神奈川県境踏破4

神奈川県境踏破(第四部)

13回目(牧野~上野原 CC)11月
今回は、藤野駅から奥牧野までバスで入り、ひたすら県境を北上するルートである。地図131の①~③を上方向に縦につないだルートである。

        ①                ②                ③

              地図131 今回のルート(赤:山道、青:道路)

 奥牧野の出発点は写真132で左に入る山道である。440mの無名峰までは写真133 のような道である。道はないが藪は生えていないので歩きやすい。440m の無名峰の頂上はこんな感じである(写真134)。

         写真132 奥牧野の登山口

        写真133 無名峰への山道

       写真134  440m無名峰の頂上

 頂上には容易に達したが、県境が下っている斜面の角度を見て驚いた。35°くらいあるのではないかという急斜面だ(写真135)。

          写真135 急斜面を下る
 その斜面を下りきったところで金山川を渡渉し、対面の自動車道路に登った。自動車道路を下流側に進むと、相模と甲斐の境の橋(相甲斐橋)の付近で見事なゴルジュが見られた。

 日向(ひなて)集落に入り、左手に鋭角に曲がる道に入る。数軒の人家があるが、その最奥部から、いよいよ金剛山の登り口になる。お墓の脇を通り、半ば藪漕ぎのような斜面を登ると、トタンの柵(写真136)に沿って真っすぐ登ってゆく踏跡がある。

     写真136 トタンの柵(多分、イノシシ除け) 
 登りきったところには、反対側に下る道に葛原神社への道標があるので間違うことはない(写真137)。

        写真137 葛原神社への道標
 このまま下るのでは味気ないので、下る前に尾根をたどって金剛山491mの頂上を往復した。その途中で南方の尾根をいろいろ物色してみたが、前回歩いてきた尾根道がどれだかよくわからない。

 葛原神社への道は道標が出ているだけあってしっかりした道だった。麓の公園に着いたら、小学校一年生の野外活動らしく、にぎやかな声が響いていた。近くのシュタイナー学園の生徒だというが、お弁当を食べる前に神様にお祈りしていたので、ミッション系の学校らしい。 葛原神社にお参りしてから上野原への道を急ぐ。
 自動車道路を1kmほど歩いたところで石楯尾神社という道標に導かれて左折。ゆるい丘陵上の道を通って石楯尾神社の前を通過。神社の縁起記を読むとかなり古い神社らしい。
 境川橋で相模川を渡るあたりは川が湖のように止まっていた。相模湖の水位が高いのだろう(写真139)。

          写真139 相模川を渡る

 これから先は小河川の境川が県境なのだが、川に沿って歩ける道はないので、R20を歩いて上野原市街の入り口まで行く。そこで右折して生藤山(しょうとうざん)の麓まで県道を北上する。長いだけで緊張するものは何もない。要するに、次回は生藤山の登りから開始したいので、つまらない麓部分を今回で片付けておこうというわけだ。
 自動車道を奥に行くにしたがって県境の境川も細くなってくる。途中、先祖・御霊などという地名もある。先祖で自動車道路から集落内の細道に降り、できるだけ境川の近くを歩く。上岩というところで自動車道路に戻ったら、ここにも石楯尾神社があった。自動車道をだらだらと登ってゆくと上野原CCの前に着いた。
 ここで県境は右に折れて、生藤山の斜面を登ってゆく。時刻は16:00、もう薄暗くなっていた。タクシーを呼んで上野原駅へ。


14回目(上野原CC~小仏峠)12月
 今日の行程は長いのでバスを待たず、上野原駅から上野原CCまでタクシーで行った。7:20には登山を開始した。今日のコース全体を地図141に示す。 左上から右下に進んだ。

                  地図141 今回のコース全体図

 県境は、最初はこの小さな沢に沿って登ってゆく(写真142)。念のためクマよけの鈴をぶら下げた。

     写真142 県境はこの沢に沿って登ってゆく
 少し登ると植林帯の斜面になる(写真143)。いずれにしても手強い藪がないので助かる。この植林帯は手入れされているのか、きれいに枝打ちされている。しかし足元の仕事道はかなり荒れていた。

       写真 143 手入れの行き届いた植林帯
 1 時間ほどで尾根筋に達したが、この尾根はまだ登山コースではない。しばらく尾根を登ると、9:12登山道に出た(写真144)。

          写真144 登山道に出た

 あとは一般登山道をガツガツ飛ばして小仏峠まで行くだけだ。前途は長いが目的を達したような気分だ。
三国山960mに着くと西から南の眺めが良い。この三国山は相模と甲斐と武蔵の国境に当たる。西には扇山や権現山を前景にして白雪の南アルプスが連なり、南には富士山(写真145)が聳えている。

      写真145 富士山の強風圏現象(中腹の筋)
 富士山は2800mあたりに強風圏があるらしく、その付近では雪が飛ばされて岩肌が出ていたが、それより上と下は真っ白だった。面白い現象だ。実は、「中腹の筋はこういう現象である」と、昨夜のNHK天気予報で解説していたので、この写真を撮りたいなと思って登ってきたのだ。

 生藤山990mには9:44についた。二等三角点の山だが、木が繁っていてあまり眺めはよくない。早々に先に進む。全く展望のない無名峰 1019mを越え、陣馬山への長い尾根道を飛ばす。岩の上に落ち葉が積もっていて迂闊に足をつくとよく滑る。再三再四、転びそうになりながらも飛ばす(写真146)。

    写真146 岩の上に落ち葉が積もって滑り易い
 この辺の県境は、県境標はほとんどなく、神企電(神奈川県企業庁電気部)の標識ばかりが目に付く(写真147)。

     写真147 県境に建つ神企電の標識
 県境に建てる標識も、場所によって、種類に濃淡があるようだ。川崎市・横浜市と東京都の境には都県界標が、箱根から西丹沢にかけては番号入りの森林境界標のようなものが多かった。 陣馬山に向かう途中の堂々たる山(醍醐丸)の紅葉が美しい(写真148)。

         写真148 醍醐丸の紅

 和田峠に下り、陣馬山への階段を登ると、明るく開けた陣馬山山頂に着いた12:35(写真 149)。

          写真149 陣馬山頂上
 展望は360°で素晴らしい。どこだか分からないが街の景色をズームで撮る(写真149-2)。 ここで昼食を作って食べた。

       写真149-2 どこだか分からない街
 これから先は大したアップダウンもないので、暗くなるまえに小仏峠まで行くべく、ガンガン飛ばす。明王峠の茶屋はもう閉まっていた。どこが設置した標識だか知らないが、「関東ふれあいの道」と題した石造りの標識があちこちに設置されている。表示内容がおおざっぱで、金をかけた割には何の役にも立たない。景信山には15:06に着いた(写真149-3)。
 

        写真149-3 景信山の展望
 日没に追われて小仏峠まで駆け下る。夕日に照らされた紅葉が美しかった(写真149-4)。

       写真149-4 夕日に照らされた紅葉
 小仏峠には15:43に着いた。もう薄暗いのでフラッシュをたくほどだった(写真149-5)。

        写真149-5 小仏峠に着いた
 そこから小仏下のバス停までガツガツ下って高尾行きのバスに乗った。


15回目(小仏峠~橋本)12月
 今回、橋本まで歩けば、県境踏破も完結である。 小仏峠(城山)~大戸までは山道だが、大戸~橋本は蛇行の激しい境川に沿って歩くコースだ。

              地図151 小仏峠(城山)~大戸までのコース
 バスで小仏下まで入り、小仏峠を経て城山まで一気に登った。城山の肩から今まで通ってきたルートがよく見えたので感激(写真152)。

     写真152 11~13回で黄色の線を歩いてきた

 城山頂上から高尾山に向かう道をちょっと下り、右に折れて大垂水峠にむかう。とたんに静かな山道になる。所々に県境標も建っている。30分ほどで大垂水峠に達し、R20を歩道橋で渡る(写真153)。 登山道の途中に歩道橋があるのも珍しい。

     写真153 大垂水峠のR20を越える歩道橋

 これから歩く稜線は相模川の左岸に位置し、標高400~500mぐらいの名もない低山である。地図を見ても山の名前が書いてないので、指導標に大洞山0.5kmと書いてあっても実感がわかない。適当にガツガツ歩いて先を急ぐ。すれ違うハイカーは年配者だけでなくトレランをしている若者も多い。
 津久井湖が見下ろせるあたりまで来たら、すごく見晴らしの良いところがあった(写真 154)。ベンチもできている。おまけに陽だまりで温かい(写真155)。

  写真154 津久井湖の見晴らしが良い

      写真155 見晴らしの良い展望台の盛況

 420m峰で大きく左(北方)に曲がり、城山湖の上を通ってゆく(写真156)。この城山湖は津久井ダムの揚水式発電所の水を貯めるための人造湖だ。

           写真156 城山湖
 あとは城山湖を囲む尾根を歩いて大戸まで下る。県境には神奈川県のマークと「県境、城山町」と書 かれた標識も建っている(写真157)。城山町は今は相模原市になってしまったが。

      写真156 城山町の県境標
 大戸の青少年センターに出る直前で、山道は県境を外れるので、忠実に林の中の県境をたどる。藪は生えていないので歩きやすい。県境が自動車道路に出るところはこんなところである(写真 157)。

  写真157 県境が自動車道路に出るところ

 ここが境川の源流なので、わざわざ畑の奥の小川に沿って歩く(写真158)。

     写真158 境川の源流の小川に沿って歩く
 境川の上流部分は河川改修が行われていないので実によく蛇行している。川に沿って道がある場合は、時間の許す限り、できるだけ忠実に境川に沿って歩いた。境川も支流を合わせながらだんだん大きくなってゆく(写真159)。

     写真159-2 支流を合わせて大きくなってゆく
 横浜線の相原近くではもうこんなに大きい川になっている(写真159-3)。

       写真159-3 横浜線相原近くの境川
 もう日没間際になった頃、県境踏破の出発点であった橋本の寿橋についた。寿橋から、今まで歩いてきた方向を振り返って、長かった道のりを思い出す(写真159-4)。

     写真159-4 県境踏破出発点の寿橋の境川
 一文の得にもならない、自己満足だけの県境踏破が終わった。それを祝って、相棒とささやかな打ち上げをして別れた。

 

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