2012年7月、早池峰に登った後、東北の湯めぐりをした。
第一日目(曇)
車でナビを頼りに花巻に向かう。車の中から携帯で鉛温泉の藤三旅館に宿泊を申し込んだ。 藤三旅館は川に沿った横に長い建物で、右手が湯治部・左手が旅籠部になっていた。早速当館名物の掘込湯(白猿の湯)に入りに行く。湯が自噴する高さまで掘り込んであるので、廊下から階段を降り、更に人間の背の高さぐらい深く掘った湯船の底から湯がわいていた。湯の湧き口の上に平らな石が置いてあった。湯は無色透明で無味無臭。大きな風呂場を2人だけで独占して温泉に浸かる気分は格別。
食事は夜も朝も部屋に運んでくれる部屋食だった。人手がかかるだろうに。従業員はみな東北アクセントの若い衆だった。料理の数は多かったがあまり旨いとは思わなかった。
第二日目(晴)
鉛を8:00に出発し、花巻ICから高速に乗り、小坂ICを目指す。八幡平の南面はまだ大きな雪田が残っているのに驚いた。小阪で降りて八九郎集落までナビで進み、あとは相棒がUチューブで調べた通りに林道を進む。一度も迷うことなく、10:10奥奥八九郎温泉に着いた(写真02)。相棒の勘は抜群だ。
写真02 奥奥八九郎温泉:底から自噴している
奥奥八九郎は、湧き出す温泉で形成された赤茶色の平らな大きな石灰華を掘り込んで、3つほど湯船があった。湯船の底から勢いよく温泉と気泡が噴き出している。虻がひどそうなので、相棒が用意してきた虻よけネットを組み立てる。ビーチパラソルにネットを洗濯バサミでぶら下げてゆくものだが、組み立てるのに結構時間がかかった。
その中で着替え。やはり1~2匹は虻が入ってくる。外に出るとどこからともなく虻が体にたかってくる。その都度、平手で叩いて、虻を退治する。お湯に入れば虻も逃げてゆくだろうと、あるときは、虻が体に吸い付いたまま温泉に入ってみたが、吸い付いたままだった。水中で息ができるのかな?
当方のカメラは防水なので、湯にカメラを浸けて温泉の湧き口を撮ってみた(写真02)。泡ばかりの写真で、湧き出し口そのものは泡に隠れて見えない。水中写真の撮り方は難しい。
写真04 温泉と気泡の吹き出し口
強烈な太陽が照りつける石灰華の上を移動して、次々と各湯船を回る。源泉から遠くなるほど温度が下がる。まわりを眺めると深い原生林の中、ここだけが赤茶色の平地になっている。たっぷり奥奥八九郎を楽しんでから、奥八九郎と八九郎をまわった。この2つはわざわざ回る
ほどのところではなかった。
今日の宿(蒸の湯)を携帯で申し込み、八九郎温泉を12:40ごろ出発。突然気がついて小坂の康楽館に向かう。ナビで調べるとそう遠くないようだ。12:50ごろ小坂鉱山事務所と看板の出た古い木造洋館を見物(写真04)。次に康楽館(写真06)を見学。
写真04 旧小坂鉱山事務所
写真06 旧康楽館
ここは施設見学料が600円とのことで少々高いなと思っていたら、芝居が終わるまで二階の立見席で芝居見物してから、係員が奈落や回り舞台・楽屋・舞台・客席・花道を案内する本格的な見学コースだった。舞台から客席を見るとこんな具合である(写真07)。
写真07 舞台から客席を見る
劇場はなかなか良くできた、和洋折衷の建物だ。外に出てきたらたまたま康楽館の総務部長と思しき人と立ち話になり、たっぷり小坂鉱山の先進性を聞かされた。多分、元は小坂鉱山の社員だったのだろう。駐車場にある蕎麦屋に行ったらもう閉まっていた。昼時しか開かないらしい。それだけ客が少ないのだろう。おかげで今日は昼食抜きで宿屋に向かうはめになった。
八幡平駅のあたりで、ナビにしたがって、R341に入り、玉川温泉を目指す。志張温泉というバス停の脇にある建物の屋根が完全に崩れ落ちていたのが印象的だった。昨年の
3.11地震でやられたのか。トロコ湯を過ぎたあたりで、左手に八幡平アスピーテラインに入る。途中、シューシューと音を立てて噴出している源泉も見られた。
後生掛温泉によって、泥火山を見てから蒸の湯に向かった。泥火山は学生時代に来たときより、面積は大きくなっていたが、高さは低くなり・傾斜も緩やかになっていた(写真08)。今は立ち入り禁止で泥火山に登ることはできなかった。
(左:1964年) 写真08 後生掛の泥火山 (右:2012年)
蒸の湯には16:25ごろついた(写真09)。呼び鈴を押してもなかなかフロントの人が出てこない。夕食準備で忙しいのだろうが、昨夜の藤三旅館と比べると大違いだ。藤三では、法被を着た若い衆が大勢玄関で出迎え、荷物を全部持って部屋まで案内してくれた。ここでは、若女将がようやく出てきて、部屋の鍵をくれただけ。料金は藤三が8900円、蒸の湯が13800
円。
写真09 蒸の湯全景
部屋に荷物を置いて早速露天風呂に向かう。結構泥が濃い硫黄泉だ。別府の泥地獄と似ている。先に入っていた地元の若い人と話が弾む。その中で鹿角という地名が出てきた。当方が、「小坂は聞いたことがあるが、鹿角って聞いたことない。町村合併で新しくできた名前ですか」と聞いたら、「昔からある地名で、小坂は鹿角郡小坂というくらいだ」とのこと。知
らなかった恥ずかしい。
露天風呂のすぐそばに、硫黄が派手に噴いている噴気孔に囲まれた巨大な岩があったので、岩盤浴をしに出かけた(写真10)。岩もほんのり暖かい。岩盤浴にはうってつけだが、ときどき噴気孔の湯気に巻かれて心配になる。でも湯気に巻かれても熱いというほどではなかった(写真12)。しばらく岩盤浴を楽しんでからまた露天風呂に戻った。
写真 10 黄色い矢印の岩で岩盤浴した
写真 12 ときどき湯気に巻かれるのが玉に瑕
夕食は食堂で全員一緒。女将が料理を一品一 品説明する。よく全部覚えているものだ。材料も山の幸ばかりで良心的だ。品数は藤三より少ないが、味はこちらにほうがうまい。ビールを飲みながら相棒とゆっくり食事をとる。女将が、常連と思える人の席に次々と回って挨拶している。一見さんの我々のところは素通り。
18:00ごろ食事を終え、オンドル風呂に入りに行く。浴衣しか着てこなかったので、本館から地獄地形の中を通ってオンドルのあるところまで結構距離があり、寒かった。さすが標高1100mだけのことはある。オンドルのヨシズ張りの小屋(写真13)に入り、ござを地面に敷いて横になる(写真14)。地面からほのかに暖かさが伝ってくる。その暖かさは場所によってかなり違っていた。振るえが止まらないので、もっと暖かい場所を探して移動したら、こんどはポカポカ温まってきた。
写真13 ヨシズ張りのオンドル小屋
写真14 蒸の湯:オンドル
最後は目の前の露天風呂に入った。頭上を札幌に行く航空路が走っているので、飛行機の明かりが絶えない。その明かりが強くなったり弱くなったりしているので、薄い雲が出ているのであろう。おかげで天の川ははっきり見えなか
った。
第三日目(晴)
旅館を8:00に出て八幡平アスピーテラインを走る。今日は快晴で青葉の緑がみずみずしい。展望台についたら風が強く、南側 or 東側の斜面には、大きな・大きな雪田が残っていた。岩手山もだんだん大きく聳えてきた。平日なので人出は少ない。眺めのよい展望台の駐車場が有料とは思わなかった。
ここでアスピーテラインと別れ、松川温泉に下る道を行く。大きな道標の前に珍しくトレッキングをしている人が見えたので、良く見たら西洋人だった。日本人はもう八幡平は車で行くところと思い込んでいるのかもしれない。藤七温泉に近づくと硫黄のにおいが強くなった。ぐんぐん下り、松川温泉松風荘には8:55に着い
た。以前来た宿とは違う。宿の名前を間違えて覚えてきたらしい。
早速洞窟風呂に向かう。めざす洞窟風呂は、川を渡った対岸の岩壁の下にあった。洞窟とは言っても、落石よけのコンクリートのシェルターだった(写真16)。洞窟とは程遠い。最後の
温泉がなんとも後味悪かった。
写真16 洞窟ではなく落石用シェルターだった
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