1969年の御嶽山(S44年)

 この記録は、当方がオールサンデーになってからHPを作り出したついでに、はるか昔を思い出しながら、2020年に書いたものである。

 1969年(昭和44)10月、大阪から夜行日帰りで、会社の独身寮の友達と2人で御嶽山に登った。麓は紅葉真っ盛りだったが、山頂付近はすでに冬山。山道には雪が積もり、池には分厚い氷が張っていた。2014年9月27日の噴火で58名も亡くなるような危険な山だと言う雰囲気は全くなく、静かに登山者を迎えてくれた。

 まだ薄暗いうちに木曽福島に着き、バスで御嶽高原(当時の呼び名は忘れた)まで行き、あとは歩いて登った。登るにしたがって傾斜も急になり、夜行の寝不足も手伝って、結構つらい登りだった。ようやく8合目の遥拝所に着いた(写真2)。

写真2(8合目の遥拝所から御嶽山を見上げる)

頂上剣が峰に着いて記念写真を撮り(写真3)、北方の雲海上に乗鞍と穂高が頭を見せている(写真4)。そこから下って全面氷結した二ノ池に着いたら(写真5)、上を歩いても割れないほど氷が厚かった。

            写真3 御嶽山頂にて

写真4(はるか北方に、乗鞍と穂高が見える)

           写真5 二の池の氷の上

 下りは摩利支天を越えて濁河温泉に下った。下るにしたがって紅葉が鮮やかになる。下から見ると、青空を背景にして赤や黄色の葉が鮮やかだ。この下りも結構急だった。ようやく昼頃濁河温泉に着いた。まず温泉に入り、食堂でビールを飲みながら昼食を食べた。これがうかつだった。

 このため飛騨小坂までのバス(2時間)が地獄の責め苦になった(写真6)。車窓の紅葉を楽しむどころではなく、歯を食いしばって小便をこらえていた。それでもとうとう我慢できず、運転手さんに頼み込んで途中で止まってもらった。他にも数人降りて用を足していた。

写真6(濁河温泉から飛騨小坂へ下るバス道)

 今でも、濁河温泉~飛騨小坂のバス道路を25000で見ると、羊腸の小径と言ってよいほどジグザグを繰り返して下っている。当時はもっと条件が悪かったのではなかろうか。

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