2016年3月、秘湯に入る会の会員さんから次のようなメンバー募集の呼びかけがあった。「伊豆長岡の超高級旅館(南山荘)が今年の4月から休業になる。今月中なら、一室2人以上で利用すれば、素泊まり6000円/人で泊まれるので、一緒に行く方いませんか」とのこと。
普段の温泉めぐりは一万円以下で泊まれるような宿しか利用していないので、超高級旅館とはどんな宿なのか見てみたいと、野次馬根性半分で参加することにした。
Webで調べてみると南山荘は、
・創業は明治40年(1907年)。長岡温泉を開いた大和宇平によって創業され、政財界の著名人の利用が多く、北原白秋や川端康成のゆかりの宿としても知られている。
・そのため、お忍びで来る政治家も多く、正面玄関の外、人目につかない「脇玄関」も設けてある。
・なんと8000坪の広大な敷地の中に、客室はたった33室だけ。本館客室11室と離れ風客室22室があり、離れ風客室にはそれぞれ違った間取りと意匠が凝らされている。
・客室は背後の山(源氏山)の斜面に別荘風に散在している。その客室をつなぐ廊下が山の斜面に万里の長城のようにつながっている。
こういう構造なので、屋根のついた廊下は階段の連続で、各客室のお客の世話をする仲居さんも大変だったろう。しかも食事などは、斜め上下に運ぶ必要があるので通常のリフトは使えず、全部人力で運んだものと思われる。このため、現代の人手不足で旅館の運営もままならず、しかも、一泊4~5万も出して泊まる客も少なくなったので、休業せざるを得なくなったのだろう。
当日は、三島から伊豆箱根鉄道で伊豆長岡まで行き、韮山の反射炉を見てから、長岡温泉まで全部歩いて行った。南山荘の玄関とロビーは写真03と05の通り。部屋に入ったら今回参加者の一人は既に到着していた。
写真03 南山荘:表玄関
写真05 南山荘:ロビー
早速、南山荘内を隅から隅まで歩いた。ロビー脇にある中庭(写真07)が落ち着いた気分にしてくれる。そこから見た南山荘の客室は、どの部屋も山の斜面に独立した別荘のような感じで建っている(写真09)。それを過ぎると南山荘の客室の全体配置図(写真11)があり、左手に、赤いじゅうたんを敷いた階段廊下が登ってゆく。その入口の名前が「南山荘登り口」(写真13)とは振るっている。
写真07 南山荘:中庭
写真09 南山荘の客室は山の斜面に別荘のように散らばっている
写真11 南山荘の客室配置図
写真13 客室に通じる廊下は「登り口」と表示されている
各廊下を迷いながら歩いてゆくと廊下の形や意匠も独特な雰囲気を醸し出している(写真15)。やっと朱塗りの太鼓橋がある渡り廊下に達した(写真17)。こういう趣向も面白いが、いかにも戦前の御大尽さま用という感じだ。ここから先も複雑に折れ曲がった廊下が続き、どこをどう通ったか分からないが、お忍びで来た大物が利用する脇玄関に着いた。
写真15 客室周りの廊下の意匠
写真17 朱塗りの橋の渡り廊下
館内を一回りする途中に3種類のふろ場があったが、露天風呂と岩風呂はもう手入れをしていないらしく、半ば壊れていた。現役の風呂は「富士見風呂(写真19)」という名の風呂があったが、ありふれた風呂だった。
写真19 ありふれた風情の富士見風呂
翌日は、参加者の車に乗せてもらい、河津:峰温泉の老舗旅館「竹の庄」を見学した。竹の庄は峰温泉大噴湯公園のすぐ近くにある。バス道路に面した竹の庄の木造二階建ての建物は蔦に覆われていたらしく、壁に蔦の跡がたくさん残っていた(写真21)。
写真21 峰温泉の竹の庄
まず庭から見学する。立派な庭で、それを廊下から見ると一幅の絵になっている(写真23)。帳場も、和風トイレも、部屋もきれいで骨董品的価値もある。つづいて風呂場を見学する。木造二階にも湯船を作ってあったのには驚いた(写真25)。障子風のガラス窓と、和風デザインのタイルが珍しい。湯船の縁が木製だったが、これでは防水が難しいので、湯船と床はコンクリートを打ってあるのだろう。
写真23 縁側から庭を望む
写真25 木造建築の2階にある湯船
今は素泊まり(6500円/人)しか受けていないとのこと。この宿も人手不足で通常の営業ができないのであろう。現在(2020年)では、竹の庄のホームページそのものがアクセス不能となっているので、休業or廃業してしまったのだろう。今でも見られるwebは過去に利用した人の誉め言葉ばかりだ。
ここで秘湯に入る会の仲間と別れて、当方は峯温泉の大噴湯を見に行った。案内板によると間欠泉ではなく、高温高圧の温泉水の噴出口に人工的なバルブを設け、1時間ごとにバルブを開けて1分間だけ噴き出させているようだ。それでもかなりの高さまで登るのに驚いた(写真29)。
写真29 峰温泉の大噴湯
大噴湯を見た後は河津川に沿って2kmほど歩いて河津駅へ。河津桜はもう時期を過ぎていて、葉桜だけだった(写真30)。
写真30 河津桜も時期を過ぎていて葉桜だった
河津から踊り子号で横浜に帰ったが(写真31)、伊東線内は単線なので、特急と言えども行き違いで待ち合せすることがある。しかしおかしいなと思ったのは、行き違いの対向列車がすでに到着しているにもかかわらず、その駅で踊り子号も一旦停車してから出発していたことである。なんでこういう扱いをするのだろう。
写真31 上りの踊り子号(横浜にて)
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