神奈川県境踏破1


 2015年、大学時代の同期と2人で神奈川県境(海岸線部分は除く)を歩いて一回りした。最初の計画では12回で回れるかと思ったが、藪漕ぎや道不明等で時間がかかり最終的には15回(17日)かかった(図1)。
 東京都との境となる、境川・鶴見川の上流部は川が複雑に蛇行しており、現地に行かないと境界が分からないので、手分けして事前にルートを調べた。

1回目(橋本~南町田)4月
 橋本駅近くの境川の寿橋を振り出しに歩き始め、京王多摩線の高架橋の下を通り抜けてしばらく行くと県境は川から離れて道路上を行く。この道路が旧河川敷なのだろう(写真11)。

       写真11 県境は境川から離れてゆく
 現在は河川改修して直線になっているが、まだ都県界の調整が終わっていないのだろう。このためいろいろな悲喜劇が起こっているという。川岸にはかわせみも来ている(写真 12)。

           写真12 かわせみ

 さらに進むと、旧河川敷に囲まれた大きな団地もある(写真13)。 この河川敷は低地で、草地のまま残っているので、昔は境川がここを流れていたと言うのが実感できる。

      写真 13 旧河川敷に囲まれた大きな団地

 境川の土手は満開の桜で目を楽しませてくれる (写真 14)。 ピクニック気分で歩いてゆくと、直に横浜線と交差する。

            写真14 川岸は満開の桜

 いよいよ、今日一番の複雑な県境(図15)めぐりとなる。昔はこんなに蛇行して流れていたのだろう。

            図15 市街地を複雑に縫う県境

  図15の青矢印の現況は写真16のようになっていて、県境の痕跡は残っている。よほど大きな事業所でない限り、県境の上に建物を建てることはないようである。

写真16 市街地でも県境の痕跡は残っている(青矢印方向に覗いた県境)

 この狭い溝をたどってゆくと、両側が高い擁壁になったり、溝の上に勝手に板を渡したところもある。板の上を庭として使っているのであろう。溝の中には都県界標もある。最後は広い道路に出て、そこには東京都と神奈川県の境界標識が出ている。
 ここを過ぎると直に町田駅に達する。町田駅付近も県境は複雑で注意して追跡する必要がある。

 さらに境川を下ってゆくと、金森の大規模な旧河川敷が現れる(写真17)。ここは現在の境川より東京都側であるが、ここが県境である。

       写真17 金森の大規模な旧河川敷

 現在地がどこの市町村に含まれるか分からなくなったときは、マンホールの蓋を見ると良い。蓋には地元の市町村のマークが入っている。ただし境界となる道路の場合は、両側の自治体が話し合って受け持ちを決めているので、蓋だけでは判断できない。道路両側の人家の表札を見る必要がある。最近は名前だけで所番地まで書いてない表札が増えたので、不便である。そういう場合は電柱についている設置個所名を見ると、何町何丁目ぐらいはわかる。
 いよいよ今日のゴール、鶴間の水道橋が見えてきた(写真18)。ここから鶴間公園を通って近くの南町田駅(東急田園都市線)から電車で帰宅した。

       写真18 鶴間にある横浜水道橋


2回目(南町田~鶴川)4月
 水道橋に集合し、しばらくは写真21のような穏 やかな流れの境川に沿って左岸を下る。

       写真21 鶴間付近の境川の流れ
 しばらく下ると町田市と横浜市の境界に達する。境川の反対側(右岸)は大和市なので、ここは三市の境になっている(写真22)。手前が町田市、奥が横浜市、川の対岸が大和市である。県境はここで左(東)に曲がり川から離れて住宅地を通り東名高速の横浜町田ICの周りをまわってゆく。ICの付近はラブホテルだらけである。

       写真22 町田・横浜・大和市の境界

 田園都市線に沿って北上するとつくし野のあたりで造成中の宅地の間を通るところがある。町田市側と横浜市側の宅地の間が写真23のような狭さである。ミニ開発は土地をとことん利用するからであろう。左が横浜市側・右が町田市側である。

 写真 23 県境のスペース(ミニ開発の隙間)

 この先で東急の長津田検車区を陸橋で越え、恩田川を渡ると、県境は丘陵地帯に登ってゆく(写真24)。 この写真の右側の道が県境で、左側が町田市である。この付近からの富士・丹沢の眺めは最高である。惜しむらくは富士山がもう少し丹沢の上に聳えてもらいたいところである。東京よりだいぶ丹沢に近づいているからだろう。

    写真24 丘陵上をゆく県境(左:町田、右:横浜)

 遊歩道として整備された気持ちの良い県境を歩いてゆくと都県境標(写真25)が建っている。都県境標には、両側の市のマークがそれぞれの側に入っている。もっともこういう細かい細工をした都県境標はここだけだったが。

     写真25 都県界標という文字と町田市のマーク

 県境は横浜市青葉区奈良町の大きな団地の外側をまわって玉川大学と和光大学の敷地内を通ってから小田急線に沿って鶴川に抜けてゆく(写真26)。大学構内は一般人は入れないので、小田急に設けられた小さな踏切を渡って線路沿いに鶴川近くまで住宅地を歩いてゆく。
 鶴見川を北岸に渡ったところに、旧河川敷で囲まれた川崎市の飛び地があり、マンションが建っている。旧河川敷はこのマンションを一回りして鶴見川 に戻ってくる。地図27の青い矢印の方向から見ると、写真28のようなしゃれた橋で小田急を潜って鶴見川に戻ってくる。

     写真26 県境は和光大学から出て小田急沿いに

    地図27 鶴見川の北岸に残された川崎市の飛び地

    写真28 旧河川敷はしゃれた橋で小田急を潜る

 それから先も県境は鶴見川の南岸に入ったり北岸に入ったりしながら最終的には、鶴見川と真光寺川の合流点に達する。今日は夜、用事があったので県境踏破はここまでとし、小田急の鶴川から電車で帰った。


3回目(鶴川~黒川)4月
 今日は「鶴川」を始点に、町田市が神奈川県に飲み込まれたような形をしている部分(町田市三輪地区)を一回りし、柿生から北西に突き出た長靴部分の西半分をまわって黒川まで歩く予定である。

       地図31 川崎市と町田市の境

 まず川崎市飛び地の東縁を進む。県境に沿った住宅の擁壁が市境標を半分飲み込んでいるのにびっくりした。1mmの余裕も残さずに宅地化している。これでは、この隣に家ができたときは市境標が擁壁に隠れてしまう。。

  写真32 市境標を半分飲み込んだ擁壁

 さらに県境を進むと、川崎市と町田市と横浜市の境に、+記号の方位標と三市の位置関係を表す表示が埋め込まれている(写真33)。

     写真34 道路に埋められた三市の境を示す標識

 県境はこどもの国に入ってしまうので、一旦こどもの国の正門まで行き、入場料を払って、こどもの国内の県境を追いかける。県境はこどもの国を横切って東の横浜市寺家地区へ抜けてゆく。金網の向こうには県境の道が続いている(写真35)。このまま進めればありがたいのだが。

      写真35 こどもの国から出てゆく県境
 寺家地区の県境は里近くになってから猛烈な藪漕ぎになる。その藪から里に出てきたところが写真36である。

        写真36 藪漕ぎから里への出口

 これから先は、県境の尾根を通り、鶴見川の旧河川敷を通って、小田急の麻生付近で住宅地に達する。そこでは県境の溝の両側に町田市と川崎市の住居表示が出ているのが面白い(写真37)。

  写真37 上麻生付近の県境(県境のスペースあり、左:町田市、右:川崎市)
 左側の緑の住居表示は町田市能ヶ谷であり、右側の青い住居表示は川崎市上麻生となっている。この県境の溝は小田急にぶつかるまで真っすぐ続いてい る。

 小田急を北に渡った県境は住宅地をジグザグに縫うように進む。何故このような複雑な形になったの か経緯を知りたいところである。
 住宅地のはずれのグランドにJR東海事業用地の看板が出ていた(写真38)。ここは予備調査で2か 月前に来たときは日本開発銀行のグランドだった。いよいよリニア新幹線の建設ルートも表面に出てきたようだ。

           写真38 中央新幹線建設工事事務所の看板(左)

 ここから先は山道になり、住宅地を見下ろしながら、丘陵の端を歩いてゆく。都県界標がたくさん建っている。鶴川街道が県境を横切るところで、鶴川街道に降りた。ここは交通量が多いにもかかわらず歩道がないので、自動車にヒヤヒヤしながら歩いた。大型の路線バスが来たときは、路傍の草むらに退避して車をやり過ごしたら、バスの運転手が最敬礼して通過していった。小田急多摩線の黒川から電車で帰った。

4回目(黒川~矢野口)4月
 今日の県境(地図41)は湿地帯や藪漕ぎなど難儀なところが多いので、登山靴と軍手のほか長靴も用意していった。

               地図41 黒川~矢野口の県境
 鶴川街道から県境の踏跡に入り、東京西変電所という大きな変電所の脇を過ぎると、藪の中に送電鉄塔に入る保守用の踏跡がある。藪を踏み分けながら下ってゆくと、小さな流れの先が廃棄田になっていてひどいぬかるみである。ここで長靴に履き替え、ズブズブとめり込む草地を歩いてゆく(写真42)。その先で小川を丸木橋で渡れば湿地帯は終わる(写真43)。都会の中でこういう経験をするのも珍しい。

      写真42 廃棄田の湿地帯を通過する

      写真43 この橋を渡れば廃棄田も終わり

 この先も地図には道はなく、怪しげな踏跡を登ってゆくと、犬の鳴き声が聞こえる。売り物用の犬の飼育場らしいが、木立と雑草の中のなんとも哀れな犬小屋である。こころなしか犬の鳴き声も悲鳴に聞こえる。ペットショップで売られている犬はこういう環境で育てられるのだろうか。

 小型車なら通れそうな砂利道に出ると道路の真ん中に都県界標が少しだけ頭を出している。県境は国士舘大学グランドと明治大学農場の間の林に入ってゆく。さすがにここはミニ開発とは違い県境の左右に広い幅をとってそれぞれの金網が設置されている。
 その道を下ってゆくと最後はすごい密度の熊笹を突破して、下の水田に降り、水田の上流側を迂回する。川崎市森林公社という看板の建つ小山を越えると、「よこやまの道」に出る。これは地元が整備している遊歩道なので鼻歌気分で歩ける。ここで、泥で汚れた長靴を登山靴に履き替える。

 県境は京王電鉄の若葉台車両工場の中に入ってゆくので、その外側を迂回して若葉台駅から三沢川に向かう。三沢川には東京都と川崎市の河川管理境界標が建っている(写真44)。三沢川は多摩川に注ぐ小河川で、向かって左(下流)が東京都の管理、右(上流)が川崎市の管理となっている。後ろを走っているのは京王相模原線である。

       写真44 三沢川の河川管理境界標

 ここからは県境が畑や森の中を通るので追跡が難しいが、できるだけ忠実に追いかける。まず最初は京王相模原線を潜ったすぐ先で、ここぞと思われる斜面を登って、上の台地の畑に出る。畑の脇を歩いてゆくと狙い違わず都県界標(写真45)が現れたので、相棒と手を取り合って喜ぶ。

      写真45 川崎市と稲城市の境の都県界標

 しばらく気持ちの良い山道を進むと、突然、県境は工事中のフェンスで遮断される。大きな団地(稲城市平尾)の造成中のようである。しかたなく大きく迂回して先に進む。その先の県境は周囲より一段高くなった土手の上の草ぼうぼうの道である(写真46)。 この土手の道が終わると黒川尾根遊歩道に入り、団地と開発前の雑木林との境界を歩いて、新百合ヶ丘近くまで行ける。最後にバス道路に出るところは小さな沢になっている。

     写真46 土手のように高くなった県境の道

 新百合丘近くで県境は北に向きを変え、読売CC、よみうりランド、ジャイアンツ球場を通って穴澤天神へと下ってゆく。 県境は読売CCの中を3kmも通るので、読売CCの外側を延々と歩いてゆく。その途中、標高 120mぐらいのところに川崎市の千代ヶ丘配水塔がある。恐らくこの辺が川崎市の最高地点ではないか。
 よみうりランドを右に見て下ってゆくとジャイアンツ球場がある。ちょうど二軍戦(巨人-阪神)をやっているところで、観客数もかなりのものだった。

 それから先が我々の腕の見せ所の県境である。小澤城址公園の山道を下ってゆくと浅間山がある(写真47)。ここから北方に派生している小尾根が県境で、もちろん道はないので、藪をかき分けて下る。この下りはかなり急で藪も密集しているので今日はヘルメットもかぶってきた。

          写真47 浅間山頂上

 2か月前に予備調査で来たときは、浅間山から少し下ったところに、律儀に都県界標が建っているのを発見したが、今日は何故か発見できない。どうやら小尾根とずれたようなので、相棒がGPSで調べる。「県境から右にそれている」というので斜面を水平にトラバースして位置を補正する。
 ブッシュをかき分け、藪につかまって降りたところが三沢川の河川管理境界標である(写真48)。ここでは左(下流)が川崎市、右(上流)が東京都になっている。

  写真48 急傾斜の県境を下って三沢川へ

 今日は三沢川と3回出会ったことになる。1回目は廃棄田で渡った小川、2回目は若葉台駅から出てきたところにある河川管理境界標、3回目がこの境界標である。藪漕ぎで喉も乾いたので、近くにある穴澤天神の湧水で喉を潤す。名水の評判が高いらしく、次々と水を汲みに来る人が絶えなかった。

 さてこれからも難儀な県境が続く。県境は、川崎市菅と稲城市矢野口の間の市街地を複雑に縫っている。県境なのに個人宅の塀で囲んでいて通れないところ・藪や植木が茂って入れないところ・荷物が置 いてあって通れないところ(写真49)、等々が随所にあり、その都度迂回して先に進む。

   写真49 県境上に荷物が置いてある

 その複雑な部分を過ぎると、府中街道を渡り、南武線を潜って、多摩川の土手に達し、本日の行程は終了した。JR南武線矢野口駅から電車で帰った。


5回目(矢野口~川崎)5月
 今日の県境は多摩川の土手を川崎まで下るだけなので何も緊張するところはない。京王相模原線の鉄橋をすぎ、二ヶ領用水:上河原堰堤あたりに、多摩川河口から26kmのポストが建っている。中野島の渡しの金属製の碑(写真51)を見送り、登戸までせっせと歩く。折から天気も良く暑いので、登戸で土手を外れ冷えたジュースを買う。

         写真51 中野島の渡しの碑

 小田急の鉄橋を潜り、二ヶ領用水の宿河原取り入れ口(写真52)を過ぎ、延々と続く土手を歩いてゆく。草で覆われた河原には各種運動施設の広場が続いている。

       写真52 二ヶ領用水(宿河原取水口)

 溝口に近くなったあたりで久地の円筒分水を見に横道にそれる。ここでは平瀬川と二ヶ領用水を直角に交差させるため、二ヶ領用水をサイフォンで平瀬川の下を通している(写真 53)。

     写真53 正面が二ヶ領用水、左右が平瀬川
 サイフォンから出てきた水を円筒分水(写真54)から湧き出させて、各水系に水量を調節して流し込んでいる。今は使われていないので、水面には藻が一杯浮いていた。

         写真54 久地の円筒分水

 また多摩川の土手に戻り、丸子多摩川を目指して歩く。丸子多摩川に近くなると、広い河原に、小さな子でも安心して楽しめるせせらぎ施設が整備されている(写真55)。

     写真55 小さな子も楽しめるせせらぎ施設

東横線と新幹線を過ぎ、対岸(東京都側)に大きなマンション群とキャノンの工場群を見送り、旧第二国道の多摩川大橋を越えると、川崎駅周辺のビル群が聳えている(写真 56)。

         写真56 川崎駅周辺のビル群
 写真56だと多摩川の左右にビル群が建っているようだが、ここで多摩川は大きく左カーブするので、このビル群はすべて多摩川の右岸(川崎側)に建っている。東海道線の下を潜ってから川崎駅へと向かい、今日の行程を終えた。
 渡し場の碑は、中野島、登戸、宇奈根、二子、下野毛、丸子の6か所あった。「矢口の渡」は見落としたらしい。

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