平が岳(福島・新潟)

 2004年8月、職場の同僚、Aさんが「8月に平ガ岳に登る。それで百名山完登だ」というので、「それではお供します」ということでついて行った。学生時代には山をやっていたが、社会人になってからはケイビングに切り替えたので、本格的な登山をするのは数十年ぶり。百名山の猛者について登れるかどうか自信がない。そこで通勤途上に毎日2~4km 歩いて訓練した。

第一日目(曇のち雷雨)
 Aさんの車で平ガ岳の麓の山小屋(清四郎小屋)まで。東北道を宇都宮ICで降りて、鬼怒川→会津高原(会津田島)→桧枝岐→御池→鷹ノ巣着14:30。ここはもう只見湖のすぐ近くだ。会津高原あたりから雨がひどくなり、桧枝岐から先は土砂降りの雷雨の中を走った。Aさんの運転は結構スピードを出しているが確実。
キャップランプをもってくるのを忘れたため桧枝岐で懐中電灯を買った。なんとドジなのだ ろう。ケイビングなら穴に入れないところだ。久しぶりの登山で感覚が鈍ったか。
清四郎小屋(写真01)の泊り客は少なかった。そのせいか小屋の主がたっぷり時間をかけて登山ルートについて説明してくれた。何を質問しても即座に答えが返ってくる。平ガ岳について精通している感じ。頼もしい。さすが山小屋の主だ。

             写真01 清四郎小屋

 夕食は18:00頃。おかずはあまり豊富ではなかった。明日の朝食と昼食のお握りもおいてあった。みな出発が早いので朝食は出さないから、「そのお握りを持って勝手に出発してくれ」とのことらしい。
 隣の単独行の人は、明日、平ガ岳を日帰りで やっつけるそうだ。その人も百名山をねらっているそうでAさんと話が弾んでいた。20:00頃には寝た。まだ雨が断続的に降っている。

第二日目(曇)
 4:25 に小屋を自動車で出発。1kmほど走っ たところにある登山口の駐車場に車を停め、まだうす暗い中をザックを背負っていざ出発。12台の車が停まっていた。平ガ岳は小屋に泊まらず夜行日帰りで登山する人のほうが多いことが分かった。登山口から自動車も通れそうな林道を10分ほど歩くと右に登山道が分かれる。まだ薄暗いが懐中電灯なしで十分歩ける明るさだ。
 直に樹林帯を抜け、赤土の登山道になる。急坂をひとしきり登ると通称「やせ尾根」にでた。幅30cmぐらいの岩尾根だが両側の斜面は思ったほど急峻ではなく、しかも20mぐらいで樹林帯になっているので特に恐怖を感じるほどではない(写真02)。

          写真02 通称「やせ尾根」

東の空に日が昇ったらしく雲の縁が白く輝いている。これから登るべき尾根が更に傾斜を増して上へ上へと続いている。

 「前坂」の下あたりで朝食。お握りは単なる梅干お握りで余りうまくはなかったが、食わなければ馬力が出ないので無理やり押しこんだ。だんだんと傾斜も急になり岩につかまって登るところも多くなった。数ヶ所だがロープもついている。最初のコブを越えたあたりからAさんの歩みが遅くなった。
 Aさんはストックを突いているのでロープを握る際、片手でロープを掴んでいる。そのため 体勢が安定せず右に左に揺れている。後ろで見ていてハラハラする。「ロープを使う際はストックを背中に差して、両手でロープを握った方が良いですよ」と言ったのだが、最後までストックを手放さなかった。

 ペースは遅く後からの登山者に何回も抜かれたが、着実に登り9:30、下台倉山 1604mに着いた。一応「下台倉山」の標識はあるが(写真03)、登山道の途中という感じ。北側は樹林に覆われ、南側が熊笹で開いている。

            写真03 下台倉山の道標

 ここからは南南西に向かう余り高度差のない尾根をゆく。しかし尾根の西側を行ったり東側を行ったりでその都度小さな登り下りがある。道がぬかるんでいるところには木道が設置され、Aさん曰く「以前、ぬかるみに苦労したのが夢のようだ」とのこと(写真04)。

       写真04 尾根道には木道が設置されている

 台倉山はいつの間にか通過して、10:30台倉清水に着いた。念のため水場まで降りてみた。たった1分で、小さな沢の源頭にでた。ほんのチョロチョロだがすごく冷たい水が流れていた。温度計で測ると2℃。信じられない温度だが「雪解け水が地下に溜まりそれが湧き出してくるのだろう」と理解した。しかし後に、温度計のガラス管にヒビが入っていることが分かり、この温度は当てにならないことが分かった。そのうまい水でのどを潤した。

 更に小さなコブを越えて進むと白沢清水に着いた。白沢清水は地下から湧き出す清水が小さな水溜りになっている程度のもの。手ですくうと底の泥も舞いあがってしまい、しばらく待たないと次の人が飲めない。でも尾根の頂上によくぞ清水が湧き出すものだ(写真05)。

         写真05 尾根の上に湧く白沢清水

 時間も11:30なのでここで昼飯。昼食も朝と同じお握り。無理やり腹に押しこんだ。この頃になると日帰り登山の連中が次々と下ってきた。我々のペースの遅さが目立つ。
 木道が緩く上下して続く尾根を進むと、いよいよ池ノ岳への最後の急登だ。そこで昨日池ノ岳のテント場で泊まったというカップルに出会 った。「昨日は14:00頃から22:00頃まで雷雨で生きた心地もしなかった」「雷鳴がひどくなるとテントから出て近くの林の中に避難することも度々あったのでズブ濡れになった」とのこと。

 花崗岩が細かく風化したザラザラの登山道を登って行くと、ようやく森林限界に達したらしく一面の熊笹と這松になった。いままで隠れていた北側の山並みも見えるようになった。しかし名前は分からない。只見湖も見える。大の字になって寝転びたい草原もあった。
 13:30ついに池ノ岳の頂上に着いた(写真06)。南側は崖となって落ちこんでいるので眺めは抜群。これから向かう平ガ岳があと1kmとはとても思えないほど遠くに感じた。

       写真06 池の岳に到着(後方は平が岳)

 平ガ岳の頂上付近には長い木道が見えた。燧の頂上は相変わらず雲に隠れている。ここは携帯が通じると小屋の主が言っていたので女房に「やっと頂上に着いた」とTELした。
 這松の中の平らな道を進むと池ノ岳の湿原に着いた。芝生を敷き詰めたような湿原に池塘が散らばり、その回りを白骨化した潅木が取り囲んでいる。晴れていれば池塘の水面に青空が映り絵葉書のように綺麗なのだろう。指導標に従って木道を進む(写真07)。玉子石への木道から左に分かれて少し下ると、14:30目指すテン ト場についた(写真08)。

       写真07 池の岳頂上の長い木道を進む

        写真08 テント場でテントの設営

 テント場は6畳ぐらいの板敷きが2つ作ってあった。これなら雨が降ってもテントに水が流れ込む心配はない。水場もすぐ脇に小さな沢が流れている。冷たくておいしい水だ。
 まずテントの設営。Aさんの一人用テントに二人で寝ることにして、当方のツェルトは荷物入れと風除けに使うことにした。40分ほどで設営終わり。
 設営中、橙色の揃いのシャツを着た山岳部らしきパーティーが通りかかったので聞いたら「東北大の山岳部で、至仏から薮漕ぎしてきた」とのこと。あの大きなザックを背負って、よくもまあ薮漕ぎしてきたものだと若者のパワーに感心した。

 少し休んでから15:15平ガ岳の頂上目指して出発。一旦池ノ岳の頂上まで戻った。その途中で昨日清四郎小屋で一緒だった静岡の老年パーティー4人とすれ違った。彼らも今晩はテント泊するとのこと。
 道標に従って平ガ岳への道を進んだら、テント場まで 0.1kmという指道標があった。なんだこれならテント場から先に進めば良かったのかと後悔した。
 ここで、一番大切な「百名山完登記念」と印刷した紙をザックに忘れてきた事に気が付いた。Aさんに待っていてもらい大急ぎでその看板を取りにテント場を往復した。

 平が岳までの標高差は大してないと思っていたが結構な階段があった。地図を良く見ると池ノ岳との鞍部から100mは登っている。ようやく木道に出て気分良く進むと、ついに2143mの平ガ岳の頂上に着いた。

 2004年8月10日 16:00 百名山完登だ。平ガ岳の山頂は南方に湿原が広がり、北方は潅木に覆われている。頂上の三角点のある所は潅木を切り払って作った袋小路のような空き地だった。あまり頂上という感じがしない。まず「完登記念」の紙を手にしてAさんの記念写真を撮る。

          写真09 百名山完登記念

 早々に三角点のある袋小路を出て、見晴らしのよい木道に移動。周囲の景色を楽しむ。残念ながら周囲は雲で見えない。ときどき雲が晴れて、燧・至仏が見える程度。女房に電話を入れて百名山完登を伝える。ついでにAさんに携帯を渡し女房からも祝福の言葉を送った。Aさんも奥さんに電話を入れ、長かった40年を振りかえっているようだった。

 そのうち静岡の4人パーティーも登ってきて Aさんを祝福。また「完登記念」の紙を広げて全員で記念撮影。彼らの歳を聞いたら最高は昭和13年生まれとのこと。現在93山目とのことだった。こちらもすごい。

 雨がパラパラ落ちてきたので17:00にテント場目指して下山。
それから夕食のしたく。Aさんは胃の具合が悪いらしく隣にテントを張った静岡のパーティーから胃薬をもらっていた。登りが苦しそうだったのはそのせいかも知れない。もう体力を使い果たしたのか、Aさんは夕食の支度にかからずパンを食べただけ。
 当方は、ガズバーナーで味噌汁とラーメンを作りAさんと分けて食べた。それから冷凍赤飯を温め、胡麻を振り掛けて食べた。夕食が終わるとすぐテントに潜りこんで寝た。防寒用の厚手のジャケットを着たせいか暑くて寝られなかった。途中で寝袋のファスナーを開けて寝た。それでもなかなか寝つかれずウトウトしただけ。寝入りばな、雷の音は聞こえなかったが、稲妻のため度々テントが明るくなった。

第三日目(晴)
 朝4:00頃、「携帯が鳴っている」とAさんに起こされた。すでに3回も鳴っているそうだ。 ということはグッスリ寝ていたのか。自分では「寝つかれないな」と何度も寝返りを打っていたのだが。携帯の目覚ましアラームを4:00に設定しておいたのでそのアラームが鳴ったのだろう。外に出たら快晴。予定よりチョット早い が行動開始。

 朝食前にもう一度頂上の景色を見ようと4:30に出発。頂上に着く少し前に会津駒あたりから日が昇った。谷間は厚い雲海に覆われている。そこに朝日が斜めに差し込み美しい。

        写真10 会津駒ヶ岳から日の出

 頂上から周囲の景色を楽しむ。今日は雲一つない青空。東に会津駒、南に燧と至仏。その他の山も全部見えるのだが名前がわからない。磁石はあるので100万分の1程度の広域地図があれば名前も全部分かるだろうに。

 30分ほど遅れて静岡のパーティーも登ってきた。木道を更に西の方に進むと広い湿原があり、木道が続いていた。ここまで来ると北方の山々も見える。木道は途中からネット敷きに変わった。まず何といっても越後三山がどっしりと聳えているのが目に飛び込む。池塘を前にして一幅の絵になる光景だ。

        写真11 平が岳から越後三山の眺め

 南西方の谷間に利根川最上流のダム湖が見えていた。名前を聞かれたが思い出せなかった。更に西方遥か遠くに独立峰の高山が見える。多分、妙高だろう。
 適当に楽しんで6:00下山。テント場で朝食作り。Aさんは今朝も飯を作らない。相当参っているのか。味噌汁とラーメンを分けて食べた。それだけでは足りないので冷凍白米を温めてカレーをかけて食べた。Aさんにもすすめたが「食べたくない」とのこと。胃が受けつけないのかもしれない。

 8:00テントの撤収開始。板敷きに打ちこんだテントのペグが抜けず苦労した。後片付けをして9:00出発。もう予定の時間を過ぎているので玉子石へ行くのは割愛。木道を登って池ノ岳の池塘に出ると昨日とは打って変わってカラフルだ。池の水面は青空を映し、平ガ岳の緑も一段と鮮やかだ(写真12)。

      写真12 池の岳頂上の池塘と平が岳

 まず池ノ岳南端の展望台に行き、そこで眺望を楽しんだ。Aさんが休んでいる間に池ノ岳の池塘に戻り写真撮影。これは良い写真が撮れそうだ。
 しかし途中から、シャッターを押しても写真が撮れなくなってしまった。何回やりなおしてもモニターで見ると同じ写真が出てくるだけ。「なんと大事なところでカメラの故障か」と地団駄を踏んで悔しがった。
 しかしこれも、家に帰ってから調べたらメディアの撮影枚数が満杯になったためと分かった。お粗末。メディアはもう一枚持っていたのに残念無念。「もう撮影できません」の表示が一瞬だけ現れて消えてしまうのが原因だった。我々の年齢では大きな字で長く表示してもらいたいものだ。眼鏡をかけている間に警告が消えてしまうので何の警告か分からなかったのが一番の原因だ。

 池ノ岳の急な坂道を下って行くと先に下山した静岡のパーティーが立ち止まっていた。見ると、一人の女性が足を捻挫したらしい。痛そうにうめき声をたてていた。その人のザックを背負って下ろうかと思ったが前に抱えると足元が見えなくなってしまいこれでは歩けない。
 結局、テントを2張り我々が背負って下ることにした。その空いた分に彼女の荷物を分散するそうだ。もし骨折で本当に歩けないとしたら鷹ノ巣尾根を担いで下るのは無理。ヘリの救援が必要なところだ。ここは携帯も通じないので、「清四郎小屋に何か伝言しておく事はあるか」と聞いたが「今は特にない」とのこと。後から何人も下山者があるだろうからその人に頼めば伝えられるなと思い、我々は先に下山することにした。

 白沢清水まではAさんが先に立って歩いていたが、下山路で遅いペースに合わせるとかえって疲れるので、当方が先に歩いて適当なところで待っていることにした。台倉清水、台倉山、下台倉山でAさんを待ってペースを合わせた。今日は快晴なので林のない台倉山~下台倉山間の尾根道は暑かった。燧の北西側斜面は大きく崩れ、その下の樹林に大きな滝が見えた。何と言う滝だろう。

 下台倉山12:40発。鷹ノ巣尾根の下りに入ったらAさんが俄然ハッスルして当方と同じペー スで下り出した。東北大のパーティーが大きな荷物を背負って慎重に下っている。あまり接近して気を使わせないよう適当に離れて下っていたが、気が付いたのか道端によけて立ち止まっている。それではと急いで下り、「どうもありがとう御座います」と挨拶して追いぬいた。

 鷹ノ巣尾根は本当に急だ。こんなに登ったかねと言いたいくらい、下っても、下ってもまだ急斜面の岩場が続く。一人、恐ろしく足の早い登山者が下っていった。あれよ、あれと言う間に尾根のコブの影に見えなくなった。Aさんによると東北大山岳部のOBで空身登山だそうだ。

 前坂の少し上あたりから当方の膝も笑い出した。段差のあるところで膝に力が入らない。勢い、スピードが落ちてくる。反対にAさんのスピードが上がり当方より先に下っていった。ご立派。

 とうとう山道も終わった。林道をチョット歩 くと待ちに待った入口の沢に着いた。透き通った冷たい水がザーザーと流れている。ここで身体を洗い、ラーメンを作って食べた。林道を少し歩いて駐車場についた。太陽で暑くなった車に乗り込み、清四郎小屋に静岡パーティーのテントを預けたのち、桧枝岐へ向かった。

 

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