何通も応募はがきを出して、2004.9.15 の立山砂防工事トロッコ体験乗車会にやっと当たった。これに合わせて、北陸の洞窟温泉2箇所と、豪快と噂の高い小谷温泉熱湯源泉も尋ねることにした。ちょうど雨飾山の南と北の温泉(すなわち、小谷温泉と雨飾温泉)を回ることになるので雨飾山を越えることで計画を立てた。
雨飾温泉に泊まった翌日は藪漕ぎ覚悟で「雨飾元湯」をアタックする予定だったが、豪雨になってしまい、やむなく半洞窟温泉の小川温泉に行った。その後、相棒と別れて、一人で立山砂防工事トロッコに乗りに行った。雨飾り元湯の日を除けば全体に良い天気に恵まれ、楽しい登山・温泉・トロッコを堪能できた。
ここ鉄道編に「立山砂防工事トロッコ」をのせ、小谷温泉と雨飾り温泉を含めて登山偏に「雨飾山」を乗せた。小川温泉は温泉編の「洞窟温泉紹介」の項に含めた。
前日(曇り)
富山地鉄の立山駅には17:00頃ついた。この駅はコンクリートの二階建で立派だった。二階部分が千寿が原に登るケーブルの駅になっていた。今日の宿泊場所、千寿荘は駅から1分の近さ。宿についたら「明日のトロッコはどうですか」と聞かれた。地元なのでとっくに知っているかと思ったがそうでもないようだ。時刻も17:00を回っていたので早速、砂防工事事務所に電話。明日のトロッコは動かすとのこと。よかった。
宿のカミさんはシャキシャキして必要な事以外しゃべらない、取り付く島のない感じの人だった。亭主は話好きで、自分のしゃべりたい事をいつまでもしゃべっている感じ。風呂に入ってから食事。料理も豊富で味も良かっ
た。これで8500円でいいのかなという感じ。もっとも布団は自分で敷くようになっていたので民宿なのだろう。
当日 立山砂防博物館
窓を開けたら青空が広がり快晴。期待はいやがうえにも高まる。弁当、水筒、防寒具、雨具を持って来いと案内書には書いてあるので、この天気なら大丈夫とは思ったが一応揃えた。結構な量になるのでケイビング用のアタックサックに入れようか迷ったがいかにも大げさなので、スーパーのビニール袋に入れて手にぶら下げて行った。ちょっと行動しにくい。
9:00に立山砂防博物館(写真01)の受付に行ったら、まだ1班の受付中。少し待って2班の受付になった。2班は登りがトロッコで下りがバス。1班はその逆で、中間点でお互いに乗りかえるそうだ。2班で良かった。各班の定員は20名とのこと。
写真01 立山砂防博物館
最初に30分ほど砂防博物館(正式名称は立山カルデラ砂防博物館)のさわりの部分を見学。案内の人が「崩落した土砂が安定しているかどうかは生えている木を見れば分かる」と、次のように説明してくれた。
崩落したての不安定な土砂には「どろ柳」が、少し安定してくると「岳樺」が、さらに安定してくると「ブナ」が生える。これは土砂の保水力が異なるためで、最初は保水力が低いため水分が少なくても育つどろ柳が生え、次に岳樺が、次にブナがという順番になるのだそうだ。ブナが生えてくるようになれば斜面は安定しているとのこと。カルデラとはポルトガル語で、ぐつぐつ煮る鉄の大鍋という意味だそうだ。一つ勉強になった。
トロッコ列車
トロッコに乗る前に、各人にヘルメットと無線イヤホーンが渡された。トロッコ内で説明する場合、別々な車両に乗っているので案内役の説明が全員に聞こえるようにするためとのこと。10:00にトロッコに乗車。マッチ箱程度の黄緑色の人車が3両繋がっている(写真02)。なんとか谷側に座りたいと思っていたら、後ろ向きではあったが谷側に座れた。ラッキー。ここで山側だったら展望は1/10以下だ。
写真02 トロッコ列車
いよいよ出発。動き出してすぐ、列車の方向転換用の三角線があった。すぐに連続4段のスイッチバックがあり、最上段から4本の線路(写真03)と下のターミナル駅の全景(写真04)が見える。
写真03 4段の連続スイッチバック
写真04 下のターミナル駅全景
対面の人はビデオカメラをまわしっぱなしにして撮っていた。2時間ぐらいなら可能なのかも知れない。参加者は当方と同じぐらいの中高年が多かった。でも募集要項に「山道を歩ける人」という条件がついていたので腰の曲がった人はいなかった。
トロッコの正式名称は、立山砂防工事専用軌道と言うらしい。もちろん、普段は工事関係者しか乗せないので、このような体験乗車会でもないと一般の人は乗るチャンスがない。
軌間は61cm、レールは15kg/m、延長12km、高低差640m、速度は登り18km/h、下り15km/hとのこと。機関車の馬力は見忘れた。スイッチバックは合計42段、そのうち樺平のスイッチバックは12段連続で高低差200mを一気に登る。これが見たく
てはるばる横浜から来たのだ。
我々が乗った人車は座席が3列。各列3人掛けな ので9人乗れるが、先頭車と後部車の1列は係員が乗るので、乗客は6人のみ。スイッチバックで推進運転する時は、後部車両の係員が前方監視していた。写真撮影に夢中で、後部車両にもブレーキハンドルがついているどうか確認するのを忘れたが、ブレーキハンドルを握っていた記憶はない。そのかわりブザー合図の押しボタンを持っていたので、ブレーキが必要な時はブザーで機関車に合図するのであろう。
人車の長さはせいぜい3mぐらい、それでもカーブにさしかかるとキーキーと音をたてていた。それほどカーブがキツイのであろう。乗る前は人車の台車構造も見てやろうと思っていたのだが忘れてしまった。連結器は引っ掛け式だった。
常願寺川に沿って徐々に高度を上げて行く。案内の人は、砂防博物館の人と砂防工事事務所のOBだった。そのせいか砂防施設については細大漏らさず説明している感じ。そういう目で見ると至るところに過去営々と築いてきた治山治水の施設があるものだ。
そもそも砂防ダムと言うのは、土砂を下流に流さないために作るものと思っていたが、その機能はそうではないようだ。砂防ダムに土砂が溜まると川床が水平になるため、大きな岩石は流れないが小さな土石は下流に流れるので、海岸がやせ細る訳ではないとのこと。砂防ダムに溜まる土砂の量は山から流出する土砂の量に比べてほんの僅からしい。大きな岩石を食いとめれば下流の堤防や橋が破壊されるのを防止できるので、それが目的なのだそうだ。
我々の列車の前をJICAを通して来た外国人見学者の一団が乗った列車が走っている。閉そくは目視でやっているようだ。スイッチバックの1段差でついて走っている。
天鳥(てんとり)のオーバーハングは通りすぎてから気が付いた。後ろ向きに乗っているのだから仕方あるまい。沢水で軌道を破壊されないよう、沢に鉄橋を架けるのではなく、沢を渡る部分をトンネルにして、その上を沢が流れるようにしてあった(写真05)。トンネルに窓が開いているので窓の外を簾のように水が流れていた。鉄橋方式では毎年発生する土石流ですぐ流されてしまうからだろう。
写真05 沢はトンネルの上を流れている
平日なので、保線工事を至るところでやっていた。「保線工事中」という赤い大きな幟を立てているのも面白かった。また連続スイッチバックを登り、鬼が城トンネル(510m:2分10秒)を抜けると鬼が城連絡所という行き違い設備のある駅に着いた。女性の連絡員(駅員)が手を上げて合図していた。
列車の後方には鬼が城崩れという大きな崩落が見られた。JICAの列車はここで待避。乗客が降りていたので何か見学するらしい。見学者は土木関係者なのだろう。
そこから少し登ると対岸に大きな岩塊が積み重なった崩落地が見えてきた。特に手当てはしていない。説明によると「すでに安定斜面になっているので金かけて手当てする必要はない」とのこと。専門家が見ればそういうことも分かるのか。
いよいよ、この砂防軌道で一番半径が短いクス谷のカーブに入る。R=7mとのこと。たった3両編成でも窓から先頭車が見えるほどカーブがきつい(写真06)。鉄橋のたもとに運行整理員らしい旗を持った係員が立っていた。何をしているのだろう。上下の閉そく管理は連絡所でやっているはずなのに。
写真06 R=7mのクス谷のカーブ
いよいよ樺平の12段連続スイッチバックだ。大いに期待してきたのだが樹木に隠れてスイッチバックの全体像が見えないのが残念だ(写真07)。樹木がなければ、この斜面全体に12段のスイッチバックが繋がっているのが見えるはずなのだが。
写真07 樺平の12 段連続スイッチバック
それまではポイント転換は無線でやっていたようだが、ここは昨日の雨で何かが故障したらしく、スイッチバックの折り返し毎に車掌役の係員が地上に降りて手動でポイント転換していた(写真08)。
写真08 ポイント転換は手回し
係員が線路脇の僅かな路肩を歩いてポイントと最後部の人車を行ったり来たりしている。見ていてハラハラする。ポイントの転換方向を示す入れ換え標識は矢印で転換方向を示す形式のものだった。
いつの間にかJICA の列車が追いつき、1段下の線路を走っているので、機関車と人車の屋根がすぐ下に見える。おもちゃのように可愛い人車だ(写真09)。
写真09 後続の列車がすぐ下を走っている
いよいよ前方に白岩の砂防ダム群が見えてきた。さすがに大きくて高い。右に荷揚げ用のインクラインも走っている。ここでトンネルに入り終点の水谷平についた。もう12:20ぐらいになっていた。水谷平は見上げるようなカルデラ壁の下にできた細長い平地で、着発線が3本と検修庫らしい建物があった(写真11)。着発線でも勾配は50‰ぐらいあり手歯止めをかけて車両を留置していた。連結器はひっかけ式(写真12)。
写真11 終点水谷平の着発線
写真12 人車の連結器はひっかけ式
水谷平は砂防工事の作業員の宿舎が建ち、診療所もあった。最盛期は600人いたが現在は200人とのこと。作業員宿舎はプレファブで毎年春に組み立て、秋には撤去するそうだ。もう70年も工事が続いているなら雪にも耐えられる本格的な鉄筋コンクリー
トにすれば良いのにという気がする。
日が燦燦と注ぐ野外のテーブルで食事。気持ちが良いのでもっとゆっくりしたかったが、予定より遅れているのですぐに出発。今度は歩きで白岩の大岩壁の中にあるトンネルを抜け、カルデラの崩落地が一望に見渡せる場所にでた。そのトンネルと並行してトンネルが掘られ、白岩の崩壊を防ぐため、そのトンネルから白岩全体に対してアンカーのワイヤーが800本も張ってあるとのこと。外からは見えないが砂防工事の規模は大きい。
トンネルを抜けたところに天涯の湯があった(写真13)。前方に立山カルデラを囲む稜線の山々が見え、絶景の湯だ。国見、浄土、龍王、鷲などの山々が連なっている。薬師は手前の山に隠れて見えなかった。
写真13 立山連峰と天涯の湯
乗換えるべき1班のバスがまだ到着していなかったので、これ幸いと、天涯の湯で足湯をつかった。かなり大きな露天風呂で湯も熱かった。1班のバスが着いたので乗車。まず白岩展望台に行く。丁度、白岩の対面に当たる所で、巨大な白岩大岩壁と白岩砂防ダム群が一望できた(写真14)。
写真14 白岩の砂防ダム群
白岩砂防ダム群は立山カルデラ最大のダムで、主ダム(63m)、副ダム7つからなっている。全体で高さ108mとのこと。全体が急な階段のように連なり、ダムを作る前は川全体が滝のように落ちていたのではないか。ここは安政地震による大崩壊の土砂が堆積した台地の端なので、毎年、大量の土砂が流出していたらしい。
砂防法によると、一県におさまる地域はその県が砂防工事をすることになっていたそうで、最初は富山県が立山カルデラの砂防工事を引き受けていたが、とても手におえる代物でないので、砂防法を改正して、規模の大きなところは国直轄事業としたそうだ。
主ダムは国直轄事業になってから完成したものらしい。最後にブナ林の冷たい湧水を飲んで帰途についた。温度を測ったら5℃だった。冷たいはずだ。雪解け水が地下を下ってくるのであろう。バスに約2時間揺られて16:45頃、砂防博物館に着いた。ここで解散。案内の方に心からお礼を申し上げた。素晴らしい体験旅行だった。
お世話になりついでに、「トロッコ列車の方向転換のための三角線(写真16)の写真を撮りたい」と頼んだら、「線路敷きは一般の方だけでは立入禁止なので」と付き添ってくれた。有り難いことだ。
写真16 トロッコ列車の方向転換用Δ線
トップページに戻る場合は、下の「トップページ」をクリック