アンデス訓練登山(丹沢主脈縦走)

 来年アンデストレッキングに行くので、その体力があるかどうか確かめるため、2007年9月、丹沢でもできるだけ高低差のあるコースを歩いてみた。標高はアンデスに比べたら2000m以上低いので空気の薄さは再現できないが、その分、荷物を重くした。

第一日目(晴)

 娘におにぎりを作ってもらって、家を5:35に出発。登山口の大倉には8:05に着いた。丹沢は40年ぶりなので、渋沢から大倉までの道がベッドタウンになっているのに驚いた。

 大倉で登山カードを書いて8:10出発。避難小屋利用なのでシュラフ・ガスバーナーなどを入れたため荷物は10kg。他のグループに抜かれっぱなしのゆっくりしたペースで登る。塔ヶ岳まで1200m登りっぱなしの一名馬鹿尾根を登る。思ったより林が多く日陰を歩けるので有難い。掘山の家を過ぎたところで11:20になってしまったので昼飯。草の上に寝転んだらいつのまにか寝込んでしまい、そこを出発したのは12:00。三の塔がまだ見上げる位置だ。花立へのきつい登りをフーフー言いながら登っていったら階段の上に「氷」の旗がひらめいている。たまらず花立山荘でカキ氷を頼んだ、400円(写真02)。三の塔を見ながら外で食べたら、快晴の日が暑かった。

       写真02 花立でカキ氷を食べる

 登山者が引きも切らさず登ってくる。塔ヶ岳手前の階段をある中高年グループについて登ったら10分ほどでヒザがおかしくなってきた。こりゃオーバーペースだなと気が付いて、また自分のペースに戻した。13:35塔ヶ岳着。天気がいいので周りの山が良く見える(写真04)。

 写真04 塔ヶ岳から見る桧洞丸

 西側に富士山、桧洞丸、北に蛭ヶ岳、丹沢山、東南に延びる表尾根は結構起伏がある。その先に三の塔と大山。西から雷のような音が間断なく響いてくるが、多分、東富士演習場の射撃の音だろう。これから進む丹沢・蛭も結構起伏があるので、やれやれという感じ。頂上の尊仏様を拝んで尊仏小屋の脇を通り丹沢へ。14:05発。

 塔ヶ岳から丹沢はほぼ平坦だと記憶していたが結構下る。東側のキュウハ沢から涼しい風が吹き上げてきて気持ちよい。ガレが進み尾根がやせているところもあった。その鞍部から少し登ったところで右足がつってきた。こんなこと初めての経験だ。塔ヶ岳手前のオーバーペースが響いたか。階段状の登山道の途中に座り込んで右ひざのマッサージをする。たまたま通りかかった登山者が「これは「つり」に即効性のある薬だ。病院で処方してもらった薬だから大丈夫だ」と言って、ツムラという製薬会社の顆粒をくれた。早速飲んで30分ほどしたら「つり」も直ったので出発。よく効くものだ。

 塔ヶ岳を過ぎたら登山者の数もめっきり減った。40年前の記憶では稜線付近もサルオガセの垂れ下がったブナの林が密生していたと思うのだが、ブナ林はまばらになっていた。それでも一般の広葉樹は結構残っていた。ガレも思ったほどには進んでいなかった。まだ緑が豊富だ。鹿の食害から林を護るため至る所に金網が張ってあった。

 緑の熊笹の中を曲がりくねって登山道が続いている。その中を中年の登山者が一人歩いてくるので絵になる(写真06)。写真を撮ろうとしたら遠慮して脇に退こうとするので「そのまま、そのまま」といって写真を撮った。聞くと、大倉から蛭を日帰りで往復した帰りとのこと。上には上がいるものだ。

       写真06 塔が岳~丹沢に続く尾根道

 丹沢山15:40着。この時間では蛭まで行くのは無理なので丹沢山頂の「みやま山荘」に泊まることにした(写真08)。  

         写真08 丹沢・みやま山荘

 山頂は平らでその片隅の一段低いところにみやま山荘が建っている。みやま山荘はまだ建て替えたばかりらしくキレイだった。大昔、当方が中学生だったころは、雨露をしのぐ程度の無人の草小屋にすぎなかったのだが。

 みやま山荘の主は丹沢を知り尽くしているという感じだった。神ノ川乗越の水場を聞いたら、即座に「左側に10分下る。水はザーザー流れているので枯れることはない」と返事が返ってきた。「大昔、丹沢の山頂に草小屋があったが」と話したら、「草小屋があった場所はここだ」とのこと。

 今晩の泊り客は20人ぐらい。寝場所はカイコ棚の下段。布団の幅分でぎっしりつめれば40人は泊まれるだろう。隣に塔ヶ岳の頂上であった70歳というおじいさんが入ってきた。その人と晩飯まで話がはずむ。50を過ぎてから山を始めたそうだ。鶴見区に住んでいるという。18:00から食事。今日の人数では食堂も1回転で済んだ。食事は旨かった。19:15には就寝。布団をかぶると暑いくらいだった。夜は霧が出てしまい都会の夜景は見られなかった。

第二日目(曇りのち小雨)

 みやま山荘を6:00発。霧に包まれていて景色は何も見えない。道標によると真っ直ぐ進むのが三峰経由で宮が瀬に下る道。蛭へは直角に左へ曲がる。一旦下って少し登ると不動の峰。ここには休憩所ができていた。棚沢の頭で5人組のパーティーを追い抜いた。鬼が岩の鎖場を簡単にパス。蛭への登り返しも大したことはなかった。蛭ヶ岳7:50着。蛭ヶ岳山荘の番犬がうるさかった。霧で何も見えないので蛭の頂上(写真10)は小休止だけで8:05発。

          写真10 蛭ヶ岳山頂

 今までは登山道が丸太の階段の連続になっているところが多かったが、桧洞への道に入ったら昔ながらの、土の上を歩く登山道になった。いきなりガンガン下る。300mは下っている。できるだけ高低差の多い道を選んだとはいえ先の登り返しが思いやられる。

 臼が岳の途中で一瞬霧が晴れ丹沢・塔が見えた。さすが桧洞のコースに入ったら誰にも会わない。静かな山道を進む。臼が岳で道が直角に折れ神ノ川乗越に下ってゆく。神ノ川乗越10:00着。薄暗い陰気なところだ。軽装の若者がすごい速さで蛭から桧洞に向かって追い越していった。

 ここで水場まで10分下り、水3㍑を補給。小さな涸れ谷を下って行くのだが、先般の台風でかなり荒れていた。水場は沢の源流で水が豊富に湧き出していた。神ノ川乗越に戻って荷物を纏めていたら、今度は更に軽装の若者が飛ぶように蛭の方向から降りてきた。水筒しか持っていないという感じだった。聞いてみたら、塔~桧洞往復のマラソン登山をしているとのこと。駆け上がるように桧洞の方向に消えていった。あんな軽装で、けがをしたり、ビバークしなければならないときはどうするのだろう。

 神ノ川乗越10:45発。水が3kg増えたので荷が重い。ここからの桧洞への登りはつらかった。おまけに雨も降ってきたのでポンチョを着て汗をかきながら、ゆっくりゆっくり登る。金山谷乗越の付近は結構ガレが進んでいた。ここには鉄の橋もかけてあった。「金山谷へ」という小さな道標があったが道は獣道程度のたよりないものだった。

 桧洞への急な登りが続く。覚悟していたがかなりきつかった。その途中で先ほどのマラソン登山の若者が下ってきた。その後から高年3人組(女性2人と男性)が下ってきたので頂上までの時間を聞く。あと15分ぐらいらしい。

 12:30ようやくブナ林の桧洞丸についた。雨なので青が岳山荘に入って昼食。小屋の主は男も女も無愛想。みやま山荘の弁当を食べていたら「みやま山荘の弁当はどんなもんかね」と覗きにきた。「みやまでは食堂は1回転だったか」と泊り客の数も気になるらしい。弁当を食べていたら単独行の登山者一人が入ってきた。この雨では先に進もうか西丹沢に戻ろうかと迷っている様子だった。13:20桧洞丸発。頂上のブナ林は(写真14)、大昔、兄貴に連れてきてもらったときより疎らになっていた。

        写真14 桧洞丸頂上のブナ林

 右側に下りる犬越路の道に入る。頂上直下は傾斜はそうきつくないが、かなりガレていた。じきに大笄(おおこうげ)というところで神ノ川ヒュッテへの道が右に分かれていく。だんだんと尾根がやせて傾斜も急になった。所々鎖場もある。この辺が小笄(ここうげ)という鎖場なのだろう(写真16)。

          写真16 小笄の鎖場

 ポンチョを着ているので足元が見えず難儀な下りが続く。袖を通す合羽を置いてきたことが悔やまれる。おまけに神ノ川側からの風でポンチョがあおられ、その都度手で押さえて足元を確認しなければならないので鎖場では神経を使う。

 とうとう、やせ尾根で虚空に足をついてしまい、神ノ川側の斜面に転げ落ちた。しまった、ついにお陀仏かと思ったが、斜面を転がり落ちるのではなく、急斜面を滑り落ちてゆくのが分かった。一旦止まりかけたが、また急斜面にかかったのか、勢いつけて滑り落ちてゆく。時間的には一瞬だろうがずいぶん長く感じた。

 どうやら止まったので体のあちこちを触ってみたが、どこにも怪我はなさそうだ。見上げると10mぐらい落ちていた。途中にごつごつと岩の出た2mぐらいの壁があったので、あそこで再加速したのだろう。岩だらけのがれ場ではなく、疎らに木の生えた土の多い斜面だったのが幸いしたようだ。立ち上がると体中泥だらけ。そこから水平にトラバースして登山道に戻った。

 これに懲りてポンチョを脱ぎ、雨に濡れならが犬越路に向けて下った。たまたま時計を見たら左手の甲から血が出ていた。「犬越路トンネルへ」という道標を過ぎると傾斜も緩くなり、直に犬越路に着いた(写真18)。濃霧に覆われて避難小屋もかすんでいた。神ノ川への道は「台風9号のため崩壊しているので通行止め」とロープが張ってあった。

        写真18 犬越路の鞍部と避難小屋

 小屋には16:15着。ホッとした。最近建て替えたばかりなのでまだ木の香りがするきれいな避難小屋だった(写真20)。

       写真20 犬越路の避難小屋の中

 まず服を全部着替えた。乾いた服に着替えると暖かい。16:30頃、扉が開いたので他の登山者が来たかと振り向いたら、山岳パトロールの隊員らしい。「今日は一人ですか」とだけ言って出て行った。これから桧洞丸に登るとのこと。「桧洞までは3時間かかるので、いまからでは19時を過ぎて暗くなってしまうのでは」と聞いたら、「そうですよ」と意に介していない感じだった。さすがは山岳パトロール隊員だ。

 明日の天気予報を聞くため、携帯ラジオをつけっぱなしにして夕食の準備。自民党の総裁選で福田が選ばれたニュースばかりで、なかなか天気予報をやらない。ラジオの番組欄を調べてくるべきだった。今日と明日で3㍑の水しか使えないので、食事はできるだけ水を使わないよう、餅を用意してきた。ガスバーナーに網を乗せて餅を焼き海苔を巻いて食べた。次に500ccのお湯を沸かしてカップ麺、300ccのお湯でココアを飲んだ。

 避難小屋利用簿に記入していたら、19時のニュースの直前になって待望の天気予報が聞けた。明日は曇りとのこと。19:30には寝袋に入って寝た。ひじを突いたら痛い。どうやら左ひじをかなり強く打ったらしい。右手の手のひらにも切り傷ができていた。持参の薬で消毒しバンテープを張った。

第三日目(曇り)

 目が覚めたらもう6:00だった。しまった寝すぎた。でも熟睡できた証拠だ。早速食事の支度にかかる。昨日と同じメニュー。餅とカップ麺とココアも2食続くと飽きる。小屋の掃除をして8:15出発。
 濃霧に包まれているが雨は降っていなかった。いきなり急登が続く。両側の熊笹が濡れているので雨の中を歩いているのと同じ。たまらずポンチョをかぶった。急登は30分ぐらいで終わり比較的なだらかな尾根道になった。静かだ。霧の中にブナが影絵のようにそびえている。なかなか幻想的だ。鹿の食害防止用の金網を張ったところは林もこんもり茂っているが、その外側はずいぶん木が薄くなっている。こんなに違うものかと驚いた。

 大室山分岐には10:10に着いた。平らな広場に休憩用のテーブルがあった。ここでまず一服。荷物を置いて大室山を往復した。一瞬薄日がさしてきたがすぐ雲が厚くなった。ほとんど平らな道を5分で大室山に着いた(写真22)。

          写真22 大室山山頂

 木立が茂り展望は何もないが静かな山だ。道志川に下る道が2本あったがどちらも頼りなさそうなトレールだ。写真だけ撮ってすぐ引き返し、大室山分岐を10:40に出発。

 しばらくは平坦な高原状の道が続く。熊笹が茂った上に長い木道が設置されていた。これは何のためだろう。それが終わると急な下りになった。丸太の階段と登山道からはみ出さないよう目印の柵が続く。よくこれだけの長さ作ったものだ。人間に対する自然保護対策も大変なものだ。急坂をおりきったところは両側から削られたやせ尾根のコルになっていた。「破風口」と書いた道標が建っていた。名前の通り中川の方向から冷たい風が吹き抜けていた。大室から加入道の山道は静かだった(写真24)。

      写真24 大室山から加入道への山道

 前大室からは道も平らとなり、加入道山頂上にある避難小屋についた(写真26)、12:00。

     写真26 山頂にある加入道避難小屋の入口

 小屋はやや古いが掃除も行き届き寝具も置いてあったのには驚いた。小屋に入って昼飯を食べていたら中年のご夫婦が入ってきた。相模原に住んでいて車で道志村まできて、そこから登ってきたとのこと。

 12:45加入道小屋発。すぐ下りになる。道に突き出た岩が白くなった。結晶質石灰岩のような感じだが、この辺に石灰岩地帯があるとは聞いたことがない。白石峠13:05通過。ここから左に折れていよいよ山を下る。かなり急な下りだ。しかも窪地状の道なので、先般の台風9号で水が流れたらしく、大きな岩がゴロゴロ押し出している(写真28)。歩きにくいことおびただしい。距離で300m下るのに20分もかかった。これなら多少遠回りでも尾根道を下ればよかった。台風後の谷道の読みが足りなかった。

      写真28 白石峠から下る道(大荒れ)

 30分ほど下ると水が湧き出し沢になった。まず水をたらふく飲みタバコを吸う。更に下ると右手に大きな滝が見えた。案内板には「白石の滝、別名大理石の滝とも呼ばれ、この付近が大理石の産地であったことを物語っています」と書いてあった。そうか山道に突き出していた白い石は大理石だったのか。それなら結晶質石灰岩でもまんざら間違いではない。丹沢にも石灰岩があったとは知らなかった。でも穴の情報は聞いたことがない。

 小尾根を乗り越え大きな沢に向かって下ってゆく。その沢に出てからが大変だった。台風でめちゃくちゃに荒れていた。橋は流され渡渉の連続。でも飛び石伝いに渡れるところばかりだったので登山靴をぬらすことはなかった。本来なら沢の脇に建っていたと思われる道標が河原の真ん中なっているところもあった(写真30)。相当大量の岩石が押し流されてきたらしい。堰堤も根元の土が流されている(写真32)。

     写真30 土砂で河原の真ん中になった道標

      写真32 大水でえぐられた擁壁の基礎

 15:20ようやく自動車が通れる林道終点にたどり着いた。そこからは鼻歌交じりで西丹沢のバス停に向けてセコセコ歩いた。緊張から解放されたので沢水の青さが美しいと感じるようになった(写真34)。

         写真34 水のキレイな沢

 犬越路への登山口を見送ると、オートキャンプ場など、人のいる世界に入った。休日だというのに空いていた。天気が悪いからだろう。おかげで自動車も少なく気持ちよく歩けた。見上げる山の頂はどこも雲に隠れている。16:05緑の屋根の西丹沢自然教室に着いた。ここがバス乗り場。16:20発のバスに間に合った。

 バスの中からみた丹沢湖(写真36)は水が緑色に淀んでいた。あんなにキレイな沢水がダムに溜まるとどうして緑色に淀むのだろう。上高地に向かう途中のダム湖しかり、奈良県十津川のダム湖もしかりだった。

           写真36 丹沢湖

 13kgの荷物で桧洞の登りであれだけフーフー音をあげたのでは、来年のアンデストレッキングが心配だ。

 丹沢主脈縦走を山中湖までたどりたい方は、このHPの、その他編「神奈川県境踏破3」を参照して下さい。

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