赤ん坊にも選挙権を

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赤ん坊にも選挙権を

  老人はどんなにモウロクしていても死ぬまで選挙権がある。2016年から選挙権が18歳から認められるようになったとはいえ、赤ん坊は人として生まれてから18年間も選挙権がない。このため国会議員も老人の方ばかり向いて、子供の利益の代弁者になろうという意識が低い。

 子供は将来日本を背負って立つ世代である。現在の子供世代が健やかに成長し、税金や年金を納めてくれなくては、老人も生きてはいけないだろう。にも拘わらず選挙権がないばかりに、赤ん坊や子供の声を国政選挙に反映する手段がない。
 そこで、赤ん坊が生まれたら選挙権を与え、18歳になるまでは親権の一部として、親が子供の利益を代弁して選挙権を行使できるようにしたらどうか。

 

マスコミの世論調査に思うこと
 NHKや各新聞社が有権者1億人の意識調査として、毎月、現内閣の政策や支持政党についての世論調査を行っている。そのやり方は、2400人程度を無作為抽出し、その人に電話して、質問事項に対する答えを聞くというアンケート方式である。大抵の場合回答率は65%程度で、回答者数は1600人ぐらいに過ぎない。統計学的にはこれでも一定の信頼性はあるとのことである。
  しかしながら、若年層ほどこの種アンケートには面倒くさがって答えないのが現実である。ということは、回答した1600人の年齢構成が実際の有権者の年齢構成より老人側に偏っていることが予想される。言い換えれば中高年世代の声が強く反映された結果になっている危険性がある。
 そこで世論調査結果には、回答者の年齢・性別・地域構成もつけることを義務付けたらどうか。

 

二世代住宅のすすめ
 私が住む市では、災害時等に支援が必要かどうかのアンケートを取り、必要と申告した人を、地域で面倒見て下さいという意味で、市から地元の町内会に知らせてくる。市としては、近所の人による、普段の見守りや災害時の避難所への搬送等を期待しているのであろう。要支援者のほとんどは体が不自由になった高齢者である。
 私の住む団地は高台で坂道が多い。でも高齢化が進んだせいか、雪かきをしない家が増えてきた。特に要支援者宅前の雪は残ったままである。雪が残ったままだと坂道が凍りついて歩行者が難渋する。そこで、先週の大雪のあと、要支援者宅前の雪かきをした。
 今週も大雪のダブルパンチで、要支援者宅前の雪かきを始めたら、近所の若者夫妻が手伝いに出てきてくれた。先週の雪かきを見ていたのだろう。現代の若者は自分のことしか考えないと思っていたが、認識を新たにした次第。
  私の町内でも高齢者世帯が年々増えてきているが、息子・娘夫婦は必ずしも遠方ではなく、近隣の市町村に住んでいるケースの方が多いので、親と子供の二世代が同居可能なはず。親と子供の二世代住宅化を積極的に進めないと、高齢の親が亡くなった後の空き家が増え、あちこちにゴーストタウンができてしまう。

 

絆の意味の変化
 偶然の機会から「絆」という字を中国の辞書でひいてみたら「つながり」という意味は同じだが、足手まとい、絡まる、邪魔もの、腐れ縁、というような悪い意味のときに用いられる字だった。
 日本でいう「きずな」の意味に相当する中国語は「紐帯」と出ていた。昨今、英単語の意味が変質していることが話題になったことがあるが、漢字も変質しているとは思わ なかった。
 遣唐僧が漢字の意味を間違って日本に伝えたのか、それとも、元は正しく使われていたが、後の世代で意味が変わってしまったのか。

 

健康寿命とピンコロ

 朝日の2016年9月17日の「2025年問題」の記事において、日本商工会議所会頭の発言として「超高齢化社会に突入したなか、日本の持続的成長のためには健康寿命の延伸と医療費の抑制が必要だ」と紹介されていた。これは健康寿命の意味をよく理解しないままの発言のように思われる。
 統計によれば、健康寿命を長くしても要介護期間が短くなるわけではなく、健康寿命が延びた分だけ寿命が長くなるだけである。すなわち、健康寿命が長くても短くても人生の最後8~10年は要介護の生活を送らなければならない。従って、健康寿命を長くしても、医療費・介護費は抑制できない。むしろ寿命が延びた分だけ年金支出が増えることになる。
 私も現在74歳、同年代の仲間と高齢化問題について話す機会も多い。多くの仲間が病気で苦しんで死ぬより「ピンコロ」で逝きたいと願っている。医療費・介護費をかけて無理やり長生きさせるばかりが福祉ではない。
 そこで、①病気の治療ではなく、痛みや苦しみを麻痺させるだけの措置も病院の措置として認める、②健康寿命が尽きたと本人が判断した段階で、本人の希望により、病院で安楽死の処置ができるようにする、という制度の導入を望むものである。言い換えれば、人為的にピンコロで逝けるような制度にしたいということである。

 

安楽死の制度化を望む

 老人に医療費・介護費をかければかけるほど平均寿命が延び、年金支出も増えるという悪循環に陥っている。だから毎年一兆円規模の社会保障費増につながるのである。

 また、医療費・介護費をかけて長生きさせられると、人生の最後8~10年は、鬱陶しい介護生活を送らなければ死ねない。長生きさせるばかりが正義ではない。老人同士の会合でこのような話題を出すと、多くの老人が介護生活で人の世話になるよりピンコロで死にたいと願っている。

 そこで、健康寿命が尽きたと本人が判断した場合は、本人の希望により、病院で安楽死の措置ができる制度を取り入れるべきである。その方が本人の希望にも沿っており、医療費・介護費・年金の無駄な支出も削減できる。

 

参院を良識の府に戻そう

 参議院選挙真っ最中だが、いつもむなしく感じるのは、衆議院も参議院も限りなく有権者数に比例した政党所属議員によって構成されるように選挙制度を変えてしまったため、その審議過程は衆議院の二番煎じを繰り返し、最後は数の力で押し通すというパターンを繰り返しているだけである。これでは参議院の存在価値がない。多大な国費を使って参議院を存続させる意義もない。
 先だっての森脇学園問題でも、獣医科大学新設問題でも、状況証拠は限りなく首相官邸からの指示があったと言えるが、「役所が勝手に首相の意思を忖度しただけのことであって、首相官邸からは何も指示していない」という論理で、衆議院も参議院も通ってしまっている。これなど、参議院が良識の府であればチェックできたはずである。
 外国の上院の選挙制度を見ると、世襲貴族から選ぶ、各州から同じ人数を選挙で選ぶ等々があるが、各界から定められた数の議員を選ぶという制度も考えられる。いずれにしても、参議院で良識のある議論がなされることを保証する選出制度にすることが重要である。

 

 

日本人のモラルの高さが揺らいでいるのか?
 私がコンビニやスーパーで買い物した時は、まず財布の小銭を全部、レジの皿にあけ、それでも足りないようならお札を出すようにしている。こうすると店側ではできるだけおつりが簡単になるように小銭から先に取って行ってくれるからである。この方法で何十年も過ごしてきたが、ごまかして持ってゆくような店員はいなかった。

 ところが最近こんなことがあった。ある有名な系列のコンビニで208円の買い物をして、小銭を全部吐き出したら500円玉も入っていた。店員(アルバイトらしい若者)が一円玉、十円玉、百円玉を適当にとって、なにがしかのお釣りをくれた。翌日、スーパーで買い物をした際、小銭をレジの皿にあけたら500円玉がない。

 昨日コンビニで買い物をした後は財布を使っていないので、昨日コンビニでごまかされた以外考えられない。外国人と会ったときはいつも、日本人のモラルの高さを宣伝してきた私にとって大きなショックだった。こんなことをするのはアルバイトの若者のほんの一部だろうが、日本国民の信用に傷がつく行為なので、猛反を促したい。

 

大学入学共通テストに早急に記述式を導入すべきである
 文部科学大臣が大学入学共通テストで記述式問題の出題を当面見送るとの談話を発表したが、その主たる理由は、採点に公平を期しがたいからとのことである。採点の公平ばかりを重視すると○×式か、選択式しか方法はない。しかし、○×式や選択式でも採点の公平性が保たれない要素がある。受験生心理として、答えが分からなくても何かしら回答を記入するであろう。結果としてまぐれあたり得点が加算される。だから、○×式や選択式の場合は減点方式の採点に切り替えるべきである。
 一方、○×式や選択式では論理力や創造力は育たない。学力の国際比較でも日本はこの点において劣っていることが指摘されている。私も専門学校で教えたことがあるが、現在の若者の文章能力は地に落ちている。論理が通らない文章、主語や目的語がない文章、前提条件が抜けているので意味が通じない文章などなど枚挙にいとまがない。このほか誤字脱字、句読点の要不要、てにおはの間違いなど惨憺たるものである。数学の応用問題でも「何をxと置いたか」の書き出しがない。
 日本の将来のために、採点の厳密な公平性ばかりにこだわっていないで、大学入試共通テストでも早急に記述式を取り入れるべきである。

 

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