2016年8~9月にかけて、大学の同期4人で、北海道・東北の野湯と秘湯を廻ってきた。たまたま台風10号と11号が連続して北海道・東北を襲ったので予定通り進めず、ハチャメチャな湯めぐりとなった。
4人とも今年で74歳の退職者だが元気だけは若者に負けない。仮にA君~D君としよう。A・Bは百名山完登者で、C・Dは富士山を海抜0mから登るほどの猛者である。今回の湯めぐりには、薮漕ぎが必要な山奥の野湯(人工の手が加わっていない自然のままの温泉)も含まれ、ヒグマとの遭遇も覚悟しなければならない。クマの生態に詳しい識者のwebによると、「クマはめったに人を襲わないが、もし襲われたら逃げるだけではだめだ、反撃して一撃でもいいから相手に痛い目を合わせれば、逃げてゆく可能性が高い」とのこと。そこでヒグマ対策の武器も用意して湯めぐりに出かけた。途中で自動車の検問に引っかかったら「凶器準備集合罪」で捕まっていたかも。
コースは次の通りである。(地図1参照)
台風に追われながらの湯めぐり地図(温泉番号1~16)赤丸=野湯、緑丸=温泉旅館
第1日目 横浜→那須黒磯→八戸→(夜行フェリー)→
第2日目 苫小牧→帯広→(1)養老牛温泉→(2)羅臼温泉
第3日目 羅臼→(3)薫別野湯→(4)硫黄山野湯→(5)阿寒湖温泉
第4日目 阿寒湖→(6)タウシュベツ橋梁→(7)鹿の湯(穴倉の湯)→菅野温泉
第5日目 菅野温泉→(8)ピリカ温泉→(9)水無海浜温泉
第6日目 水無海浜温泉→青函海峡→(10)酸ヶ湯
第7日目 酸ヶ湯→(11)奥々八九郎野湯→(12)河原毛:湯滝野湯→(13)蔵王温泉
第8日目 蔵王温泉→(14)広河原温泉→(15)姥湯
第9日目 姥湯→(16)沼尻元湯野湯→那須黒磯→横浜
第一日目(晴れのち曇り)
車はD君が出してくれた。横浜市内で3人、東北道の那須塩原PAでもう一人乗り、いよいよ湯巡りを開始した。今日は北海道に渡るための助走区間のようなもので、ひたすら走るだけ。北に行くにしたがって天気が悪くなった。台風11号がまだ北海道あたりにいるので仕方ない。
八戸で高速を降りて、八戸港から夜行フェリーで苫小牧へ。風呂までついているフェリーだった。
写真012 八戸フェリーに乗り込む自動車
写真014 八戸フェリーの二等船室
第二日目(曇りのち雨)
苫小牧6:00着。どんより曇っている。ガソリンを入れてから道東道を東へ。トマムスキー場の廃墟となった高いタワーホテルを見送り、帯広で降りて市内で朝食。架線もなく単線幅の鉄道線路と思われる高架橋があった。単線でさばける程度の列車本数なら開かずの踏切にはならないはずだが、なんで高架にしたのだろう。
釧路からR391を北上し、弟子屈町に着いたら駅名が「摩周」に変わっていたのに驚いた。後はR243、道道885を通って養老牛温泉へ。もうこの頃にはかなり強い雨に変わっていた。「湯宿だいいち」で立ち寄り湯した。川に臨んだ露天風呂は風情があり良かった。他にも、岩風呂・丸木風呂・立ち木風呂などがあった。
写真022 弟子屈駅が摩周駅に変わっていた
写真024 養老牛温泉「湯宿だいいち」の川に面した露天風呂
中標津を通り、R272を経て薫別で、明日入る予定の林道の様子を見るため、北七線に入る。第一ゲートは開いていたが第二ゲートは締まっていた。最近のブログでは、第一ゲートも締まっているというものが多かったので、何か工事が始まったらしい。第二ゲートから歩くとすると薫別温泉まで3kmぐらいだが、背丈ほどの薮漕ぎルートらしい。帰りは第二ゲートから下る林道を通ってみたが、ひどい道だった。
羅臼観光協会に電話してセセキへの道を聞いたら、羅臼のちょっと先で土砂崩壊のためセセキには入れないとのこと。セセキの宿泊先に電話したが出ない。番屋なので昼間は漁に出ているのだろう。仕方ないので羅臼第一ホテルに電話したら「素泊まりならOK」とのこと。それで申し込んだ。
ホテルの風呂は露天風呂と内湯。露天風呂は無理やり岩を積み重ねたという感じで趣なし。内湯もどこにでもある月並みな風呂。晩飯はホテルで聞いた3軒を回ってみたが観光客相手の食堂ばかりで入ってみたいという店はなかった。雨もひどくなってきたので、最後に回った知床食堂に入った。海鮮定食を頼んだが、八戸の夕食で入った店の方がネタはおいしかった。どうも羅臼の町は観光客を食い物にしているようだ。ホテルに戻りへぼ碁に熱中して寝た。
写真026 羅臼の「知床食堂」で夕食
第三日目(曇りのち晴れ)
ホテルを8時ごろ出発し、熊の湯と間欠泉を廻った。こんな時間でも熊の湯はもう5人も入っていた。熊の湯の下流側でもうもうと蒸気が立ち昇っているのが見えたがあれは何の湯だろう。間欠泉は細々と湯気が立っている程度で、最近はあまり高く噴かなくなったらしい。50年前は10mぐらい吹きあがっていたのだが。
R335を薫別まで戻り、北七線を経由して第二ゲートへ。ここに車を止め、熊対策の厳重な身支度を整えて出発。一番手は槍、二番手はスプレー、三番手は鉈、四番手は鎌。鳴り物はホイッスルと鈴。
写真030 薫別への第二ゲート前で最後の記念撮影
第二ゲートからほんのわずかで林道が崩落し、山側に崩れ残った幅1mほどの道で通過する。ここを過ぎるとだんだん薮が深くなり、薮を左右にかき分けながら進むようになる。昨日まで大雨が降っていたので薮も濡れていて、直に全身濡れ鼠になった。倒木が道をふさいでいるところが2か所ほどあった。ホイッスルと人間の大声を繰り返しながら、第一の赤い橋についた。これを渡って右に曲がる。道は相変わらず薮漕ぎである。
写真031 肩まで届く薮漕ぎ
踏み跡が左に曲がるあたりで林道が2本に分かれるが、両方とも薮が密集しているので気を付けないと分岐点を見落とす。二番手が薮の中の「ゆの字石」を発見したので、その付近の薮を刈り、見やすくした。よくぞこの、肩の高さまで生い茂った藪の中から発見したものだと驚く。そこから緩い斜面の薮漕ぎ道を下ってゆくと第二の赤い橋についた。
ここで熊スプレーの噴射試験を行った。その前に「人間はいるか? クマよけスプレーを噴射するぞ」と大声で呼ばわったが、しばらく待っても応答がなかったので、風下の方向へ噴射試験。橙色のジェットが真っすぐ5mほど飛んだ。しばらくしたら風向きが変わったのか、なんとも息苦しいむせるような空気が流れてきた。スプレーには唐辛子の粉がはいっているようだ。
写真032 熊スプレーの試し噴射
写真033 熊対策と風呂掃除の道具(バケツ・槍・デッキブラシ・鉈・スプレー・シャベル・鎌)
ここからまた薮をかき分けてほんのわずか進むと、薮の中に「通行禁止」の立て看板が倒れている。ここに左下に降りるしっかり固定されたロープが設置されていた。これにつかまりながら降りるとついに夢にまで見た薫別温泉が現れた。太いロープが付いた金属製のバケツが一つ残されていた。湯面の一部が藻に覆われており、温度(48.5℃)も高いので予定通り風呂の掃除から始めた。一人が熊の見張り。3人で風呂の清掃と水の汲み上げ。
まず湯面の藻を取り除き、湯を搔い出して川へ捨てる。湯船もタワシで磨くつもりでデッキブラシも持ってきたが、そこまでする必要はなさそうなので水の汲み上げに入った。湯船から川面までの高低差は予想より低かったので水汲みもはかどった。約30分で前段作業終わり。
写真034 薫別川の清流と薫別温泉(湯は熱すぎるのでこのバケツで水をくみ上げて温度を下げる)
交代で一人、見張りに着く体制で薫別温泉を味わった。折から日も差してきて薫別川の渓谷も一段と美しくなった。水に磨かれた大きな一枚岩の川岸と、酸性が強そうな緑色に透き通った川水が、何とも言えない。熊の心配がなければここで昼寝したいところだ。湯船の底の泥の掻き出しを端折ったので底には泥がたまっているが、最高の気分で全員薫別温泉を楽しんだ。
写真035 薫別温泉(あー、いい湯だ)
いよいよ荷物を纏めて帰り支度。また肩まで届く熊笹の薮漕ぎ。また全身ずぶぬれになった。帰りも1時間半かかって第二ゲートについた、13:32着。ここで無事生還記念の写真を撮った。
次は硫黄山の野湯だ。途中標津で昼食。硫黄山までの距離は約110kmだったが、R391の硫黄山野湯入口に着いたらもう16:03。直ちに自動車で林道を、そろりそろりと、奥へ進む。300mぐらい進んだ所で大木が倒れていたので車を置いてゆくことにした。歩きやすい砂地の道を15分ほど登ると、立ち入り禁止の看板があり、それを越えて火山地帯に入ってゆく。まず砂防用の堰堤がありそれを越えて、白い砂地と荒々しい噴気の中を進む。10分ほどの登りでブルーシートの湯船を見つけた。ここは自動車道路入口から30分もかかっていない。入口さえ間違えなければ簡単に行ける野湯だ。
写真036 硫黄山の堰堤
早速周囲を観察する。お湯は背後の砂山から流れ出ている。砂山では保水力がないのでここから湧出しているとは考えにくい。その小山の周囲を歩いてみたが、硫黄が噴き出して黄色くなった噴気孔ばかりで、温泉が湧き出しているところは見当たらなかった。とすると、泉源まで届く硬質の塩ビパイプをこの小山に埋め込んであるのだろう。かなり大規模な工事が隠れているようだ。
早速4人交互で入浴する。かなり濃い硫黄泉で牛乳風呂のようだ。前景は摩周湖を抱えるカルデラ火山のすそ野が広がり、左右は今にも崩れそうな岩石累々の山肌。景色は抜群である。R391から歩いてきたすそ野の原生林が見下ろせる。もっとゆっくりしたかったが、宿を予約してある阿寒湖温泉到着が遅くなるので適当に切りあげて下山。宿には19:00ごろ着くと電話。
写真037 ブルーシートの硫黄山温泉
写真038 温泉の周囲は硫黄の噴気孔だらけ
写真039 これが登ってきたルート
阿寒湖温泉の東邦館には19時頃着いた。街なかの湖も見えない小さな旅館で、家族でやっている感じのアットホームな旅館だった。風呂もごくありふれた内風呂だけ。設備もあちこち応急的な補修が目立った。設備がダメになったら廃業するつもりなのかも知れない。でも食事は、家庭料理だが品数も豊富でうまかった。夜は4人で碁に興じた。
第四日目(曇りのち雨)
R241で足寄→上士幌に出て、R273で糠平湖を目指す。このへんの道はどこまでも真っすぐで、車一台見えない。北海道らしい景色だ。
写真040 上士幌付近のR273
糠平ダムを右に見送り、糠平温泉街を抜けて、タウシュベツ橋梁が見えるという展望台までいった。途中で原生林の中をまっすぐ伸びる一本道があった。なんだか道路でも遊歩道でもない感じがする。
10:37展望台に着いたら説明版があった。湖の対岸にタウシュベツ橋梁が見えるとのことだが、現在は湖面の水位が高く、橋梁は水没して見えなかった。渇水期の冬に来た方が良いらしい。先ほど横切った一本道の説明もあった。旧国鉄士幌線の軌道敷の跡だそうだ。
写真041 旧国鉄士幌線の軌道敷
糠平温泉まで戻り然別湖に抜ける道道に着いたら、「降雨量が警戒値に達したため通行禁止」との張り紙が出て、通行止めになっていた。しかたないので、また来た道を戻り、士幌・鹿追経由で然別峡に向かった。糠平ダムのすぐ下に、旧士幌線の橋梁の残骸(写真042)が残っていた11:10。鉄道文化遺産にしてもいい、絵になる景色だ。
写真042 旧国鉄士幌線の橋梁
大迂回をして然別峡入口に着いたのは12:30。あいにく雨が降り出した。然別峡の野湯群を歩く予定なので、熊対策と雨対策をして出発。いで立ちは、金剛杖の先にナイフを取り付けた槍、野湯を掘り起こすためのスコップ、雨具のポンチョという珍無類な格好である。
写真043 このいでたちで然別峡の野湯を探訪
野営場は増水のため閉鎖され係員もいなかった。その先の鹿の湯についたら、このところの豪雨で水量が増し、川面が鹿の湯の縁ぎりぎりのところまで上がっていた。湯に手を入れてみたら水同然。この大きな湯船の水を汲みだして、同量のお湯をためるには時間がかかりすぎるので、すぐ脇にある穴倉の湯を掘り起こして入ることにした。
写真044 鹿の湯は川水が入り水同然
水泳パンツに履き替え、シャベルとバケツを持って作業にかかる。B君は渓流釣りが趣味なので、今晩のおかず用に魚釣りを始める。穴倉の湯も大部分砂で埋まっているが、13:40頃にはなんとか入れる深さまで掘り進めた。穴倉の湯から鹿の湯に流れ込む湯道も開通させた。穴倉の湯に交互に入る。明日の朝来れば鹿の湯も暖かい湯になっているかもしれない。渓流釣りの戦果は4匹とのこと。
写真045 今晩のおかずを釣る
写真046 鹿の湯脇の穴倉の湯を掘り起こす
写真047 掘り起こした穴倉の湯に浸かる
作業の途中でアベックが来たが、風呂に入れないので帰ったかと思っていたが、我々より10mほど先の小さな湯に2人で窮屈そうに入っていたので驚いた。よほど野湯が好きなのだろう。
菅野温泉には14:57に着いた。部屋に荷物を置き、早速別棟の○○の湯に入りに行く。以前来たときは、ここは木造の自炊棟になっていたはずだ。今はコンクリート造りの立ち寄り湯用の風呂場になっていた。男性3つ女性3つの風呂がありそれぞれ名前がついていた。一番上にある風呂は食塩泉だった。一番下にある湯まで行水入浴して本館に戻った。まあ、あまり趣のある湯とは言えなかった。
写真048 菅野温泉全景
次は本館にあるイコロボッカの湯に入る。湯の底も大きな岩を敷き詰めた湯で、その大岩の間から気泡と共に熱い湯が湧き出していた。そのままでは湯が熱すぎて入れないので熱交換器を湯船に沈めて温度を下げていた。前経営者から今の経営者に変わる間、4年ほど休業していたら湯面が高くなったようで、壁の大岩にその水位の石灰華線が残っていた。
写真049 菅野温泉:イコロボッカの湯(湯船の底から熱い湯が沸く)
夕食にB君が釣った魚を旅館で焼いてもらった。なかなか旨かった。やはり鮮度がいいからか。夜はまた碁に熱中。4人ともへぼ碁の範疇だが、勝率は明らかに差があった。それでもかなり打ち進めないと勝敗が見えてこないので、熱中するわけだ。
菅野温泉も新しい経営者になったら部屋がベッドで、鄙びた温泉という感じがしなくなった。愛想もあまりよくない。事務的だ。
第五日目(雨のち曇り)
菅野温泉を8:00頃出発。鹿の湯が暖かくなっているかどうか確かめたかったのだが、強い雨なのであきらめて先に向かった。今日は奥ピリカ温泉に立ち寄るだけで、北海道最南端の椴法華(とどほっけ)まで飛ばす予定である。台風10号が明日あたり東北地方に上陸との予報。北海道東部もこのところ続く大雨で横切る各河川は茶色く濁り、河川敷には大木が乱雑に積み重なっている。
道央自動車道を飛ばして室蘭を過ぎたら、正面に有珠山・昭和新山が良く見える有珠山SAについた11:30。残念ながら羊蹄山の上部は雲に隠れていた。
写真051 有珠山SAから見た、有珠山(左)と昭和新山(右)
国縫ICで降りて奥ピリカ温泉へ。ピリカダムで右折して打ち捨てられたような林道を北上する。それでも途中までは舗装されていた。沿道に耕作地があるからだろう。左手に一枚岩の熊岩を見ると直に奥ピリカ温泉の駐車場に着いた13:02。露天風呂に行ってみたら入口に立入禁止と書いてある。山の家に行く橋にも立ち入り禁止のような横木が取り付けられている。どうやら休業してしまったらしい。
写真052 休業の奥ピリカ温泉山の家
露天風呂の風呂側に回ってみたら、底の砂利にまだらに緑の藻が生えている。手入れしないとすぐこうなるのだろう。湯船に手を入れてみたら湯温は営業中と変わらない。ここの露天風呂は大きくて気持ち良い。山側の湧出口を見に行ったら、以前と変わらぬ水量で湧き出していた。そのため温度は変わらなかったのだろう。
写真053 奥ピリカの露天風呂にはすでに藻が生えていた
写真054 露天風呂の湧出口は昔と変わらず
奥ピリカを13:45に出発。また道央道で南下する。森ICで降りて海岸沿いの国道を行く。本来なら右手に駒ヶ岳が見えるはずだが雲に隠れている。鹿部で間欠泉の案内板を見つけたので寄ってみることにした。この辺に間欠泉があるとは知らなかった。
町営らしき整った施設の間欠泉施設があった。12分ごとに噴き出すという。温泉の蒸気で蒸すトウモロコシも売っていた。その蒸しあがり時間も12分とのこと。あまりにも良く一致しているので、どちらかを人工的に制御しているのではないかと勘ぐった。
間欠泉は25m上がるそうだが、外の道路に飛沫が飛ばないよう高さ10mぐらいのところに円盤を設置してあった。噴き出し口を上から見られるよう遊歩回廊もある。至れり尽くせりの観覧施設だ。
写真054 鹿部の間欠泉
16:00ごろ間欠泉を出発して海岸沿いを椴法華に向かった。この海岸が予想に反して険しい地形なのに驚いた。山が海まで迫り、道沿いの人家のすぐ裏は絶壁になっている。その絶壁に、東日本大震災後作ったらしい新しい梯子や階段があるが、とても全体をカバーするほどの数量ではない。この避難路から遠い人はどうするのだろう。渡島半島の東海岸の険しさに驚いているうちに椴法華(とどほっけ)に着いた16:50。
ホテルに入る前に車で水無海浜温泉を見に行った。すごい風と雨で写真機を濡らさずに構えるのも一苦労だ。台風10号の大波が遠慮会釈なく海岸に打ち寄せていた。海浜温泉を囲む防波堤や岩礁に大波がぶつかって壮大な水煙が上がっていた。岸には更衣室もあったが人っこ一人いない。この風雨なら当然だ。むしろ我々が常識外れなのだ。ほうほうの体で宿(ホテル恵風)に入った。車のトランクから荷物を出しているだけでかなり濡れてしまった。
写真055 水無海浜温泉の湯船(台風10号の高波に洗われている)
写真056 防波堤に高波がぶつかると高い水煙があがる
写真057 水無海浜温泉の更衣室(今日は人っこ一人いない)
写真059 椴法華のホテル恵風
こんな荒天でも泊り客はかなりいた。早速ホテルの風呂に入りに行く。せっかく展望の良い3階にあるというのに目隠しのすのこが張ってあり、なんとも風情のない風呂だ。食堂で夕食をとった後、ホテルのカラオケルームでカラオケをすることになった。最初は北海道に縁のある歌を片っ端から唄った。4人いると誰かが知っているものだ。北大寮歌を歌おうと、いろいろ検索してみたがとうとう見つからなかった。北海道の宿だというのに。そのかわり日本で二番目に古い軍歌といわれる「抜刀隊」があったのには驚いた。
第六日目(雨のち台風)
宿を7:30に出て、もう一度海浜温泉を見てから函館に向かった。今日は9:30函館発大間行のフェリーを予約しておいたが、函館に着いたら欠航とのこと。案じていた通りになった。12:00発の青森行きは出るというので、それに変更した。同じフェリー会社なので、青森行きに余裕があるので、大間行は欠航にしたのだろう。
ここで2時間も時間つぶし。青森に着くのが16:00なので予定の鶴の湯までは行けない。電話で鶴の湯をキャンセルし、酸ヶ湯に申し込んだら運よくOKになった。台風が原因なので鶴の湯もキャンセル料は取らなかった。青函海峡はもっと荒れているかと思ったがそうでもなかった。船が大きいからかも知れない。テレビは台風情報ばかり流していた。
青森から酸ヶ湯まで飛ばし、宿には16:50ごろ着いた。玄関には雨合羽を着た従業員が大勢出て、客の車が着くと、客は荷物を持ってすぐ宿に飛び込み、従業員が車を上の大きな駐車場まで移動していた。宿の中もあちこち雨漏りで廊下にバケツが置いてあった。
写真061 酸ヶ湯の玄関には車移動の従業員が出ていた
写真062 宿の中もあちこちで雨漏り
部屋で着替えて、さっそく千人風呂に入りに行く。ここは昔のままの大きな木造の湯船が残っていた。まだ学生時代にこの千人風呂に入ったとき、おばさんからいろいろ話かけられて、目をどこに向けたらよいか分からず右往左往したことがある。湯もそのときのままの白濁した硫黄泉だった。食事のあと、また碁の対戦を続けて、眠くなった奴から寝て行った。
寝る前に別の湯に入りに行ったら従業員と一緒になった。面白い人で話が弾んだ。その人もこんな「大雨は初めてだ」と言っていた。「廊下に酸ヶ湯をテーマにした、千人風呂に人がギッシリ入っているポスターが貼ってあるが、面白い企画ですね」と言ったら、「あれはJRが企画したポスターで、駅に張りだす手前、一般のお客さんは使わず、我々従業員が総出で入ったのだ」と話してくれた。
翌日もう一度そのポスターを見たら一部に外国人が入っている。多分、泊まり合わせた外国人が面白がって入ったのだろう。もちろん事情を話して承知の上で。
写真063 酸ヶ湯をテーマにしたJRのポスター
写真064 テレビも台風情報一色
第七日目(晴れ)
台風一過で天気は上々。酸ヶ湯を7:50ごろ出発。R394で東北自動車道に向かう。昨日の風雨であちこちで木がなぎ倒されている。道路を片付ける補修車が何カ所かにでていた。黒石ICで東北自動車道に乗り、碇ヶ関ICで降りてR282で、小坂にある奥奥八九郎温泉に向かう。林道に入ったら2か所で倒木が道をふさいでいる。4人で協力して、鉈や鋸で木を始末して先に進む。
写真071 奥奥八九郎にゆく林道が2か所で倒木
いよいよ目的の奥奥八九郎に着いた9:30。大きな茶色の石灰華面がロープで囲まれ、立ち入り禁止の旗がぶら下がっていた。湯船も以前は3つあったが、そのうち2つは掘り返され干上がっていた。湯が地中から湧き出す一番大切な湯は残っていた。湯は鉄分泉で赤茶色をしている。次々とその湯に入り、足裏から湧き出す自然の恵みを堪能した。今回はアブに襲われることもなかった。先を急ぐので10:00頃には川原毛を目指して出発。
写真072 奥奥八九郎は全面立ち入り禁止になっていた
写真073 アブが来ないうちに入る
次の目的地は川原毛の大湯滝である。小坂ICから東北自動車道で盛岡を経由して北上に向かう。岩手山は中腹から上が雲に隠れて見えない。北上で秋田自動車道に入り、横手から湯沢横手道路を使って須川ICで降りる。まだ高速道路として使用を開始していないので無料である。道路わきには雑草が生い茂っていたが、この道路の手入れはどこがしているのだろう。
高松川に沿った道をゆくと「三途川橋」という橋が現れ、閻魔様がにらみを利かせている。これから川原毛地獄へ入るので閻魔様が出迎えているのだろう。帰りにこの橋を渡り返したら、そこには仏様が見送っていた。なかなかユーモアのある計らいだ。
写真074 川原毛地獄に入る三途川橋では閻魔様が睨みを利かせる
三途川橋を過ぎると直に右手に曲がり、細い林道をくねくねと登ってゆく。多客時に車の往来が激しいときは行き違いに苦労するだろう。今日は台風一過なので他に車はない。13:06川原毛の駐車場着。
写真075 川原毛地獄全景
湯に入る支度をして遊歩道を大湯滝まで下る。以前来たとき遊歩道に菊花石があったので注意しながら下ったがとうとう発見できなかった。13:11大湯滝着。訪問客は我々だけ。早速着替えて大湯滝の滝壺温泉に入る。台風の影響で水量が多く、かすかに暖かさがある程度の温度だった。大量の水が落ちてくるので、逆巻く水泡が滝壺温泉の真ん中を2つに割って流れていた。しぶきが目に入ると痛い。酸性が強いからだろう。二段になって落ちる滝の中段まで登ってみたが、前回より格段に強い水しぶきに打たれた。そのうち人影が現れたので引き上げることにした。
写真076 大湯滝の滝壺温泉
写真077 大湯滝全景
駐車場に戻るときも菊花石に気を付けたがやはり発見できなかった。のちに地元の湯沢市役所に問い合わせてみたが、菊花石の存在自体を知らず、「他所に移設したことはない」とのことだった。7~8年前に来た時には写真077-2のような菊花石が、駐車場から滝湯の間の山道にあったのだが。駐車場を14:15出発。
写真077-2 湯滝への途中にあった菊花石(誰かが掘り起こして持って行ってしまったのか)
須川ICまで戻り、今度はR13で新庄に向かう。快晴の日が差し込み冷房を入れていても熱い。奥羽本線に沿って走る所がかなりあったが列車が走っている姿を一度も見なかった。寂しい。次の予定地は湯殿山の御神体(巨大な噴泉塔らしい)なのだが、入場時間が16:00までなので飛ばす。しかし、新庄に着いたのがもう16:00だったので、あきらめて、真っすぐ蔵王温泉に向かうことにした。月山の手前に葉山という堂々とした山があり、月山はあまり見えなかった。
東根ICから東北中央自動車道に乗り、上ノ山ICで降りて蔵王温泉へ登ってゆく。この道が意外とくねくねと登ってゆくのに驚いた。蔵王温泉の標高はそんなに高いのかと地図で調べたら、上ノ山ICが150m、蔵王温泉が900mだった。確かに登りでがある。
蔵王温泉街の道は狭く曲がりくねっていて運転技術が必要だ。まず大露天風呂を目指したが「本日終了」との看板が道路に出ていたので、まっすぐ旅館へ。大露天風呂は日の出から日没までと聞いていたのだが。あとで分かったが今日(木)は定休日だそうだ。
蔵王温泉は行程の関係でこのあたりで一泊しなければならないが、この付近に入りたい温泉もないのでしかたなく泊まることにしただけの温泉。温泉も旅館もそう期待していなかった。予約した「おおみや旅館」は温泉街のどん詰まりで、宿のすぐ前に共同湯の上湯があった。
館内はフロントも廊下も畳表が敷いてありスリッパでの歩行は禁止。そのかわり各部屋に使い捨ての足袋が置いてあった。館内は客室も含めて禁煙。これは経営者の哲学なのだろう。まず風呂に入る。斜面に建てた旅館なのですぐ後ろが高い石垣。露天風呂に入っても解放感がない。湯上りにビールの無料サービスがあった。
写真078 おおみや旅館は全館畳表が敷いてある、客室でも禁煙
夕食は部屋食でなく食堂だが、懐石料理。客のグループごとにしゃれた衝立で仕切られているので落ち着く。ここにはカラオケルームはないとのことなので酒盛りをして長い夕食となった。
第八日目(晴れ)
朝6:00ごろから蔵王温泉の大露天風呂に入りに行った。なかなか良かった。写真持ち込み禁止だったので写真が取れなかったのが残念だ。流れに沿って大きな露天風呂をいくつか作ってあった。白い硫黄泉。次に旅館前の共同湯「上湯」にはいり、それから朝食。7:45ごろ出発。
写真079 蔵王温泉の共同湯(上湯)
R13を赤湯近くまで南下し、R113で西へ向かう。途中草ぼうぼうの鉄道線路を横切ったので、「米坂線もこんなに虐待されているのか」と思ったが、地図を見て、これは赤湯と今泉を結ぶ三セク鉄道と分かった。米坂線の手ノ子駅付近で南に向かう県道4に入り、白川ダム湖を横に見て、広河原川に沿う田舎道に入る。この谷は長いだけでなにも見どころはない。途中で渓流釣りをやっている人が2人ほどいた。B君が帰りに釣りをしたいとせがむ。途中、岩手の曲り家のような絵になる農家があった。過疎化が進みこの付近には他の家はない。
写真080 絵になる農家(過疎化で残っているのはこの一軒だけ)
平凡な谷を上り詰めたところに、湯船の中から間欠泉が湧くのが売り物の広河原温泉に着いた10:30。外からも間欠泉が噴いているのが見える。「たまたま噴き出し時刻と一致したのか」と思ったが、入ってみたら、いつでも噴いている間欠泉(?)であることが分かった。旅館のポスターに「炭酸ガスで噴き出す温泉」と書かれていた。露天風呂に入ってみると泉質は鉄分泉。噴き出し高さは時々刻々変化する。高いときには3mぐらい上がることもあるが、まったく止まってしまうときもある。
写真082 広河原温泉は炭酸ガスで噴き出す
写真083 広河原間欠泉は湯船の中から噴き出している
噴き出す湯を見ると、中に気泡がいっぱい詰まっている(写真084)。時には噴出孔全体を大きな一つの気泡が包んでしまうこともある(写真085)。噴出孔に手を入れてみると塩ビパイプになっていて、その外側に石灰華が張り付いている。これは自然を演出するために石灰華を成長させたのだろう。
写真084 噴湯の中には無数の気泡が含まれている
写真085 噴出口の上を覆う大きな気泡
このことから考えると、噴出孔は人工的に作ったものだとしても、この間欠泉自体は自然に噴き出しているのだろう。そのメカニズムは、炭酸ガスが溶け込んだ温泉が地下深いところから上昇する過程で圧力が下がり、溶けていた炭酸ガスが気泡となる。気泡が温泉水の中を上昇する過程で温泉水も引っ張り上げられ、湯が噴きあがるのだろう。Webによるとこのような温泉が日本には3カ所あるそうだ。そのため湯の中に気泡が沢山含まれ、水の表面張力により大きな風船になることもあるようだ。
このメカニズムを日本地質学会に質問したら懇切丁寧な解説が学会のwebにアップされていた。
帰りの渓流釣り用に全員でイナゴをとってから、広河原温泉を12:30出発。少し下ったところの沢で5分ほどあたってみたが、全然あたりはないとのこと。さらに下ったところでもう一度やってみたが、ここも当たりがなかったようだ。
写真086 全員でイナゴとり
そこから今日の目的地姥湯に向け本格的に走る。しばらくは山の中の曲がりくねった県道なのでスピードは出せない。一旦白川ダム湖までもどり、県道4、国道R121を経てR13に入る。途中米沢市街を通るとき以外は山の中の道ばかりだ。中には日本の農村の原風景に出会うところもある。
R13から右にそれて板谷にむかう。もう人家も半分以上なくなって空き地ばかりの町をゆくと郵便局が残っているのに驚いた。右手に板谷駅に入る道がある。道幅はちょうど自動車の幅。そろそろ入ってゆくと、スノーシェルターの懸ったスイッチバック線があり、その先に本線のホームがあった。本線は山形新幹線が通るだけあって立派だった。本線のホームもスノーシェルターで覆われ、ログハウスの待合室がシェルターの外側に建っていた。
写真088 板谷駅を上り方から見る
曲がりくねった狭い道を進むと、今度は峠駅に行く道が分かれていた。駅構内すべてがシェルターに覆われている駅で、改札に相当する位置はもちろん、乗客の自動車を止めるところもシェルターに覆われていた。ここは元のスイッチバック線を利用しているようだ。上り方を見るとトンネルが3本見える。一本はスイッチバック用の線だろう。ホームの待合室に貼ってある時刻表を見ると、一日に5本しか走っていない。参考までに山形新幹線は25本/日。地方に行くとこういう線区が多い。日豊本線も普通より特急の方が多い。この駅は姥湯と滑川温泉にくる客が時々利用するだけなのだろう。今では自動車で入る人の方が多いので。
写真089 峠駅を下り方から見る
それでも駅前には「峠の力餅」を売っている店が細々と営業を続けていた。普通電車が止まったときは、ホームで立ち売りもするらしい。その写真が飾ってあった。
峠駅の見学も終わり、いよいよ姥湯に向けて険しく細い道を登ってゆく。対向車と出会うと交換ヶ所までのバックが大変だ。まあD君の運転がうまく、ひやひやすることもなく姥湯の枡形屋が見える駐車場についた。宿の奥の崩落壁が大昔の記憶より大きくなった感じがする。吊り橋を渡って枡形屋へ。
写真090 姥湯の枡形屋
部屋は2部屋に分かれていた。一部屋に4人は布団を敷けないらしい。A君の歯ぎしりが激しいので、こちらの部屋に3人分布団を敷いてくれと言ったら、宿の女性が渋っていてなかなかOKがでない。意外と融通が利かないのに驚いた。布団の移動が面倒なのだろう。「それなら自分たちで布団は移動するから」と言ったらようやくOKとなった。
荷物を置いて早速露天風呂へ入りに行った。大きな岩をコンクリートで積み上げ、大崩落壁を借景にした豪快な湯だが、大昔の自然の岩壁に囲まれた湯のほうが趣があった。湯は硫黄泉。山姥の湯と薬師の湯という2つの露天風呂があり、交互に片方が男湯・女湯となるようだ。薄暗くなるまで露天風呂を堪能して部屋に戻った。
写真091 山姥の湯
写真092 薬師の湯
夕食は米沢牛の鍋焼きと、伝統の鯉の甘露煮。どれもうまかった。明日でこの旅行も終わりなので今まで各自が出した金額を会計が集計。その傍らで白熱した碁が展開される。夜、真っ暗な中をもう一度露天風呂にいった。天の川とカシオペア座がきれいだった。北極星を探したがよくわからない。
写真093 枡形屋の夕食風景(部屋食)
写真094 枡形屋の夕食メニュー(鯉の甘露煮がここの伝統メニュー)
第九日目(晴れ時々曇り)
いよいよ最終日。このところ硫黄泉ばかり続くので体から硫黄臭が漂う。8:10枡形屋を出発。また運転の難しい山道を下り、R13・R115を通って沼尻元湯へ向かう。土湯を通過するあたりで、娘から「お母さんが昨日、急に気分が悪くなり救急車で運ばれたが、今はもう退院してきて家で寝ている。早く帰ってきてほしい」とメールが入った。これから沼尻元湯に行くので、案内役の当方が抜けるわけにはいかない。「できるだけ早く帰る」とだけ返信した。
国道を登るにしたがって天気も悪くなり山も雲に隠れ始めた。R115は野地峠を越えるのではなく長いトンネルで抜けるようになっていた。沼尻温泉を通り抜けてスキー場の中を登り、駐車場についた。この頃には一面の曇り空。しかし雨は降っていない。沼尻元湯の野湯は、川湯・洞窟湯・滝湯等いろいろあるので、ヘルメット、キャップランプ、地下足袋などをサブザックに入れて出発、10:40。ここでは熊対策道具は置いていった。
湯送管を踏まないよう気を付けながら水平な道を進む。白糸の滝を過ぎたあたりから右手の薮を注意しながら進む。薮の奥に坑道の入口が見えたので入ってみたが、木の支保工で頑丈に補強した、寸法の小さな坑道だったので、これは違う。さらに少し上流で坑道の入口を発見したので、入ってみたらこれは見覚えがあった。白い岩石からなる坑道で幅も広い。わずかな距離で出口に出てしまった。こんなに短かったかなと記憶を巻き戻す。
写真101 湯送管を踏まないように歩く
写真102 白糸の滝
写真103 薮をかき分けた中にある坑道
また湯送管の走る道を上流側にたどると、洞窟温泉(トンネル)を通りこした地点で沢を見下ろす。前回の記憶よりずいぶん荒れた感じだ。地獄地形の中の湯送管を追いかけ、沢を渡る所まですすんだ。沢に手を入れたらまるで水。いつもはここが野湯のポイントになっているのだが。台風で水量が多くなっているのだろう。
写真104 沼尻元湯の源泉地帯
写真105 源泉地帯の川湯(今回は台風による増水で水)
こんどはその沢に沿って下り、要所要所で手を入れてみたがどこも水。とうとう洞窟入口のところまで戻ってしまった。ここには巨岩が屋根のようにかぶさった通称「窟屋の湯」があったのだが、今日はその巨岩がない。信じられないほどの出水があったのだろう。下流を見るとその巨岩の残骸らしき大岩が3つに割れて、洞窟の入口に引っかかっていた。(写真108)
写真106 以前はこの滝の上に巨岩(黄線)がかぶっていた
写真106-2 その巨岩の下が、このような窟屋の湯になっていた
写真107 洞窟の湯へ岩場を下る
写真108 洞窟の入口には巨岩が3つに割れて引っかかっていた
岩場を下り洞窟の中を歩く。靴を濡らさぬよう岩から岩へ飛び移りながら進む。それが無理になった者から順に地下足袋に履き替えてゆく。洞窟の中も大小さまざまな岩が転がっていて、以前の滑らかな洞底を湯が流れている様から激変していた。出口付近になって明るくなったので洞壁を見たら、人間の背丈より上まで黄色くなっていた。あそこまで水位が上がった証拠だ。大量の出水があったことが分かる。
写真109 洞窟内を進む(右壁にヘルメットが2つ見えるのに注意)
写真110 洪水時の水位が分かる(壁が黄色に変色したところまで水位が上がった)
ゴルジュの湯まで行かず、洞窟出口からガレ場を登って湯送管の道に戻った。
写真111 洞窟の湯出口から湯送管道へガレ場を登る
また湯送管に沿った道を白糸の滝の下まで戻った。硫黄川へ降りる急峻なガレ場を探したがどこも記憶とちがう。ここが一番記憶に近そうだという斜面を下った。ガレ場というより、蔓・草につかまって下る薮漕ぎのような斜面だ。それを下って硫黄川に出ると川のヘツリ。仲間がみんな地下足袋に履き替えているので待つ。
写真112 硫黄川に降りた地点(左側に人がいるのに注意:左側をヘツッてここまで来るのが定位)
少し上流に遡行したところで右手から、酸性の強そうな小沢が流れ込んでいる。この小沢を詰めると目指す湯滝だ。洞窟から流れ落ちている湯滝には13:10ごろ着いた。高さ5mほどの湯滝の下には、誰が作ったか、小さな石積の露天風呂があった。
写真113 湯滝が沢の上部に見える
写真114 湯滝は洞窟から流れ出す。左の壁を登って洞窟の中に入る。
写真115 湯滝下の手作りの露天風呂
相棒はこの露天風呂が目的地と勘違いして、早速入浴仕度。当方はその滝の左側を登りお湯が流れ出す洞窟を見に行った。この登りは岩が浮いているところがあるので注意を要する。以前と変わらず、木製の支保工が残る坑道を浅い温泉水が流れていた。今回はこの洞窟を奥に詰めるのが目的だったのだが、仲間がもう風呂に入ってしまったのであきらめて出てきた。
この穴は硫黄鉱山の水抜き坑の水を集めて流していると地元の人から聞いたことがある。最初は水だったが時代と共に暖かくなり今では温泉になってしまったとのこと。
写真116 湯滝の出口(内部から)
写真117 坑道内を流れる温泉
硫黄川に戻り、今度は急な斜面の登り返し。大石がゴロゴロしている部分を忠実に登っていったら、降りたところより一つ下流側のガレ場に出た。ずいぶん草が生えているが、ここが前回下ったガレ場に地形がよく似ていた。日本は放っておくとガレ場も草の斜面になるのだなと感じ入った。放っておけば砂漠になる国が多いのに、日本の自然は恵まれている。駐車場に戻り、全身着替えてから出発、14:30。
あとは帰るだけ。スキー場の道を下るときに正面に磐梯山が見えていた。猪苗代磐梯ICから磐越自動車道に乗り、東北自動車道を飛ばして黒磯ICで降り、黒磯駅で会計清算して別れた。本来は横浜までD君の車で戻る計画だったのだが、女房が具合悪いというので、黒磯から新幹線で帰ることにした。
各野湯ごとに最後の記念写真を撮りながら来たが、4人無事に帰って来られたので、その写真の出番はなくなった。めでたし、めでたし。
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