馬籠・木次線・帝釈峡

 京都で小学6年のクラス会を開くというので、馬籠宿を見てから夜の宴会に参加する予定で、別行動の行程を立てたら、本隊はパックツアーを利用して京都往復とのこと。パックツアーは夕食もツアーのメニューに入っていて、ツアー参加者以外は参加できないとのこと。
 仕方ないのでクラス会とは全く別行動で、恒例の年末の駅取材もかねて、馬籠・木次線・帝釈峡を回ることにした。ヒョンなことから、この不思議な行程の旅行をすることになった。(2015年)

11月28日(土)晴れ
 新宿6:50発の高速バスに乗り、中央道経由で馬籠へ。甲斐駒と八ヶ岳がきれいだった。恵那山トンネルを抜けるとすぐ馬籠のバス停。神庭PAの扉を開けて外に出るところがわからず、売店で聞いたら丁寧に教えてくれた。高速道路を橋で渡ると馬籠までは15分ほど。馬籠宿を下から見上げるところに東屋が建っていた。青い空を背景にして馬籠の宿屋群が横一列に連なっている構図はこのルートから来ないと見られないだろう。

 馬籠宿入口のまごめ屋でそば定食。ドライブインのような大きな店だが雰囲気はよかった。11:55 いよいよ馬籠宿を歩き始めた。馬籠宿入口には「中山道馬籠宿江戸へ八十三里」という石標が建っていた。宿場街は石畳の道が続いている。両側に宿やみやげ物屋が並び、観光客が大勢歩いている。五平餅を焼きながら売っているお婆さんの顔立ちが、いかにも古い宿場町の雰囲気にマッチしているので思わずシャッターを押した(写真02)。

       写真02 五平餅を焼くおばあさん(馬籠)

 すぐに階段と坂道が並行して走る鍵の手道を通過する。たぶん枡形だろう。城下町だけでなく宿場町にも枡形を作ったのか。馬籠は宿場町の中でも結構な勾配がある。両側に同じような、宿や店が続く。左側に脇本陣を利用した資料館がある。
 なおも歩いてゆくと自動車道路と交差し、宿場町が終ってしまった。その先にある民家の外におばさんがいたので、藤村記念館はどこかと聞いてみたら、もっと下のほうだとのこと。セカセカ歩いてきたので見落としてしまったようだ。

 今日は妻籠まで歩く予定なので時間も気になる。藤村記念館をあきらめて先を急ぐことにした。それから先は自動車道路と交差を繰り返しながら奥馬籠の家並みについた。途中には十返舎一九の歌碑もあったが読めない。奥馬籠も馬籠並みに多くの民家が両側に連なっていたが、観光客はここまでは来ないので静かだった。軒につるした干し柿の色がきれいだった。そこからちょっと自動車道路を歩くと13:00ちょうどに馬籠峠(写真04)に着いた。峠には「馬籠峠801m」の看板と一服したい雰囲気の「峠の茶屋」があった。

            写真04 馬籠峠
 写真だけ撮って、道標にしたがって右に旧中山道の山道を下る。訪れるハイカーも多いらしく道は良く踏まれている。落ち葉を踏みしめながら下る。10分ほど下ると全くの山の中に一軒宿があった。ここなら静かで宿の雰囲気も良い。泊まってみたいところだ。

 山道を下ってゆくと、登ってくるパーティーと結構すれ違った。やはり人気のあるコースなのだ。左手足元の急斜面の下に沢が見える。そこに結構しっかりした橋が架かっている。こんな山奥に立派な橋があるのに疑問を抱きながら下っていったら、水平な広い道路とぶつかり、「雄滝:左へ143m」と書いた道標があった。そちらに進むと先ほど見下ろした立派な橋で雄滝に達するようになっていた。そうか雄滝の探勝路だったのか、納得。13:30 雄滝着。雄滝の奥に雌滝があった。ここには自動車道路からも近く、自動車道路から降りてくる階段も整備されているのでマイカー族も結構来ていた。

 それから先は旧中山道も舗装されていて、集落を巡りながら、曲がりくねって続いている。しかし、幅の広い新道(県道)とは別なので、静かに落ち着いて歩ける。庚申塚の石碑を左に取ると、大妻籠があり、結構まとまった宿場町の体をなしている。ここにも「諸人御宿」と書いた、趣のある宿屋が連なっていた。それらの宿屋の入口はどこも、屈まないと入れないような高さの低い障子戸になっていた。これが昔の一般庶民の宿屋の形態なのか。

        写真06 諸人御宿つたむら屋

 14:20、いよいよ、「妻籠宿町並み入口」という看板の立っている分岐点に着いた。発電所の建物も黒塀で囲まれ、宿場町の雰囲気を壊さないようにしている。道端にかなり大きな石の水槽が置いてあったが、何も説明が書いてない。多分、馬の水のみ場ではなかろうか。
 だんだんと両側の家並みも増え、ずっと軒を連ねるようになった。有形文化財の上嵯峨屋(江戸中期の木賃宿)を見て、枡形に向かう。観光客がぞろぞろ歩いているあたり馬籠と大差ないが、宿場町の雰囲気はこちらのほうが良く残っている感じだ(写真08)。道も馬籠ほどの勾配はない。しかし道は石畳ではなく通常のアスファルト舗装だ。

 枡形を過ぎると、昔の役場の建物を使っている骨董品的な観光協会の建物がある。ついで本陣の資料館。入場料300円だったので、やめて、近くの御茶屋で茶を飲んで休憩。無愛想なおばさんとお婆さんがやっている店だった。店に入ってから見たら、ちょうど真ん前に無料休憩所があり、お茶の接待もあるようだった。宿場町の最後は昔の高札場を再現したものがあった。これも面白い。その先に数軒の宿屋があり宿場町も終ってしまっ た。15:10。

           写真08 妻籠の町並み

 20分待てば南木曽へのバスもあるが、バスで行っても駅で50分待たねばならない。地元の人に聞いたら南木曽まで1時間だというので歩くことにした。ここから先は自動車道路を歩くので趣きもへったくりもない。歩いている人は誰もいなかった。特に木曽川沿いの国道に出てからは、物流の大型トラックがうなりをあげて通るので、轟音と排気ガスに閉口した。
 木曽川の奥にそびえる中央アルプスの山々を眺めながら、南木曽駅には16:00 に着いた。16:28発の中津川行きに乗り、中津川で名古屋行きに乗り換えて、名古屋には18:17ついた。出雲市行きの夜行バスは21:30発なので時間をつぶすのに苦労した。横浜の方が名古屋より人口は多いが、駅は名古屋駅の方がはるかに立派だっ た。やはり本社のあるところは違うのか。

 出発5分前ぐらいにバスに乗ったら、夜行バスだというのに若い女性が多いのに驚いた。運転手に経路を聞いたら、新名神→名神→中国道→米子道だという。途中、蒜山SAで仮眠休憩のため2時間半停車するが、お客はバスから出られないとのこと。そうか、それで距離の割に時間がかかっているのだ。この仮眠を設けることにより乗務員1名で運行しているようだ。
 今朝は早かった割になかなか寝付けなかった。カーテンの隙間から高速道の掲示を何回も見てみたが、地名が書いてある掲示が見当たらず、今どこを走っているかとうとう分からなかった。月が西の山際にかかっているのが見えたので、もう落合近くまで来ているのだろう。乗務員の仮眠休憩で停車した後、当方も2時間程度、うとうとしたようだ。

11月29日(日)曇り
 7:16、終点の出雲市駅に着いた。すでに高架化された大きな駅だった。駅構内の焼きたてパンを売り物にしている店でコーヒーを飲みながらパンでも食べようかと思ったら、まだ時間が早いので喫茶部は開いておらず、パンだけ買って駅の待合室で食べた。なんとなくわびしい。
 7:56の列車で宍道へ。宍道でも1時間あるので店に入ろうと思ったら、店はどこも閉まっていた。しかたないので歩いて5分ほどの宍道湖畔に行って時間をつぶした。帰りに宍道の本陣の前まで寄り道して写真を撮った。

 9:04発の木次行きに乗った。列車は気動車1両だけだった。それでも乗客はパラパラという程度。木次線は浜田方面に向けて走り出し、すぐ左にカーブして山陰本線と別れた。この木次線はメインの川に沿って走らず、峠越えをしながら間道ばかりを走っている。なんでこんな路線にしたの だろう。

 時刻表では木次で30分ほど待って、別の列車に乗り換えて出雲横田に行くようになっていたが、実際は同じ車両が列車番号だけ変えて横田行きになった。時間つぶしに駅前に出てみたが歩いている人もほとんどいない寂しい町だった。
 木次駅のホームには八岐の大蛇神話の看板が建っていたので、「ここがその場所か」と感慨深く周囲を見渡したが、その後列車に乗ってみたら、この看板はどこの駅にも建っていた。出雲=神話の国をアッピールするためのものなのだろう。10:00発の列車で出雲横田へ。

 横田に着く前に松本清張の「点と線?」で有名になっ た、亀嵩駅があった。無人の寂しい駅だった。 11:01、出雲横田に着いた。この駅は注連縄が張ってある駅として有名だ(写真10)。駅も木造の神社造りで歴史も古いらしい。駅舎の隣のトイレも神社造りだった。駅広も広く、周辺の建物は全部黒瓦で統一されていた。この駅の写真を取るのが今回の目的なので、横田で2時間も取れるこのダイヤを選んだのだが、時間が余ってしまい時間つぶしに 苦労した。

           写真10 出雲横田駅

 駅前の食堂でたっぷり時間をかけて昼食。それでもまだ1時間もあまっているので「どこか見物するところはないか」と聞いてみたら、横田町のパンフレットをくれた。駅の後ろの山の上に「たたら刀剣記念館」があるとのことなので行ってみることにした。教わった道を歩いていったら山を 一回りしてゆくルートだったので片道 25 分もかかってしまった。これでは記念館を見ている時間がない。山の上から横田の町を見下ろす写真を撮っただけで駅に引き返した。

 横田13:00発の列車で備後落合へ。これも気動車1両。乗客は4人。鉄爺、中年の鉄子、若い鉄男と地元のおばさん一人だけ。これではJR西日本も大変だろうな。出雲坂根でスイッチバック(写真12)を見るため後部運転台へ。鉄男は前部運転台にへばりついてさかんに写真を撮っていた。エンド交換のための停車時間にホームに下りてみたら、ホームにも鉄男が3人いた。ここはマニアの間で有名な駅らしい。
 坂根名物の延命水を飲んで、いよいよスイッチバックの中段の登りにかかった。ポイント部には雪覆いがついていた。またエンド交換して、信号が変わるのを持って上の線の走行が始まった。信号は指令室で返しているとのこと。
 ここから先はトンネルが連続し、進行右側に県道の大蛇(おろち)ループ(写真14)も見えるので、列車の後部運転台脇でシャッターチャンスを狙った。確かにトンネルを出たり入ったりするのは良く見えたが、大蛇ループはかなり行き過ぎてから見えたので迫力のある写真にはならなかった。ここはやはり右窓から見ていたほうが良かったかもしれない。谷をまたぐ県道の赤い大きな橋も見えた。この橋の高さは100mぐらいあるのではないか。最高点の駅(三井野原:海抜700m以上)を過ぎると、水の流れの向きも変わって備後落合についた。

      写真12 出雲坂根(下段のスイッチバック)

       写真14 脇を走る県道の「おろちループ」

 備後落合は駅名表示もついていないプレファブのようなさびしい駅だった。でもこの時間帯だけは3方面へ行く列車が停まっている(写真15)。新見行き(芸備線上り)、三次行き(芸備線下り)、出雲横田行き(木次線上り)が勢ぞろいしている写真を撮ってから、新見行きに乗り込んだ。鉄子と鉄男は三次行きに乗るとのこと。14:18発の新見行きも気動車1両。別の中年の鉄男と鉄爺と地元の家族連れ1組だけ。

 (写真15)備後落合駅に勢ぞろいした三列車(と言っても、どの列車も一両だけ)

 備後落合からの路線も山の中ばかりだった。カーブがきついのか勾配がきついのか分か らないが、しばらくの間は、列車は 25km ぐらいでゆっくりあえぎながら登ってゆく。芸備線はのどかな集落のある山の中の盆地をつないで走っているのかと思っていたが、さにあらず、人家が一軒も見えない山の中のほうが多い。
 ようやく下りが多くなって、人家が現れるようになったら東城に着いた。15:07着。東城駅もすでに無人になっており、ワンマンカーの運転士に切符を渡して駅を出た。まず電話で旅館を予約。駅前に出ても人っ子一人歩いていない寂しい町だった。バスの時刻を停留場の時刻表で確認。まだ40分ある。

 町の中を歩いてみたら、人がいたので「東城はさびしい町ですね」と言ったら、「日曜は店がみんな閉まってしまうので」との答が返ってきた。駅近くの雑貨屋でタバコを買おうとしたら、真っ暗な中で店番をしていたおじいさん・おばあさんが、「外の自動販売機で買ってくれ」という。「タスポを持っていないので、タスポを貸してくれ」と言ったら、「そんなものどこにあるか分からない」と、さも面倒くさそうにコタツに入ったまま答えていた。ぜんぜん商売っ気がないのに驚いた。

 バスの時刻になってもバスが現れない。バス会社(備北交通)に電話したら、社員もよく知らないらしく結構待たされて、やっと、休日は全便運休だということが分かった。停留場の時刻表をよく見たら、隅のほうに「休日は全便運休」と書いてあった。しかたないので、駅前に停まっていたタクシーに乗って帝釈峡(川上)まで行った。 16:10 ごろ、川上の虎屋旅館に着いた。おばさんが外まで出てきて迎えてくれた。もう紅葉シーズンも過ぎたので、今日の客は当方一人とのこと。

 部屋に荷物を置いてから、すぐ帝釈天を見に行った。高さ50mほどの石灰岩壁の下に帝釈天の祠が建っていたが、どういうわけか立ち入り禁止の金網が張ってあった。落石で危険なのかな。次にその岩壁の下にある、小さな凹み(川水で溶食されたノッチ面)に入ってみたら、10mほどで行き止まりとなり、賽の河原のように石が積んであった。見るものはこれだけのようなので、すぐ旅館に戻った。結構寒い。

11月30日(月)晴れ
(帝釈峡の部分は「洞窟」メニューの中に入っているので割愛)帝釈峡を通り抜け、もみじ橋に12:15に着いた。ここが神竜湖遊覧船の発着場だが、もう運航は終っていた。そこの食堂で何か食べようと思ったが店は閉まっていた。たまたま船着場のほうから上がってきた地元の人に聞いたら、そのトンネルの向こうに売店があるとのこと。メインの通りから脇道に入ってゆく感じだったが歩いていったら、売店と食堂があった。バス時刻まで10分しかないので食堂で食べる時間がない。売店でパンを買って食べていたら12:48発の福山行きのバスが来た。口をもぐもぐさせながらバスに乗った。

 乗客は地元のお婆さんと当方の2人だけ。最前列の景色が良く見えるところに座った。福山への道は帝釈川と離れて山間のくねくねした道を通る。山道になったり集落が現れたりを繰り返して進む。地元の人が時々乗ってきては、すぐ降りてゆくので、ほとんど当方と運転手の2人だけ。時間調整のためある停留所で停まった時は、運転手が近くの店で栄養ドリンクを買ってきて当方にも振舞ってくれたのには驚いた。この路線は赤字間違いなしだなという感じだ。途中、チョット景色の良い渓谷(写真16)に沿って走るところがある。見上げると紅葉も真っ盛りだった。

       写真16 紅葉がきれいな名もない渓谷

 14:59に福山に着いた。駅のすぐ裏側にある福山城を見に行った。ここは誰でも自由に入れる公園になっていた。天守閣は入場料を払えば登れるのかと思っていたが、入場できないようだった。城で時間をつぶし、16:31発ののぞみで帰途に着き、なんともしまりのない、不思議な行程の旅が終わった。



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