天皇家は何故存続したか

 学校時代の同期でメーリングリスト(ML)を作りおしゃべりを楽しんでいる。その中で、S君から 次のような話題が提起された。

S君(話題提供)
 これはある国の日本国公使の自宅で開かれたパーティーでの話です。出席していた某国の外交官が「日本が統一国家になったのはいつか?」と聞いてきました。小生のとなりの日本大使館員がすかさず「明治だ」というから,小生は「明治は日本が近代国家になったのであって、大化の改新で日本は統一国家になった」などと議論をしました。

 そのうちかの外交官が「日本は歴代王朝が変わった。しかしなぜ天皇家は連綿と続いているのか? ヨーロッパや中国の歴史と比較し、外国人には理解し難い」ときた。日本大使館員も小生もなんと答えて良いか分からず結局沈黙。なにか素人わかりする良い回答はないでしょうか?

E君
 日本の天皇は、中国やヨーロッパの王朝と少し機能が違い、単なる政治軍事の主導者であるだけでなく、日本の伝統的宗教の神道の教祖様でいらっしゃいます。ですから今でも皇室の行事は神道の伝統に則り、その教祖としての務めを果たすところにあります。政治的であるより、より宗教的なものです。

 一方ヨーロッパで王朝が変わり栄枯盛衰が繰り返されても、例えばローマのカトリックの権威は侵されることなく、千数百年連綿と生きています。これは民衆の宗教感という強力な基盤を持っているからと思います。ローマ法王は、イギリスのヘンリー8世のような例外はあったったとしても、カトリック圏の諸王国・諸民族の政治軍事の王様の尊敬を集め、その上に存在するものです。今後も余程のことがない限り変わることはないでしょう。

 必ずしも日本人は天皇を教祖と見てはいないのですが、山本七平的に考えると、この様に理解できるのではないでしょうか。少なくともこの程度で、かの外交官は納得してくれるといいですね。皆さんのご意見・反論をお待ちしています。

S君
 でも聖武天皇などは施薬院を作ったり、特に奈良朝時代は仏教が盛んでしたね、その臣下である藤原鎌足なども寺や仏像を作り仏教に帰依していました。確かに、初代天皇を初め古代は神話に拠れば、神道一色だった。しかしその後奈良・平安かけて、かなり 変わった。中には法皇として出家するヤツがいる?

 ローマ法王も日本の天皇のように<追討令>を出したり、<征夷大将軍>を任命したり、かなり世俗的なことをやったのですか? そして、少なくともヨーロッパと違って日本の民衆は仏教の方を見ていましたね。天皇は神道から見れば、教祖です。たとえ仏教に帰依しても。ただ民衆・武士・豪族は仏教徒である。そこになぜロ―マ法王的権威が発生したというのかしら?

K君
 話がいきなり難しくなりましたね。このような難しい話題を外交官と英語で議論したのですか。尊敬に値します。西洋史も東洋史も知らない私の出る幕ではないのですが、おしゃべりを盛り上げるため、赤恥を覚悟で私の考える素人の議論を述べさせていただきます。

 かの外交官が言う「日本は歴代王朝が変わった。しかしなぜ天皇家は連綿と続いているのか?」とは「実効支配者(朝廷、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府)が何度も変わったのに、何故、天皇家が存続したのか」という意味だと思います。

 日本の場合、支配者が変わるときその正当性を主張するのに天皇の命(征夷大将軍)を根拠にしてきた。それと同じ発想で、時の支配者を倒すにも天皇の命(綸旨)を正当性の根拠にしてきた。一方、中国では天命思想があり、「今の皇帝は人民を苦しめるばかりだ。代わってお前が治めよと天が命じた」という論理なので、特定の者から正当性のお墨付きをもらう必要がない。西洋はどうじゃと聞かれると「さあ?」というほかない。知らないから。

 ではなぜ、日本では歴代の支配者が天皇の命を必要と考えたか。それは民族が変わらなかったから。日本のような小さな国は大陸から見れば、民族というより一部族が住んでいる国にしか過ぎない。一部族なら代々長老のお告げにより次の長を選んできた。実力をつけた幕府が天皇に無理強いして天皇の命をださせたのが実態だとしても、この発想方法が天皇家の存続を必要としたのではないか。もし、蒙古襲来で元が日本を征服していたら、この状況は変わっていたでしょう。異民族だから。

 なぜこのように考えるに至ったか。あるとき中国人と雑談していて、「日本では中国の英雄というと三国志に出てくる関羽・張飛だが、中国では誰が国民的英雄か」と聞いたら、「岳飛だ。三国志の英雄は漢民族同士の戦いだが、岳飛は異民族(満州族:金) と戦ったから」と言っていたので。

 

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