アンデストレッキング(準備編)

 ガイドブックでは世界で一番詳しいというLonely Planetに、「ペルーアンデスには世界で一番美しい山に選ばれたアルパマヨがあり、それを見るためのトレッキングツアーもある」と書いてあった。
 インターネットで地元の山岳ガイド会社のHPを探したら、たくさんのガイド会社がヒットした。どの会社に頼んだらよいか分からないので、検索のトップに出てきた会社に頼むことにした。
 アルパマヨ一周10日間のトレッキングと前段の高度順応トレッキングを含めて 11日間のコー スを提案してきた。前後のホテル代など、一切の費用を含めて約 2000ドルとのこと。2008年7月の日程で予約し、半額を5月の始めに振り込んだ。

前準備
 そのガイド会社から送られてきたトレッキング日程表の地名を見ても場所がさっぱり分からない。言い換えればどんな一周コースなのか読めないので、八重洲ブックセンターに頼んでアルパマヨがあるワスカラン山群の十万分の一の地図を取り寄せた。ペルーの山なのにどういう訳か地図の出版元はオーストリアだった。
 それと日程表の地名をつき合わせたら半分ぐらいの場所はわかったが、あとは不明だったのでコースが読めない。地図をスキャナーで読み取って、「これこれの地点が不明なので、コースをこの地図に書き込んで送り返して欲しい」とガイド会社に添付ファイルで送ったら、ロクな返事が来なかった。「しまった、これは詐欺会社に引っかかったか」と心配になった。

 そこでインターネットでヒットした別のガイド会社に、「これこれなので、御社にトレッキングツアーのアレンジを依頼したい。ついては既に払い込んだ50%を御社で取り戻してもらいたい」とメールを送ったら、「商道徳上、それはできない。彼(当方が費用を払い込んだ会社の社長)は、以前、我社でポーターをしていた男で、そんなに悪いやつではない。どんな理由で返事を送ってこないのか聞いてあげよう」と返事が来た。どうやらこの会社の方が老舗で技術力も高い会社のようだった。
 返事を送ってこない理由は、ガイド会社の社長の英語力が貧弱で満足な返事がかけなかったことと、画像処理技術を知らないので地図にコースを書きこめなかったためと判明した。

前日(リマ着)
 ペルーの首都リマの空港には午前0時ごろ着いた。ペルーの宿は日系二世の経営する当山ペンションを頼んでおいた。日本語が通じるからだ。
 当山ペンションに着いたのは、もう午前1:30ぐらいになっていた。経営者の当山ペペさんが待っていて、手配してもらった航空券やホテルのクーポン券を示しながら説明してくれたが、26時間の長旅の疲れでいちいち確認している気力はない。「ハイ、ハイ」とうなずくだけ。
 もうひとつ注意があった。ペルーでは、トイレで大便をしたとき使った紙は、備え付けのゴミ箱に捨てることになっているとのこと。大便はすぐに分解するが紙はなかなか分解しないからだそう だ。ペルーの環境対策はしっかりしている。
 明日は 10:00 発のバスに乗るので目覚ましを9:00にセットして寝た。

リマからワラスへ(曇りのち晴れ)
 目が覚めたらもう 9:35 だった。シマッタ、もう 10:00発のワラス行きのバスには乗れないだろうとあきらめ、ペンションのロビーにいた宿の若者(ペルー生まれの日系人なので日本語が話せる)に「どうしよう」と相談したら、「バスがクルス・デル・スルならターミナルはそう遠くないので、すぐタクシーに乗ればギリギリで間に合うかもしれない」とのこと。ペンションの前に出てタクシ ーを拾って料金も聞き取ってくれた。 おかげでバスターミナルには10時ジャストについた。

 荷物を預けてすぐバスに乗り込もうとしたら、防弾チョッキを着た警備員がチョット待てと押しとどめ、金属探知機でチェックを始めた。飛行機に乗るのと同じくらい厳重なチェックがあった。

 席は2階の最前列。前面は大きなガラス窓。運転席は下なので眺めは最高。この4席だけはVIP席といって少々料金は高いが、いい席を取ってくれたとペペさんに感謝した。発車するとすぐ、車掌が乗客全員の顔をビデオで撮影していた。警察当局からこういうお達しがでているのだろう。先ほどの金属チェックといい、テロに対する警戒が厳重なのに驚いた。

 いつの間にか寝込み、目が覚めたらイロハ坂が連続する急な斜面を登っていた。海抜 0m から 4000m の峠まで一気に登る斜面だ(写真 1203)。

      写真1203  4000m を一気に登るイロハ坂

 延々と続くイロハ坂を登りきると高原の先に雪がべっとりついた山が連なっている。もう暗くなった18:00ごろワラスのバスターミナルに着いた。ワラスはリマから北方へ300kmほどのところにある、標高2900m、人口10万人の都市だ。 ガイド会社の社長がバスターミナルに迎えに出ていた。車でホテルまで案内してくれた。

 ホテルに荷物を置いてから、夕食のため街に出た。まずソルを作らないといけないので両替所を探した。旅行案内書には、ペルーでは親切そうに声をかけてくる人間はだましの常習犯だから要注意と書いてある。そこで公的場所と思われるところで聞くことにした。
 なんとかいうバス会社のバスターミナルがあったので、その切符売り場に行き、切符売り場だと承知の上で、窓口で100ドル札を出し「カンビエメ(両替)」と言ったら、係員が驚いてここは違うというように「ノ、ノ」と手を振っていた。そこで、すかさず「ドンデ(どこ)」と聞いたら、スペイン語で「こう行って、こう曲がって」と説明してくれた。もとよりスペイン語は分からない。手の動きをずっと見ていたら、どうやらこの道を下って、どこかで左に曲がることが分かった。その手の動きを真似して「こう行くのか」と念を押していたら、見かねた奥の方にいた女性職員が両替屋まで案内してくれた。

 まさかここまでしてくれるとは思っていなかったので感謝感激。両替屋まで5分ほど歩いた。女性にお礼のチップをドル札で渡したら、それを両替するものと思ったらしく、両替屋の窓口に出しているので、「チップ、チップ」といって押しとどめた。チップは要らないと返そうとするのを無理やり受け取ってもらった。両替屋のレートもほぼ公正なものだった。いっぺんにペルー人が好きになった。

 それから食事のため近くにある食堂に入ったが、メニューがスペイン語だけなので全く分からない。適当に注文したらとんでもないものが出てきてとても食えない。もう一軒入って見たが同じことの繰り返し。

 この時刻では山岳ガイド会社はみな閉まっていた。たまたま、まだ開いているガイド会社があったので、Morales(最初のガイド会社からまともな返事が来ないとき、問い合わせた別のガイド会社の社長)の会社がどこにあるか聞いた。小生が会社名を伝えたら、わざわざインターネットで探してくれた。
「あったあった」とホームページを表示してくれたので、「その会社だ」とこたえると、事務所の所在地をワラスの地図に丸印をつけて渡してくれた。いきなり飛び込んできて、自分の会社の客となるわけでもないのに、ここまで親切にしてくれるとは、ますますペルー人が好きになった。結局、夕食は、パンとジュースを買って帰りホ テルで食べた。

高度順応トレッキング(晴れ)
 朝8時に迎えの車がきた。社長が案内するものと思っていたら、別のJulio(フリオ)というガイドが案内するとのこと。今日は日帰りの高度順応トレッキングなのでコックは必要ないが、顔合わせのためコックのJasinto(ハシント)も来ていた。
 ワラスから車で1時間ほどで登山口のピテック3640mについた。国立公園管理事務所の係官がいて、パスポートチェックと入山料の徴収をしていた。入山料は一人5ソル。そんな金額なら人を配置する人件費の方が高くなるだろうに。自然保護のための監視が主目的なのだろう。周囲には雪のついた山が間近に聳えていた。

 たまたまどこかに出かけるインディオの親子が通りかかった。カラフルないでたちで、いかにもアンデスらしい(写真1302)。すかさずシャッターを押したら、お金をちょうだいというようにお母さんが手を出したが、特に立ち止まる様子もなく通り過ぎていったので、本気でもらうつもりはなかったようだ。

      写真1302  通りかかったインディオの親子

 9:20、ガイドと2人でいよいよ登山開始。小生のいでたちは紺のゴアのツナギに登山靴。ガイドもこの装備には満足したようだった。始めは比較的ゆるい斜面の登りで、滝のある大きな岩壁の下まで行く(写真1303)。

      写真1303  100mの滝がある大きな岩壁

 滝の左岸の壁を登っている登山者が目に入ったのであそこを登るのかと思っていたら、ガイドは滝の右岸の急な岩壁に取り付いて登ってゆく。小さなハシゴもあった。岩壁はホールド・スタンスとも豊富なので特にビビるところもなかった。
 しかし最上部で当方の技術ではチョット無理な岩壁につきあたった。give up と言ったら、ガイドが先に登ってザイルを下ろしたので、まずザックを送り、次に当方を引き上げてもらった。わざわざこんなルートを通る必要はないので、当方の技量を確かめるため右岸を登ったのではないか。

 滝を乗り越えるとすぐチュラップ湖 4450m(写真1304)に着いた、11:40。チュラップ湖は氷河湖で、青い湖を氷河に磨かれた滑らかな岩盤が取り囲んでいた。湖の対面には純白な雪と氷がついたチュラップ山が聳えていた。
 素晴らしい景色だ。ここで昼食。青空に鋭くとがった雪山を眺めながら、よく磨かれたつるつるの岩の上で寝転ぶ。ツナギを着ていると暑いくらいだ。登山客は20人ぐらい。
 湖水の温度を測ってみたら10℃。眼前で氷が融けているにしては温度が高いのに驚いた。

         写真1304 チュラップ湖4450m

 13:00下山開始。下りは一般ルートの左岸を下った。その途中でガイドが「コンドルだ」と教えてくれたので下方を見たら、首が白い大きな鳥がグライダーのように滑空していた。数秒で見えなくなった。岩場なのでカメラを取り出して撮影することができなかったのが残念だ。ピテックに14:30着。もう迎えの車が来ていた。

 砂利道の帰りに、こんな山奥までコレクティーボ(乗り合いタクシー)が来ているのに驚いた。その後部に「最大積載量:積めるだけ」と日本語で書いてあるのでふき出した。日本の中古車なのだろうが、こんな人を食ったプレートを誰がつけたのだろう。15:35、ワラスに着いて今日のトレッキングは終了。

 まだ日が高いのでMoralesの会社に行ってみることにした。Moralesの会社はホテルの前の道路を15分ほど登ったところにある。行ってみたら細い小路で、その小路にはカフェのパラソルが立ち並んでいた。東洋系の顔が珍しいらしく、あちこちから「ここでお茶を飲んでいけ」というように声がかかった。

 小生も笑顔で手を振って No thank you という意思表示をしながらMoralesの会社を探した。長屋風の建物が両側に続き、各扉にそれぞれ名刺程度の表示が出ている。それら を丹念に読んで探していったら、ついにMoralesの会社を見つけた。
 早速、ドアの呼び鈴を押して中に入った。ニュージーランドから来ているアンという女性がでてきた。当方のことを知っていて二階の事務室に招じ入れてくれた。Moralesは居なかったが、アンが電話してくれたらしく、5~6分で近くの自宅からやってきた。
 いままでのアドバイスの礼をいい、Moralesの会社がやっている山村プロジェクト(アンデス山中の小さな集落に学用品などを援助する運動)に200ドルを寄付した。Moralesがコースはどうなっているかと聞くので、最初の会社が送ってきた行程表を見せたら、「最後の日はバケリアでキャンプし、リャンガヌコ峠は自動車で越えた方が良い」とアドバイスしてくれた。それを書きとめて彼の会社を出た。

 それから夕食のためワラスの街をあちこち歩いた。まだ明るいので今日は街の位置関係がよく分かった。警官の数がやたらと多い。昨日のバス車内での顔写真の撮影といい、反政府集団のテロに対する警戒がこんなに厳重とは思わなかった。
 昨日の夕食に懲りて、今日はワラスの英語の案内書に出ているピザ屋に行った。案内書に出ているだけあってピザは美味かった。たっぷり時間をかけて食べた。

アンデストレッキング初日(晴れ)
 8:30ワラスを出発。迎えに来た車は屋根に「タクシー」という看板がついていた。車には車内も屋根上にもトレッキングの荷物がギッシリ積んである。後部座席の2人(ガイドとコック)は荷物に押しつぶされそうなかっこで座っている。小生は助手席なので広々として眺めもいい。これだけ荷物があるなら4WDを使えばいいのに、貧乏会社で専用車を持っていないのかもしれない。

 途中で写真を撮りたいときは「ストップ」と言えば必ず停まってくれる。プライベートツアー(当方だけの貸切ツアー)の醍醐味を味わう。カラス2140mで国道から右手に別れ、砂利道をぐいぐい登ってゆく。行く手に山体を大きく2つに割ってサンタクルス谷の入口が見えてきた。サンタクルス谷の入口の村カシャパンパに着く。この谷は一番ポピュラーな3泊4日のトレッキングコースなので、入口には登山者が大勢いた。

 我々はアルパマヨ一周コースなので、すこし先の小さな集落まで自動車で進んだ。11:00着。しばらくここで待っているとカシャパンパからポーターがロバと馬を連れてきて合流した。ここで荷物をロバに積み換える(写真1404)。
 集落の住民がものめずらしそうに集まってきて見物している。彼らから「ハポン・ムーチョ・ダラレス」とか「フジモリ」という言葉が聞こえる。「日本人は金を持っている」「フジモリと同じ顔だ」とでも言っているのであろう。

        写真1404 荷物をロバに積み換える

 今日は3139mのワルカヤンまでなので比較的緩い登りだ。女の子が2人、前を歩いている。その後ろを生まれたばかりの小さな黒豚の赤ちゃんがチョコチョコ付いて行く。日本では絶対見られない光景だ(写真1405)。

       写真1405 前を行く女の子と子豚

 14:40ワルカヤンについた。電気も通じており戸数もかなりあった。そこの広場でテントを張ることになった(写真1407)。
 テントの設営を手伝うと小生はもうやることがない。カメラとクリノメーターを持って付近を散策。明日登る大きな斜面の角度を測ったら30度。地図で読むと標高差は1000mもある。この斜面を丸一日登るのかと思うとぞっとする。もっとも当方は馬なので関係ないが。
 その麓にはアンデネス(石垣を組んで段々畑にしたもの)があった。ガイドによるとこれはマチュピチュより古い時代に作られたものだそうだ。

        写真1407 第一日目のテント場

 小生のテントに近所の子供が3人やってきた。しかしテントの前にジット座っているだけ。チベット族のように「くれくれ」と手を出さないところが奥ゆかしい。これがインカ民族なのか。
 用意してきた学用品を年齢に応じてあげた。一番小さい子にはお菓子、中ぐらいの子供にはシャープペンシル、一番大きい子にはデジタル置時計。 置時計といっても百均の200円のもの。電池が手に入らないから1年ぐらいしか使えないのだが。それが分かるよう、裏蓋を開けて電池が入っていることを見せてから時刻合わせをして手渡したら、飛び上がって自分の家に一目散に駆けて行った。

 夕方、日が落ちた18:00ごろから前の広場に若者が集まってきてサッカーを始めた(写真1409)。みな野良仕事が終わってから集まったのだろう。30分ほどで球が見えなくなるほど暗くなったのでやめた。それにしても野良仕事で疲れているのによくサッカーを練習する気になるな。ペルーはサッカーが盛んなのだろう。南米諸国はサッカーが強いのが頷ける。

  写真1409 夕方、野良仕事が終わってからサッカーの練習

 19:00ごろから夕食。小生とガイドはテーブルに座って食事。コックとポーターは適当に木箱に座って食事をとっていた。前菜から始まって、スープ、メインディッシュ、デザートと一応フルコースの形態をとっている。トレッキングツアーとはこういうものかと、改めて認識した。お茶は高山病にいいというコカ茶をせっせと飲んだ。日本ではコカは麻薬として禁止されているのではなかったか。
 食べ終わったら、コックが食事の余りを容器に入れて近所の農家に持って行った。ここをキャンプ地として使わせてもらうので、地元の人には気を使っているようだ。食べ残しの残飯はテントの前に座っている犬にやっていた。犬もその辺の事情を知っているのであろう、その頃になるとテントの前に来て座って待っている。犬も早くくれと吠え立てたりしない。ペルーは人も動物も気立てが良いらしい。

アンデストレッキング(2~9日目)
 別編のアンデストレッキング(本編)を参照

アンデストレッキング最終日(曇りのち晴れ)
 バケリアで最後のキャンプをした。8:00ごろ迎えの車が来たので、それに荷物を積み込み、出発は 9:05。登るに従って天気も良くなり、10:23、太平洋と大西洋の分水嶺であるリャンガヌコ峠4767mに着いた。その峠の太平洋側の景色は最高だった(写真2311)。

        写真2311 リャンガヌコ峠の絶景

 右側に深い大きな谷をはさんで白い峰々が連なり、左側にはペルー最高峰のワスカラン6768mが聳えている(写真2327)。ワスカランからは大きな氷河が流れ下っている。峠からの下り道路は、ものすごい九十九折の連続だ。時間がたつのも忘れ写真を撮りまくる。

       写真2327 ペルー最高峰のワスカラン

 10:50、名残惜しいがリャンガヌコ峠を出発。九十九折を下るに従ってリャンガヌコ谷の氷河湖が良く見えてくる。なるほど典型的なU字谷に氷河湖が2つ連なっていて、美しい(写真2316)。

      写真2316 典型的な氷河湖:リャンガヌコ湖

 ワラスのホテルには15:45に着いた。ここで全員と握手してチームは解散。すぐ小生一人で温泉に出かけた。ワラスの近くに温泉があるということはガイドブックで読んだ記憶はあるが、場所も温泉名も覚えてこなかった。そこでアルマス広場に行き観光案内所を探したが分からない。
 通りかかった婦人警官の2人連れに聞いたら英語が通じない。でも「ハポネ・カリエンテ(日本人・温泉)」という言葉で分かったらしく観光案内所に連れて行ってくれた。モントレーに温泉があるとのこと。ワラス周辺の地図に場所を書き込んで渡してくれた。
 親切にも警官がタクシーを止めて、「モントレーまで、いくら」というところまで交渉してくれた。5ソルとのこと。5~6kmで5ソル(200円)とは安い。警官だから嘘をつけなかったのだろう。

 温泉プールは25mぐらいあり、温泉は鉄分を含んだ赤い湯。温度はぬるい。湯が注ぐところで43℃、プールは33℃。 早速、赤いタオルを広げて近くにいる人に写真を撮ってもらった(写真2337)。そのタオル(日本語で「日本秘湯に入る会」と書いてある)が好評で、近くにいる人が集まってきた。スペイン語ができないので意味を伝えられない。もっとも、彼らにしてみれば意味はどうでもよく、漢字がエキゾチックで興味の対象らしい。

       写真2337 プールで日本の手拭を広げる

 ワラスに戻ってから、もう暗くなった町を歩いてレストランを探した。たまたま高校生らしい集団とすれ違ったので、高校生なら英語を習っているだろうと、「日本料理店か中華料理店はあるか」と英語で聞いたら、「日本料理店はないが中華料理店ならたくさんある」とのこと。「どこ?」と聞いたら、すぐ後ろを指差して、「それも中華料理店だ」という。

「CHIFA」と書いてあるのが中華料理の店だと分かった。その店に入ってみたら、一応は中華料理店らしくカンフーのポスターが張ってあった。彼らが中華料理と自称する料理の写真も貼ってあったが、日本人の目からすればどう見ても中華料理とは思えないような代物だ。
 料理の名前がスペイン語なので内容が分からない。お互いに通じない言葉でしばらくやり取りしていたら「ワンタン」という言葉が聞こえたので、それを頼むことにした。ワンタンだけでは足りないので、もう一つ写真を見て頼んだ。
料理が出来上がってきて驚いた。彼らは本物の中華料理を食べたこともなく、本物の中華料理の作り方も習ったことがないのではないかと思えるような代物だ。ペルー生まれの中華料理とはこういうものか。大部分残してその店を出た。

ワラスからリマへ(晴れ)
 今日でワラスともお別れだ。トレッキング会社の社長がお父さんも連れて挨拶に来たのには驚いた。ペルーはこういう習慣なのか。「息子さんの会社のサービスは very good だった」と、外交辞令の挨拶をした。
 11:00に出発。4000mを一気に下り、美しい砂丘海岸(パンナム道路)を通過して、もう薄暗くなった頃リマ市内に入った。たまたま隣についたバスを見たら「クルス・デル・ノルテ(北十字星)」と書いてあるのでふき出してしまった。大手のバス会社である「クルス・デル・スル(南十字星)」の名前に便乗した中小バス会社なのだろう。ペルー人はユーモアにも富んでいるようだ。

 

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