アイスランドの火山洞窟

 2002年、小生の所属する日本洞窟学会を通じて、アイスランドで開かれる国際火山洞窟学会の案内が送られてきた。プログラムを見ると論文発表のほか巡検もたっぷりついている。巡検とは実際に現地を訪れる見学会のことで、地学系の学会には大抵の場合巡検がついている。個人で行ったのでは、観光洞でもない洞窟を探すのはまず不可能なので、この機会を逃すべからずと、早速申し込むことにした。

 しかし、地質学の専門家でもない小生には発表すべき材料がない。しかも英語も満足に聞き取れない。断られてもともとと、アイスランド火山洞窟学会会長のシギーに broken English のメールで問い合わせたら、「論文発表なしでも全日程参加 OK」とやさしい英語で返事が返ってきた。2002年9月、学会が開かれるレイキャビックのグランドホテルに着いたら、学会の受付の女性が超美人なので見とれてしまい言葉が出てこない(写真1)。

        写真1(受付嬢)

 初日は受付だけで午後から早速、付近にある溶岩洞窟の巡検。観光バス一台に乗り切れる程度なので参加者は40人ぐらいなのだろう。現地に着いたら 洞窟の測量図が配布された。400mほどの一本棒の洞窟なので、これなら迷うことはないと、すぐザックにしまってしまった。
 厚くコケが生えた溶岩流の平地を進む。まるでスポンジの上を歩いているようだ。溶岩流の一角が陥没したところに入口があった(写真2)。溶岩洞の天井が崩落し、そこが入口になったのだろう。溶岩洞ではよくあるタイプだ。

          写真2(二股洞窟の入口)

 他の参加者は専門家なので途中にある溶岩鍾乳や天井の亀裂の方向を調べているが、小生はそれにはかまわず最奥まで進む。とくに面白いものもなかったので入口に引き返そうと、もと来た道を戻ったが、なかなか入口に達しない。もうとっくに入口に戻っていいはずなのだが。そうこうするうち洞窟も行き止まりになってしまった。「そんな馬鹿な」と思ったが、現実なのだからしょうがない。狐につままれた感じでまた引き返したら、前方に入口の明かりが見えてきた。そこから外に出てみたら正面にもう一つ入口がある。

 ザックから洞窟測量図を出してよく見たら、この溶岩洞は、上流側と下流側は一本の穴だが中央付近は二股に分かれていた。この二股に分かれた部分の一方の洞窟の天井が崩落して下流側と上流側に入口ができたのだ。溶岩洞が途中で二本に分かれ、また合流して一本になるという形態は非常に珍しい(写真3)。小生は下流側入口から入り、矢印のように歩いて、上流側入口から出てきたようだ。

  写真3(二股洞窟の見取り図)

 2日目はまじめに論文発表を聞いたが、英語がてんで分からない。しかし各発表者のスライドは動画を多用しているので、何について話しているかぐらいは分かる。欧米人のプレゼンテーション技術は参考になった。しかし、地質学の専門タームを知らないので、肝心の考察の部分が理解できない。これでは論文を全部聞いていても意味がないので、明日はサボって、外を回ることにした。受付嬢にグリーンランドを日帰りできないかと聞いたら、早速、アイスランド10:00→14:00グリーンランド17:00→21:00アイスランドという切符をとってくれた。

 翌日、レイキャビック空港で10:00発のグリーンランド行きに搭乗したが一向に離陸しない。そのうち何かアナウンスがあり、乗客がぞろぞろ降り出した。たまたま乗り合わせていた日本人団体客の添乗員が、「グリーンランドが強風で着陸できないので今日は欠航になりました」と客に説明していたのでやっと事情が分かった。

 仕方なく空港ロビーに出たが、このまま空しく帰るのもシャクだ。空港の出発表示板を見たら、12:00にヘイマエイ島に行く便は飛ぶらしい。ヘイマエイ島とは、レイキャビックから80kmほど離れた小島(南北4km・東西3km)で、1973年1月に大規模な割れ目噴火を起こし、ヘイマエイの町が三分の一ほど、溶岩に埋まってしまったことで有名な島だ。このときは流れ出た溶岩が島で最も重要な漁港の入り口をふさぎそうになったので、海上から多数の消防艇で溶岩に海水を注ぎ、溶岩の流れをすんでのところで食い止めたそうだ。

 帰りの便を聞いたら、島で4時間は確保できそうなので、行ってみることにした。飛行機は16人乗りの小型機(写真4)。空港から飛び立つと、アイスランド特有のテーブルマウンテン型をした火山が連なっていた(写真4-2)。直にヘイマエイ空港に着いた。

写真4:ヘイマエイ島行きの小型飛行機

写真4-2:テーブルマウンテン型の火山

 ヘイマエイを埋めた溶岩流が湧き出したと思われる割れ目に沿って、歩きにくい溶岩の上を進む。割れ目の最後は、半分壊れた噴火口のようなところにつながっていた。そこに割れ目内で固まった溶岩の残骸が、ほんのチョットだけ衝立のように顔を出していた(写真5)。まだ温かみの残る火口壁を登り240mの頂上に着いたら、ものすごい風で吹き飛ばされそうだ。見下ろすと、割れ目から流れ出したおびただしい溶岩がヘイマエイの町を呑み込んだ様子が良く分かる(写真5-2)。

写真5:割れ目内で固まった溶岩

   写真5-2 溶岩に 1/3 飲み込まれたヘイマエイの町

 頂上から見ると西側にもう一つ同じぐらいの高さの火山がある。どうせならあの山にも登ろうと、一旦自動車道路まで降りて、また登り始めた。今度は追い風なので風が体を押し上げてくれる。風に寄りかかりながら難なく頂上に着いた。  その頂上の真下にヘイマエイ空港が見えた。下山路は空港から遠くなる方向に下っているので、空港に向かってまっすぐ火山の斜面を下った。火山礫がガラガラと積もった崩れやすい斜面だ。一歩踏み出すと1m以上進む。ここで転んだらひどいすり傷を負う。注意して下った。

いつの間にか牧場に入ってしまい、羊が遠巻きに小生を警戒している。羊の群れを2つに割って進み、有刺鉄線の柵を乗り越えて空港に着いた。その有刺鉄線のとげにささった尾長ぐらいの大きさの鳥がバタバタもがいていた。体を羽根ごとつかんで押さえ、とげから抜いてやったら、お礼も言わずに飛び立っていった。でも、まだ飛べる体力のあるうちに発見できて良かった。

 論文発表が終った日の夜はレセプション。偶然、私が座った隣の席に美人の受付嬢が座ったので天にも昇る心地。残念ながら小生の英会話力では話がさっぱりはずまない。同じテーブルの学者から「○○マイト、△△サイト」などと鉱物の話を出されてもさっぱり分からない。その都度、「私は caver(洞窟探検家)だ、geologist(地質学者)ではない」と言い訳する。洞窟をやっている人ならcaver と geologist は切っても切れない縁があることを知っているので、仲間として遇してくれる。caver が新 しい洞窟を発見しその測量図を作ると、geologist が 調査に入るのだ。天文学会でもアマチュア天文家と天文学者との間はこのようなものらしい。

 いよいよ巡検になった。アイスランドの溶岩は日本では考えられないほど粘性が低いので水のように流れる。溶岩洞ができたあと、天井から滴った溶岩がストローのように無数に垂れ下がっている洞窟(写真6)や、溶岩流の表面の一枚がブリッジのように残っている洞窟(写真7)などなど。

 

             写真6(見事な溶岩鍾乳)

          写真7(天然ブリッジのある洞窟)

 天然ブリッジが残っている洞窟は、洞の太さが直径10mもある巨大なもので、奥行き1.4kmとのこと。学者はそれぞれお目当ての場所を見つけて調査しているが小生は最奥まで突き進む。途中に何箇所か落盤があり、大きなホールを岩石が累々と埋めている。こういう所は方向を見失う可能性が高いので、タバコに火をつけて空気の流れを調べておく。
 溶岩洞は通常空気の流れはないのだが、幸いなことにこの洞はかすかに空気が流れていた。これに力を得て最奥まで行き、大急ぎで入口まで戻ったら、集合時 刻ギリギリになっていた。

 巡検の最後は、ギャウ(マントル対流が地表に達したところで左右に分かれてできる割れ目)に沿って、アイスランドを南北に横断する二泊三日の旅だ。アイスランド内陸部の道路はF道路(山岳道路)といって、未舗装で原則として川に橋がない。フォードの大型4駆8000ccで荒れた道を果敢に進む。道路の凹凸も激しく、椅子から浮き上がることも度々だ。川に出合うと、浅瀬を狙ってドブンと水に突っ込み、左右に派手に水しぶきをあげながら川を渡る。

 昼に避難小屋に到着。ここで昼食とのこと。同行者がそれぞれ持参したランチを広げているので、「売店は」と聞いてみたら、昨日、シギーが「明日は一日中山の中なのでランチをゲットできる所はない。各自、ランチを用意してくるよう」と説明していたとのこと。そうか、リスニング能力不足で聞き取れなかったのだ。

 数人から、「私のを分けよう」と声がかかったが、山に行くときはいつも非常食として餅とバーナーを持っているので、それを焼いて食べることにした。箸で餅をひっくり返しながら焼いていたら、昼食を終えた人がものめずらしそうに集まってきた。箸を上手に使うところや、餅が膨らんでくるところが面白いらしい。中には写真を撮っている人もいる。
 醤油をつけて海苔を巻いて食べ始める。食べるとき餅が伸びるのも面白いらしい。見物人に「ジャパニーズフード、トライするか」と、海苔を巻いた餅を差し出したら、何人か「トライする」という。反応は very tasty から give up ま で、人によってさまざまだった。give up と言った人は、餅よりも海苔の味が気持ち悪かったのだろう。 海苔は海藻なので。

 夕方にはミーバトン湖に達し、プセドウを見た(写真8)。プセドウとは一回の小爆発でできた小さな火口が寄り集まっているところだ。なるほど小火口が侵食も受けず、できた時の形のまま残っている。

         写真8 プセドウ(小火口群)

 夜は、アイスランド北岸の地熱発電所の従業員宿舎に泊まった。シギーが「ここの発電所のタービンは日本製だ」といって発電所の中を案内してくれた。 三菱重工と川崎重工のタービンが入っていた。
 壁に地熱発電所の航空写真が飾ってあった。発電所のすぐ近くに青い火口湖があり、四方から蒸気を発電所に送っている様子が分かる。シギーに「アイスランドは全部地熱発電なのか」と聞いたら、地熱は20%で水力が80%とのこと。水力の方が圧倒的に多いのに驚いた。

 夕食の後、これから温泉プールに行く、希望者は21:00に玄関に集合とのこと。温泉プールならサンダル履きでいいだろうと、そのスタイルで玄関に行ったら、「それではダメだ、登山靴を履いてランプを持って来い」という。「たかが温泉プールに登山靴かよ」と半信半疑ながらも登山靴を履いて出直した。
 真っ暗な凸凹道を4駆で進む。車が止まったところからガラガラした溶岩の中を 6~7 分歩いたら、深いギャウの縁に着いた。垂直な岩壁につけられた木の梯子を下ってゆくと、両岸に渡した梁の上にすのこを置いた脱衣場がある。そこで着替えてもう一 段梯子を下ると温泉だ(写真9)。

      写真9(温泉プール=野湯)

 温泉はちょうどいい湯加減で、無色透明・無味無臭。ここのギャウは幅2m、深さ14mとのこと。温泉の深さは3m。シュノーケルを持ってきている人もいた。ところどころ、上から落ちてきた大岩が沈んでいるので、そこでは背が立つ。野湯好きの小生にとっては最高の贈り物だ。

 翌日はきれいな氷結がある奥地の洞窟に行く。こんなところに来る人はいないので道はない。地形を良く知っている人がガイドしなければ絶対に到達できないところだ。4駆が30度も傾くような悪路を進むと滑らかな広い溶岩流に着いた(写真10)。

        写真10 溶岩流には草木一本生えていない

 4000 年前の溶岩流だというのに草木が一本も生えていない。たかだか1000年前に流れた青木が原の樹海とは大違いだ。溶岩流を歩いて目的の洞窟に向かう。5mほどの竪穴を下り、横穴を進むと大きなホールがあり、氷の殿堂となっていた。ホールの床は全面氷結し、大きな氷筍が至る所に生えている(写真 11)。

         写真11(氷結したホール)
 氷の裏からライトを当てるとなんとも美しい光景になる。ここでは学者もケイバーもルポライターも、子供のように写真を撮りまくっていた(写真 12)。

       写真12 氷の裏からライトを当てる

 そのホールの奥に、直径50cmほどの狭い横穴が延びている。それを覗き込んでいたオーストラリアから来た学者が、小生に「あの奥はどうなっているか」と聞いてきた。今までcaverだと言ってきた手前、突っ込まざるを得ない。溶岩洞の壁はギザギザなのでツナギにかぎ裂きを作りやすい。できれば溶岩洞の狭洞には入りたくないのだが。
 狭洞は5mほど先でやや大きな空間になり、そこで行き止まりになっていた。十分注意して潜り抜けたつもりだったが、一張羅のゴアのツナギにかぎ裂きを作ってしまった。狭洞から出て学者にその旨話したら残念そうな顔をしただけだった。一言、「お気の毒さま」ぐらいのことを言えばいいのに。

 夕方、まだ湯気の立っているクラフラの溶岩流を見に行った。新しい溶岩流は真っ黒なので古い溶岩流との境目がはっきりしている(写真 13)。

          写真13 新旧の溶岩流の境目がハッキリ

 さっそく、当方は火山洞窟を捜す。まだ湯気の出ている溶岩流の側面に中腰で入れるくらいの洞窟を見つけた(写真14)。入口には苔が生えているので、もう入れるかと思い、身をかがめて入ってみたが、熱くて熱くて、とても入れなかった。

       写真 14 まだ熱い溶岩洞窟

 最終日はアイスランドの西側を走るギャウに沿ってレイキャビックに戻った。途中、キョルルというところに、野趣満点な露天風呂があった。正面のホフス氷河を眺めながら入る気分は格別。当方が日本式に真っ裸で風呂に入ったら、主催者側のアイスランド勢も真っ裸で入ってきた。西洋人でもこういう入り方をすることがあるのかと驚いた。

 

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