2008年7月
写真01 野良仕事に出かけるインディオの親子
写真02 高度順応トレッキングで登る滝(滝の右側に人がいるのに注意)
地図3 アルパマヨ一周のコース(黄色:キャンプ地、赤○:アルパマヨ) 全長120km
写真04 わがキャラバン隊の面々:人間5人、ロバ4頭、馬1頭
写真05 アンデスの標高4200mに咲く高山植物。ハチドリが蜜を吸うためにホバリングしていた。
写真06 氷河湖(クリコチャ湖)とサンタクルス峰
写真07 氷河でつるつるに磨かれた岩盤
写真07-2 アンデス山脈の4800m付近のトレッキングコース
写真07-3 アルパマヨ谷にあるインカの遺跡:ルイナパンパ
写真09 世界山岳写真展で「世界で一番美しい山」に選ばれた「アルパマヨ」
写真10 4800mの峠にて、背景はサンタクルス峰
写真11 谷間で放牧されているアルパカの大群、牧羊犬は和犬のような顔つきだった
写真11-2 標高3000mのハンカパンパに聳える大岩壁(岩場部分だけで500mはある)
写真11-3 裂きイカが好きなハンカパンパの女の子(ガイドが彼女たちが話しているのはケチュア語だと言っていた)
写真12 入り残る月と朝日に染まる岩峰(プカヒルカ)
写真13 キャラバン隊は朝食が済むと、最初に客とガイドが出発する。テントをたたみ・荷をロバに積むと次にコックが出発する。コックは客の昼食を作らなければならないからである。キャンプ地の後整理をして最後にポーターがロバを連れて出発する。峠の頂上で客が休んでいると、ロバ隊が追いつき、休みも取らずに前進してゆく。ポーターは次のキャンプ地に先について、テントを設営しておかなければならないからである。
写真14 あるキャンプ地には分教場があった。そこの生徒に地図を出して「ここはどこ」と身振り手振りで聞いたら、正確にこの場所を指さした。ご立派。
写真14-2 この峠の登りはきつかった。馬に乗っている自分でもきつかったのだから、50kgの荷を背負っているロバ君はなおさらだろう。さすがのロバ君も倒れこんでいる。まだもう一頭峠に着いていない。ポーターが一生懸命追い立てている。
写真15 キャンプ地に着いたがロバ君は草も食べずに寝込んでいる。それほど今日の峠越えはハードだった。通常はキャンプ地に着くと一晩解放され、キャンプ地周辺の草を食べに出かけるのだが。
写真15-2 昨夜はあられが降った。結構寒かったので持って行った冬山装備を全部着て寝た。
写真16-1 アンデス山脈の主稜を越える峠から眺めたワスカラン北峰(6655m)。この峠の西側で降った雨は太平洋に注ぎ、東側で降った雨は大西洋に注ぐ。
写真16-2 その峠から東側を見下ろすと典型的なU字谷に2つの氷河湖(リャンガヌ湖)が見える。
写真17-1 リマにある大統領府(テロを警戒して装甲車が警備している)
写真17-2 リマにあるインディオの土産物マーケット(メルカドインディオ)で、この写真のマネキンが身に着けている衣装を、娘のお土産に、頭のてっぺんから足の先まですべて買ったら、全部合わせても2400円だったのには驚いた。店員はアルパカ製品も入っていると言っていたが、この値段では羊毛だろう。羊毛にしても安い。しかし日本に帰ってから娘が着てみたら、それぞれサイズが異なっていて、娘のサイズに合うのセーターだけだったとのこと。
写真18 世界で2番目に高いところを走る中央アンデス鉄道に乗ったら、係員が乗客全員の顔写真をビデオに収めていた。これを公安当局に提出するよう義務付けられているのだろう。それほどペルーではテロへの警戒が厳しい。町中も警官が大勢出て警戒している。
写真19 中央アンデス鉄道は海岸沿いのリマを出発して、わずか150kmで最高点のガレーラ4800mまで登る。そのためアクロバット的なスイッチバックの連続である。ここチクラでは小さなチクラの町をスイッチバックで二周半して登ってゆく。
写真20 高山病にかかった対面の女の子。ここチンチャンではすでに標高4000mである。同席の女の子が高山病になり、車掌から酸素吸入器と酸素ボンベをつけてもらっていた。中央アンデス鉄道はチベット鉄道のように、気密構造の客車ではなく、車内の酸素濃度を高くするための酸素製造装置も積んでいない。
写真20-2 最高地点ガレーラ駅4782m。ここで列車は10分停車するので降りて駅構内を見物できる。さすがにこの高さだけあって、駅構内を足早に歩いていたら、当方でも体のだるさを感じた。
写真20-3 ガレーラを過ぎると列車はアマゾン川の上流の谷へ下ってゆく。鉱山町オロヤを過ぎると、この写真の川(マンタロ川)に沿って下ってゆく。終点は標高3000mのワンカヨである。
写真21 クスコを取り囲む山の上にあるサクサイワマン遺跡から見下ろしたクスコの街並み。インカ帝国がスペインによって滅ぼされたので、街並みはスペイン風に作り替えられ、屋根瓦はコロニアル風の橙色に統一されている。
写真22 クスコに着いた日はペルー独立記念日の前日だったので、独立記念日のカーニバルの練習と思われる行列が練り歩いていた。
地図23-1 クスコ市内の地図である。クスコは盆地状になっていて、どちらに向かっても鉄道は山登りをしなければならない。左側に5段のスイッチバック線が描かれているのが、クスコからマチュピチュに行く鉄道である。とくに最上段の線路には、半径65mぐらいの円形カーブが含まれている。クスコ市内の名所も見ずにこのスイッチバックを歩くのが今回の目的である。高度計で測ったところこの5段スイッチバックの高度差は160mもあった。
写真23-2 クスコ市内は野良犬が多い。それがご覧の通り安心しきって寝ている。ペルーの人々の野良犬に対する態度が分かるようである。
写真23-3 スイッチバックの4段目と5段目。線路沿線はごみが多く、ニワトリや豚も出て線路で餌をあさっている。スイッチバックの折り返し毎に、列車に乗ったポイントマンが素早く飛び降りてポイントを切り返し、動き始めた列車に飛び乗ってくるので有名なところだ。
写真24 マチュピチュの麓にあるアグアスカリエンテスの温泉。日本から持って行った漢字の書いた赤い手拭いが珍しいらしく、地元民が集まってきて、思わぬ交流ができた。
写真25 みなさんご承知のマチュピチュの定番写真である。マチュピチュのクリアな写真を撮りたかったら朝早く行った方が良い。手前にあるのがマチュピチュの遺跡で、後ろに聳えている岩峰がワイナピチュである。マチュピチュとは老いた峰、ワイナピチュとは若い峰という意味だそうである。ワイナピチュにも頂上近くまでインカの遺跡がある。
ワイナピチュへはすごい絶壁を登らなけらばならないように見えるが、インカのルート工作のうまさで、足元が断崖絶壁になっているところは、灌木が生い茂り、下が見えないので怖さを感じないようになっている。ルートの大半は階段で、頂上近くには石造りの遺跡もある。ワイナピチュへの登山口には関門があり人数制限をしてしているので、できるだけ朝早く行って若い受付番号をもらった方が早く入れる。
写真26 ワイナピチュの頂上直下には岩をくりぬいたトンネルもある。
写真27 ワイナピチュ頂上から見下ろしたマチュピチュ。航空写真を見ているようである。
写真28 ワイナピチュ裏側にある遺跡:月の神殿。大部分が自然の窟屋であり、人工的に加工した部分は少ない。ここまで往復するとワイナピチュ入口から3時間半かかる。月の神殿は3時間もかけて見に行くほどのところではない。
写真29 マラスの塩田。山腹から湧き出す塩分の濃い温泉を多数の塩田に引き込んで塩を作っている。塩田の一枚一枚は6畳程度の広さしかないが、これだけ集まると壮観である。塩通に言わせると地中海塩よりうまいそうである。各塩田は個人の所有らしく、塩温泉を入れてから2~3週間で塩が採取できるとのこと。その時は親も子供も、家族総出で塩を採取している姿が見られる。マチュピチュを尋ねたら帰りは是非ここに寄ってもらいたい所である。
写真30 モライの遺跡。長径200m、短径100mほどもある、とてつもなく大きな遺跡である。階段状になっているところは石垣を組んだアンデネスで、水の流路も作りこまれている。インカの農業試験場と解釈されている。各段にいろいろな穀物を植え、生育条件の違いを試験したのだろうとの解説がなされていたが、この程度の高度差で生育条件に違いがでるのか疑問である。
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