ペルーアンデスにトレッキングに行くための足馴らしに、2008年7月、山開きの日に夜行日帰りで富士山に登った。天気にも恵まれ快適な登山であったが、頂上は外国人だらけ。一瞬これが日本の山かと疑いたくなるような光景であった。
前日午後(晴れ)
市ヶ尾駅前15:20発の東名高速バスで河口湖に向かった。山中湖を過ぎる辺りから「どうやらこれでは河口湖17:00発の五合目行きバスに間に合わないのではないか」と心配になり始めた。高速バスなら無線機の設備はあるだろうと、運転手に「五合目行きのバスの接続を取ってくれるよう、富士急行に頼んでくれないか」と依頼した。しばらくして「OK」との返事がもらえた。
河口湖駅前に15分遅れで着いたら、富士急行のバスの運転手が高速バスの停留場に来ていて、「駅で切符を買って早く乗ってくれ」という。駅で切符を買い、「私のために出発を遅らせたのだから、何か一言挨拶しようと」考えながら富士急行のバスに急いだ。乗り込んでみて驚いた。外国人ばかり。一瞬声が詰まって挨拶できなかった。軽く会釈だけして、空いていた一番前の席に座った。バスはすぐ出発。五合目に18:30に着いた。夕日がきれいだった(写真02)。
写真02 船津口五合目の夕日とレストラン
五合目の食堂で夕食をとろうと考えてきたのだが、団体で貸切とのこと。2~3軒あたってみたがどこも同じ。結局夕食は食べられなかった。これは番狂わせ。「途中の石室でも食べられるか」と聞いてみたら、「石室?」と聞き返されてしまった。今は「山小屋」というらしい。前回登ったのは大学4年の時なので、40年の月日が経過している。時の流れを感じた。しかたがないので売店で金剛杖だけ買って歩き出した。どういうわけか日の丸と鈴が付いている。高度計を五合目の標高2300mにあわせた。
登山開始
五合目出発18:40。御中道を進んでいたら日本人の顔つきをした人物がいたので、話しかけたら中国人だった。今は米国に住んでいるという。英語と中国語をちゃんぽんに混ぜながら会話した。今日は五合目の佐藤小屋に泊まり、明日頂上を目指すとのこと。吉田口五合目に行く道と六合目に行く道が分かれるところで別れた。
腹が空いたので、御中道の脇でラーメンを作って食べた。ここで貴重な水の半分がなくなる。箸を忘れてきたので落ちている枯れ枝で箸を作って食べた。食べ終わった頃にはもう真っ暗になっていた。脇を外国人のグループが何組も何組も通り過ぎてゆく。日本の山とは思えない雰囲気だ。
吉田口六合目と合流するところに警察の登山指導所があり、注意事項のパンフを渡された。年寄りの単独登山と見たのか、かなり詳しく説明するので「40年ぶりだが、吉田口から冬富士に4回登っている」と言ったら、「それなら大丈夫でしょう、お気をつけて」と説明を打ち切った。
いよいよ砂礫の大きな斜面をジグザグに登りだした。七合目までかなりの登りがある。ヘッドライトはLEDなので軽い。時々元気な外国人グループが追い抜いてゆく。下界は雲海が覆っているが、ここはもう雲の上なので満天の星だ。
七合目21:00着。登山道は必ず石室の前を通るようになっている。石室の前には必ずベンチが置かれている。外国人がアノラックをかぶって休んでいる(写真04)。ベンチの手すりにカメラを載せて、開放で下界の写真を撮る。案外うまく撮れるものだ(写真06)。
写真04 石室前のベンチで休む外国人
写真06 開放で夜景を撮る(河口湖方面)
石室にはまだ電気がついていて中は明るいところが多いが、食事ができるところはなかった。下を見ると登山者のヘッドライトが続き、それがゆらゆら揺れている。適当に挨拶しながら追い越したり、追い越されたりしながら登る。アメリカよりヨーロッパから来たグループの方がずっと多かった。イギリス、ドイツ、フランス、アイルランドなど。
夜行登山で、しかも標高が高いので涼しい。それでも七合目から八合目の長さにはうんざりした。しかも結構岩場がある。今までは冬しか登ったことがないので岩場は雪と氷に隠れていたのだろう。標高も、もう3000mを越えている。石室前に標高が書いてあるが、3000mを越えると、高度計がそれと狂い始めた。
仮眠
八合目の最後あたりの石室に0:30ごろたどり着いたら、「食事できます、仮眠もできます」と呼び込みをやっていた。「これは有難い」と入り、早速カレーを注文。というよりご飯物はカレーしかなかった。お茶が小さな湯飲みに一杯だけ付いた。食べ終わってお茶のお代わりを頼んだら、有料だとのこと。雨水しか期待できない富士山では、水はそれほど貴重なのだろう。
食べ終わってもまだ1:00。頂上まではあと1時間半とのこと。このまま登ったら、寒い頂上でご来光まで時間をつぶさなければならないので、ここで仮眠することにした。仮眠は1時間1000円、ベッドを使うと時間制限はないが4000円とのこと。ゴザを敷いた大きな部屋にそのまま寝転んで仮眠。30分もするとやはり寒さを感じるようになった。
ご来光(晴れ)
2:30出発。いよいよ胸突き八丁の急坂に差しかかかる。まだ地平線も暗い。頂上直下の鳥居の向きが40年前と変わったような気がする。しかも前より鳥居の数が増えている。そんなことに気を取られていたら、ひょっこり頂上に出た。3:30。
吉田口浅間神社の石室の影には数組のグループがいて、夜明け前の寒さにうずくまっていた。その先の小高い山の頂に人影がたくさん見えたので、そちらに行ってご来光を待つことにした。行ってみたら外国人ばかり。日本人は夜行登山というようなハードスケジュールは組まないのか。とにかく西洋人のタフさに驚いた。しかも若者が圧倒的多い。ドイツ人の10人ぐらいのグループが声高に話し合っているので、ドイツ語ばかり目立つ(写真07)。日本では山登りといえば中高年のスポーツになってしまったのに。
写真07 騒々しいドイツの青年グループ
山の頂では風が当たって寒いので、溶岩壁の風下に待避して日の出を待つ。4:26、ついにご来光。雲海の上にパッと赤い光が輝いた。徐々に雲海の上の雲の峰々にも日がさして金色に染めてゆく。山の頂に這い出して小生も撮影に精を出す。外国人グループから歓声が上がる。外国人は頂上の鳥居にコインを差しはさんでいく(写真08)。外国人向けのガイドブックに、いいかげんなことが書いてあるのだろう。お鉢にはまだ結構雪が残っていた(写真09)。
写真08 外国人は頂上の鳥居にコインを差す
写真09 お鉢の雪と剣が峰にあたる朝日
お鉢回り
4:35時計回りにお鉢回り開始。溶岩が千切れたような巨大な火山弾や、爆風でくにゃくにゃに曲がった溶岩の板が転がっている(写真10)。お鉢内の岩場にはツララが一杯垂れ下がっている(写真11)。宝永山を見下ろし、銀名水に到着(写真12)。昔はここに水が湧き出していたとのこと。こんなコークスだらけの頂上に本当に水が湧き出したのか。山開きの頃の雪解け水が湧き出しただけではないか。
写真10 爆発で折れ曲がった溶岩
写真11 お鉢内の岩場に垂れ下がるツララ
写真12 銀名水(御殿場口頂上)
そこから角を曲がるとすぐ、富士宮口頂上の浅間神社に到着。ここで浅間神社のお札でも買っていこうと思っていたのだが、まだ硬く閉まったままだった。頂上奥宮の標識を入れて写真を撮る(写真13)。
写真13 頂上浅間神社で記念撮影
神社を囲む石壁の間を通ってゆくと、何かの事務所があり、その付近の地面は一面に氷が張っていた。すぐ傍にはブルドーザーも止まっていた。頂上までブルが来るとは思わなかった。その先には剣が峰が聳えている。剣が峰の後ろの雲海に影富士がきれいに写っている。すれ違うのは外国人ばかり。彼らもその影富士を撮っていた。パンフレットで調べてきているのだろう。
剣が峰までの登りは大して苦にならなかった。5:48剣が峰到着。頂上の測候所の入口は鉄の扉で閉じられていた。測候所の脇ではフランス人5~6人のグループが休んでいた(写真14)。
写真14 頂上測候所で休むフランス人
彼らに頼んで「日本最高峰富士山剣が峰」の碑の前で写真を撮ってもらった。そうしたら、「それにはなんと書いてあるか」と聞いてきた。「かくかくしかじか」と英語で説明したら、ワッと石碑の前に集まって「俺たちの写真も撮ってくれ」と言ってきた。
シャッターを押そうとしたら、みんなが「バンザイ」を始めた。「富士山の頂上ではバンザイをする」とでもガイドブックに紹介されているのだろう。「バンザイとはどういう意味だ」と聞いてきた。「ブラボー」というような意味だと説明していたら、近くにいたボストン在住の中国人(昨日五合目であった中国人とは別人)が、「そうではない、こういう意味だ」と、流暢な英語で長いこと説明していた。バンザイの本家本元の中国人ならもっと本質的な万歳の意味を説明していたのだろう。小生には聞き取れなった。
6:20剣が峰を出発。剣が峰は測候所の先で通行禁止になっているので、ちょっと富士宮口方向に戻ったところからお鉢側の斜面をトラバースして行かねばならない。その斜面にまだ雪渓がたくさん残っているので注意しながら進んだ。お鉢内の勾配をクリノメータで測ったら、虎岩の基部までの勾配は35度だった。大沢崩れを覗きたいとお鉢の縁まで行ってみたが、大沢の源頭とは違うところだった。広い平坦地の金明水付近を通り、雲海の上に浮かぶ八ヶ岳を眺め、吉田口頂上に戻ったのは7:05だった(写真16)。
写真16 吉田口頂上の石室群
下山
この頃になると登山者が続々と下から登ってくる。日本人が多い。日本人が多いと必然的に中高年の登山者も多くなった。晴れているので下界が良く見える。はるか下方から続く斜面に、石室が続き、登山者の列が続いている。しばらく休んでから7:40下山開始。「コークス状のガラガラの斜面を飛ぶように下る」といいたいところだが、登り優先で道を譲るのでそうもいかない。見上げると「お額岩」の溶岩壁にツララが結構たれている。
八合目付近で、昨日、御中道で別れた中国人とバッタリ出会った。この暑い中の登山は大変そうだった。富士山は涼しい夜行登山に限ると思った次第。上から見ると、各石室は屋根が斜面に埋もれるように建っている(写真18)。もう客が全部出払ったのか、その屋根に布団を干している石室もあった。
写真18 八合目石室群の屋根
八合目の登山道脇に雪が随分残っていた。昨日は暗くて写真が取れなかったので、改めて写真を撮った。道の脇に大きな四角い砂袋を積み上げて壁を作っているところもあった。登山道が崩れてきた砂礫で埋められるのを防いでいるのだろう。林間学校の行事として富士登山している高校生の集団とすれ違った。すでによたよたという生徒もいた(写真20)。この生徒は早晩リタイアするだろうから、それについて下る先生も必要だ。大集団を引率するのは大変だな。
写真20 八合目を登る高校生の集団
六合目に10:10ごろ着いた。もう水がないのでコカコーラを買って飲んだ。500mlが500円とは高いが、うまかった。高尾山から来たと言う修行僧の一団と出会った。それぞれ山伏姿をしてかっこよかった(写真22)。
写真22 高尾山からの修行僧
六合目の登山指導所には10:50に着いた。この頃には霧が出てきた。バスの時間までまだ間があるので、砂礫の上で横になって時間つぶし。帰りのバスは五合目12:20発。河口湖14:00発の高速バスで市ヶ尾へ。まだ明るいうちに家に着いた。
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