雨飾山(長野・新潟)

 2004年9月、雨飾山の南北の麓にある温泉に泊まって雨飾山に登った。相棒は温泉仲間のKさん。南側の宿は小谷温泉の国民宿舎:雨飾荘、北側の宿は梶山新湯の梶山山荘。

第一日目(晴)
 初日は甘飾荘に荷物を置いてから、小谷温泉の元湯:山田旅館(写真01)へ日帰り湯に出かけた。500円。日帰り客は内湯のみで露天風呂はダメとのこと。これにはガッカリ。

         写真01 小谷温泉:山田旅館

 内湯は高さ2mほどの打たせ湯から温泉が惜しげもなく落ちていた。もちろん掛け流し。打たせ湯の下には石灰華が厚さ30cmほどに成長していた(写真02)。いかにも長い年月、このように湯が流れ続けているということを物語っていた。

   写真02 山田旅館:内湯の打たせ湯

 内湯の大きさは縦横3mほどで、その脇に寝湯できる場所がもうけられていた。コンクリートの枕だが気持ち良く寝湯できた (写真03)。

         写真03 山田旅館:内湯の寝湯

 雨飾荘に戻ってすぐ、上の林の中にある共同露天風呂に入りに行った。だれでも入れる共同湯だけあって大勢入っていた。湯は男女別で、大石で囲まれた作りだったが、林の中に人工的に作ったという感じが見え見えで、全然風情がない。  18:00夕食。一泊二食7500円の割には料理は良かった。明日は雨飾登山なので宿を7:00に出たかったが、朝食は7:00からというので出発を遅らせることにした。二食ともお握り弁当では飽きるからだ。

第二日目(晴)
 宿を7:40に出発。幸い天気は快晴。重いザックを背負って広河原までの自動車道を歩く。途中で車が来たらヒッチハイクしようと思っていたが、小型車ばかり。やっとランドクルーザークラスの車が来たので手を上げたが素通りされてしまった。一人しか乗っていないのに不親切なヤツだ。
 自動車道の途中から雨飾山が良く見えるようになった。全体が一つの大きな岩体で四方を削り取られたように鋭く聳えている。なんともカッコイイ山だ。稜線にお化け茸のように大きな傘が見えるようになった。樹木にしては大きすぎる。相棒に「あれは何だろう」と聞いたら、「後ろの山との間に雲が入っているのではないか」という。
 しかし、先ほど写真を撮ったときは後ろの山は見えなかった。雲にしては色が違う。青空と同じ色だ。証拠にもう一枚写真を撮った。ひょっとすると蜃気楼で後ろの山が見えているのではないか(写真04)。

           写真04 雨飾山の蜃気楼?

 広河原手前のキャンプ場に「登山口」と書いた看板のかかった門があった。門をくぐって登山するのも珍しい。男体山以来だ。そこから木道を10分ほど歩いて広河原8:45着。ここで水を補給。水温13℃。
 広河原を9:00に出発。ここからは林間の急登になる。道は結構岩ゴツだが、良く踏まれている。一汗も二汗もかいて荒菅沢を見下ろす尾根に出た。俄然、荒菅沢上部の一大スラブが目に飛び込んできた(写真05)。すごい。

        写真05 荒菅沢上部の磨かれたスラブ

 クライマーならあのつるつるの壁を登りたいだろうな。そのスラブの上に雨飾山が聳えている。スラブの岩盤は白っぽい色をしていたので花崗岩か。荒菅沢まで100mほど下り、10:30着。登山道が横切るところはゴーロの沢だが、そのすぐ上から壮大なスラブになっている。雨飾がマッターホルンのように鋭く聳え、頭上に崩れ落ちんばかりだった。ここで水をペットボトルにも補給。水温10℃。うまかった。
 荒菅沢11:10発。ここからお花畑まで更に急な稜線の登りとなる。ザックの重さがこたえる。すでに登頂を終えたパーティーと何回もすれ違った。みな、恐ろしく早いな。聞いてみると、小谷温泉を3:00~5:00に出発し、自動車で広河原まで行き、頂上には7:00~9:00頃までについていた。午前中は快晴で日本海まで見えたとのこと。主稜の稜線であるお花畑には12:35についた(写真06)。

       写真06 お花畑にて(背景:雨飾山)

 この頃には日本海側(北側)には雲が湧き上がっていた。長野県側(南側)の山も山頂付近は雲がかかり、雨飾が売り物とする360度の展望は半減していた。でもこの山のカッコ良さは堪能できた。
 熊笹のしげる笹平を鼻歌を歌いながら進み、梶山分岐に12:43着。ここで昼食。荷物をデポし空身で雨飾頂上へ。13:27出発。空身となると楽だ。笹平を少し行くと荒菅沢の頭の縁を通るようになる。足元がグッとえぐられたスラブになっている(写真07)。

        写真07 荒菅沢を上部より見下ろす

 水を飲んだところが遥か下に見える。ここで滑落したら標高差700mは落ちるだろうな。そこから雨飾山頂まで岩ゴツの急登となるが、空身で100mなので直に頂上についた。見下ろすと登山道のすぐ脇に小さな池塘があった。
 頂上13:45着。頂上は小さなコブが2つあり、一つのコブには石仏群が祭られていた。もう一つのコブが本当の頂上で「雨飾山1963m」という道標が建っていた(写真08)。

             写真08 雨飾山頂

 南側は雲はなかったが、残念ながらすでに霞がかかり、遠くの山はハッキリ見えなかった。西に延びる尾根にはかすかな踏み跡がついていた。北側を雲が覆っているのでナイフリッジのように見えた。東に延びる尾根の先には焼山がゴツゴツした山容を見せていた。南側は足元が急な岩壁になり、雨飾から流れ落ちる沢が直下のように見下ろせた。クリノメータで測ったら俯角39度だった。弁当を食べた笹平の山容が面白い(写真09)。

           写真09 笹平の山容

 少し後から熟年のご夫婦が登ってきた。長年、山をやっているらしく雨飾は3回目とのこと。周囲の山を説明してくれたが、どれも山頂が雲に隠れているのでよく分からなかった。そのうち登山道の手入れをしている地元の人が数人登ってきた。そういえば、笹平に草刈機が置いてあったっけ。

 頂上から梶山新湯に今晩2人泊りたいと申し込んだ。梶山新湯は衛星電話なので通じた。でも声はとぎれとぎれにしか聞こえなかった。衛星電波が弱いのだろう。「今、雨飾の頂上にいるので17:00頃到着する」と伝えた。

 頂上を14:20に出発。岩ゴツの下りは慣れているので結構なスピードで下ったが、Kさんも遅れずについてきた。梶山分岐14:42発。ここからは北側の登山道を下る。地図から予想した通り相当な急勾配だ。しかも北側斜面なので日が当たらないせいか湿っていて滑りやすい。
 海谷三山を標高のメドにしながら、いやになるほど下る。海谷三山は駒ケ岳(1493m)、鬼が面山(1591m)、鋸岳(1631m)の岩峰が連なる登高欲をそそる山だ(写真10)。すでに駒ケ岳より低くなったにも拘わらず、「もりあおがえる」が いるという中の池の道標には梶山新湯(880m)まで2時間と書いてあった。「嘘でしょう」と叫びたくなった。

            写真10 海谷三山

 そこから更に30分ガタガタ下ると、梶山新湯まで1時間30分という道標。すでに16:10だ。この調子だと17:40になってしまう。膝も笑い出した。休憩もそこそこに更に30分下ったら、「難所のぞき、梶山新湯まで20分」の道標が建っていた。まるで道標間の連携が取れていない。でも地獄で仏という気がした。梶山新湯には17:00丁度についた(写真11)。

            写真11  梶山新湯
 今日の泊り客は我々だけとのこと。7月に来たときは泊り客も多く、宿は若夫婦とおぼしき男女がやっていたが、今日はおじさんと若者の二人でやっていた。帳場で明日行く予定の梶山元湯への道の状況を聞いた。

 「コンクリート道を50mほど登ると右に草ぼうぼうの山道が分かれるのでそれを進むと沢にでる。その沢の対岸にそれこそ薮に埋まった高巻道があるので、それを進めば沢登りをしなくても元湯に行ける」とのこと。しかし春に草刈をしただけなので道が残っているかどうかという代物らしい。
 元湯へは自動車道路から2時間で、源泉は2つあり、上の源泉は土砂に埋まっ てしまい、下の洞窟源泉だけが残っているようだとのこと。この話を聞いて内心では沢登りコ ースを選ぼうと決めた。
 都忘れの湯という露天風呂で汗を流してから夕食。雨飾山は圧倒的に小谷側から登る人の方が多いようだ。夜半から屋根に叩きつける雨の音が強くなった。そのうち雷鳴も激しくなり、一度は、小屋が揺れるほどひどい落雷の音がした。すぐ近くに落ちたらしい。これでは明日の梶山元湯アタックは絶望的だなと観念。

第三日目(雨のち曇)
 予定通り6:00に朝食をとり、少し様子を見たが強い雨脚は衰えず。天気予報では、上越地方には、雷・洪水注意報がでているとこのと。何時止むか分からないので雨具をつけて7:00に下山を開始した(写真12)。

写真12 雨の中を下山する

 

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