どうしてチベット族の農民は貧しいのか」と聞いたら、「別に貧しいわけではない。彼らは風呂に入る習慣が無いので真っ黒で貧しく見えるだけだ。自給自足の農牧業なので現金収入がない。だから現金を欲しがるのだ」と言っていた。その運転手は四川省から夏だけ出稼ぎに来た漢族とのことなので、真偽のほどは定かでない。

 運転手が「ラサにはとっておきのいいところがある。そこを案内したいから明日も自分の車に乗らないか」と誘いをかけてきた。先ほど 1000 元数えるとき札束も見せているので、こうなるとどうも怪しい。そこで、「明日からは旅行社に頼んだガイド付きの車で回ることになっている」と言って断った。

  料理は分量が多すぎて半分以上食べ残してしま った。それでも2人分で 50 元(750 円)だった。 勘定を頼んだら、「待ってました」と言わんばかりに見知らぬ客が大部屋から入ってきて、食べ残した皿とご飯を持って出て行ったのには驚いた。これがチベットの流儀なのか、それとも中国の流儀なのか。

 食堂を出たら、運転手はまっすぐラサに帰ると思 っていたらしいが、当方が「ヤンパーチン(羊八井) のプールにも寄ってくれ」と言ったら、「これでラサに帰ってちょうど一日貸切の時間になる」と渋っていたが、交通違反の反則金 200 元をもらった手前、無下には断れないと思ったか、「プールにはどのくらい居るのか」と聞いてきた。「温泉プールで泳ぐ だけなので 30 分ぐらいだ」と言ったら、それならヤンパーチンにも寄ると言ってきた。

  ヤンパーチンの温泉プールには 15:00 ごろつい た。入口で水泳パンツとタオルを買おうとしたが、 タオルは置いてなかった。水泳パンツが 19 元なの にプールの入場料が 70 元とは驚いた。温泉源は自噴しているというのに高すぎる。まず、手前の小さな室内プールに入り、次に外の温泉プールに入った。 ここは 50m で8コースある本格的なプールだ。 プールサイドの看板には「羊八井温泉 4300m」と 書かれていた(写真04)。当方の他に客は6人ほど。 最初は標高を考慮してパチャパチャと水遊び程度の泳ぎをしていたが、一度上がってプールサイドで一服したら標高が高いことを忘れてしまい、飛び込んで一気に 50m を力泳してしまった。対岸のプールサイドについたら、いくら息を吸い込んでも苦しい。プールも深く、当方の口、ぎりぎりまで水深がある。飛び上がりながら息を吸っていたが、苦しくて、苦しくて、このままお陀仏になるのかと思ったほどだった。

    写真 04(ヤンパーチンのプール:標高 4300m)

 少し落ち着いてから、プールを出て服を着ようとしたがタオルがない。手で体の水滴を拭っていたら直に体が乾いてしまった。チベット高原は乾燥しているのだろう。タクシーに戻ったら 45 分かかったそうだ。

 夕食は、ガイドブックに出ていた、大昭寺近くの何とか言うレストランに入った。全体に暗い店だった。座った席の上には電灯がついていない。店員に「電気をつけてくれ」と言ったら、部屋の隅にいた坊さんの袈裟を来た男性が、別のテーブルの上の電灯を取って私の方につけてくれた。いったいこの坊さんは何者だろう。坊さんのアルバイトか。偽坊主か。

 夕食後、ホテル近くのパソコン屋(電脳屋)に行った。若い女の子が店長だった。「日本語表示のパソコンはないか」と中国語で聞いてみたが、全く通じないらしく、「どこの少数民族のおっさんが来たのか」という顔で「バイバイ」という。しかたないので中国語で書き出して示したら、意味がわかったらしく、「中国語がわかるのなら最初から書いてくれればいいのに、ちょっと待って、探してみるから」と書いて寄こした。残念ながら日本語表示できるパ ソコンはなかった。

 ホテルの部屋に入ると直に、コールガールからと思われる、甘ったるい声の電話が入った。最初は中国語で誘い、黙っていたら、途中から英語に変えた。昨日も部屋に入るとすぐ電話がかかってきたので、自宅からだろうと思い「はいはい」と日本語で出たら、すぐ、ガチャンと切れた。 昨日も・今日も、部屋に入ると直に電話がかかってくるのだから、ホテルが「○号室入ったよ」と知らせているのではなかろうか。部屋の机の上には有料のコンドームまで置いてある。コンドームの中国語名は「安全套」となっていた(写真 05)。なにやら怪しげなホテルだ。日本の旅行社が使うホテルではこういうことはないだろう。これもいい社会探訪だ。泊まっている部屋からライトアップされたポタラ宮が良く見える。この部屋はバスタブもついており、広さと言い・景色と言い、このホテルでも上等の部屋なのかもしれない。

   写真 05(ホテルの部屋には有料のコンドームが)

二日目(晴れ)

 今日はガイドの案内でポタラ宮を見る日だ。参観時刻は 12:00 からなので、その前にホテル近くにある、ラサで一番ランクの高い大昭寺を見に行った。大昭寺前は五体投地をしているチベット族の巡礼で一杯だった。五体投地で敷石がすり減るので、大昭寺前の敷石はツルツルだ(写真 06)。入口には仁王様が立っている。日本の仁王様は裸で鬼のような顔をしているが、チベットの仁王様は、どんぐり眼で鎧を着ており、日本と様子が違う。チベットの寺はすべて右回りで参拝するのが作法だという。内陣と外陣を参拝したあと、大昭寺を取り囲むバルコル街を見てホテルに戻った。

    写真 06(五体投地するチベット族:大昭寺前)

  11:30 にガイドが車で迎えに来たのでポタラ宮に出かけた。ポタラ宮に向かって右側の麓が入口で、入場チェックは、パスポートとチベット入域許可書も見せなければならないほど厳重だった。そこを通って建物の外に出たら、目の前にポタラ宮が威圧的に聳えている。宮殿と言うより城砦と言ったほうが 良い(写真 07)。

      写真 07(眼前に聳えるポタラ宮の威容)

 ポタラ宮の前面に作られた階段混じりの坂道を登ってゆくと城内に入る入口がある。そこから少し登ると本殿入口前の広いテラスになり、公衆トイレもある。トイレに入って見たら、大便所の穴の下は高さ 10mぐらいの空間になっていて、外光が差し込んでいる。ということは、急斜面の岩場に張り出して作られたトイレということになる。ポタラ宮を裏(北側)から見たら、岩場の斜面に汚物が一杯へばりついているのが見えるはずだ。

 本殿入口は急な階段で、中に入ると彫刻や仏画がけばけばしい。これがチベットの文化なのだろう。残念ながら本殿内は撮影禁止である。薄暗い階段を登ったり降りたり、小部屋に入って歴代ダライラマの霊塔を見たりしながら、1時間の見学を終えた。正直言ってポタラ宮はあまり面白くなかった。ポタラ宮からの下り斜面で、西方の山の一箇所にものすごいスコールが注いでいるのが見えた。雨に引きずられて雲も垂れ下がっていた(写真 08)。

      写真 08(山に降り注ぐ局地的なスコール)

  ポタラ宮を出たところでガイドと別れ、偶然見つ けた洞窟喫茶に入ってみた(写真 09)。素掘りの洞窟に裸電球がぶらさがり、テーブルがいくつか置いてあった。「花茶」と頼んだらヤクバター茶がポットで出て来た。3元。ヤクバター茶は白濁しており、少し塩味がする飲みやすいお茶だった。店にはお坊さんが3人とその他数人の客がいた。それぞれ仲間と長話を楽しんでいるようだ。チョット気がとがめたが、フラッシュを光らせて写真を撮った。幸い、だれからも文句を言われなかった。お坊さんは日中だというのにビールを飲んでいた。ラマ教の戒律は そんなに厳しくないようだ。それとも偽坊主か?

        写真 09(洞窟喫茶の内部)

 ポット一杯のお茶はとても飲めないので適当なところで出て、その脇にあるトイレに入ったら、臭い・きたないトイレだった。用足しをしてそのまま歩き出したらチベット族のおばさんが追いかけてきて手をつかんで離さない。入口にいた「ちり紙売り」だろうと思ったので、「不要」と言ったがそれでも離さない。どうやら有料トイレらしい。「多少銭?」と聞いたら3角とのこと。それを払って解放された。

 ホテル近くまで人力車で戻り、旧市街の曲がりくねった小路を歩いた。チベット族の民家を民宿にし た”蔵式小旅館” (写真 10)があちこちにある。

      写真 10(旧市街にある民宿:蔵式小旅館)

 歩道を歩いていたら小さい女の子が「お金ちょうだい」とついてきて離れない。何がしか渡したらすぐ離れた。どうもゲーム感覚でやっているようだ。なんとなく幻滅を感じた。別の小路では、坊さんが地面に座って喜捨を求めていた。目の前には既に集めた喜捨の札束が数えて並べてあった。チベットでは僧侶は一番格式の高いステータスなので、道端で物乞いなどしないだろう。多分、偽坊主に違いない。とある小路の交差点でチベット族のおばあさん数人がリズミカルな歌と踊りをやっていた。このあとも各地でチベットの歌を聞いたが、チベットの歌は意外とリズミカルなものが多い。ラサ旧市街の小路歩きはいろいろなことに出会えて面白い。

 旧市街の小路は両側に3階建ての民家がビッシリ建っているので眺望がきかない。しかも小路は曲がりくねり、交差点も直角ではないので、外国人が旧市街に踏み入れたらどこを歩いているのか分からなくなるのは必定(写真 11)。

      写真 11(ラサ旧市街の迷路のような小路)

 ご多分に漏れず当方も現在地が分からなくなった。しかたないので、太陽の光をたよりに、交差点に出るたびに、南の方向へ・南の方向へと曲がって行ったら、旧市街の南を走る大通りに出て、無事にホテルに戻れた。

第三日目(雨のち晴れ)

 今日はショトン祭最大のイベント、デプン寺の大タンカ開帳(タンカ=仏画:曼荼羅)を見に行く日だが、あいにくの雨。晴れていれば朝4時出発の予定だったが、出発を8時にするとガイドから連絡が入った。わざわざチベット一番のお祭りであるこの日に合わせて来たのだから、何としてもご開帳を見たいものである。「雨よ止んでくれ」と心から祈っ た。

  8時にホテルを出発。デプン寺のやや手前の道路に車を止め、人波みの中をデプン寺へと30分ほど坂道を歩いた。幸い雨も小降りになってきた。この坂道は今日は自動車乗り入れ禁止だが、「○○省政府」などと書いたマイクロバスが登ってゆく。役所の車はいいらしい。しかし乗客は女・子供ばかりだ。多分、○○省政府役人の家族旅行なのだろう。中国の官尊民卑は今でもかなり強い。 デプン寺の建物の脇を通って裏山に登る。前も後ろも長蛇の列である。やはりチベットの祭りだけあってチベット族が多い。

 ようやく大タンカを開帳する山の斜面が見えてきた。その斜面が見える場所は 既に、人人人で埋まっていた。 今日は雨のため、大タンカはまだビニールシートで覆われていた。どこか良く見えるところを確保しようと、結構急な斜面を何箇所か移動してみたが良い場所はもう入り込む余裕がなかった。そのうち、ラマ僧が吹き鳴らす、チベットホルン(法螺貝のような音色)の音を合図に、大タンカの上に並んだお坊さんが一斉にビニールシートを引き上げ始めた。ウォーというどよめきのようなものが起き、下から徐々に大タンカが開帳されてゆく。晴れていればタ ンカは上から巻き下ろされてくるのだが。ついに大タンカが全部開帳された(写真 12)。

      写真 12(大タンカが全部開帳された)

  さすがに大きい。タンカに向かって白い布に包んだお賽銭が次々と投げつけられる。そのお賽銭がタンカのあちこちに引っかかっているので、タンカの下に入っているお坊さんがタンカを下から突き上げてお賽銭が下に落ちるようにしている。タンカが開帳された後でも続々と人が登ってくる。お年寄りは周りの人に引き上げたり押し上げたりしてもらいながら斜面をよじ登っている。この祭りに対するチベ ット族の意気込みが伝わってきた。 斜面の一角にチベットで使われている太陽熱湯沸かし器が置いてあった(写真 13)。凹面の金属板で太陽光線を真ん中の鉄の輪に集め、そこに鍋やヤカンを置くらしい。この道具はラサ市内でも、あちこちの住宅の中庭においてあったので、チベットでは現役の道具のようだ。チベットの太陽光線はそれほど強いのだろう。

       写真 13(太陽熱湯沸かし器)

  ショトン祭を見たあと、ラサ市内でガイドと一緒に食事。その後ガイドが、とある土産物屋に連れて行ってくれた。ここでは日本語堪能な店員が出てきた。タンカを見たいと言ったら、持ってきた小さなタンカが 3 万円とのこと。「先日覗いた骨董品屋ではこのくらいの大きさなら3000円で売っていたが」と言ったら、これはデプン寺の活仏が描いたものだという。「ほう」と感心し、その活仏の名前を書いてくれと言ったらメモ用紙にチベット文字でなにか書いて持ってきた。これなら本物だろうと、その気になって買ってしまったが、あとで考えると逆の心理作戦をとられたのかもしれない(わざと高い値段をつけたほうが日本人は買ってゆく)。

 土産物屋を出たあとは一人でラサ市内を周り、職場へのお土産を探した。スーパーマーケットや町の食料品店に行って、「チベットで生産されたものはどれか」と聞いて回った。ほとんど他省で生産されたものばかりで、チベットで生産されたものは、ヤク肉の珍味とヤクバター飴だけだった。見栄えは悪いがそれを買った。 次に大昭寺前広場に行き屋台でその他のみやげ物を買った。マニ車は半額にまけさせた。しかし後で分かったことだが、バルコルの値段は 4~5 倍の値段になっているので、1/3以下に負けさせないと負けさせたことにならないそうだ。

 それから近くの郵便局で小包用の段ボール箱を買った。ホテルに戻り、家に送るみやげ物をつめ、フロントでガムテープをもらって封をした。ホテル近くの郵便局に行って、国際便を出したいといったら、「この郵便局では国際便は出せない。本局へ行け」とのこと。「やれこまった」という顔をしていたら、奥の人が「5分ほどで本局へ行くので車でつれてゆく」といってくれた。ありがたい。感謝の意味を込めて「ご迷惑をかけます」といったら、「なんの、なんの」と言ってくれた。

  ポタラ宮近くの本局に着いたら、係りの窓口まで案内してくれた。そこで日本まで国際便を出したいといったら、もう今日の国際便の受付は終わっている、明日の午前中に来いとのこと。「明日は朝早くからチョモランマに出発するので来られない」といったら、主任と相談していたが「それでは今受け付けよう。ただし発送は明日になる」と融通をきかせてくれた。これはありがたいことだ。チベット鉄道の中から、あちこちに見えた看板「サービス向上運動」のおかげかと感謝した。

 国際便は封をしないで窓口に差し出すのがルールらしい。目の前でガムテープをはがし、一つ一つ内容を確認していた。OKということになり発送引き受けの事務手続きに入った。4kg で送料は300元ぐらいだった。やれやれホッと一息。 夕食後、ホテルに戻ったら今晩もコールガールから電話がかかってきた。明日のチョモランマ行きに備えて、すべての荷物をザックに詰めた。

 

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