素人の見た1977年の中国の印象

 このHPの旅行編にある「1977年の中国」の姉妹編である。2023年になってから書斎のガラクタを片付けていたら、この旅行から帰ってきてすぐ書いた印象記が、ある機関の部内誌に載っていたので、それを紹介する。

 つい先日、中国を訪問する機会にめぐまれた。このところ中国を訪問する日本人も増え、政治、経済、文化等各方面の専門家がそれぞれの立場から新中国を紹介しているので、専門的なことはさておき、素人が肌で感じた中国の印象を書いてみたい。

商店について
 日本の商店の感覚からしたら、およそ不愛想である。店に入っても「いらっしゃいませ」でもなく、「何をお探しですか」でもない。そのうえ、頼んだ品物を投げてよこすのには驚いた。中国人に対しても外国人に対しても同じだった。でもやっかいな注文をしても、イヤな顔をせず快くやってくれた。
 例えば、心もとない中国語での品選びはとてもできないので、「ここにある品物全部一種類ずつ出してくれ」と頼んだら、汗をふきふき、皆だしてくれた。ウインドケースの上が山のようになってしまったが、おかげでじっくり品定めが出来た。
 始めのうちは買い物をするたびに日本人のクセで「シェーシェー」と言っていたが、相手が「ウン」でもなきゃ「スン」でもないので馬鹿らしくなって、いつの間にかやめてしまった。

日本語について
 私たちについてくれた中国人の通訳が「日本語の通訳をするには、英語を知らないと難しいですね」と言っていた。なるほど日本人は無意識に外来語をそのまま日本語として使っている。
 ある晩、中国側の招待宴の席上、日本側が「三百六十五歩のマーチ」を歌ったら、歌詞の中にある「人生はワン、ツー、パンチ」の「ワン、ツー、パンチ」とは何だと聞かれた。何の前触れもなく日本語の中に英語が出てくるのだから外国人からすれば、日本語の一部だと思うのも無理はあるまい。

 またこんな例もあった。中国人が「~膏」と書いた軟膏を使っていたので、「メンソレタムですね」と言ったら、「日本ではこれを何と言いますか」と聞かれ、「メンソレタム」です答えたら、折り返しに「いや、日本語で言ったら何ですか」聞かれ困った。
 一事が万事で、中国では外来語をほとんど漢字に意訳しているようだ。エレベーターは昇降機、テレビは電視。固有名詞はその発音に似た漢字を並べるが、中にはホワイトハウスを「白宮」というように意訳したものもある。

拍手について
 上海で歌舞の公演を見る機会があった。一幕終わるたびに拍手しているのは日本人だけで、周りにいる中国人は誰も手をたたかないのに気が付いた。なんだかきまり悪くなったが、日本人は日本人のしきたりでゆくさとたたき続けたが、注意して見ていたら、中国人はアンコールの時だけ割れるような拍手をすることに気が付いた。
 ちょっと考えすぎかも知れないが、あるいはこんな意味かも知れない。
 一幕ごとに拍手を送っていのでは、アンコールの拍手なのか、単なる儀礼的な拍手なのか判断しにくい。アンコールの時だけ拍手を送ればハッキリする。この方が情報工学的に考えた場合合理的である。

突然の見学について
 中国では日程で決められた見学場所以外、その場になってから突然あれを見たいと言っても、まず断られる。「どうしてか」と中国側の随行員に聞いてみたら、「中国人はお客様を迎える場合、十分に準備を整えて、熱烈歓迎できる状態でなければお客様に対して失礼にあたると考えるので、突然の見学はお断りするのだ」とのことだった。そういえばその後思い当たるようなフシがあった。

 夜行列車で北京西駅から大寨に向かうとき、出発まで時間があったので、機関車のところまで行き、機関士に「私は日本の鉄道員だが、機関車をちょっと見せてくれないか」と頼んだ・
 OKというので、早速デッキに登ろうとしたら、「ちょっと待て」と言うので待っていたら、布切れを持って降りてきて、デッキの手すりを丁寧に拭いてから「さあ、どうぞ」と言ってくれた。SLだったので手すりがススで汚られいるのを気にしたのだろう。こういうところにもお客さんを迎える気遣いが現れているようだ。
 しかし、後で考えると、突然の見学を申し込むのは相手にだいぶ手間をかけるものだと反省した。

少数民族について
 中国では漢族が人口の大部分(95%)を占めているが、一口に言って約50種の少数民族が住んでいるので、その民族性を尊重しているとのこと。
 具体的には、民族の言語を使用し、自治区を形成している。北京には中央民族学院や民族文化宮があったが、見学する機会はなかった。でも、日本円を中国元に換金したら、元紙幣の左上に、何やら4つの言語で書いてあった。聞いてみたら、内蒙古語、チベット語、ウイグル語ともう一種の言語だが、その人も知らないようだった。
 また上海の市街の通りには中国各地の名前がつけられていた。こんな一面を見ただけだが、少数民族の扱い方がにじみ出ているようだ。

通勤について
 中国では朝の活動開始が速い。聞いていたとおり自転車の洪水だが、バスもひっきりなしに走っている。そのどれもが満員である。しかし、日本なら駅に向かう方だけが満員になるのに、中国では上り、下りとも満員なのである。
 輸送力の絶対数が不足しているのなら、大量の積み残しが発生するはずだが、そんな様子も見られないということは、職場と住宅がうまく分散されていて、どちらの向きにも、同じ数の通勤者がいるのだろう。

 自転車の洪水にしても同様だった。夕方の退勤時に見ていたら、天安門前の長安街をうずめた自転車も、一つ交差点を過ぎるごとに、だんだん減ってゆき、軍事博物館あたりまで行くと数えるほどになってしまった。たぶんその間に平均して住宅が分布しているのであろう。北京のど真ん中だと言うのに。

外国人を見る目について
 町の中を一人で歩いていると、すれ違う中国人が興味深そうにジロジロ見ているのが、視線の動きでよくわかる。日本人なら同じ顔かたちのはずだが、ネクタイをしているので外国人だとすぐわかるのだろう。ジロジロ見ているが話しかけたり、近づいて来たりたりはしない。
 しかし、こちらが誰かに話しかけると、たちまち黒山の人だかりになってしまうのを、あちこちで経験した。

 いつだったか、女の子が公園で三角関数の勉強をしていたので、「何年生か」と聞いたら、中学二年だとの返事だった。ちょうど数学の補充教材を開いていたので、その目次を見ながら、中学校でどこまでやるか聞いていたら、いつのまにか、後ろに大勢人が集まって聞き耳を立てているので、なんだか気味が悪くなったのを覚えている。こんな点は日本人の方が、よく言えば外人慣れしている感じだが、反面、困っていても手を差し伸べたりしないかも知れない。 

 もちろん、中国にも例外はあった。北京駅の切符売り場でウロウロしていたら早速紅衛兵の腕章をつけた少年が飛んできて、「切符を買うのか」と聞いてきた。「時刻表が欲しい」と言ったら、売り場まで案内してくれた。

 以上書いてきたことは、日常生活における些細なことかもしれない。しかし何となく心に残っているというのは、日本人と中国人の国民性の違い、社会体制の違いなどからくる異質なものがあるからだろう。
 多少なりとも中央公民館でやっている中国語講座で習っていたのが大いに役立った。もっと自由に話す能力があったら、もっと得るところがあったものと思う。

 いずれにしても外国に行くときは、「その国の言葉が話せることが、その国を理解するのに最も大切である」とつくづく感じた次第である。

 

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