写真1「ナムツォ湖へゆく道」有料道路で景色もよい。木が一本も生えていない。
写真2「ナムツォ湖の溶食石灰岩」 ヒマラヤが今ほど隆起していなかった頃は、ここまでインド洋のモンスーンが吹き込んだので、緑も水も多く、鍾乳洞も形成された。
写真03「ポタラ宮の夜景」 夜になるとポタラ宮がライトアップされる
写真04「五体投地するチベット族」 ジョカン寺の前はいつも五体投地しているので、敷石がつるつつになっている。
写真06「ジョカン寺入口の仁王様」 日本の仁王様は裸で鬼のような形相をしているが、チベットの仁王様は鎧を着て、どんぐり眼で愛嬌がある。
写真07「チベット仏教の象徴」 チベットのお寺にはみなこのマークがある。これほどキンキラキンで立派なのは、ジョカン寺だけだが。
写真08「バルコル街」 ラサ第一の名刹ジョカン寺を一回りするする巡礼路。チベットのお寺は、建物の中も外も、必ず右回りで回る。
写真09「ラサ旧市街にあるモスク」 ウイグル族地区にはモスク(中国では清真大寺と書く)もあり、ウイグル族はみな白い帽子をかぶっている。
写真10「ポタラ宮を見上げる」 ポタラ宮入り口では厳重な書類チェックがある。そこから見上げるポタラ宮は威圧的に聳え、宮殿というより城塞と言った方が良い。
写真11「局地的な夕立」 ポタラ宮の西方の山にスコールが降り注いでいる。チベットの夏の雨はみなこういうタイプなので、歩くより雨宿りした方が良い。
写真12「展望台から見たポタラ宮」 ポタラ宮の出口付近に高さ10mぐらいの岩山の展望台がある。入場料5元かかるがここから見たポタラ宮が一番と言われている。写真13で紹介する洞窟喫茶の入口も左側の崖下に見える。
写真13「洞窟喫茶で話を楽しむ人々」 ポタラ宮のすぐ横に岩山を掘った洞窟喫茶がある。5元(75円)でポット一本のヤクバター茶が出てくる。一人では飲みきれない。ラマ僧も含めて、皆、長話を楽しんでいた。フラッシュを光らせて写真を撮ったが、誰からも文句を言われなかったのでホッとした。
写真14「ラサの仏画壁」 ポタラ宮の南西にある薬王山の麓にある。ラサに行ってもここを訪れる人は少ない。ポタラ宮の出口から歩いても20分ぐらいなので、是非訪れてほしい名所である。
写真14「新華書店で書籍を探すラマ僧」 ラサの新華書店はさすがに仏教関係の本が多い。ラマ僧も仏教関係の書棚を覗いていた。当方は、チベットの最新の地図とチベット鉄道関係の本を探して回った。その途中で中日辞典を書棚の上に置き忘れて回っていたらしく、背中をたたく人がいる。振り返ったら新華書店の女性店員で「これはあなたのか?」と持ってきてくれた。
写真15「路傍の偽坊主」 喜捨の札束をこれ見よがしに並べている。
写真16「ラサ旧市街の小路」 旧市街の小路は、両側に3階建ての民家が続き眺望がきかない。おまけに道は複雑に曲がり、交差点も十文字ではない。外国人が足を踏み入れたら迷子になるのは必定。私もご多分に漏れず迷子になったが、交差点に達する都度、太陽光線を見て南へ南へと曲がって行ったら、無事、旧市街の南を走る大通りに出てホテルに戻れた。
写真17「タンカ開帳場所まで、さらに山を登る」 毎年8月の末にデプン寺で開かれるチベット一番のお祭り「ショトン祭」を見に行った。山の斜面に大きな曼荼羅を広げるので、そこまで山を登って行かなければならない。
写真18「御開帳」 曼荼羅は上に巻き上げられており、ラマ僧の吹き鳴らすチベットホルンの音とともに静々とまき下ろされてくる。参拝のチベット族から「ウオーッ」というどよめきが起こり、白布に包んだお賽銭が曼荼羅の上に飛んでゆく。拝んだ人は次々と下ってゆくので、後ろで待っていれば必ず最前列に出て拝める。
写真19「すごい人出」 曼荼羅が開帳されたあとも次々と参詣者が登ってくる。チベット族が圧倒的に多い。子供は着飾ってくる。老人には周りの人が手を差し伸べて、引っ張り上げたり、後ろから押し上げたりしている。
写真20「デプン寺出口の土産物屋」 出口付近の両側はチベットの手工芸品の土産物屋が並んでいる。チベットの手工芸品は精巧なものが多い。
写真22「ヤムドク湖沿いにギャンツェにゆく道路」 このヤムドク湖は馬蹄形をしている。元は氷河だったが、現在は氷が解けて湖になっている。私が行ったときはこの道路の橋が水害で流されていて通れないため、大回りして間道を通ってギャンツェまで行った。
写真23「燃料の牛糞」 チベットは緑がほとんどないので、牛糞(ヤクの糞)を壁に貼って乾燥させ、燃料として使っている。ひどいでこぼこ道の間道を通ったため面白い風景が見られた。
写真24「ギャンツェ城」 この城は1904年、インドに駐留するイギリス軍に攻められ、激しい攻防戦の末、落城したとのこと。
写真24「パンコル・チューデ(白居寺)」 ギャンツェの名刹:白居寺は周囲を高い城壁で囲まれ、寺自体が砦のようになっている。ギャンツェ城から見下ろせる。チベットの大きな寺はこのような形式が多い。ポタラ宮も宮殿というより城と言った方がよい。
写真25「シガツェのタシルンポ寺」 チベット第二の都市シガツェにあるタシルンポ寺は堂塔伽藍がきれいに残っている。この寺は城壁に囲まれておらず、砦の形式ではなかった。
写真26「褶曲地層」 シガツェを出た後、ティンリーで一泊し、今日はいよいよチョモランマ大本営に入る日である。道の両側にはこのような褶曲地層が至る所に見られ、ヒマラヤ造山運動の巨大さを実感する。ヒマラヤ造山運動とは、インド亜大陸がプレートに乗ってアジア大陸にグイグイ押し付けられているので、大陸の端が盛り上がってヒマラヤ山脈をますます高くしている運動である。ヒマラヤ山脈がこんなに高くなる前はチベットにもインド洋の湿潤な大気が流れ込んでいたので緑で覆われていたそうである。今ではヒマラヤ山脈で大気中の水分が雪や氷になってブロックされるので、チベットは乾燥した気候になってしまった。
写真27「民家の魔よけの旗」 チベットの民家は四角で、その中に四角い中庭を設けることが多い。四角い民家の四隅には魔よけの旗が立っている。この旗がない家はすでに空き家となっている。
写真28「チョモランマ自然保護区の入口」 このゲートで入山許可の厳しいチェックが行われる。パスポート、チベット入域許可書、チョモランマ地区入山許可書が必要である。このゲートを過ぎるとイロハ坂でバン峠まで登る。
写真29「バン峠5100m」 チベットの峠には必ずこのようにタルチョがかかっている。主要な峠になればなるほどたくさんのタルチョがかかっている。タルチョには経文が書かれていて、旅人の安全を祈願するものだそうである。
写真30「バン峠下りのイロハ坂」 バン峠の反対側のイロハ坂は規則正しいイロハ坂となっている。チベットの山には木がない。日本人の感覚からすると異様に感じる。
写真31「あの素掘りのトンネルをぬける」 岩だけで緑が何もない殺風景な景色が続く。
写真32「チベット族のお墓」 最初は廃村の跡かと思っていたが、ガイドの話によるとチベット族のお墓だそうだ。
写真33「ついにチョモランマが見えた」 最奥にある集落、ロンボクが近づいたころ、ようやくチョモランマが見えた。残念ながら一部に雲がかかっているが、その大きさに驚いた。ここからでも、標高差で3700m、直線距離にして約20kmある。
写真34「ロンボク寺」 最奥の人里(ロンボク:5100m)にあるロンボク寺である。常住の僧がいる寺としては世界最高所にある寺とのこと。通常はここから馬車に乗ってチョモランマ大本営まで8kmを移動する。ロンボクの人家は数軒で畑も見えない。住民は夏場の観光馬車だけで生計を立てているのだろう。
図35「チョモランマ大本営」 チョモランマ大本営(エベレストベースキャンプ:5200m)には夏場だけ観光客相手のテント村ができる。ほとんどが食堂と土産物屋だが、シュラフを持参していれば、中には泊まれるテントもある。チョモランマ大本営局の郵便局もある。ただし、ここで投函するのではなく、ハガキを買えば大本営局の消印を押してくれるので、麓に降りてから自分で投函する方式である。
写真36「ロンボク招待所」 ロンボクにある観光客の宿泊施設である。宿泊棟で中庭(駐車スペース)を取り囲むような構造になっている。日本の冬山用の衣類を持って行ったのだが、8月末でも寒さに震えた。トイレは写真37を参照。私の車の運転手は「夜中にチベット族にいたずらされるといけないから」と言って夜は車で寝ていた。漢族・チベット族間の不信感はとてつもなく大きいらしい。
写真37「ロンボク招待所のトイレ」 男女別に分かれているが、コンクリートの床板に穴を2つ開けただけのもの。前の人の尻を見ながら用を足すトイレである。男でも相当覚悟しないと使えない。おまけに電灯はないのでキャップランプを持ってゆく必要がある。
写真38「まれに見える緑の畑」 流れがあり集落があるところでは、まれに畑があり小麦が栽培されている。一面茶色の世界に一部だけ緑があるのは奇異な感じがする。
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