アイスランド紀行

 2002年9月、アイスランドで開催される第10回 国際火山洞窟学会に先立ち、アイスランドの概要を把握しておこうと、大学同期の友人と2人でアイスランドを2/3周したときの記録である。アイスランドの自然は日本とケタ違いで、原始状態の地球を見ている思いだった。

        写真01 アイスランド2/3周のコース

 本来は、日本→フランクフルト→パリ→アイスランドの予定だったが、航空券を買ってから、アイスランド航空のパリ発が運休となってしまったので、パリからロンドンまで飛んでアイスランド行きに乗った。途中で3回も乗り継ぎがあるので、荷物が無事に着くか心配だったが、同じ飛行機でアイスラン ドに着いた。成田を午前 11時に発って、アイスランドの首都レイキャビックに着いたのは午前 1時半(実時間25時間)。それからさらに、各ホテルを回るバスで宿に着いたのは午前2時を過ぎていた。

第一日目(雨)
 レイキャビック空港で 7:30発のアークレイリ行きに乗った。60人乗りぐらいの双発機で翼は機体の上についていた。これならどこに座っても下界が見える。しかし、あいにくの雨で期待していた氷河は見られなかった。8:15にアークレイリに着いた。レンタカーはハーツでトヨタの普通車タイプの4駆を借りた。ガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、ついでにスコップとガスボンベ(ガスバーナー用)を買った。スコップは泥道で車をとられた時の掘り起こし用だ。

 約80km走り、ミーバトン湖の流出口に到着。途中、この雨の中を徒歩で旅行しているトレッカーもいた。我々の車が追いぬいても特にヒッチハイクする気配は見られない。彼らの体力・精神力に驚く。いくつかわき道に入ってみたが、牧場の入り口はみな10cm間隔で鉄のパイプを渡し、その下を浅く掘ってあった。あとで分かった事だが、これはキャトルグリッド(cattle grid)と言って、羊が逃げ出さないための装置なのだそうだ。これなら自動車や人間は通れるが、羊は足を落としてしまい通れない。うまく考えたものだ。この装置がついていないところはまだ、牧場に扉が残っているとのこと。

 11:50にミーバトン湖のプセドウに到着した。プセドウは1回の爆発で出来た小クレータ群(写真03)が湖の脇に折り重なっている。しかもそのクレータがほとんど侵食や破壊も受けずに残っている。このような地形は珍しい。傘をさしてクレータ群の間を散策した。

    写真03 プセドウ(一回の噴火でできた小火口群)

 溶岩地形で有名なディムボルギルに寄ってからグロウタギャウの洞窟温泉に行った。14:30着。ギャウとは、マントル対流が地表に到達して左右に分かれるところに出来る裂け目のことである。溶岩流の高さは10mほど。その端が南北に割れたギャウになっている(写真06)。

 写真06 グロウタギャウの裂け目(湯気に注意)

 ギャウの下に温泉が湧いている洞窟がある。洞窟への入口は30mほど離れて2つあいていた(写真 07)。腰をかがめて入りチョット下ると、長さ15m 幅4mほどの湯だまりがあった(写真08)。湯はゆるやかに流れていたので溜まり湯ではない。手を入れてみたらかなり熱い。若干白濁し、やや硫黄臭がする。

         写真07 洞窟温泉の入り口

          写真08 洞窟温泉の湯船

 入るには熱過ぎるが、温泉キチガイとしては我慢してでも入り、記録写真を残さなければならない。相棒に撮影を頼むと、早速裸になり湯船にそっと入ったが歯を食いしばるほど熱い。中央付近は背が立たないほど深い。端っこの背が立つところで、さも気持ち良さそうなポーズをとる。じきに手足がしびれてきた。丁度、那須鹿の湯の一番熱い湯船と同じ 感じだ。48℃ぐらいなのだろう。たまたま来合せた外国人が、「オー」と言って写真をとっていた。こんな熱い湯に入る日本人はクレイジーだと思われたかもしれない。

 グロウタギャウで楽しんだ後、マウナカルスの地熱地帯を見に行くことにした。16:00にその地熱地帯に着いたが、日本の地獄のほうがよっぽどましだ。大したことなし。
 マウナカルスなら他にも地熱地帯があるだろうと、国道から離れて、適当にマウナカルスの山中についている自動車道を登ったら、折からの雨でやわらかくなった火山灰の泥濘がひどく、ハンドルを取られて思うように進めなくなった。
 しまった、脱出できるだろうか。一時は、「これはSOSかも」と本気で思いこむ状態になったが、帰りは下りが多かったため何とか脱出できた。車が45度もあらぬ方向を向いて斜面を下る時もあった。雨の泥道はアンタッチャブルだ。

 レイキャフリーズのホテルには 18:00 に入った。ホテルのレストランで食事したが、田舎の割に高かった。当方は日本を出てからほとんど寝ていないので、デザートをとりながらコックリしていたそうだ。この夜は前後不覚で寝た。

第二日目(曇のち雨)
 今日はアスキャに挑戦する日だ。朝食が遅いのと、出発準備に手間取り 9:30にホテルを出発。念のため近くのGSで満タンにした。セルフサービスなので使い方が分からず一苦労。R1を東に快調に飛ばす。前後に車は見えない。国道の拡幅工事をやっていたが、拡幅した別線を作るという方式だった。土地はいくらでもあるのだから、片側通行で色々な対策をとるよりその方が安上がりなのだろう。国道に沿って溶岩流の上を一直線に結ぶケルンが延々と続いていた。なんのためのケルンなのだろう。

 いよいよアスキャ入口についた。アスキャはアイスランドの一番内陸部にある直径10kmほどのカルデラで、アメリカのアポロ計画の際、月面着陸や歩行の訓練に使ったところだそうである。それほど月面に条件が似ているところらしい。しかもその火口湖は温泉とのこと。世界一大きな露天風呂に入るべく、難コースに挑戦しようという訳だ。

 10:15、アスキャ入口にあるフロッサボルグという半分こわれかかったクレータを出発。F88を南に向かう。F道路とは山岳道路を意味し、未舗装であることはもちろん、原則として川に橋がない。川にぶちあたったら車で渡河しなければならない。

 低く垂れ込めた雲の中にこれから向かう山々が連なっている。初めのうちは道路も平坦で快調に飛ばせた。両側は一面、表面が滑らかで平らな溶岩流が覆っている。草木は一本もない。苔が所々生えているだけ。まるで死の世界だ。前後に続く車は見当た らない。ここは仲間が欲しいのだが。
 前方に小屋の形をしたコンテナのようなものが見えてきた。その付近の道路には、ばら撒いたばかりの土砂(かなり大きな石ころも混じっている)があり、車の腹にその大石がゴツン・ゴツンとあたる。えらく運転しづらい。少し進むとダンプカーが土砂を蒔いていた。F道路の手入れなんだろうが、今日やっているとは運が悪い。

 11:45に最初の渡河地点に到着。入口から40kmの地点。長靴を履いて深さを測る。これ以上深かったら渡河は無理だという目安の線(40cm)を軽く越えてしまった。最初の渡河点はなんとかクリアできるだろうという予想は無残にも崩れた。雨で増水しているらしい(写真12)。

         写真12 最初の渡河地点は水が満々

 未練がましくその付近の他の地点を調べたが、他に渡河出来そうなところはない。11:55、あきらめて引き返した。少し戻ったところでゴツイジープが登ってきた。これなら間違いなく渡れるほど腰が高く、車輪もでかかった。あれに引っ張ってもらおうかと一瞬考えたが、帰りも同一コースかどうか分からない。後ろを振り返りつつ元来た道を引き返した。
 アスキャ入口の半分壊れたクレータに車ごと入ってみた。砂地なので道がないところでも走れた。クレータの縁に登って火口を見下ろすと、まん丸の原っぱが緑の苔に覆われ、馬鹿でかい野球場のようだった(写真13)。13:50にクレータに別れを告げて出発。

          写真13 クレーターの中は野球場のよう

 時間があまってしまったので、明日に予定をしていたデティフォスの滝のかかる渓谷を往復することにした。昼飯をとるため地図でキャンプ地と書いてあったところにいったら、農家が 2~3軒あるだけ。店などない。「どこか食べられる所はないか」と農家に声をかけたら、おばさんが奥から日本人を呼んで来たのにはビックリした。聞いてみると、オーロラ観測に来た極地研の佐藤さんとのこと。向うもビックリしたそうだ。この付近に飯を食えるところはないそうだ。まさか飯を食わせてくれとも言えないので、昼飯抜きでデティフ ォスの滝に向かった。

 R864を一路北に走る。F道路ではないが未舗装で結構凸凹している。渓谷沿いと言ってもだだっ広い平原をゆくのと同じだ。地図の等高線をたよりに地形を読み、現在地を推定する。14:30にデティフォ スの滝の東側展望台についた。強い雨風。滝の付近から白い水煙が上がり、その下流は両岸垂直な峡谷となっていた(写真 14)。その峡谷の更に下流は両岸とも水平な地層面(溶岩面)が現れた階段状の斜面になっていた。まるで(ミニ)グランドキャニオ ンのようだ。

    写真14 デティホスの滝の水煙と下流の峡谷

 雨具を着て滝の落ち口まで降りた(写真15)。日本のように立入禁止の柵などない。「危険は個人の責任で行動されたし」ということなのだろう。滝の高さは 50mぐらいだが、ヨーロッパ最大の水量を誇ると言うだけあって、ものすごい迫力だ。氷河から流れ出す川なので水は灰色に濁っている。滝の反対側の西側斜面にもカラフルなアノラックを着た見物客 が何人かいた。

     写真 15 ものすごい水量のデティホスの滝

 じっくり楽しんで、15:20にデティフォスの滝を出発。高原を緩やかに下って行くと、ようやく北の海岸沿いを走る R85が見えてきた。デティフォスの滝があるヨークルス川にかかる白い釣橋が美しい。その外側は延々と氷河の堆積物が続き、海はかすんで見えない。釣橋のたもとにGS兼食堂があったので遅い昼飯をとった。16:00だった。

 腹ごしらえのあと、アウスビルギルという火口を持った溶岩台地を尋ねた。ここは溶岩台地の大半が水に流され、残っているのは、入口付近の一部の台地と火口のうしろ半分の壁だけ。火口湖を取り囲んで半円形に高さ100mほどの絶壁がそびえていた。火口湖で声を上げると何時までもエコーが響くというのでやってみたら、本当にいつまでもこだましていた。
 火口湖の水は澄んでいた。地面からは飛びたてないカモメのような鳥が沢山いた。人が近付くと不恰好に地面を転げながら逃げていた(写真18)。

       写真18 地面から飛び立てない鳥

 そこを17:00に出発。こんどはミニグランドキャニオンの西側を走るF862を登り返してR1へ。道はかなり悪かった。凸凹も多く、雨の後なので水溜りが多い。車は全身泥だらけ。道路脇にどこから来たのか雨に打たれながら、はぐれ羊がいた。付近に牧場らしきものは見えない。でも本羊は平気な顔をして悠然と草を食んでいた。

 約60km走って19:40にようやくR1に出た。もう暗くなっていた。R1を一目散に走ってレイキャフィールズに戻ったが、夕食代を節約するためプセドウのキャンプ地にあった休憩所で自炊することにした。 20:10にプセドウにつき、休憩所のテラスでガスバーナを使ってお湯を沸かしたが、風が強く火が消えてしまい調理が出来なかった。しかたないのでレイキャフリーズのGSで食料品を買い、ホテルで食べた。ホテルの部屋には湯沸しポットがなかったので暖かいものは食べられなかった。なんとなく侘しい。

第三日目(雨のち晴れ)
 レイキャフリーズを8:45に出発。今日はアイスランドを一周するリングロードと呼ばれるR1を東海岸まで突っ走る日だ。最初はR1から北にそれて 9:10にクラプラ到着。地熱発電所の脇を通り展望台に上がると、あちこちから長いパイプラインで発電所に蒸気を集めている様子が一望できた(写真19)。

       写真19 クラプラの地熱発電所

 その少し先にあるビティという青い水を蓄えたクレータを見学。すぐ下まで車で行けるので歩くところはほとんどない。赤いクレータと青い水のコントラストが美しい(写真20)。

          写真21 火口湖ビティ

 R1にもどり一路、東岸のエイイルスタジールを目指して先を急ぐ。デティフォスの滝への道路が分かれる辺りから薄日がさしてきた。しばらく行くとR1も未舗装になってしまった。対向車とすれ違っても雨の後なのでホコリはさしてかぶらない。

  南にR901を分けるところに来た。どちらを行っても同じ場所に出るので R901を通ってみることにした。道路のまわりには人工構造物は全く見当たらない。まさに内陸の人跡未踏の地という感じ。そんな道を20kmも走ったら、農家が2~3軒ある大きな牧場があった。ここは確実に片道30km圏内に他の家はない。よくもまあこんな所に住む気になったものだと感心する。

  牧場には沢山の羊とそれを番する犬がいた。われわれの車が止まったら犬が案内するかのように近寄ってきた。犬も人恋しいのだろう。犬が案内しようとした先にはミルクハウスのような看板が出ていた。こんな辺鄙なところでは客は何日に1人という程度だろう。多分、店に客が入ってから準備をするのではないか。我々も先を急ぐのでミルクハウスは割愛。

 更に進み、峠を登りきったところに小さな避難小屋(写真22)があった。今日はここで昼食を作ることにした。小屋の中なので風は当たらず、ガスバーナも良く燃えた。即席ラーメンと餅を焼いて食べた。避難小屋の中は三畳ほどで、1人分のベッドと寝袋と、太陽電池利用の無線機と、なべ釜が用意してあった。聖書も置いてあったのはビックリした。さすが西洋の避難小屋だ。

         写真22 小さな避難小屋

 峠を越えると池塘が広がり一本の草木もない禿山が果てしなく続いていた。まさにチベットの景色だ(写真24)。

        写真24 チベットとそっくりな景色

 そんな景色がR1と合流するまで延々と続いた。合流したところから細長いフィヨルドが見下ろせた。そこに始めて人家が見えたときにはホットした感じだった(写真 25)。アイスランドのフィヨルドは両岸とも傾斜はゆったりしている。まるで草原が波を打っているようだ。そのゆったりした斜面を細く深く削って、滝が幾筋も流れ落ちていた。その後、東海岸・南海岸を旅して、これがアイスランドの典型的な景色であることが分かった。

        写真25 アイスランドのフィヨルド

 エイイルスタジールに15:30に着いた。ホテルにチェックインしてから、近くのラガールフリョウトというフィヨルドを車で回った。奥行50kmあるので両岸を回ると100km になる。

 フィヨルドの周囲の山肌にはいくつか大きな滝があった。滝そのものは単品でも見ごたえのある堂々たるものだったが、全体として何のパンチもないフィヨルドだった。羊の大群が自動車道路を我が物顔で歩いているのは壮観だった。でも車で近づくと蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 一旦エイイルスタジールに戻ったが、そのまま東海岸の町に抜ける山越えの道を登った。今晩はその峠にある避難小屋で自炊。18:30に着いた。メニュ ーは暖めるだけで食べられるご飯とカレー。それでは少々不足だったので、混ぜ御飯と餅。ここの避難小屋は広かったので作業しやすかった。20:10に避難小屋を出て20:25にホテルヘラルド着。

第四日目(晴)

  今日は始めての快晴。ホテルを8:00に出発。R1で一路南を目指す。もう初雪が降ったのか、沿道の山は上のほうが真っ白。途中、右手の川に小さなダム式発電所が見えた。アイスランドは地熱発電だけかと思っていたが水力もあるようだ。後に地熱発電の技師をしている人に聞いてみたら、水力80%、地熱20%とのこと。

 その先の細長い湖に対岸の山が鏡のように映っていた。全く波がないのだ。早速、鏡面湖と名付けた(写真29)。その鏡面湖をバックに記念撮影。黄色く色づいた枯れ草の斜面と空の青さが素晴らしかっ た。

        写真29 鏡面湖

  10:35にブレイダルス峠についた。パーっと南岸の斜面が開けた。素晴らしいながめだ。ウットリと見入ってしまった。そこからいろは坂のような道を海岸の村ブレイダルスビークに下る。右手の山腹を深く刻んで川が数条落ちていた。侵食の輪廻を教える典型的な地形だ。理科の教科書に載せたい(写真34)。

        写真34 侵食の輪廻

 ここからはいよいよ南岸の海岸線沿いに行く。フィヨルドを一つ一つ出入りして行くので意外と距離がある。溶岩台地が国道のすぐ傍にそびえ、そこから階段状になった滝があちこちから落ちている。特に七段の滝は圧巻だった(写真37)。

      写真37 七段の滝

 高さは合計150mぐらいあるだろう。その滝の階段の一つ一つが溶岩層の厚さに相当するはずだ。かなり厚い溶岩流である。 長い橋を渡るところでは、川が勝手気ままに網の目のように流れていた。氷河から大量の土砂が流れ下ってくるので堤防など作っても、すぐ満杯になってしまうのであろう。大きな平原の先でバトナ氷河が見える峠についた(写真43)。

  写真43 アイスランドで一番大きいバトナ氷河の舌端

 R1をせっせと飛ばしてヨークルスアゥルロゥンという氷河湖に16:10についた。幸いまだ遊覧船が動いていた。車輪つきの水陸両用艇だった(写真44)。陸上の桟橋でお客を乗せると、湖まで車で走ってそのまま水につっこむという具合だった。氷山の間を縫って湖を一周する(写真 45)。

       写真44 車輪付きの遊覧船

      写真45 氷山の間をぬって湖を一周

 もっと氷河の末端まで近寄ってもらいたかったのだがそこまでは行かなかった。氷山は青いの、白いの、尖ったの、平べったいのが色々あった。どれも一部は黒い土砂で汚れている。氷河から分離したのだからしょうがないだろう。あざらしも泳いでいた。

 氷河湖の水が海に注ぐ所では、上潮と湖から出る水がぶつかって波立っていた。海水と真水なので潮目もはっきりと見える。なかなか面白い現象だ。

 さてそこから今日の泊まり場所オラフィまでひた走る。オラフィのリトラホフというのが今日の宿。19:00に着いたが民宿だったのでレストランがない。民宿で聞いたら「20km ほど先にスタフカフェットルというホテルがあり、そこのレストランはまだ開いているはずだ」とのこと。車を飛ばして行く。スタフカフェットルといえば、アイスランド航空の東京事務所に申込んでも予約が取れなかったところだ。

 さぞ混んでいるんだろうなと思いながら行って見たら、ガラガラだった。ひっそりとしたレストランで食事。20:30ごろ食事を終えホテルの外に出たら夕焼けが美しかった。オラフィに戻った時はもう真っ暗になっていた。

第五日目(晴)

  民宿リトラホフの後ろは岩山がそびえ、その麓が青々とした牧場となっていて景色が良い(写真48)。朝食前に付近を散策。だんだん分かってきたが、朝食はどこもバイキング形式で、酢漬けの魚が出る。日本で言えば「ままかり」に近い。それが美味いのだ。今朝もままかりをたらふく食べた。

           写真48 民宿リトラホフ

  オラフィを9:00に出発。スタフカフェットルの手前にスビナフェットルという氷河があり、その舌端まで車で行ける道がついていたので入ってみた。この氷河は地図で見ると大して大きなものではないが、それでも近づくとその大きさに圧倒される。しかし、氷河の舌端は途中で巻き込んだ岩や砂で真っ黒に汚れている。

 氷河の脇を30分ほど登ってみた。岩と砂が混ざった歩き難いところだ。いつの間にか歩いている砂利(砂利といっても傾斜30度ぐらいの斜面)の下が凍っていて、一歩歩くたびにシュルンド(氷河と山腹との隙間)にずり落ちて行く。このまま進んだらシュルンドにはまって出られなくなる。このときは背筋がゾッとした。急いで、かつ慌てず、引き返しその凍結地帯を脱出した。脱出地点は凍結地帯に突っ込んだところより10mぐらい下がっていた。

 30分登っても純白な氷河面に到達できなかったので引き返すことにした。さすがに氷河は大きい。氷河面上の波は高さ5m~10mあった(写真51)。 所々クレバスが走り、不気味な暗黒の底が開いている。下りは氷河からできるだけ離れて山腹を駆け下った。足が棒のようだ。

             写真51 氷河の表面

  車道に出てから隣の氷河の舌端(写真52)をのぞいた。ここは行儀良く形に収まっていた。車道から舌端までの距離が長いのでここは撮影だけで、現地まで入るのは割愛

     写真52 スタフカフェットル氷河の舌端

  R1を進むと、氷河から流れ出た川が作った大きな砂利の平原が広がっている。ここは1996年にバトナ氷河の下にある火山が噴火して大洪水を起こしたところだ。砂利の平原の幅は50km以上あるとのこと。その砂利平原を網の目のように細い川が流れていた。10:50にスタフカフェットルを出発。砂利の大平原を長い長い橋で渡った(写真53)。

        写真53 砂利平原を渡る長い橋

  途中のガソリンスタンドで昼食をとり、13:20、F208に入って、いよいよランドマンナロイガルに向かう。氷河のぼりをしたので予定より遅れている。ダートの道をぐんぐん飛ばす。対向車が砂塵をもうもうと上げながら走ってくる。道が峠のように盛り上がっているところは対向車が見えないので、必ず三角の注意標識が建っている。

  いよいよ最初の渡河。川の深さを測ったら30cmぐらい。少し下流を調べたら20cmぐらいのところがあったので、そこに突っ込む。始めてなので緊張したがうまく行った(写真54)。

          写真54 最初の渡河

  ランドマンナロイガルへの道は、尾根の上を走っ たり、川底を走ったり(写真56)、ギャウの中を走ったり、変化に富んでいる。

         写真56 谷間を走る道

 こんな山奥でも徒歩で一人旅している若者がいたのには驚いた。帰りに見たら、彼はそこから少し先の草原でテントを張って野営していた。近くにきれいな小川があるからだろう。トレッキングをしているのはみな西洋人だった。 渡河もだんだん慣れてきたので、水深を測らずに突っ込んだことがあった。意外に深く、水の抵抗で車が止まりそうになったときにはハッとした。なんとか乗りきれたが、それ以降はまた水深を測るようにした。

 16:20ランドマンナロイガルに到着。国立公園の管理事務所とトイレがあるだけ。左手は川を挟んで赤茶けた火山がそびえ、右手は黒い溶岩流が押し出した下から温泉川の湯気が上がっている。青い空とあいまって別天地の眺めだ。広い駐車場に車は10台ぐらい。やはりゴツイ車が多い。

 湿地に敷いた木道の先が露天風呂になっていた。露天風呂の脇に木製のベランダのようなものがありそこが脱衣場らしい。先客のタオルがかかっていた。そこで素っ裸になって水泳パンツをはいていたら、風呂の中から声がかかった。あとで考えてみると、「女の子がいるから俺のタオルを使っていいよ」と言っていたのだろう。

 先客とたどたどしい英語で会話した。先客は地元の酪農家で、中学生ぐらいの娘さんを連れてきていた(写真61)。露天風呂は川幅20mぐらいの川そのものが温泉になっているものだった。湯船の上流で川が2本合流し、透明な湯とやや白濁した湯が混ざっていた。完全に混ざりきらないので湯船の真中で色が変わっていた。温度は適温。やや硫黄の匂いがする。すぐ後に荒々しい溶岩の末端がせまっている。

      写真61 ランドマンナロイガルの川湯

 車に戻ったら相棒が車の前のナンバープレートが脱落しているという。いつの間にとれたのだろう。渡河のときの水圧か、ずいぶんひどい道を走ったので、他のF道路か。

  17:30ランドマンナロイガルを出発。今日の泊まり場所はビークなので可能な限り飛ばす。行きに3時間かかったF208を2時間で駆け抜け、R1をひた走ってビークへ。20:10にデイルホウラウェイというペンションみたいなところに着いた。ここもレストランがないので食料を買いにGSまで走り、部屋で食事。

  夜、外に出てみたら何となく空が白く光っている。見ているうちに次々と形を変えてゆくのでオーロラだと気がついた。シャワーを使っている相棒に声をかけ、写真撮影に出かけることにした。R1を10分ほど西に進んだところの暗闇で三脚を据えて撮影。

  真上の天空に天の川のようになったり、地平線の上に垂直にかかるすだれのようになったり、実にいろいろと形を変える。今まで写真で見たオーロラより色が淡い(写真63)。

       写真63 オーロラがついに見えた

第六日目(晴)

  ペンションを9:30に出発。ペンションの前に並んでいる車のうちでは我々の車が特に泥だらけだ。昨日、ランドマンナロイガルを往復したせいだろう。眼前には真正面にデイルホウラウェイのある台地が見える。実に景色の良い所だ。

 まずデイルホウラウェイに向かう。R1から海側に入りデコボコ道を通り展望台についた。海岸の崖から右手(西)にデイルホウラウェイの海食洞が開いた絶壁の岬(写真65)が見える。

          写真65 デイルホウラウェイ

 

 海原の先には1968年に大規模な割れ目噴火を起こしたヘイマエイ島が見える。快晴なので色が鮮やかだ。しかし期待していたホフン鳥は見られなかった。くちばしが極彩色の水鳥でこの付近でしか見られないという。

  次に灯台がある展望台に行った。風が強かった。ここは前の展望台より高く、デイルホウラウェイ岬も近かった。更に良い眺めだ。西に長い砂浜が続き、その先にレイキャネス半島らしい低山が連なっていた。足元の絶壁には白い鳥が巣を作り、さかんに出入りしていた。デイルホウラウェイに続く高さ 100m の絶壁には手すりなどなく、危険は自己責任で楽しんでくださいという哲学らしい。

 

 10:20にそこを出発してセルフォスの滝に向かった。R1を快調に飛ばし、10:45にはセルフォスの滝に着いた。溶岩台地から一気に60mを落ちる滝だ。遠くからでも虹と滝が見える(写真68)。まわりは牧草地のため緑が美しかった。草原を歩いて滝壷に近づくと両岸の壁が覆い被さるようだ。その壁に生えた草を求めて羊が絶壁の途中にいた。よくもまあ、あんな危険なところまで行けるものだ。「カモシカはだし」だなと羊を見なおした。写真の左上の小さな白点が羊さんだ。

 

      写真68 セルフォスの滝(左上の白点は羊さん)

 

  滝壷では一人、水しぶきの中で釣りをしていた。じきに何か釣り上げたらしく意気揚揚と出てきた。相棒が写真を撮りたいと言ったら、50cmほどの鮭を 高々と掲げていた(写真70)。こんな短い川でも鮭が登ってくるのか。登ってきてもセルフォスの滝は 越えられないのに。

           写真70 滝つぼで釣り上げた鮭

 

  車で少し走ったところに、我々が裏見の滝と呼んだセリャラントフォスの滝があった。高さは40mぐらいで水量はさほど多くないが、滝の裏側に回れる(写真72)。裏から見ると滝の飛沫を通して、前面に広がる牧草地帯が見える。緑の牧草と白い飛沫の組合せが面白い。

    写真72 滝の裏側に回れるセリャントフォスの滝

 

 ヘットラで昼食をとった後、セルフォス周辺の地熱地帯をたずねた。R35 沿いのケリーズというクレータ(写真73)は一見の価値あり。自動車道路のすぐ脇に火口があり、緑の水をたたえていた。その周辺は別荘地とのことで草原にコテージが散在していた。

           写真73 クレーター(ケリーズ)

 

 地熱地帯めぐりの最後はクベラゲルジだ。住宅街を通り抜けて山すそに行くと、ゴルフ場のコースから湯気が噴出していたり(写真74)、山間部の谷間から湯気がもくもくと噴き出しているところがたくさんあった。しかし自動車道路が続いていないので遠望しただけで引き返さざるを得なかった。

 

    写真74 クベラゲルジのゴルフ場内にあがる湯煙

 

 住宅街まで引き返して煙の見える谷間に下りてみたら、住宅地の路傍からボコボコ熱湯が湧き出していた。その下の川原でもあちこちから湯気が上がっていた(写真75)。しかし野湯を楽しめるほどの環境でもないのでレイキャビクに引き上げた。

     写真75 住宅地脇の川からあがる湯煙

 

  16:20にクベラゲルジを発ち、レイキャビクには17:45に着いた。まだ日が高いので、レイキャビク東郊にあるエリダウルという小さな川に鮭を見に行った。上を国道が走っている橋の下が小さな滝となり、そこを飛び越える鮭が見られるという。相棒は見えたというが当方は発見できずに終わった。

 

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写真43 一番大きいバトナ氷河の片鱗