帝釈峡
2009年11月に、日本で一番大きな天然ブリッジがあるという帝釈峡を歩いてみることにした。帝釈峡の核心部分は落石で危険なため通行禁止になっているらしい。地元が安全サイドで過剰規制しているのであろう。よくある話だ。ヘルメットとつなぎを持参して核心部分を通過するつもりで家を出発した。
前日
帝釈峡に入る最寄り駅の東郷には15:00頃ついた。バスの時刻になってもバスが現れない。バス会社(備北交通)に電話したら、社員もよく知らないらしく結構待たされて、やっと、休日は全便運休だというこことが分かった。停留場の時刻表をよく見たら、隅のほうに「休日は全便運休」と書いてあった。しかたないので駅前に停まっていたタクシーで帝釈峡(川上)まで行った。
16:10ごろ、川上の虎屋旅館に着いた。おばさんが外まで出てきて迎えてくれた。もう紅葉シーズンも過ぎたので、今日の客は当方一人とのこと。部屋に荷物を置いてから、すぐ近くの帝釈天を見に行った。高さ50mほどの石灰岩壁の下に帝釈天の祠が建っていたが、どういうわけか立ち入り禁止の金網が張ってあった。落石で危険なのかな。
次にその岩壁の下にある、小さな凹み(川水で溶食されたノッチ面)に入ってみたら、10mほどで行き止まりとなり、賽の河原のように石が積んであった。見るものはこれだけのようなので、すぐ旅館に戻った。結構寒い。
鬼の唐岩
翌日は良い天気になった。まだ人が歩いていない8時20分ごろ旅館を出発。寄倉岩陰遺跡の入口には広島大学の現地調査ハウスが建っていた。直に白雲洞があったが、まだ管理人が来ていないらしく鍵がかかっていた。
そのすぐ先の左岸に鬼の唐岩が見上げるような高さでそびえていた(写真02)。下の穴をくぐって少し奥へ行ったら上の穴も見えた。ここも大昔は洞窟だったのだろう。
写真02 鬼の唐岩
そもそも帝釈峡全体が大昔は洞窟内を流れる川だったのだから、洞窟内で唐岩からの水が合流していたのだろう。今は、その合流部分の天井が厚い部分だけが溶け残って、唐岩と呼ばれるようになった。
雄橋
更に下ると帝釈峡のメインポイントである天然橋:雄橋についた(写真04)。
写真04 雄橋(上流側から)
高さ20m・幅30mぐらいの岩体が、川をまたいでいた。日本の天然橋としては最大だが規模はフランスのポンダルクの1/4ぐらいしかない。自動車道路もその下を通っている。観光用の馬車も置いてあった。岩体の上部は右岸側に傾いており、右岸側の付け根は川面からそう高くない。どうして右岸側だけがこんなに溶食されたのだろう。
今日はこの上を通るのが目的なので、左岸側の結構急な斜面を登った。斜面は落ち葉と泥で覆われているが、下は細かいザレ石なので、一歩ごとに滑り落ちる。でも、とげのあるブッシュが無かったので助かった。雄橋よりかなり高く登ったところで、かすかなトレールと出会った。「測地調査」と書いてある橙色の標識が地面に埋め込んである。それをたどって雄橋の真上に行き、そこから雄橋の上に向けて下る。ここもかすかなトレールがつ
いていた。
雄橋の上から雄橋のアーチを取りたかったので、まず雄橋の上流側のあちこちで側面に降りてみたが、アーチが見えるところがない。次に下流側の側面を降りてみたら、かろうじてアーチが見える
ところがあった(写真06)。
写真06 雄橋の上から見下ろす
測地調査の標識があったところまで引き返し、上部の台地目指して登った。こちらのほうは結構藪こぎが必要だった。台地上の平面にたどり着いたら、ドリーネと思われる窪地があったが、ほとんど泥でうずまっており、2~3mぐらいしか段差がない。
ここで引き返すことにして、忠実にトレールにしたがって下ったら、雄橋より 100mぐらい上流で自動車道路に出た。そこには△の表示板をつけたポールが建っていたが、測地調査や指道標とは全く関係ないものだった。たぶん、関係者にのみ分かる目印として建てたのだろう。
立ち入り禁止の遊歩道
10:10、雄橋に別れを告げて下流に向かった。 断魚渓を過ぎ、大きな岩壁を見上げながら進むとマスの釣堀のところで立ち入り禁止の柵があったが、間を通り抜けて先に進む。時間が早いので人っ子一人おらず、どこからも注意を受けなかった。
その先の橋に橋幅一杯になるように、また立ち入り禁止の柵が設けてあった(写真08)。ここは脇から回りこむ訳に行かないので柵をよじ登って突破。しばらく平凡な川筋に沿って進む。
写真08 ここから先の遊歩道は立ち入り禁止
立ち入り禁止となってから数年たつので、遊歩道もところどころに倒木や落石がある。しかしケイバーから見れば国道を歩いているようなものだ。左岸に屏風岩の絶壁がそびえている。この帝釈峡は元は洞窟だったところなので、左右の岩壁には連続した摂理や地層が見られるだろうと注意してみたが、それらしいものは発見できなかった。というより、遊歩道の反対側の壁は見えるが、こちら側の岩壁は木立に隠れてよく見えないと言った方が良い。
雌橋
10:50、いよいよ雌橋に着いた(写真10)。洞門部分がちょうど水没しているという水位だった。しかしダムで水流が止まっているので、洞門部分は土砂の堆積でほとんど埋まっている感じだった。
写真10 雌橋(洞門部分は水に浸かっている)
雌橋を望む遊歩道の脇には頁岩と石灰岩の断層が走り、地質学的な説明板も立っていた。その断層線にクリノメータを置いて写真を撮った。
いくつか岩のトンネルを抜けてゆくと、いよいよ幕岩の基部に達した。岩を掘り込んだ桟道(写真11)を進むと、赤いトラス橋の幕岩橋についた。ご丁寧にここにも立ち入り禁止の柵が立っている。それを乗り越して幕岩橋を渡る。橋を渡りきった所(左岸)から見上げる幕岩は立派だった(写真12)。
つづいて柏岩橋を渡る。これでまた右岸に戻る。この橋の出口にも立ち入り禁止の柵が設けてあった。この辺は両岸屹立した岩壁で帝釈峡のハイライト部分だ(写真14)。ここを立ち入り禁止にしたまま何年も放置するというのは許せん。「中国自然遊歩道」という名前が泣くではないか。
写真11 幕岩下の桟道
写真12 幕岩を見上げる(幕岩橋から)
写真14 帝釈峡のハイライト部分
幕岩橋から先は道も良くなって、11:25に遊歩道の迂回路との合流点に達した。そのすぐ先に、これまた赤いトラス橋の神竜橋がある。時間を見たらまだ余裕があるので、神竜橋を渡って左岸に移り、国民休暇村の高みから神竜湖を見ることにした。紅葉は既に散っているが、湖の向こう側に錦彩館が湖岸の眺望の良さそうなところに建っている。2年前、ここに泊まって幻の鍾乳洞を見る計画を立てたが、天気が悪かったので中止した経緯がある。なかなかいい旅館のようだ(写真16)。
写真16 湖畔に建つ錦彩館
国民休暇村の駐車場まで高低差90mの山道を登る。汗をかくようになった頃、駐車場に着いた。そこから尾根の山道を通って錦彩館まで下る道を歩いてみたが、木立に囲まれていて景色のよいところは無かった。錦彩館に降りる直前に一部、眺望の利くところがあった(写真18)。そこからは神竜橋、桜橋、周りを囲むカルスト台地も見える。
写真18 トンネルの上から神竜湖を見下ろす
車道に降り、トンネルを抜けるともみじ橋に12:15に着いた。ここが神竜湖遊覧船の発着場だがもう運航は終っていた。そこの食堂で何か食べようと思ったが、店は閉まっていた。たまたま船着場のほうから上がってきた地元の人に聞いたら、そのトンネルの向こうに売店があるとのこと。メインの通りから脇道に入ってゆく感じだったが歩いていったら、売店と食堂があった。バス時刻まで10分しかないので食堂で食べる時間がない。
写真20 バス停前の土産物屋・食堂
12:48発の福山行きのバスに乗った。乗客は地元のお婆さんと当方の2人だけ。最前列の景色が良く見えるところに座った。福山への道は帝釈川と離れて山間のくねくねした道を通る。地元の人が時々乗ってきては、すぐ降りてゆくので、ほとんど当方と運転手の2人だけだった。地方の生活路線は採算をとるのが難しいことを実感した。
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