世界一急坂を登る中央アンデス鉄道

 中央アンデス鉄道(FCCA)はチベット鉄道が開通するまでは世界で一番高いところを走っている鉄道だった。海岸から、たかだか150kmで標高4780mのガレーラまで登るので、スイッチバックが連続し、そのアクロバット的な景色が売り物の鉄道である。アンデス山中にある鉱山の鉱石を港まで運び出す目的で作られた。

 鉱山の操業率も下がり人の移動も少なくなったので定期の旅客列車の運行はやめているが、観光客のニーズにこたえて月に一度ぐらいの割で観光用列車を走らせている。チベ ット鉄道と対比する意味で、2008年7月に乗りに出かけた。切符はFCCAのHPから申し込んだ。

            図2600 チベット鉄道と中央アンデス鉄道の勾配比較


7月26日(金)曇りのち晴れ
 リマのデサンパラドス駅に6:30までに集合とのことなので、まだ薄暗いうちにタクシーで宿を出発した。天気はどんより曇っている。駅に着いてみたら、駅前を軍の車両が固めていた。警戒が厳重なのに驚いた(写真2601)。

       写真2601 装甲車が並ぶデサンパラドス駅

 駅に入ってみたら駅構内の造りはギリシャ神殿風の重厚な造りだった。ホームに降りたら、低床式ホーム一面と単線の線路があるだけ。ホームと線路の間がかなり離れているので、以前はここにもう一線あったのだろう。枕木は泥に埋もれメンテナンスの悪さがうかがわれる。信号機も地上子も見当たらない。どんな閉塞方式を採用しているのだろう。

 7時5分ごろ列車が左手から入ってきた。DL1両に牽引された12両編成の客車だ。前半6両が観光客用のツーリズモクラス(日本でいえばグリーン車)で、西洋人の観光客がすでに乗っていた。小生が乗るのは後半6両のクラシコクラス(日本でいえば普通車)だ。一旦、線路敷に降りてから、踏み台を使って乗り込む(写真 2605)。

         写真2605 線路敷から列車に乗る

 明日・明後日は独立記念日の休日で、終点のワンカヨでは有名なカーニバルがある。それを見に行くペルー人が多いので、今日は普通車6両を増結しているらしい。あとで分かったことだが、この増結で列車長が長いため、スイッチバックの折り返しで余分な作業が必要になり、結果としてワンカヨ到着が2時間遅れることになった。

 7時15分ポワーンという汽笛を響かせて列車が静かに動き出した。線路敷きはゴミが散らばり汚い。動き出すとじきに、係員が乗客全員の顔写真をビデオで撮影していた(写真2606)。この撮影は長距離バスでもやっていたので、テロに対する警戒が厳しいのに驚いた。

        写真2606 乗客全員の顔写真を撮影

沿線の景色を見ても勾配が分かるほど傾斜している。さすが150kmで4800m登る路線だ。同じボックスの対面はペルー人の若いアベック。なかなか可愛い女の子だった。
 8:30頃、最初の停車駅チョシカについた。ここで山線用の機関車(DL)に付け替える。10分ほど停車して出発。この辺からアンデス高地にかかるので空が晴れてきた。席は進行左側の窓側だったので線路標識を撮ろうと、目を皿のようにして探したのだが見当たらなかった。

 次のサンバルトロメには9:20ごろ着いた。ここでは、転車台で機関車の向きを変え、機関車を列車の先頭から後部に付け替える作業が行われた。この作業も見せ場の一つらしく、乗客が降りて転車台の回りに集まっている(写真2608)。

         写真2608 サンバルトロメの転車台

 この鉄道のスイッチバックは原則として2回折り返す構造となっている。こうすると真ん中の一折だけ推進運転(機関車が後ろから列車を押す)すれば、機関車を列車の前部から後部に付け替えなくても済むからである。
 しかし、ここ、サンバルトロメだけは折返しが1回しかない(図01)。さらに機関車の運転台が片方にしかついていない形式なので、機関車を前から後ろに付け替えるだけでなく、機関車の向きも変えなければならない。そのため転車台で機関車の向きを変えているのである。

    図01 サンバルトロメの線形

 機関車の付け替えも終わりいよいよ逆方向に出発。ここで列車の前半がクラシコクラスになり、後半がツーリズモクラスになる。ツーリズモクラスには展望車がついているので、どうしても後部にする必要がある。
 事前に調べてコピーしてきたスイッチバックの線路図(図1)を見ながらシャッターチャンスを待つ。線路図を調べてきたおかげで狙い通りの写真が撮れた。サンバルトロメ駅の上に来たときには、真下に先ほどの転車台も見えた。少し進むと、このスイッチバックでどれだけ登ったかが分かる景色も見られた(写真 2615)。

            写真2615 スイッチバックでこれだけ登る

 山腹も急となり、いよいよこの鉄道で最長の鉄橋を渡る。スペイン語と英語で案内の車内放送もある。当方の座席は6号車なので前方の客車も被写体に入りなかなか良い構図になった(写真2616)。

         写真2616 一番長い鉄橋を渡る

 鉄橋に差し掛かったので下を見たら、鉄橋は複線幅のトラス橋だった。将来、複線にすることも考慮したのだろう。橋梁・トンネルの数は多かったがどれも短いものだった。トンネルもほとんどが素掘りだった。
 普通車の定員は、片側8ボックス、1ボックス4人なので、全体では定員64人になる(写真2620)。 各ボックスにはかなり大きなテーブルがついているので、8ボックスしか取れないのであろう。

            写真2620 普通車の内部

 同じボックスのペルー人のアベックとも仲良くなり、たどたどしい英語で話がはずむ。女の子はペルートヨタに勤めており、男の子はネット網の運営会社に勤めているエンジニアとのこと。今回はワンカヨのカーニバルを見て、近くの山に登る小旅行のためこの列車に乗ったそうだ。女の子はペルートヨタに勤めているだけあって、日本人には非常に好意的 だった。

 食事は昼と夜の二回出た。これも運賃に含まれているらしく料金は取られなかった。終点のワンカヨまでの往復運賃はツーリズモクラスで240ソル、クラシコクラスで160ソルである(1ソル≒40円)。 ただし飲みものは有料。 ビールを頼んだら銘柄を聞かれて困った。ペルーのビールの銘柄まで外国人が知っている訳がなかろう。もたもたしているうちに女の子が「クスコのビールがおいしいわよ」と金も渡して注文してくれてしまった。出てきたビール瓶には「クスケーニャ」というラベルが張ってあった。確かに、さっぱりした味でうまかった。

 彼女に「ペルーに来てからレストランでスペイン語のメニューが分からず困っている」と言ったら、ペルー料理を、オードブル・スープ・メインディッシュ・デザートに分けて、お奨め順にメニューをスペイン語で書き出してくれた。これは有難い。今後はレストランに入ったらこれを見せて、できるものを注文すればよい。

 11:40ごろ、とある駅に着いた。なんとも複雑な入換をしているので結構時間がかかった。これは文章で説明しても鉄道員でなければ、車両の動きが目に浮かばないだろうから割愛して、結論だけ述べよう。
 スイッチバックの折り返し線が短いため12両編成の列車が折り返すことができない。そこで、編成を2つに分割して、上のスイッチバック線に入れなければならない。しかもツーリズモ車の展望車が最後尾に来るようにしなければならないので、複雑な入換となるのだ。
 そのときの入換担当者の動きを見ていると、動きが機敏なこと、無駄がないこと、うまく作業を分担していることが、鉄道員ならすぐ分かる。通常は各駅の入換は、その駅の職員が担当するのだが、FCCAは無人駅が多いので、入換クルーが列車に乗務し、列車と共に移動している。
 谷もだんだん深くなり(写真2621)、鉄道が走っている山の斜面も急になった。川沿いの自動車道路も複雑にイロハ坂を繰り返している。

           写真2621 谷も深くなった

 13:10 ごろ賑やかなパレードの音が聞こえる小さな町(チクラ)を左に見ながら町を一巻きし、トンネルに入ったところでスイッチバックして、今度は町を右側に見下ろしながら、また町を一回りする(図02)。

         図02 チクラのスイッチバックの線形

          写真2627チクラを取り巻く線路

 町の上部を通り過ぎてから、またスイッチバックで順行運転に戻り、更に高い位置から町を見下ろしながら進行してゆくので、街を取り巻く線路がよく見える(写真 2627)。 FCCA では、すべてのハイライトが進行方向左側に見えるので、FCCAに乗る時は、絶対に、進行左側の席を確保すべきである。

 先ほどのトンネルのあるスイッチバックを見下ろしたら、長い折り返し線を作ることが地形的に不可能なので、トンネルを掘って折り返し線を長くしたことがわかった(写真2626)。

         写真2626 トンネルを掘って折り返し線を長くした

 この写真をよく見ると、左手に昔の折り返し線の跡が見える。その一部が地滑りで流されてしまったので、トンネルを掘って折り返し線を新たに作ったのだろう。
 なるほど、150kmで4800m登るため、いろいろ知恵を絞っているのだ。結局、チクラの町を二巻き半して登っていることになる(図02)。この曲芸的なスイッチバックで200mぐらい登っているのでは ないか。

 トンネルを掘って折り返し線を長くする工夫を知っているなら、先ほどの複雑な入換をした駅もそうすれば良いのに。あの複雑な入換が省略できれば、列車の到達時分も短くなり、労働時間も減るので、長い目で見れば経営的にも得策だと思うのだが。

 沢山のアパートがある鉱山町を通り過ぎると景色が一変し、14:30チンチャンの駅舎を通過する。ここには機関車の向きを変えるΔ線があった。標高はすでに 4360mある。客車は気密構造ではなく高地用の酸素供給設備もない。その代わり高山病で気分が悪くなった乗客には、車掌が酸素ボンベと吸入器を持ってきてくれる。対面の女の子が高山病となり、車掌に酸素ボンベと吸入器をつけてもらっていた (写真2630)。

     写真2630 高山病で酸素吸入をつけてもらう

 チンチャンから先は荒れた高山地帯が続き、人が住んでいる気配は感じられない。周囲の山々には雪が乗っている。左手から今は廃線となったモロコチャ支線が合流すると、太平洋と大西洋の分水嶺のトンネルに入る。約1.4km のトンネルを抜けるとガレーラ駅である。15:13到着(写真2634)。すでに予定より1時間半遅れている。

        写真2634 最高点の駅ガレーラ4780m

 ここで10分停車し、列車を降りて見物できるようになっている。駅舎の「ガレーラ:海抜 15681フィート」という表示板の前は、写真を撮る人で長い待ち行列ができている。ここが、チベット鉄道ができるまでは世界で一番高い駅だった。 写真を撮るため駅構内を足早に歩いていたら、標高が高いためか、小生でも足が重くなった。駅周辺は荒涼とした赤い岩山だけである。

 15:22、ガレーラを出発。ここから先はオロヤま で下りが続く。列車速度も上がった。オロヤ3740mの場外でややしばらく停止してから、オロヤ駅に入った。この停止は鉄格子の扉を開けてもらう待ち時間だ。ペルーの鉄道やバスの主要駅はテロ対策として、鉄格子で囲まれている。だから駅に入る際は必ず停止して鍵を内部から開けてもらわなければなら ない。
 駅周辺には鉱山住宅が立ち並んでいる(写真2640)。駅を取り囲む岩山は急で、その岩の上に、鉱物が溶けだしたと思われる白いペンキ状の膜がかぶっていた(写真2641)。日本の緑を見慣れた目には、どこか別の惑星に不時着したような感じだ。

        写真2640 オロヤ駅を取り巻く鉱山住宅

 

         写真2641 鉱石が溶けだした白い膜

 17:25オロヤ発。オロヤから先はアマゾン川の上流であるマンタロ川に沿って下る(写真2642)。だんだん暗くなり景色が見えなくなったころ夕食になった。食事は2回ともうまかった。

         写真2642 マンタロ川に沿って下る

 いよいよ終点のワンカヨが近くなったのか、ノロノロ運転になり、盛んに汽笛が聞こえてくる。多分、線路敷きで営業している屋台を立ち退かせているのだろう。ワンカヨ駅の手前でしばらく停車。これは駅の鉄扉を開けているためだろう(写真2645)。

           写真2645 ワンカヨ駅の鉄扉

 ワンカヨは40万人の都市だそうだが、沿線の人家はまばらで、人家の電灯も暗いのが印象的だった。
予定では19:00着のところワンカヨには20:50に着いた。はるばる汽車に乗ってきたという感じがする。ホームが短いため、まず前半分のクラシコクラスの乗客を下ろしたあと、列車を前進させ、ツーリズモクラスの乗客を降ろしていた。

 駅の出口には美々しく着飾った男女の警官が立ち(写真2647)、駅の出口には出迎えガイドや客引きが大勢立って呼びかけていた。とにかく人が多い。

          写真2647 駅の乗降口には警官

 今晩の夜行バスでリマに帰る予定なので客引きには目もくれず、ガイドブックの地図を頼りに、市の中心部へ向かって歩いた。人通りが多い。Lonely Planet で調べておいたレストランを探す。
 一軒目のレストランは地図でここにあるはずだという所に見当たらなかった。二軒目の「オリンピック」はアルマス広場の脇にあった。早速入ったが、入り口に案内係が立っていないので、適当に空いている中央のテーブルに座った。店員が忙しげに立ち働いていて一向にメニューを持ってこない。

 一人の東洋人っぽい顔立ちのウエイトレスを呼び止めたが、生粋のペルー人らしく中国語も英語も話せなかった。しかたないので、どうせ読めないだろうと思ったが、メニューを持ってきてもらった。案の定、スペイン語なので何を頼んだら良いか分からない。そこで今日の列車の中で女の子に書いてもらった、ペルーのお奨めメニューを見せて、「これはあるか、これはあるか」と順に指で差していった。
 メインディッシュは順位1のものがあるという。スープは順位3のものがあった。両方頼んで、パンとビールをつけてもらった。メインディッシュは白身の魚の刺身にドレッシングがかかったようなもの。独特な青臭さがあるペルーの薬味が入っているので、あまり口に合わなかった。しかしスープはうまかった。夜行バスは23:30発なのでじっくり時間をかけて食べた。それでも他のテーブルの客より短い時間しか粘れなかった。一人だから話し相手がいない ので仕方あるまい。

 前のアルマス広場でタバコを吸いながら時間つぶし。今はペルーでは冬で、ここワンカヨは標高3260mもあるのだが寒くない。南緯12度だからだろう。 当方のいでたちを見て、地元の山岳ガイド会社の青年と思われる人物が名刺を持って現れ、「明日はどこの山に登るのか」と聞いてきた。「今日の夜行バスでリマに帰る」と言ったら残念そうだった。「日本に帰ったら友人にこの会社を宣伝してくれ」と言い残し て、名刺を置いて立ち去った。

 地図によるとクルス・デル・スルのターミナルまでは5分ぐらいなので、22:40分ごろターミナルに向けて歩き出した。結構暗い道なので身構えながら進んだがどうということもなかった。途中で民家のおばさんに「クルス・デル・スル  ブス テルミナル ドンデ(クルス・デル・スルのバスターミナルはどこ)」と聞いたら、その角を曲がってすぐだと言うような身振りをした。バスターミナルには22:45についた。

 指定券を見せたら、そこの待合室で待っていろという。直に改札が始まり、パスポートとチケットを見せ、ボディーチェックを経て、バスに乗った。今日も VIP席なので二階の一番前だが、夜行バスなので眺めはない。乗客は40%ぐらいしか乗っていなかった。全員揃ったのか定時に出発。出発するとすぐ乗客の顔写真撮影のため車掌が回ってきた。

 暗くてどのルートを通ってリマに戻っているか分からなかった。途中で踏み切りを何回か横切り、恐ろしく長いイロハ坂を下っていたので、多分、今日乗ってきたFCCAのルートを逆に下っているのだろう。はるかかなたの下方まで対向車のヘッドライトが繋がっている。対向車はトラックと夜行バスがほとんどだった。トラックよりバスの方が多い感じだった。ワンカヨでは明日から有名なカーニバルが始まるのでそれを見に行く客が多いのであろう

 VIP席は小生一人だけだったので、手足が伸ばせるよう、座席の下に進行方向に対して直角になって寝た。VIP席はバスの先頭なのでこのように寝ても通行の邪魔にならないからだ。車掌からも特に文句は出なかった。この寝方だと、イロハ坂では体が上下にずれるほど大きな加速度を何回も感じた。カーブも急で速度 も高いのだろう。リマには薄明るくなった6:00頃、定時に着いた。今日は飛行機でクスコに向かうので、すぐタクシーに乗ってリマ空港に向かった。

 

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