19世紀の末、ドイツがフランスとの戦争(第一次大戦)に備えて、南ドイツからバーゼルに通じる戦略鉄道を建設した。当時、ドイツからフランスに入る鉄道はストラスブール経由の線しかなかった。ドイツは、南ドイツからスイス経由でバーゼルからフランスに攻め込むルートも計画したが、スイスは永世中立国なので軍用列車の通過を拒否した。
そこでドイツは、ドナウ川上流のブルームベルグからなだらかな牧草地帯を下ってスイスとの国境に近いヴァイツェンに至る鉄道を新設し、そこから、スイス領に入らないよう、ライン川のすぐ北岸に沿ってバーデンまで通じる鉄道を建設した。戦略物資(大砲や弾薬やタンク)は重量物なので鉄道の積載量を大きくするため、線路勾配を10‰以下に抑えて作ったという。そのため、ゆるやかな牧草地帯にもかかわらずループ線を多用したので、線形は豚の尻尾のようにあちこちでクルクル回っている(図02)。
図02 豚の尻尾線の線形(注1)
正式な線名は「wutachtalbahn」と言うのだが、その線形から「豚の尻尾鉄道」と呼ばれることが多い。2013年8月にこの鉄道に乗りに出かけた。以下はその乗車記録である。
トリベルグ~ドナウエッシンゲン
今日はトリベルグからドナウエッシンゲンに向かう。切符の自動販売機の操作法が分からないので無札でホームに入った。トリベルグ駅の下り線のホームに行ったら結構な数の乗客が待っている。ヨーロッパの鉄道としては珍しい。
ホームから上下方向の信号を見ると、同一線路上に、下り方向にも上り方向にも出発信号機が見える。ヨーロッパの複線は単線並列であるのが良く分かる。
2~3分遅れて来た地域急行(RE)のコンスタンツ行きは座れない人が出るほど混んでいた。10:38発。ヨーロッパでこんなに混んでいる列車に乗ったのは初めてだ。しかも自転車持込可なので自転車を置く場所は通り抜けるのもやっとだ(写真06)。
写真06 車内の自転車置き場
切符を買うために車掌を探して3両ほど動いてみたが見つからなかった。近くの人に「自動券売機の使い方が分からないので切符を買えなかった、車掌は何処にいるか」と聞いてみたら、「問題ない、來たら買えばいい」という人と、「それは大変だ、ペナルティーをとられるぞ」という人が居て、どちらが本当か分からない。
車掌が来る前に下車駅ドナウエシンゲンに着いてしまったので下車した(11:19)。列車に自転車積み込み可なので、ホームから地下道に降りる階段にも自転車用のスロープがついている(写真
08)。
写真08 駅の階段には自転車用のスロープがある
ホームから地下道に降りたらそのまま出口につながっていて、これではただ乗りになる。駅の有人切符売り場らしきところに行って事情を話し料金を払おうとしたが、前の客が長引いて、いつまでたっても番が回ってこない。今日は荷物を宿に預けてすぐバスに乗る予定なので、あきらめて宿に向かった。
駅の南出口を出て3分ほどで今日の宿「Bora」についた。レストラン兼 inn の店なのだが扉が閉まっていて荷物を預けることができない。宿と思われる側の扉を根気強く叩いていたらやっとおかみが出てきた。
ここの宿はユーゴスラビアからの移民の経営らしく、英語が通じず、メールアドレスも無いので、ドイツに永住している高校同期の友人に書いてもらったドイツ語でFAXでやりとりして予約した宿だ。
今日、日本人が泊まることは分かっているので、身振り手振りだけで通じたらしく、3Fの部屋に案内され、ここに荷物を置けとのこと。ずいぶん大きな部屋だった。荷物を置いてすぐ駅前のバスターミナルに行った。地下道で駅の南出口(裏口)から北出口(表口)に通り抜けた。地下に降りるエレベータの表示が、地上は
0、地下一階は-1 となっているのが面白かった。
バスターミナルに行ったが、乗り場がたくさんあり、どの乗り場からゾーラスブルーム行きのバスが出るか分からない。ターミナルの売店で乗り場を聞いてその乗り場に行ってみたら、確かに乗る予定のバスの時刻が表示されていた。一安心。
バスの発車時刻までまだ20分あるので、駅近くのドナウ川の水源と呼ばれている泉を見に行った。泉の手前にドナウ川を渡る橋があった。2800kmの大河もここまでくるとほんの小川だ(写真09)。駅から5分ほどで泉に着いたが、残念ながら泉の周辺が工事中で近寄れない。立入り禁止のフェンスから望遠で泉の写真を撮った(写真10)。
写真09 ドナウ川の本流
写真10 ドナウの泉
ドナウ川の本当の水源はここより30kmほど上流の海抜1100mぐらいのところにあるのだが、どういうわけかここが水源の泉(ドナウクエル)だと観光案内書等では紹介されている。
12:28発のバスでゾーラスブルームへ。バスの切符は運転手から買うので、必ず有人である。言葉が不自由な外国人にとっては、駅の券売機で買うよりずっと買いやすい。今日は戦略鉄道が走る日なので混んでいるだろうと思ったがバスはがらがら。みんなマイカーで行くらしい。
運転手に降車駅を告げて、「着いたら教えてくれ」と頼む。写真を撮るため一番前の席に座った。ゾーラスブルームに行く途中で、ドナウ川とライン川の分水嶺を越えるところがあるとのことなので、道路が登りから降りになるところを片っ端から写真に撮っていった。どうやらこの辺が分水嶺らしい(写真12)。
写真12 ドナウとラインの分水嶺
ドナウ川よりライン川のほうが若く急流なので、現在はライン川がドナウ川の上流部分を食い荒らして(侵食して)、ライン川の流域が広がっている最中である。これを河川争奪という。
そこからしばらく走ると、前方にSL列車の煙が見えてきた。どうやら午前の便がゾーラスブルームに戻ってきたところらしい(写真 14)。ゾー ラスブルーム駅12:50着。
写真 14 ゾーラスブルームに帰ってきた SL 列車
駅周辺は午後の戦略鉄道に乗る人であふれていた。鉄道オタクばかりでなく、家族連れのピクニック気分のグループも多い(写真16)。
写真16 家族連れでにぎわう SL列車
まず最初に切符を買う。切符売り場は長蛇の列。その最後について、予約票を手に持っていたら親切な人が「予約票を持っている人はそっちの列だ」と教えてくれた。そこは2~3人しか並んでいなかったのですぐ切符が買えた。
あとは出発まで駅構内を見学。この鉄道は鉄道としてはすでに営業を廃止しているが、骨董品的価値があるので、記念財団が運営して4月~10月 の間だけ列車を走らせている。だから駅構内には博物館(写真18)もあり、信号扱い所も開放して見学できるようになっている。また、荷物車を改造した売店もあり、戦略鉄道の骨董品的価値を解説した資料も売っている。
建設が開始されたのは1870年で、出発駅のゾーラスブルームから終点のヴァイツェンまで25.4kmで231m下っているので、平均勾配は9‰である。
写真18 ゾーラスブルーム駅の博物館
駅構内に停車している14両編成の列車を観察する。機関車は先頭についているが後ろ向きである(写真20)。転車台が無いので、のぼり勾配で機関車が前向きになるようにするには、くだり勾配はうしろ向きに連結するしかないのだろう。
写真20 後ろ向きに連結されたSL
客車はいろいろな型式の寄せ集めで、屋根がか まぼこのように大きい(写真22)。出発信号機は 腕木式である(写真24)。客車の長さはいろいろで、車軸は3軸のものもある(写真26)。
まさに骨董品的客車を寄せ集めたという感じ。
写真22 客車の屋根と駅構内の様子
写真24 ゾーラスブルームの出発信号
写真26 3軸の客車もある
座席は通路を挟んで、3人掛けと2人掛けが並んでいる。窓枠には「手や顔を出すな」と注意書きが書いてある。枕木は鉄製で台形の形をしている。レール締結装置は何式だったか見忘れた。実際に使われているポイントの転換テコ(写真28)がある信号楼に誰でも入れるのに驚いた。
写真28 ポイントの転換テコ
いよいよ発車時刻も迫り乗客も乗り込んできた。偶然にも対面の客は女の子を連れたご夫婦で、その女の子たちがドイツ語で「ちょうちょ・ちょうちょ」を歌い始めた(写真30)。「その歌なら日本にもあるよ」と当方が日本語で歌ったら拍手喝さい。その後お母さんと英語で話したら、「この歌はドイツの歌だ」とのこと。文部省唱歌でも外国製があるのだ。
写真30 蝶々を歌ってくれた女の子
14:05汽笛の合図を響かせ出発。出発してすぐ左カーブのトンネルに入り、トンネルを出るとすぐ右手に複線の線路が見えるが、これはEpfenhofer駅構内の上下の着発線だ。すぐにBiesenbach橋を渡る。窓枠に「手や顔を出すな」と書いてあるので、教養が邪魔して、この橋の写真は撮れなかった。続いてEpfenhofen橋が右手やや下方に見えてくる(写真34)。この橋は最初のΩループを回ってくると渡る橋だ。豚の尻尾鉄道は見所が短時間に次々と現れるので、乗る前に十分研究しておかないと、シャッターチャンスを逸する。
写真34 Epfenhofen橋
最初の停車駅Epfenhoferに停まると、右手上にBiesenbach橋が見えるのでゆっくり撮影できる(写真38)。
写真38 駅からBiesenbachを見上げる
二番目の停車駅 Fuzenはこの鉄道で一番大きな駅だ。当時の服装をした名物駅長が発車合図をあげる(写真40)。腕木式信号の出発現示は日本と違い、腕木をあげる方向である(写真42)。
写真40 名物駅長の発車合図
写真42 腕木式信号機の出発は上に上がる
豚の尻尾鉄道の沿線は(写真44)のようになだらかな牧草地であるが、勾配を10‰以下に抑えるとなると(図02)のような線形とせざるを得ない。10‰以下という条件がいかに厳しいものか分かる。
写真44 豚の尻尾鉄道沿線はなだらかな牧草地
当方が列車の進行方向を測るべく日本製の磁石を取り出して見ていたら、女の子の一人が物珍しそうにいつまでも覗き込んでいた。この磁石は東西南北を漢字で書いてあるからだろう(写真46)。
西洋人にとって漢字はエキゾチックな感覚を呼び起こすらしい。ヨーロッパに行ったらホテルの チェックインは漢字でサインしたほうが良い。
写真46 日本の磁石を珍しそうに覗き込む女の子
やがて右手に山林が迫り、完全に一回りするループトンネルKreiskehrtunnel に入る。このひとまわりで標高差10mぐらいしか下がっていない。それほど勾配がゆるいのだ。トンネルを抜けると同じ位置に戻ってくるので、本来なら右手上方にこのトンネルに入る手前の線路が見えるはずだが、山林にじゃまされて見えない。
この先で列車は大きく右カーブして、深い谷を渡る(写真48)。この谷が、ドナウ川源流部分を食い荒らしている、ライン川の元気な支流なのだ。
写真48 深い谷を渡る
最後のΩループのトンネルKehrtunnelに入る。このループトンネルは出口と入り口が同じ方向を向いているので、うまくすれば2つの入り口を一枚の写真に収められるかも知れないとチャンスを狙っていたのだが、木立が邪魔して、とうとう、そのようなシーンは見られなかった。
そこから約10分で終着駅のWeizenについた(15:10)。ここでの折り返し時分は30分ある。機関車の付け替えを見物するため、いの一番に客車のデッキから飛び降りて、機関車の動きを追う。
機関車が付け替えのため上り方に移動してゆく(写真52)。この向きで列車に連結すれば帰りは前向きで牽引できる。帰りが登り勾配なので、帰りの運転を重視して、機関車をこの向きにしているのだろう。まず機関車の給水(写真54)。久しぶりに見る光景だ。
写真52 付け替えのため上り方へ移動する機関車
写真54 まず、炭水車に給水する
給水している間にも検査係がSLの走り装置の点検をする。ピストンへの給油と磨耗部品の目視検査(写真56)。第二動輪と第三動輪の間に何か見慣れない装置がついている。上から下がっている梁には制輪子がついているのでブレーキ関係の装置だろうが、線路面すれすれに何か分からない装置がついている。これは見たことがない。
写真56 給水中に検査係が機関車の点検
日本に帰ってきてから列車を運行している記念財団に、この写真をつけて「黄色い四角で囲んだ装置は何か」と英語で問い合わせたがいつまでたっても返事がない。ドイツに住んでいる友人に頼んで、ドイツ語に翻訳して問合せてもらったらすぐにドイツ語で返事が来た。
線路面すれすれにある装置は ATS-Pの車上子であることが分かった。もっとも、豚の尻尾鉄道にATS-P 型が導入されている訳ではなく、本線のSLを導入したのでこの装置がついているだけとのこと。記念財団からの返事によると、将来的には豚の尻尾鉄道にもATS-Pを導入する計画があるそうだ。
給水が終わると機関車を移動させて列車と連結する。連結器は旧来のフック式である(写真58)。客車と連結するときは構内係が連結部分に入って、手作業で連結リンクを両側のフックに引っ掛ける必要がある。フックに引っ掛けるだけでなく、太いねじを回して、リンクの長さを適当な長さに調整している。なかなかやっかいな作業だ。
写真58 フック式連結器の連結作業
15:40 Weizen駅を出発して帰路についた。帰りは反対側を見るために座席には座らず、反対側のデッキに立ってカメラを構える。帰りは登り勾配なのでSLが猛烈に煙を上げる。客車内にも遠慮なく煙が入ってくる(写真60)。
写真60 容赦なく煙が車内に入り込む
橋を渡るところでは、車窓の下には典型的なドイツの田舎町の景色が広がっている(写真62)。
写真62 典型的なドイツの田舎町
定時16:45に終着のゾーラスブルームについた。ドナウエシンゲン行きのバスは16:46にあるので、真っ先に客車から飛び出してバス停に駆けていったが、目の前で出て行ってしまった。次のバスは17:55なので時間つぶしにゾーラスブルーム駅構内にある鉄道博物館を見に行った(写真64)。この鉄道が現役だったころの装置や衣装、建設当時の設計図や建設工事の写真などが所狭しと展示されていた。
写真64 ゾーラスブルーム駅構内の博物館
他の乗客はほとんど車で来ているので、こんな時間まで駅周辺にいるのは当方だけ。なんとか時間をつぶしバス停に行ったら、それでも他に4人ほど乗客が集まってきた。
ドナウエシンゲンには定刻18:29についた。駅裏の今日の宿 Bora(写真66)について、レストランに行ったら真っ暗。大きな声で、日本語で「ただいま」と言ったらおかみが出てきた。
写真66 木造 5 階建ての宿:Bora
「夕食のメニューはまかせる」と書いた紙をおいてきたので何が出てくるか楽しみだったが、結構口に合うバルカン料理だった。食事をしているあいだにひと組だけ他の客が入ってきたが、大きなレストランにもかかわらずひっそりとしていた。おかみが今日は吉田という日本人がもうひとり泊まるとのこと。
シャワーを浴びてからドナウエシンゲンの街に繰り出そうと、部屋に戻ったらシャワー室の電球が切れていてつかない。女将を呼んでも言葉が通じないので、持参のキャップランプをランタンがわりに置いてシャワーを浴びた(写真70)。こういう体験も初めてだ。
写真70 電気がつかないのでキャップランプで入浴
着替えてから部屋を出てレストランに降りて行ったら、吉田さんという日本人が待っていたのでしばらく話し込んだ。もう3ヶ月近くもヨーロッパを自転車で回っているとのこと。ドナウエシンゲンの観光案内所で聞いたらこの宿が一番安いのでここに逗留して周辺を回っているそうだ。
ドイツはサイクリング道路が整備され、列車に自転車も乗せられるので回りやすいとのこと。1時間ほど話していたらもう22時になってしまったがそれから街に出た。ドイツは治安が安定しているので心配もしなかった。この時間だと開いているのは飲み屋だけ。飲み屋の入口には必ずビールの銘柄(Frustenberg
Brauerel)が書いてある。どうやらこの町の地ビールらしい。町を歩いていたらその醸造元と思われる建物の壁に、この銘柄が大書されていた。
あるバーに入り、カウンターで地元の人と英語で話した。Frustenberg Brauerel というのはこの町のビールだそうだ。ドイツはどの町に行っても地ビールがあり、住民が盛り立てているとのこと。
(注 1) 「ドイツ ヴータッハタール鉄道 I -丘のアルブラ越え」より引用 http://homipage.cocolog-nifty.com/map/2010/01/i
-d3b5.html#search_word=豚のしっぽ
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