神奈川県境踏破3

神奈川県境踏破(第三部)

11回目(三国峠~道志川)10月
 今年の夏は暑く雨も多かったので3か月も中断してしまったが、ようやく涼しくなり、天気も3日間続きそうなので県境踏破を再開した。
 今回のコースは神奈川県と山梨県の境で、三国峠→菰釣(泊)→畦が丸→加入道(泊)→大室山→道志川である(地図111)。避難小屋は尾根筋にしかないので水が手に入らない。3日分の水と食料を詰め込んだらザックの重さが20kgにもなってしまった。これで歩けるかどうか心配だったがとにかく出かけることにした。

               地図111 コース地図:三国峠~月夜野

上の地図は、実際に歩いたGPSの軌跡をGoogle Earthに貼り付けたものである。

 できるだけ登りを少なくするため、三国峠1200mまで駿河小山駅からタクシーで行った。ここからいよいよ登山開始8:18。重荷を考慮してあせらずユックリ・ユックリ登る。最初のピーク明神山1291mに着いた。残念ながら富士山は雲に隠れているが、20kgの荷でもなんとか歩けることが分かった。
 明神山から切通し峠までは、ゆるく起伏する、幅の広い、気持ちの良い山道が続く。切通し峠から先は道も狭くなったが、雲も徐々に切れてきて、富士見平では富士の頭が見えてきた。手前に見えるのは山中湖である(写真112)。

  写真112 山中湖と富士と改修資材のデポ

 ここには山道(東海自然歩道)改修用の資材がデポされていた。ヘリコプターからおろしたのだろう。これから先にも要所々々に資材がデポされていた。
 資材の多くは案内看板建て替え用の資材のように見えたが、中にはデポ場所から考えて、この斜面に階段を作るのではないかと思えるものもあった。登山者からいうと、階段化されるより斜面のままの方が歩きやすいので、特に雨水で浸食がすすんでいない限り斜面のまま残しておいてもらいたいのが本音である。

 巨大な送電鉄塔があるところの少し手前で、同じ方向に進む本日初の登山者(単独行)と出会ったが、避難小屋には来なかったので引き返したのだろう。とにかく静かな山旅だ。大棚の頭の手前には鎖場もあったが、鎖が必要なほどの斜面ではない。
 今日の道中は至る所にトリカブト(写真113)が生えていた。毒薬として有名なトリカブトがこんなに身近なものだとは知らなかった。

          写真113 トリカブト
 大棚の頭の下りは岩が出ている(写真114)。その少し先で前方にシカ数頭を見かけた。写真を撮ろうとしたが一瞬早く気付かれ、ブッシュが生い茂っている中を目にも止まらぬ速さで消えていった。

     写真114 大棚の頭の下り
 この辺の稜線はアップダウンが多い。高齢者にとってはつらい。石保土山、樅ノ木沢の頭を過ぎてブナの丸まで来たら、右手に菰釣山が黄色く染まって聳えている(写真115)。 10月上旬とはいえ山では秋色が濃い。

    写真115 菰釣山を見上げる(秋色が濃い)
「まだあんなに登るのかよ」とブツブツ言いながらも登らなければ小屋にたどり着けない。西日を浴びながら頂上直下の急坂を登る(写真116)。

      写真116 菰釣山の頂上直下の急登
  菰釣1348mの山頂に着いたが、頂上は木に覆われ、見晴らしはあまり良くない。もう 16:30で日没も近いためあわただしく小屋に向けて下る。16:53菰釣避難小屋に着いた(写真117)。小屋の周囲を一回りしてみたがトイレはついていない。内部はきれいに片付いていた(写真118)。

          写真117 菰釣避難小屋

         写真118 避難小屋の内部
 今回は荷を軽くするため寝袋を持って来なかったので寝具を調べたが、誰かが残していった毛布が一枚しかなかった。加入道小屋は寝具が豊富にあったので、この辺の避難小屋はみな寝具があるだろうと思っていたのだが。まあ、寝具がない場合も想定して冬山用の下着とつなぎを持ってきたので、毛布一枚あればなんとかしのげるだろう。
  まず食事の支度。3日分の水として6リットル持ってきたので、今晩と明日の朝で1.5 リットル使える。レトルト食品で夕飯。相棒がコーヒーを作ってくれた。19:30には寝たが毛布一枚ではやはり寒い。しかし寝られないほどではない。携帯ラジオで明日の天気予報を聞いてから寝込んだ。

 翌日は6:30に出発。両側に笹の生えた山道を進む。中の丸という小さなコブのあたりで富士山が見えた(写真119)。今日は快晴だ。

     写真119 中の丸から快晴の富士山が見えた

 今日のコースもアップダウンが多い。ブナ沢の頭・城が尾山・大界木山を越え、モロクボ沢ノ頭に着いた。畦が丸は主稜から外れているので、ここに荷物をデポして往復する。 頂上直下で畦が丸避難小屋(写真119-2)の内外を見たら、トイレが小屋の内部についていて、寝具もあった。通常、避難小屋程度のトイレは小屋と分離して外に設置されることが多い。よくできた小屋だ。
 さらに土間には大きな薪ストーブもあり、薪も豊富に備蓄されていた。寝具や薪は利用者がそろえていったものだろう。山屋のモラルはまだ落ちていない。頂上には30分ほどで着いた(写真119-3)。

        写真119-2 畦が丸避難小屋

       写真119-3 畦が丸山頂1292m

 モロクボ沢の頭に戻り、主稜を歩き出す。稜線に生えている笹が丸坊主になっている地帯が多くなった。その近くにはシカよけの金網が続いている(写真119-4)。

     写真119-4 シカ防護柵(右側のポールの金網)
 金網の外の笹は丸坊主だが、金網の中の笹は葉っぱが青々と茂っている。シカ対策の労力は大変なものだ。

 このあたりから、白石峠に向けてずっと登りが続く。「峠というのにずいぶん登るじゃないか」とブツブツいいながらも登らざるを得ない。木立の隙間から桧洞丸1601mが見えてきた(写真119-5)。 後ろには丹沢最高峰の蛭が岳1673mも見える。

     写真119-5 桧洞丸(手前)、蛭が岳(奥)
 白石峠への登りがいつまでも続く。「あのピークを越えたら白石峠か」という期待を何度も裏切られて、ヘトヘトになった頃、ようやく白石峠(写真119-6)に着いた。

       写真119-6 待ちに待った白石峠 1307m

 休憩もそこそこに避難小屋のある加入道山に最後の力を振り絞って登る。20分ほど登ったところ(道志村への分岐点)の大木に、「加入道小屋は建替工事のため使用できません」との貼り紙があった。
ガツーンとハンマーで頭を叩かれた感じだった。ここまで来て、この時刻で泊まり場所がないとなったら命にかかわる。工事期間をよく読むと、工事に着手してから1週間しか経っていない。まだ周辺工事だけで、「古い小屋がそのまま残っているかもしれない」と淡い期待を抱いてそのまま登ることにした。
 加入道山1418mに16:00頃着いたら、工事関係者の生活棟(写真119-7)と資材だけで、古い小屋は完全に撤去されていた(写真119-8)。

      写真119-7 頂上は工事関係の建物だけ

    写真119-8 古い小屋は完全に撤去されていた

 いまから道志村まで下るのは途中で暗くなってしまい危険なので、工事をしている人に事情を話し、「どこか寝られる場所はないか」と頼んでみた。取りまとめ役と思しき人が出てきて、「うーん困ったな、工事関係者4人分のベッドしかない。しかし今から道志村まで下るのは無理だ」と言いながら仲間を呼んで何やら相談していた。そのうち、「ベッドの下の荷物を片付けるからそこに潜り込んで寝てくれ」と知恵を出してくれた。

 地獄で仏とはまさにこのこと。一坪ほどの組み立てコンテナの中に二段ベッドがセットされていた。4人なのでこのコンテナが2つある。我々は一人ずつ分かれて、コンテナの床に寝 かせてもらうことになった。当方は寝袋を持ってきていない。以前加入道小屋を利用したときに布団や毛布が豊富に備蓄されていたので、「古い小屋にあった布団をお借りしたいのですが」と言って、一枚出してもらい、それをかぶって寝ることにした。

 夕食は加入道山頂にあるテーブルで餅を焼いて立ったまま食べ、早々に寝ることにした。昨日の菰釣小屋より暖かかった。いつまでも迷惑をかけていられないので、翌日は朝食も食べずに6:00頃出発した。
 しばらくは平らな道が続き、破風口という鞍部まで下って、いよいよ大室山1587mへの登りになった。大室山はこの辺では一番高いので、木のないところでは、今まで歩いてきた稜線が全部見える(写真119-9)。

     写真119-9 黄色の線をずっと歩いてきた
 はるばる来たものだと実感する。大室山頂上近くには尾瀬のように長い木道が作ってある。何か保護すべき植物相があるのだろう。

 犬越路との分岐点で朝飯を作って食べた。9:18大室山の頂上に着いたが木が繁っていて展望はよくない(写真119-10)。

          写真119-10 大室山頂
 大室山頂からは3本の道が下っている。①鐘撞山を経由して神ノ川へ、②道志川の久保沢へ、③道志川の大室指へ。どれも物好きしか通らない踏跡程度の道だ。我々は県境が通っている①を下る。足元の黒い小さな道標に導かれて草深い急斜面を下ってゆく。急斜面の下に鐘撞山(写真119-11)が 見下ろせる。

        写真119-11 鐘撞山を見下ろす
 ガレ場ではないが急な斜面を下ってゆくとちゃんと県境標が建っている(写真119-12)。

 写真119-12 人跡まれな道にも県境標はある
 全体として林の中の道だが、傾斜は恐ろしく急だ。それでも心配したほど不明瞭なところはなく、鐘撞山900mに到着(写真119-13)。

     写真119-13 鐘撞山(粗製乱造の鐘がある)

 ここからは急傾斜はなくなり、北東に伸びる県境尾根を下って神ノ川キャンプ場の河原に出た13:25。もうキャンプシーズンは終わっているので人影もなく静まり返っていた(写真119-14)。

     写真119-14 神ノ川キャンプ場の河原
 今まで水を後生大事に使ってきたが、ここで思いっきりたっぷり水を使って昼食を作った。今日は平日なので、月夜野までくるバスはもうない。5kmほど下流にある東野まで歩いて、バスで橋本に出た。

 今にして思うと、2泊3日の山旅で登山者と出会ったのは、大棚の頭と鐘撞山の2回しかなかった。これは加入道避難小屋が使えないので登山を控えたからだろう。加入道小屋を使わずに登山行程を組むのは難しいからだ。家に帰ってからネットで調べてみたら「加入道小屋○○~○○まで建て替えのため使用不可」という情報がすぐ見つかった。当方の下調べが不十分だったことになる。山上の工事をやっていた建設会社にはすぐ礼手紙を出した。


12回目(道志川~牧野)11月
 12回目は道志川(月夜野)から上野原まで歩くつもりで出かけたが、途中で何度もルートを間違え予想外に時間がかかったため、途中の牧野でエスケープして引き上げた(地図 121)。牧野に12:00頃着く予定が14:40になってしまった。次の一山を越える時間はあったが、一山越えたところにはバスが来ていないのでエスケープできないからである。地図121で各色の意味は、赤:実際に歩いたルー ト、黒:ミスルート部分、青:ルートミスのため歩けなかった県境。

  地図121  第12 回全ルート

 橋本から一番バスで月夜野に入った。写真122は月夜野の出発点にある両国橋である。

        写真122 道志川にかかる両国橋

 月夜野集落の一番奥にある墓地の脇を通って藪漕ぎを始め、しばらく進んだところで、かなりしっかりした道に出た。後で地図を見直すと、この道に続くと思われる道を見落としていた。これが第一回目のミス①。
 しばらく登ったところの小さな峠でまた勘違いし、斜面を直登してしまった。その尾根を東に下ってどうやら平野峠にたどり着いた(写真123)。 これがミス②。

    写真123 平野峠(Aが正当のとこBに行った)
 ここでもまた地図の確認を怠り、A方向に左折すべきところをB方向に行ってしまった。しばらく歩いてから右手に見える谷は道志川だと気づき、平野峠までバック。これがミス③。
 ここから先の県境ルートは所々不明瞭になるが、踏跡は比較的はっきりしている。入道山714mには三角点があった。安寺沢から網子にぬける道と交差する網子峠(写真124)までは、あまり迷わずに行けたが、それから先が一筋縄ではいかなかった。

      写真124 網子峠(左:安寺沢、右:網子)
 山道が倒木で荒れていても、草が生い茂っていても、県境標がある間は安心して歩ける。大平山まではなんとか県境標が所々にあった(写真125)。それから先が曲者だった。この県境はずっと尾根を行くものだと思っていたが、広い斜面を下るようなところもあり、はっきりした踏跡もないので、何度も迷う。

      写真125 山道に県境標が建っている

 ミス④は、北向きの県境尾根を歩いているつもりがいつのまにか東向きの尾根に入り込んでしまい、道もあやしくなってきた。GPSで調べたらちがう尾根に踏み込んでいることが分かり(写真126)、同じルートを戻って県境へ。

      写真126 何度もGPSで現在位置を調べる
 ミス⑤は、コブを越えるより水平な巻道を行った方が楽だと横着したら、主稜からどんどん離れる一方で道も倒木が多くなってきた。これはかなり大きなコブを巻いているようだ。県境から離れすぎてもいけないと適当に斜面を直登して主稜に戻ったが、かなりの登りだった。
 ミス⑥は、最後の網子川に降りるところで、県境は北に向かう尾根であるところ、北東に向かう尾根を降りてしまった。降りたところはゴルジュで(写真127)、先駆者のWebに載っていた写真と様子が違う。対岸に登るルートを探すのに苦労した。

      写真 127 網子川渡渉地点のゴルジュ
 対岸へ流れを飛び越え、木の根岩角につかまり(写真128)、廃棄された枯れ枝の山を乗り越えて、やっと林道に出た。

     写真128 木の根岩角につかまって崖を登る

 林道を下ってゆくと、左手に奥牧野城山の説明板が建っている。小田原北条と甲斐武田の間で何回も戦があったところらしい。前川橋を渡ってしばらく行くと、奥牧野のバス停があった14:40。次の山は440mの無名峰でこれを越えると日向(ひなて)というところに出るのだが、ここにはバスが来ていないのでエスケープできない。そこで、少し早いが今日はここで打ち切ることにした。
 バスの時刻まで50分もあったので、次回登る入り口付近のルートを偵察してから、バスで藤野に出て帰ってきた。

 

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