2010年4月、横谷温泉で開かれる、ある会合に出席せざるを得なくなったので、会合の翌日、まだ雪の残る八ヶ岳山麓の温泉を一人でまわった。
中央線が倒木のため運転が乱れていたが、おかげで1時間前の快速に乗れた。たまたま同席となった85歳のおばあちゃんの話し相手を務める羽目になった。恍惚の年代に入った人の話は、いきなり細部に入ってしまうので主題が何なのか分からず、話を合わせるのに苦労した。ようやく茅野についてお相手役から解放された。
15:00に旅館の送迎バスで横谷温泉に向かった。参加者はほとんどがマイカーのため、送迎バスに乗ったのは10人ぐらいだった。会合は16:30からだったので、その前に、宿付近の横谷峡を散歩した。乙女の滝(写真01)は、雪解け水で水量が多く迫力があった。
写真01 横谷峡の乙女の滝
夜は19:00 から宴会。21:00から二次会。ほとんどの人が二次会にも参加していた。寝る前にもう一回風呂に入ろうと思ったら、湯は24時までとのことで入れなかった。「源泉掛流しを売り物にしている宿がなんだよ」という感じだった。
翌日は8:50ごろ一人で出発。横谷峡を歩いて明治湯へ向かった。もう4月も半ば過ぎなので、屏風岩の氷瀑は単なる滑滝になっていた(写真02)。
写真 02 屏風岩の氷瀑
王滝展望台までは雪の上に足跡がついていた。王滝は30mぐらいある立派な滝だった。それから先は全くの新雪の上を進み、明治湯には10:00に着いた。明治湯の下に氷のオブジェ公園みたいなものがあった。宿の人に聞いたら噴水が凍ったものだという。
写真03 明治湯の氷のオブジェ
明治湯の風呂は3つ。黒い冷泉、透明な沸かし湯、赤い鉄分泉。まだ時間が早いので当方一人。安心して写真を撮ったが、湯気でレンズが曇ってしまい、ボケた写真しか取れなかった。窓の外に、おなかが茶色で背中が青い、きれいな鳥が来ていた。
10:45、明治湯を出発して、バスの通る幅の広い自動車道に出た。そこに建っている大きな道標に「渋辰野館1km、渋御殿湯4km」と書いてあった。そんなに距離が違うかねといぶかりながらも、そのつもりでせっせと歩き始めた。自動車道路はアスファルトがきれいに乾いているが、道の両脇にはまだ雪が残っていた。
辰野館まで20分ぐらいだろうと思っていたら40分もかかってしまった。1kmにそんなにかかる訳がない。道標が間違っているのだろう。辰野館(写真04)に寄り、「湯船の底から湯が湧く温泉があるか」と聞いたら、「それは御殿湯さんだ」という。それではと辰野館は湯にも入らず素通りして、渋御殿湯に向かった。
写真04 澁辰野館
さきほどの道標によれば、あと3km あるはずだが、渋御殿湯まで35分で着いた。道標の距離が全く出鱈目であることが分かった。この時期なので道路は車もほとんど通らず、快適なウオーキングができた。
渋御殿湯(写真05)には12:30ごろ着いた。「湯船の底から湯が湧いている風呂(長寿の湯)に入りたい」といったら、「それでは部屋休憩つきで入湯してくれ」とのことで、料金は2000円だった。温泉関係のweb情報では、長寿の湯は泊り客しか入れないと書いてあったので、これはシメタものだ。昼間で誰も居ないときに来たご利益か?
写真05 澁御殿湯の玄関
部屋に案内され、お茶のサービスもついていた。さっそく風呂場に向かう。プンと硫黄のにおいがする。横谷川の下流は2箇所とも鉄分泉だったが、ここは硫黄泉か。木造の湯殿には、風呂が3つあった(写真06)。冷泉の御殿湯、ややぬるい長寿の湯、温かい湯。
写真06 澁御殿湯の湯殿
長寿の湯は底が簀子(すのこ)状になっていて、その下から、泡や硫黄粉とともに湯がこんこんと湧きだしていた(写真07)。さすがに良い風呂だ。手の皮が皺皺になるほど、長湯してしまった。写真機がたまたま防水のデジカメだったので、底まで沈めて、板の隙間から泡が出てくるところを撮ってみたが、あまり良い写真は撮れなかった。
写真07 底から湯が湧きあがってくる長寿の湯
部屋で一休みしてから14:15ごろ宿を出た。登山客が三々五々下ってきていた。御殿湯の脇にある温泉神社(写真08)を見たら、まだ独身の頃、職場の仲間と八ヶ岳横断登山(渋の湯→高見石→稲子湯→松原湖)に来たときの記憶がよみがえってきた。
そのときは、ここでバスを降りたら土砂降りだったので、大急ぎで温泉神社の階段を登り、軒先で長いこと雨が止むのを待っていた。瞼に残っていた情景と目の前にある神社のたたずまいが寸分たがわず
一致した。
写真08 澁の湯の温泉神社
その先にも渋温泉ホテルという名の旅館があったが、ずいぶん荒れていた。これでも営業しているのかしら。下ってきた登山者に雪の状態を聞いたら、カンジキを使うほどではなかったとのこと。
澁の湯のバス停脇には、「天下の霊湯澁御殿湯」という看板があり、そこから奥に向けて旅館が数軒建っていた(写真 09)。
写真09 看板「天下の霊湯:渋御殿湯」
帰りの電車は暇つぶしに、八ヶ岳が中央線のどちら側に見えるかを観察していたら、新宿方面に向かう列車から見て、八ヶ岳が右側に見えるのは、長坂駅のあたりであることが分かった。
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